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過去の予言書  作者: 由城 要
第5部 One Zephyr Story
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第3章 2


 祈り。神に加護を請い願うこと。存在しないものに向かって人は祈る。そこにどんな願いがあるのか、私には分からない。でももし、私が祈りを捧げるとするならば……神という偶像は、人形の私の声を聴いてくれるのだろうか。





  - フェイル・セーフ -





 サナトリウムの患者の中には、信仰心に厚い者達が多い。彼らはいつも決まった時間に祈りを捧げ、決まった文句を口にする。それが生来の習慣なのか、それとも九死に一生を得て生まれた信仰心なのかは分からない。彼らの習慣は私にとってはとても奇妙なものに見えた。


「?……シルヴィ?」


 ふと、病室の前で立ち止まった私に、前を歩いていたクリフが気付いて振り返った。私はじっと病室の中を見つめる。中では1人の患者が昼食を目の前にして何かを呟いている。十字を切る手の動きを見て、私はまた祈りの時間なのだと思う。


「どうかした?」


 クリフが戻って来て、私は首を横に振った。なんでもない、ただ祈りの動作が物珍しくて眺めていただけのこと。

 私はふとクリフを見上げた。


「クリフは……神って、いると思う?」

「神様?」


 唐突な質問にクリフは首を傾げた。思えば、クリフがあの患者のように習慣的な祈りを行っている様子を見たことはない。

 クリフは少し困ったような顔をして、そして視線を落とした。


「昔はいると思ってたよ。でも……今は分からない、かな」


 神というものは、禍福を霊的なものとして神格化したものだ。そもそもそんなものが存在したという証拠も、情報も全くない。魔術師が使役する精霊は霊的な力を持っているけれど、彼らは人と同じように得手不得手があり、欲を持つ。そこから考えると、神というのは非現実的な存在でしかない。


「……」


 そんなものはいない、とそう言いかけて私は口を閉じた。私の考えは間違っていない。間違っているとは思わない。けれど……あの患者のように、何かを信じようとする心を否定することは出来ないのだと、胸の中でそう感じた。

 そして同時に、クリフが『分からない』と言った言葉の重みも感じた。切なく、そして悲しい記憶が詰まった答え。


「……っ……」


 ふと、私は違和感を感じて胸を押さえた。なんだろう、一瞬だけ体の奥に走った痛みは。私は胸においた右手を握りしめる。微かに感じる違和感、そしてチリチリと痛む体。


「シルヴィ?」


 私の様子に気付いたのか、クリフが顔を覗き込んでくる。私は激しく首を左右に振った。大丈夫、大丈夫……。クリフに、そして自分にそう言い聞かせながらも、私は心の何処かで分かっていた。

 この痛みは、違う。ココロの痛みではない。これは……これは……。


「……シルヴィ、ガセトに呼ばれてるから……行く」


 振り絞るようにそう呟いて、私は駆け出した。後ろでクリフが呼ぶけれど、私はそれを無視して廊下を走る。追い越した数人の患者達が不思議そうな顔で私を見ている。

 気付かれたくない。気付いて欲しくない。握りしめた右手に力が入る。


『……ヴィ、……、シル……』


 雑音に紛れた向こう側で、私を呼ぶもう一人のワタシ。人形の……作られた機械のワタシが、私を呼んでいる。

 階段を駆け上って、自分の部屋へと私の足は向かっていた。自分の声を振り払うように走る。けれど胸の奥から広がり始めたエラーが完全に思考を奪っていって……。

 私は、体の制御を失った。










 目を覚ましたとき、私は診察室のベッドに寝ていた。意識が再び私の中に戻ってきたかのように、体がスッと軽くなる。私は再び自分の胸に手をおいた。そしてほっと安堵する。まだ……大丈夫。

 ふと物音に気付いて、私は入り口の方に視線を向けた。扉の近くにある机で、ガセトが何か作業をしている。私は体を起こすと、その背中に声を投げた。


「……ガセト」


 机が体に合わないのか、丸くなりながら書き物をしていたガセトが、私に気付いて振り返った。


「ああ、シルヴィ。……気がついたのか」

「……うん」


 私は視線を落として頷いた。ガセトは椅子から立ち上がって私に近づいてくると、頭を撫でながら優しく笑う。


「もう少し横になっているといい。……具合は?」


 診察室のベッドを占領するのはガセトに悪い気がした。自分の部屋に戻ろうかと思ったが、窓から外の様子を見て納得する。先ほどまで天高く昇っていた太陽が、もう街の中に沈んでいる。橙色の光が診察室を満たしていた。


「体、ちょっとだけ痛い。それより……」


 ガセトに促されてベッドに横になると、私は腕で顔を隠した。体から込み上げる何かを感じながら、それが形として現れない悲しさ。人形の私には涙が出ない。

 震える体を慰めるように、ガセトは私の頭を優しく撫でる。


「ガセト……クリフに、言った?」

「いいや、言っていない。クリフにも、レンナートにも」


 ガセトはもしかしたら、分かっているのかもしれない。神がこの世に存在しないのと同じように……心を持つ人形が存在し続けることが、どれだけ非現実的で不可能なことかを。ガセトは医者だ。人の皮を被った人形に心が宿ること自体、信じられないのが本音だろう。

 それでも、クリフやジェイとは違う大きな手に、私は静かに泣いた。


「シルヴィ……シルヴィ、やだ……」


 子供のように、駄々をこねる。口から流れ出ていくのは、自分でも信じられないくらいに、単純で滑稽な我が侭だった。

 それでもガセトは何も言わずにそれを聞いてくれる。


「シルヴィ、戻りたくない……消えたくない……」


 だって、まだ分かりはじめたばかりなのだ。数値化された世界が1つ1つ色を与えられて、私の前に色鮮やかに浮かび始める。硝子の瞳に映る全てのものがあたたかくて、時に冷たくて、そして優しくて。

 1と0で表すことの出来ない世界。そして、それを感じる『私』という心。


「……此処にいたい……」


 ジェイロード達のいる場所も好きだけれど、私はこのサナトリウムも好きだった。生と死がめまぐるしく訪れる、出会いと別れの場所。ガセトがいて、レンナートがいて、あの病棟の子供達がいて……クリフがいる。

 胸が痛い。体の痛みに反応するように、バグを起こしたシステムが警告を伝えている。このままでは、メモリーに損傷を与える、と。


「シルヴィ……、まだ……」


 体の制御機能が、不安定な体を守る為に一時的に意識を断ち切ろうとする。それはまるで眠るような感覚に似ていた。ぼんやりと霞む意識の中で、クリフのことが浮かぶ。

 港で、悲しそうに海を見つめていた横顔。忙しく振る舞いながら、大切な何かを忘れようと必死になる姿。


「……リ、フ……」


 あのとき、謝って欲しくない、と私はクリフを困らせた。あの時は自分でも何故心の中がざわついたのか、分からなかった。でも、今なら分かる気がする。

 私の心にクリフのことがあるように、クリフの心の何処かに私がいてほしかった。

 意識はやがて途切れ、そして体の機能が再起動される。今まで幾度となく体験してきた感覚なのに、それが気持ち悪くて仕方なかった。それはまるで、お前はただの人形でしかないのだと……そう私に伝えているかのようだった。










 砂を踏む音が辺りに木霊している。一人分の足音を聞きながら、私は岩場の影に身を潜めた。

 ネオ・オリから離れたアルジェンナ砂漠の一画に、遊牧民族の占有牧地が存在する。三大戦士を有する一族の中でも一番アクの強い、ルヴァの生活地域だ。灌木が疎らに存在するカンポに生きる彼らは、一年を決まったルートで移動する。彼らの行う牧畜は自らの生活の為であり、実際は岩塩による交易や、少数民族とネオ・オリの定住民との間で行われる交易の護衛を行うことで生活している。


「……」


 馬を引いてきたテレジア・ケベリが、辺りを警戒するように見回した。私は小さく溜め息をつく。どうやら彼女は数週間前に暇を出されたらしい。ルヴァ一族の牧地で1週間を過ごし、ネオ・オリへ戻ろうとしている。一族のもとにいる時も、彼女の警戒は途切れなかった。やはり、こちらが誰に狙いを定めるか、相手は分かっているらしい。

 私は岩場に腰を下ろすと、静かに息を吐いた。テレジアさんに強襲をかけるには、これが最後のタイミングになる。彼女が城に戻れば、状況は一変して不利になることは明確だった。しかし、罠だと分かっていて飛び込むのはあまりにも危険が多い。


(随分と慎重ですね……)


 クッ、と私は自嘲の笑みを漏らした。視線をあげると、砂漠の向こうにネオ・オリの城が見える。城塞のような城が見下ろす大地。


(不利……ですか)


 おそらくこの状況を作ったのは、フリッツ・コールの策だろう。わざとテレジアさんを泳がせ、私が攻撃してくる隙を狙う。姿こそ見えないものの、近くにジャン・ユサクかフリッツ・コールが潜んでいる可能性もある。

 私はふと、握りしめた拳に力を入れた。


(関係のないこと、ですね)


 不利だから何だと言うのだ。私に死なない命があるとするならば、どんな状況であれ好機に変えてみせる。たとえ三大戦士を……このネオ・オリという国を敵に回しても。

 そう、私が抱くのは恐怖ではない。


「……」


 立ち上がろうと、岩場に手をついた。もう片方の手でクロノスを手にする。ヒュペリオンを使うまでもない。相手はテレジア・ケベリ。三大戦士を同時に相手するよりも、一対一の状況を作り出すことが先決。

 砂漠特有の砂を含んだ風が吹き荒れた。ふと、彼女が何かの気配に気付いてメイスに手をかける。馬の手綱を離し、そして視線をネオ・オリの都の方へと向けた。


「……!」


 片足を立てた私は、咄嗟に岩陰に戻った。そこに思わぬ第三者の姿が現れたからだ。テレジアさんは風が止むのを待って、呆れたような表情でメイスを担ぎ直す。


「……兄さん。奇襲はもと密かにやるものね」


 向こうから現れた人影は、目深に被っていたローブを下ろした。脇に抱えた本は預言書の原初の章。私は額を押さえて溜息を漏らした。

 フレイさんは大袈裟に溜め息をついて首を鳴らすと、テレジアさんに向き直った。


「別に、奇襲をかけにきたわけじゃねぇっての」

「それならデートお誘いのん?」


 くしし、とテレジアさんはからかうように笑った。それでもその瞳には警戒心が露になっていた。フレイさんは預言書を手に取ると一瞬だけ辺りを見回し、鼻を鳴らした。


「馬鹿言うな。……外野が三人もいる状態でデートもクソもあるか」

「!」


 次の刹那、私は殺意のある視線を感じて飛び退った。いつの間に現れたのか、大きな影が岩陰を黒く覆っている。振り下ろされるコルセスカを辛うじて避けた私は、テレジアさん達の前に躍り出る。

 小さく舌打ちをして、私はジャン・ユサクを睨みつけた。よく見ると、離れたところにフリッツ・コールの姿もある。故郷と呼ぶこの地ではやはり彼らの方が一枚上手のようだ。


「サーシャ!」


 いきなり現れた私に、フレイさんが叫ぶ。私は苛立ちを覚えながらそちらに視線を向けた。預言書を手にしているということは、それを使って私の居場所を探し出したのだろうか。


「フレイさん。……私は1人にして欲しいと言ったはずです」


 言葉が理解出来ないんですか、と毒を吐く。よりにもよって、ネオ・オリに預言書を持ってくるとは。これでは獲物が敵の巣穴に自ら入りにいくようなものだ。


「あんな急な別れ方で納得出来るか、馬鹿女!」


 フレイさんはいつも通り、眉間に皺を寄せて叫ぶ。私は溜め息をついて彼の言葉を無視した。そして利き手に持ち替えたクロノスを三大戦士に向ける。

 状況は最悪に近かった。最も相性の悪いこの3人を、フレイさんという厄介者付きで相手にしなければいけないのだから。

 向こうから歩いてきたフリッツ・コールが自然な動作で剣を抜く。


「楽しそうだね。痴話喧嘩もほどほどにしないと、痛い目をみるよ?」

「ご忠告ありがとうございます。貴方がたを駆逐したら、コレも解雇することにしますよ」


 私は親指で後ろのフレイさんを指さすと、戦闘態勢をとった。乾いた太陽に照らされ、クロノスが鈍く反射している。


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