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過去の予言書  作者: 由城 要
第5部 One Zephyr Story
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第4章 1


 足下に転がる、人だったものの成れの果て。その衝撃を、何に言い表せばいいだろう。震えていた僕の体は息をすることも忘れてしまったかのようだった。呆然と目の前に広がる光景を見つめながら、僕はそこにいる彼女に……恐怖を、覚えた。





  - 君、死にたもうことなかれ -





「シ、ル……ヴィ」


 自分でも情けないくらい掠れた、蚊の鳴くような声だった。地面に倒れた男の体から右手を引き抜いたシルヴィは、ターゲットが他にいないことを確認して立ち上がった。

 シルヴィの体は、頭から人の血を被ったように血液で濡れていた。髪にも、頬にも、服にも……おびただしい鮮血が付着して流れていく。

 シルヴィは立ち上がると、人形の瞳でこちらを見た。


「っ!」


 まだ警戒の解けていない、無感情な硝子の目。表情なんて忘れてしまったかのような顔。月明かりの夜に、冷たい眼差しが浮かび上がる。


「……」


 シルヴィがこちらに向かって歩いてくる。僕は無意識に後ずさった。けれど少し歩いた所で気付く。後ろは、暗闇の海。

 僕は逃げ場所を探すように辺りを見回した。それでも目に飛び込んでくるのは、飛び散った血、惨殺された飼い犬の亡骸、赤く燃えるサナトリウムの炎。背筋を舐めるように、寒気と吐き気が僕の思考を壊していく。

 握りしめたレイテルパラッシュがカタカタと音をたてた。


「どう、して……」


 自分でも何を言っているのか分からなかった。ただ、僕という理性は何処か遠くへ逃げ去ってしまって、空っぽの入れ物が喋っているかのようだった。恐怖と混乱で何も考えられないのに、シルヴィが近づくごとに、僕は捲し立てる。


「ここまで……ここまで、してっ……!」


 逃げるだけの隙があればよかった。そうじゃなければ、何人かが逃げ腰になったところで止めればよかった。全員を……殺す必要は、なかった。

 脳裏に蘇る、鮮血が吹き出した男の姿。うめき声が耳に焼き付いて離れない。痛みと恐怖で荒ぶる呼吸が、やがて途切れる瞬間。人の命が消える空虚な刹那。

 ぞわり、と背筋が凍った。


「……」


 シルヴィは足を止めると、僕をじっと見つめていた。その目は僕に懐いて後を追いかけてくる彼女の目ではなかった。僕等を殺しにくる殺人人形と同じ、創られた空虚な硝子。

 レイテルパラッシュを抱きしめながら、僕は恐怖心と共に吐き出す。


「っ……人は死んでしまうんだよ!死んでしまったら……」


 何も、残らないんだ。僕は叫んでいた。

 死ぬこと、その存在がそこから消えてしまうこと。言ってみれば簡単だけれど、本当は全然簡単じゃない。どれくらい痛いんだろう、どれくらい苦しいんだろう……誰も知らないから、誰もが恐怖する。

 人は生まれてから死ぬまで、嫌というほど他人の死を見せつけられる。その苦しみを見つめながら、ただ恐怖しながら生きなければいけない。いつか自分にも訪れる、最期の時まで。


「だから……だから……」


 誰もが死に対する恐怖を持っている。だから人が人を殺めることは禁じられている。やがては訪れる死の瞬間を、悪戯に早めることがないように。そして、死による恨み辛みによって同じことが繰り返されないように。

 僕はレイテルパラッシュにすがりながら、シルヴィを見た。あたたかさのない表情は、僕を見つめたまま瞬きすらしない。

 まるで僕の言葉が理解出来ないと言われているようで……僕の理性の箍が、一瞬にして外れた。


「人は死ぬんだ。死んでしまうんだっ!……シルヴィとは、違う……っ」


 叫んだ言葉の意味に、愚かな僕は気付かなかった。










 脳内のメモリーがザラザラと耳障りな音を発している。もう殆ど聞こえていないはずの聴覚機能が、最後の一言を拾った。

 私は、何処か他人事のようにその言葉を聞いていた。多分、私自身もクリフと同じことを思っている。人の死は、何も残さない。やがて何百年という時が経てば、その名も、存在すらも忘れ去られていく。体は土に還り、大地の中に消える。そして……何も、なくなってしまう。

 ぽつり、と音がした。燃え上がる炎と、打ち寄せる波の音を聞きながら、その音は何故かクリアに私の耳に届いた。


「……、……ァ……」


 発する言葉は言葉にならなかった。私は口を結んで、そしてクリフを見る。炎に照らし出された顔は、恐怖と混乱に歪んでいた。その瞳に私はどう映っているのだろう。私は……どんな顔をしているのだろう。

 自分が壊れていくのを、私は感じていた。左手で顔を覆う。見ると、手は真っ赤な血液で汚れていた。私には存在しない、温度のある血液。

 ぽつり、とまた音が響く。足下の血溜まりに透明なものが滲んでいた。


「……!」


 ふと、クリフの表情が変わる。私は手を離した。真っ赤な掌に落ちる水滴。ぽつりぽつりと手を濡らして、血に混じって消えていく。雨ではない。それは、私の瞳から流れ落ちているようだった。

 ……泣いている。


「ク……、リフ……」


 振り絞るようにして、私はクリフの名前を呼ぶ。

 声を出すのもやっとだった。おそらく私の機能はこのままではすぐに止まってしまうだろう。私の死、それは人の死のような消失ではなく、動かない人形へと変化すること。

 ジェイからはジュリアの所に戻れと『命令』されている。戻らなければ……いけない。私の心など関係ない。だって、私は……。私は、人形なのだから。


「……シル、ヴィ……」


 またぽつり、と涙が零れ落ちた。拭い取ろうかと思い、手を伸ばす。けれど指先はそれに触れることが出来なかった。拭いてしまえば、この真っ赤な色に染まってしまう。そんな気がした。


「………、て」


 掠れる声で呟いた。私は私であることを止めることは出来ない。人間になることなど、不可能だとよく知っている。でも、今だけ本当の気持ちを口にしてもいいだろうか。もうすぐ消えていくであろう、私の……シルヴィの、言葉。



「……たす、け……て」



 風が敵わぬ願いを断ち切るように通り過ぎる。劫火に照らされたこの場所で、私の思いは永久に消えてしまうのだろう。人が死ぬのと同じように。

 クリフの答えを待たずに、私は後ろを向いた。そして歩き出す。戻らなければいけない場所がある。ジェイと、アイルークと、ジュリアのいる場所に。戻ってしまえば私はクリフの敵になる。でも、きっと……それでいいのだ。

 足下の亡骸を避けながら私は闇の中へと歩き出す。雲間から顔を出した月が、微かに滲んで見えた。











 体が泥のように崩れ、心臓が大きく跳ねるのを感じた。状況を理解するよりも早く、胸に刺さったナイフを引き抜く。その瞬間、ぞわりと体が違和感を覚えた。


「かはっ……!」


 痛みにのたうち回りながらも、意識を向ける。三大戦士と、フレイさんの向こう。そこに黒い影があった。女の形をした、殺人人形。今まで相手をしてきたものと、さほど変わらない外見だった。ただ、1つおかしなことといえば、その人形には得物らしい得物が見当たらなかったということだ。

 フレイさんの呼ぶ声が聞こえる。私は体が回復に転じるまでの間、激しい痛みと出血に耐えながら、引き抜いたナイフを見る。刃には私の血が付着していたが、柄の近くまでいくと別物らしき液体が塗られていた。


「こ、れっ……は……」


 あの人形の得物がこの投擲ナイフ1つだとするならば、それはあまりにも意味のないことだった。一体の殺人人形と、1つのナイフ……まるで、これで十分だと言うかのような……。


「サーシャっ!」


 フレイさんが私のところに駆寄ってこようとした瞬間、殺人人形が動いた。一歩、二歩と歩き、三歩目で真っすぐに私達のところへと飛び込んでくる。咄嗟にフリッツさんが剣を構え直した。


「この間、城下で見たのとは……違うようだね」


 人形は私達全てを敵と見なしているようだった。刃を向けたフリッツさんに飛びかかり、攻撃を避けながら間合いに入り込む。

 しかし相手の方が一枚上手だった。繰出された蹴りを受け流し、一定の距離を開ける。その瞬間、目の前が砂嵐に覆われた。


「サーシャっ」


 先に反応したのはフレイさんだった。完全に視界を覆われる前に私の所に駆寄ると、私の体を持ち上げてその場から離れる。一定の距離をおくと、視界は一気に晴れた。

 離れた所から見ると、砂嵐の真ん中で微かに光を放つものがある。それはこの地域特有の古い文字を浮かび上がらせ、そして次の瞬間大きく弾けた。途端に舞っていた砂が消え去った。


「フウ、相棒、援護するね!」


 メイスを脇に挟み、テレジアさんはそう言った。人形から距離を取り、体勢を整えたフリッツさん達は頷く。

 先に動いたのは人形だった。爪先で方向転換した人形が、ジャン・ユサクに向かって駆け出す。彼は私とフレイさんの目の前に立っていた。どうやら排除優先順位は、私が一番に高いらしい。まずは私の目の前にいる彼を狙うつもりなのだろう。

 ジャン・ユサクは表情1つ変えることなく、背にしていたコルセスカを構えた。


「……始めるぞ」


 義眼の瞳が、戦いの色を宿す。


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