第4章 3
世界は理不尽で、どうしようもなく不公平で、願いはいつも叶わないから。だから逃げることだけに一生懸命になっていた。立ちはだかるものを避けることばかり覚えて、ただ自分の殻を固めていた。割れ目から見える空を飛ぶ鳥は、あんなに力強く羽ばたいてる。だから……。
- 刃創と覚悟 -
深夜に扉を叩く音を聞いて、私は飛び起きた。おそらく、そんな予感があったからかもしれない。私の寝起きする寝室からは、入り口のノック音なんて微かにしか聞こえないはずなのに……私は飛び起きて、階段を駆け下りた。
工房の入り口にはアイルークが立っていた。そして少し離れたところにはジェイロードの姿もあった。アイルークは悲しい表情を浮かべていて……その理由に私もすぐ気付いた。
「シルヴィ……」
外は雨で、シルヴィの体は雨に濡れていた。微かに腕の接合部が光を放っている。コードの何処かが切れているのか、片腕は力を無くしたように肩から垂れ下がっていた。
シルヴィは無言のまま私達を見つめ、そしてジェイロードに向かって歩み寄る。
「……遅ク、な……リ、……マシタ」
発声機能がブレて、機械的な声が落ちる。私は咄嗟に羽織ってきた上着をシルヴィの肩にかけた。
シルヴィはじっとジェイロードを見つめていた。ジェイロードもまた、ボロボロになったシルヴィを見下ろし、ただただ無言だった。何も言わないのはいつもの黙りなのか、それとも言葉を探しているからなのか。『お帰り』の一言も言えない彼に苛立ちながら……私も言葉が出てこないことに気付く。
「……」
シルヴィの目は、今までのような……本当の人間のような輝かしい色を忘れていた。表情も忘れてしまったかのように何の感慨もない顔をしていた。
ただ、後ろから見たその背中には、言いしれない悲しみが漂っているような気がした。
シルヴィはしばらくジェイロードを見つめた後、振り絞るように声を出す。
「新シイ、命令ヲ。……マスター」
私も、アイルークも、シルヴィを止めることは出来なかった。命令を求めるシルヴィの言葉には何か……深く強い意志が込められている気がしたから。
ジェイロードはシルヴィを見下ろして言う。
「……やれるのか」
シルヴィは目を瞑り、しっかりと頷いた。それは言葉で答えるよりもはっきりとした肯定だった。
「……ジュリア、シルヴィのメンテナンスを」
「え、……あ……」
私は戸惑いながら、振り返ったシルヴィの手を取る。どうしてだろう、止めなければと思うのに、ジェイロードの言葉に反論したいのに、思うように言葉が出てこない。まるで気圧されたかのように。
シルヴィは私を見つめていた。雨に濡れ、壊れてしまった彼女を……私はただ、静かに抱きしめることしか出来なかった。
☆
剣を弾く音が響く。その衝撃が全身に伝わってきて、俺は歯を食いしばった。ヴァルナはまだ喚び出していない。1人相手に使うのすら精一杯の俺が、3人相手にヴァルナを使い続けるには無理がある。
死ぬまで足掻くとは言ったものの、余計な計算をしていることに俺は頭の中で笑った。
「くっ……」
今度は背後からテレジアのメイスの攻撃。鈍い衝撃に、結界が歪んだ。くそ、これじゃあ攻撃に転じる隙がない。
サーシャの体は先ほどよりも力を失っているようだった。重みが増して、体が温度を失い始めている。血液の流れが収まりかけているところを見ると、どうやら少しずつではあるがルミナリィの力が体の回復を始めたらしい。
しかしこの早さでは、まだ安心出来ない。
「不思議なものですね……何故、そこまでして守ろうとするのか」
フリッツは冷静な口調でそう言いながら、俺の集中を邪魔するように剣撃を繰り返す。俺は顔を歪めながら吐き捨てた。
「ハッ、……じゃあテメェらがあのガキを守る理由を一言で言えんのかよ」
すかさずジャンが攻撃してくる方向を予測して結界を厚くする。三人の中で、この男の攻撃が一番重い。コルセスカの突きは結界を打ち破るくらいの力があった。
テレジアは体勢を立て直すと、声を投げた。
「……陛下を守るのは三大戦士の決まりのん」
「違ぇよ、正式な次期国王は別にいただろ。……何故あのガキなのかってことだ」
メイとそんなに歳も変わらないガキ。それを次期国王として認めた理由ってやつが、こいつらにもあるはずだった。勿論、そんな長話聞きたくもねぇけどな。お前らだって、俺がどうしてサーシャの依頼を受けたかなんて興味ねぇだろ。
フリッツはふと口角を上げた。
「確かに……そうですね」
戦いに善悪を求める気はない。ここにあるのは、単に主が目的の邪魔を排除しようという、簡単すぎるほどの理由。善悪なんてものは勝負がついたあとに第三者の暇人が付けるだけの称号でしかない。
こいつらは国の為に預言書を手に入れたい。その為に、預言書を集めるサーシャを殺しておきたい。ただ、それだけのこと。
「……話が過ぎるな」
「っ」
俺は背後から聞こえた声に硬直した。コルセスカが空気を切る音が木霊する。結界の強化を行う暇なんてなかった。咄嗟に体を捩る。サーシャの体を抱いたままじゃ、まともに避けることが出来ない。
サーシャを支える左腕を掠って、槍の刃が通っていった。途端に、結界が弾ける。
「くそっ!」
もう一度魔術を発動させようとした瞬間、目の前に黒い影が見えた。見上げると剣を構えた状態で、フリッツがこちらを見下ろしている。刃の先は力なく倒れているサーシャに向けられていた。
フリッツは静かに言う。
「バックランク・メイトだね。……太陽に仇なす者に粛正を」
祈り文句か何か知らないが、俺は奴の言葉を聞いていた。
太陽に反射して、刃が振り下ろされる。俺は咄嗟にサーシャを庇った。次の瞬間には剣で刺し貫かれる感覚が全身を覆う。その、はずだった。
弾ける金属音、乾いた音色が耳の奥で反響する。キツく目を瞑っていた俺は、ハッとして顔をあげる。
刃が擦り合う音が聞こえた。切っ先を受けとめる白刃。拮抗する力が微かに傾いた。
「っ……!?」
フリッツが驚きで僅かに身を引いた。その隙を逃さず、フリッツの刃を後方へと押しやる。次いで休む暇を与えず、影が動いた。両刃の剣が右上から左下へ、そして左から横一線。前へ、前へと向かっていく。
状況を判断する時間すらなかった。フリッツは攻撃を避け、受けとめながら、驚いた表情で口を開く。
「クリフくん!?」
「!」
俺もまた、呆然としてその背中を見つめていた。
右手に握りしめたレイテルパラッシュ、そして左手にはその鞘。クリフはこちらを振り向くことなく、フリッツとの距離を詰めていく。その足取りに迷いはなかった。
「っ」
フリッツは動揺しているようだった。距離を取ろうとするフリッツを追って、クリフは強く踏み込む。剣を前にかざし、真っすぐに突き出す。相手の隙をつく迷いのない切っ先。
刺突攻撃にフリッツは咄嗟に身を捩ってそれを交わした。バランスを崩しながらも、レイテルパラッシュを弾き返す。胸元を擦った攻撃は、フリッツが反応しなければ確実に心臓を捕らえていた。
つ、とその首筋を汗が伝う。
「……まさか、キミがこんな攻撃をするとはね」
レイテルパラッシュの切っ先には確かに殺気が宿っていた。クリフは一度距離を取ると、剣を構え直す。2、3回息を整え、そしてやっと口を開いた。
「本当は……僕も、先生と戦いたくはありません」
いつもなら恐怖で震える切っ先が、全く震えていなかった。カチャ、と音をたててレイテルパラッシュが太陽の光に反射する。
クリフはまっすぐに師を見た。
「でも……やらなければいけないことがあるんです」
「……やらなければいけないこと?」
フリッツは呼吸を整えながら剣を構える。クリフは動じることなく、ただ頷く。それ以上のことを口にせず、静かに剣を持つ腕をあげた。
「サーシャさん達の傍にいないと出来ないことなんです。だから……」
クリフは左手に持っていた鞘を前へと放り投げた。弧を描いて砂の中に落ちる。ジリジリと焼けるような地面に、今までレイテルパラッシュの刃を隠していた鞘が転がった。
「相手が先生だろうと、三大戦士だろうと……」
茶の瞳がフリッツを見る。強く、鋭利な、闘う者だけが出来る瞳。
「僕はもう、逃げない」