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手のひらに幸せ

作者: やしろ
掲載日:2011/07/23

自分のことを「世界一の幸せ者」って断言できる人間って、いったいどれくらいいると思う?

私の言葉に、拓真は「5人くらいじゃない?」と、こっちを見もせずに答えた。手には変わらずコントローラーが握られていて、ボタンの間をせわしなく拓真の指が動きまわっている。

「根拠は?」

自分でもわかるくらいに不機嫌な声が出た。

いつものことだとわかっているものの、やっぱり目も合わせない状態を会話と呼べるだろうか?人と目を合わせられないなんて、これだから引きこもりは。全然、わかってないのだ、ニンゲンカンケイというやつを。

「や、そんなにいないだろうなーとは思うけど、ゼロってわけでもないっしょ。地球って、今、どれくらいだっけ?50億人くらいいるんでしょ?だったら5人くらいいた方が自然じゃね?配分的に」

ちゅどーん、と拓真が見入っているテレビ画面から安っぽい音が漏れる。拓真の押したボタンが、2次元の敵キャラを粉砕したようだ。ちょっとした砂ぼこりみたいなものが画面の端に映っている。でも、すぐに消えた。いつまでも残っていられたのでは邪魔なのだ、ビジュアル的に。私も昔はこの手のゲームに熱中したことがあるからわかる。

「ふーん、じゃ、世界一幸せだと思える人間って、10億人に一人しかいないのね。拓真の言う、自然な配分というやつには」

「ん、たしかに多いかもな。一人しかいない、っていうのが模範解答だよな。世界一、って言うくらいだし」

多い、か。

拓真の横顔から目を逸らす。ぎらぎらと光るテレビ画面は、電気を点けていないこの部屋には唯一の光源で、押しつけがましい光は目に痛い。

「理沙はさ、見たことない?病人のドキュメンタリー」

唐突に拓真に聞かれて、私はまた拓真の方を見る。相変わらず、その目は画面に釘付けだ。

「日本でもアメリカでもなんでもいんだけどさ、ほら、あるじゃん?難病を患った子どもが痛々しい姿で闘病生活送ってるようなやつ」

拓真の口から「患った」とか「闘病生活」という単語が出てきたことに、私は何も言えなかった。

拓真は小学生のときは皆勤賞取って私に自慢してきたほどの、ある意味模範的な健康少年だった。

今は学校にも行かずに自分の部屋に引きこもり、カーテンを引いて外からの光を一切遮断した空間で、一日中ゲームをしている。どんな表現を使ったって、「引きこもり」や「不登校」という単語を使わずには、拓真の今を説明できない。

拓真、あんたは何を「患って」、何と「闘う生活」してるの?

「おれさ、ああいうの見ると、おれってすげー幸せ者なんだなって思う。だってさ、世界には病気になって、お菓子もまともに食えない子どもがたくさんいるわけじゃん?お菓子どころか、点滴からしか栄養とれないとか。そういうの、見てると切ねーんだよな。おれは好きなものちゃんと自分で食える生活してるのにさ。まぁ、好きなものだけ食ってるわけじゃないけど。嫌いなものもあるし」

「未だにピーマン食べられないもんね、あんた」

茶化した。拓真にこれ以上言わせたら、私の罪になるような気がした。

ねぇ、もうしゃべんなくていいよ。振った私が悪かったからさ。いつもみたいに、あんたの顔だけ見て、テキトーなこと話して、大人しく帰ればよかったね。

もう話さなくていいから、だから、そんな顔しないでよ。

「で、感動して、自分の身の振り方改めようかな、とかしおらしく思っちゃうわけ。番組の最後のナレーションとかでさ、『今を大事に生きてください。あなたの、何でもない明日は、誰かが願ってやまない明日でもあるのです』とか言われちゃうともう、その番組に映ってた病気の子が世界一不幸で、おれはめちゃめちゃ恵まれてるのにそれに気付けない大バカ野郎だとしか思えなくなるんだよね。まぁ、実際、その通りなんだけどさ」

拓真は話しながらもゲームを進めていく。危うい素振りは、一切見せない。

「で、その番組が終わって、次の番組が始まるまでCM流れるじゃん?なんとなく惰性で見てたんだけどさ、募金のCMが流れたんだ」

デデーン、とまた安っぽい音がして、ゲームはボスのいるステージに入る。画面の中は、雰囲気を出すためか、さっきよりも暗い。この部屋も暗い。

太陽って、あるのかな。ないかもしれない。だって、こんなに暗いんだもん。拓真の部屋だけ暗いなんて、そんなことあるわけない。きっと、今は世界中暗いんだ。地球の裏側も、夜がないという北極点も、今は暗いに違いない。

そんなことを思った。あながち間違ってないかも、と。

「黒人の子どもが映ったんだ。骨と皮だけって、嘘じゃないんだな。あんな細い子どもの体のなかに、おれと同じような臓器とか、食ったものとか、血とか、あるなんてとても思えないほど、細かったんだ。目だけが、カメラを向いた目だけが、大きいんだ。すごく澄んでて、真っ黒な瞳の中に、光源がぽっかり、一つだけ映ってるんだ」

テレビ画面の中のボスキャラは、何かしゃべっていた。

すごく聞き取りにくくて、最後、とか、血、とか、死、という単語がかろうじて耳に残った。

「おれ、それ見て、醒めたんだ。病気になっても、おまえは守ってくれる家族もいるし、最新の医療を受けられる環境があるじゃん、って。世界には同じような病気にかかっても、闘う時間すらなく呆気なく死んじゃうやつらもいるんだ、むしろそういうやつの方が圧倒的に多いんだって」

最低だよな、と拓真の声が小さく漏れた。「何様だよって感じだよな」

キーンコーン、と遠くでチャイムが鳴った。この辺りの学校のものだろうか。

その校舎の中には、私や拓真とあまり変わらない年の子どもがたくさん通っていて、この時間には「今日の夕食なにかな」と考えているんだろうな。「明日も学校か、憂鬱だな」と思っている子も、たぶん、いるんだろう。

たくさんの子どもがいて、その子たちを守るたくさんの親がいて、世界中には50億人の人間がいる。どれくらいの数なんだろう。とても想像出来ない。

それだけいるくせに、拓真の言葉を拾ったのは私だけだ。

そんなことに、無性に泣きたくなった。この部屋を出れば人間なんていくらでもいるのに、世界中に私たちしかいないような気がしてしまうのは、どうしてなんだろう。

「病気にかかって苦しみながら生きてる子どもと、自分がどんな病気にかかってるのか知らないで死んでく子どもと、何もかも与えられてるのに、さも何も持ってないかのように沈んだ顔で生きてる人間とさ、誰が一番不幸なんだろうな」

拓真の指は、もう動いていなかった。

拓真として動いていたキャラクターは、大きくて醜いだけのボスキャラに、無抵抗にいたぶられている。

「理沙はさ、世界一幸せな人間?」

キャラクターの危機を知らせるアラームが、ひどく耳触りに響くなか、拓真は静かにつぶやいた。「引きこもりのおれと、毎日学校に通うおまえ、どっちが幸せなんだろうな」

アラームが鳴る。画面は赤く点滅する。

もうすぐ、こいつは死ぬ。こちらに背を向けたキャラクターからは、表情なんて見えなかった。

「今日は、言わないわけ?」拓真が私を見る。この日初めて、拓真は私を見た。口の端でだけ笑っている。

「何を言えってのよ」

「明日は学校に来なよって」

「言ったって、あんた、来ないじゃない」

声が震えた。喉が痛い。カラカラだ。目に、体中の水分が取られちゃったんだ、そうに違いない。

「学校なんて、そんなにいいところじゃないわよ」

しわがれた声だった。自分のものじゃないみたいに。声からも、水分が抜かれているんだ。どこか他人事みたいに、冷めた自分が分析してる。

「あんたみたいに引きこもっていた方が、幸せかもしれない」

自分がなくなってしまうように感じる。そう言えば、拓真は笑うだろうか。

楽しくもないのに笑って、胸の悪くなるような陰口に参加して、集団の中にいる自分に安心して、でもそんな自分が大嫌い。

私たちは幸せ。健康だから?おなかいっぱいに食べられるから?くだらないことで自分を世界中の誰よりも不幸だと信じてしまえるから?

だから、私たちは幸せ?

「違うって、言ってよ」

幸せって何?みたいな、そんな哲学的なだけで無意味なことを聞きたいんじゃないの。

私はただ、誰かに言ってほしいの。かわいそうだねと。君は、こんなにも苦しんでいるんだねと。

誰も言ってくれないことを知っているから。だって、私はかわいそうではないから。苦しんでなどいないから。

世界中のたくさんの不幸な人たちに比べて、私は呆れるくらいに幸せだから。

幸せって言葉に過敏になるくせに、誰よりも不幸だと思いたがっている。

ねぇ、違うって言ってよ。

こんなに浅ましい期待を、私のものじゃないと、否定してよ。

「世界中で一番不幸な人間ってさ、どれくらいいるんだろうな」

拓真は独り言のようにつぶやいたけど、今度はちゃんと私を見て言った。

「おれは、5人じゃ収まらないと思うんだよね」

5本の指を広げ、自分の手のひらを眺めながら、拓真は続ける。

「でも、幸せって、掴めるよな」

ふいに腕が掴まれた。

「ほら」拓真は笑った。「片手で、充分掴める」

「なにそれ」

自分の顔が歪んでいくのがわかった。

泣きたいのか、笑いたいのか、よくわからない。ただ胸が引き絞られるように苦しくて、その痛みに顔が歪む。

「理沙さ、毎日来てくれるじゃん。学校来なよ不登校、って。おれ、学校行かなくなったけど、それは誰とも関わりあいになりたくないからじゃないんだ。わかんないだけ。どうやって人と接したらいいのか、わかんなくて、怖いから」

拓真は、掴んだ手に力を込めるわけでもなく、離すこともなく、触れていた。添えていた、という方が近いのかもしれないけど、それでもたしかに、触れていた。

「でも、こうやって自分のこと気にかけて、覚えてくれてる人がいるって、嬉しいんだ。幸せって、こういうもんなのかなって、思う」

「みみっちいね」

「そうかも」

「スケールが小さすぎる」

「うん」

「拓真」

「ん?」

「こわいね」

拓真は何も言わなかった。

もしかしたら、私の「こわい」と拓真の「怖い」は違うものなのかもしれない。

でも、私たちは世界一の幸せ者ではなくて、世界一の不幸者でもなくて、何かにおびえながら生きていて、傍にいてくれる誰かを必要としてる。

世界一なんて、別に最初からほしがってなんかないよ。この星には50億もの人間がいて、今この瞬間にも誰かが笑っていて、その声をかき消すくらいの数の泣き声もまた、響いている。

でも、そういうことじゃないの。

数とか関係なくて、自分が他人と比べてどれだけ恵まれているかもどうでもいい。肝心なことは他にある。

「私たちって、バカみたいだね」

「いい年して、暗闇に怖がっちゃってるところとか?」

「そうそう」

体が小刻みに震える。

泣いてるのかな。目頭が熱い。

笑っているのかな。湧きあがるような、愉快な気もする。

こわがっているのかもしれない。拓真に手を離してほしくなかった。

世界は私が想像するよりずっと広くて、テレビが映すよりずっとひどい現実ばかりが転がっている。

見ないふりなんて出来ない。私たちは直視する。だから、こんなにも怖がってしまう。

一緒に震えてくれる相手がいることは、惨めなことなのかもしれない。傷の庇いあいなのかもしれない。

世界一の幸せ者じゃなくていい。

私には、この手の平で掴める幸せがあれば、それで。


ここまで読んでくださってありがとうございました。人口は約70億人だったそうです。とんだホラ話ですみません。

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