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過去の予言書  作者: 由城 要
第5部 One Zephyr Story
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第2章 4


 再び朝が来る。昨日までいたはずの一人が欠けても、太陽はまた天に君臨する。今まで何とも思わなかったけれど、そんな世界の理に初めて疑問を抱いた。しばらく考えて私は納得する。

 私は数字によって作られたけれど、世界は数字のうえに成り立っているわけではなく……1と0で計れないものがこの世の全てだということを。





  - ガラスの瞳 -





 日々が過ぎていくのは驚くほど簡単で、世界が元通りになるのも早かった。サナトリウムには新しい患者達が今日も運び込まれて、明日にはまた命を落とす者がいる。ニニナの死にショックを受けていた西の病棟の子供達も、しばらくするといつも通りの賑わいを取り戻していた。

 でも、変わらないものも1つだけある。


「……」


 私は小走りに、街中を歩いていた。浮浪者がごろごろとしている道を見回して、ふと細い路地に目を留める。黒猫が顔を洗っている小道は、たしか港の脇に出る近道だ。いつだったかレンナートがそう教えてくれた。

 ガセトからもらった白い帽子を目深に被って、私は小道に足を踏み入れた。両脇に続く煉瓦の壁。その向こうから差し込んでくる光は、海の反射だろうか。


「……」


 足下にいた黒猫が逃げるように道の先へと去っていった。私はその後を追って歩き続ける。


「クリフ……?」


 視界が開けた。目の前に防波堤が広がる。北の方へ進めば、定期船が出ている港が見えてくるはずだ。

 けれど私は、反対側へと足を踏み出した。防波堤の端に、探していたクリフの姿がある。クリフは腰を下ろして膝を抱えたまま、じっと海の向こうを見つめていた。


「……クリフ」


 後ろから声をかけると、ふとクリフが振り返った。


「あ……ごめん、もしかして、ガセトさんに呼ばれた……?」

「ううん」


 私はクリフの隣に座ると、首を横に振った。ガセトに呼ばれたわけじゃない。むしろ、ガセトもレンナートもショックを隠せないクリフの為に、しばらく暇を出そうと言っていた。

 もともとクリフは患者の1人で、客人なのだから病院の手伝いをする必要もない。それでもクリフは何かしら仕事を見つけて働いていた。私には今までそれが不思議だった。



「クリフいないから……探しに、来た」

「そっか……ありがとう」


 力なく笑う横顔を見つめながら、私は考えていた。クリフがああやって忙しそうに働いていた理由は、もしかしたら私と同じなのかもしれない。何かしらの役目があれば、あの場所にいられる。何かしらの理由をつければ……元いた場所に戻らなくてすむ。

 考えてみればクリフはサーシャ・レヴィアス達と行動していたはずだった。しかしあの『微睡みの庭』で発見されたということは、きっとあそこで何かあったのだろう。


『……クリフは何故、旅をしてるの?』


 ふと、随分前に聞いたクリフの身の上話が蘇る。初めてクリフと出会い、ジェイの命を受けて暗示をかけたとき。アイルークは魔術によって暗示をかけると、あとは興味がなくなったようですぐにその場からいなくなった。

 だから私は、残されたクリフにいくつかの質問を投げかけてみた。敵の情報を引き出してインプットするために。


『僕は……僕には、帰る場所がないんだ』


 帰るべき場所は失われてしまったのだと、クリフはそう言っていた。その時は考えもしなかったけれど、それはどんなに心苦しいことなのだろう。私がジェイ達を失うのを恐れる気持ちと同じなのだろうか。


「……」


 私はクリフの視線を追って海を見つめた。今日の海は静かで、風も強くない。空から降り注ぐ太陽の光が眩しい。水面が反射してキラキラと光る。

 クリフはふとこちらを振り向くと、困ったように笑ってみせた。


「シルヴィ。……ごめん」


 悲しい表情に、胸が痛んだ。クリフはニニナの死の向こう側に、失った帰るべき場所を見ているのだろう。愛すべき家族と、それを失ってしまった不甲斐ない自分を。

 私は唇を尖らせて、首を横に振った。


「……シルヴィ、今の言葉きらい」


 自分でも何を言っているのか分からない。それでも少しだけ、心の中がざわついたのを感じた。

 なんのために笑うのか。なんのために謝るのか。……どうして自分は謝られなければいけないのか。


「……シルヴィ?」

「シルヴィ、謝られたくない」



 子供のようにそう言って、私はプイ、と顔を逸らした。そんな行動をとってから、どうしてこんなことをしているのだろうと、疑問に思う。自分でもよく分からない。分からないけれど、体が勝手にそう動いた。

 クリフは本当に困ってしまったようだった。あたふたと、私の様子に慌て始める。


「あ、えっと、その……ごめん」

「……クリフ、また謝った」

「ご、ごめ…………あ」


 慌てて口を押さえるクリフに、私は顔を横に向けた。クリフはしゅんと萎れてしまう。横目でクリフを見つめながら、私は一拍遅れて自分の行動の意味に気付いた。

 謝られたくない。謝られてしまったら、自分は蚊帳の外になってしまう。関係がないのだと、関係がないから迷惑をかけてはいけないのだと、……そんなこと、思われたくない。


「……」


 私は立ち上がって、そしてクリフの手を取った。そしてズルズルとその体を引きずって歩き出す。クリフはつままれた猫のような状態でこちらを振り返った。


「えっ、ちょっ……し、シルヴィ?」

「シルヴィ、やっぱりクリフ連れて帰る」


 1人でぽつんとしていると、沢山の考えが頭の中に浮かぶ。そうゆうときは大抵良くない考えばかりが巡る。私も……同じだから。

 引きずられていたクリフは、手を離さない私に観念したのか、ゆっくりと歩き出した。少し遅れて私の後を歩く。2人分の影が手をつないだまま、小道の中に溶けていった。

 ふと、クリフが呟く。


「シルヴィの手は……あったかいんだね」

「……」


 人形の指先に、温度はあるのだろうか。私は握っていない左手を見下ろして、そして静かに思った。きっとそこに温度などない。それでもクリフが言うのであれば……きっとそうなのだろう。

 小道の黒猫が私達の姿に気付いて顔をあげる。硝子のように澄んだ瞳が、私達の姿をじっと見つめていた。










「……」


 真っ白なページを捲りながら静かに溜め息をつく。窓から差し込む光が、変色した表紙を照らしだした。

 稀代の魔術師ファーレンが創りし、過去の預言書。トゥアスの崩壊と共に消え去った過去の文明の全てが詰め込まれた書。その背表紙には、古い文字で『3』という巻数が表示されていた。


「……陛下、いかがなされましたか?」


 椅子に座りながら嘆息すると、フリッツが部屋の中に入ってきた。


「いや……」


 首を横に振り、そしてもう一度手元にある書物に視線を落とす。過去の預言書、大地の章。アクロスとの戦いで手に入れた、唯一の戦利品だった。

 アクロスとの戦いは海上戦こそ手間取ったものの、上陸さえしてしまえば制圧は簡単なものだった。また、アクロスを押さえたことでルクスブルムを牽制することも出来た。

 フリッツは苦笑しながら窓の1つを開け放した。此処は余が昔から使っている寝室。当時、王位継承権の認められなかった余に与えられたのは、バルコニーすらない小さな部屋だった。窓の外には国が支配するネオ・オリの街並ではなく、部族が暮らす広大な砂漠が広がっている。


「……大地の章が5冊ある預言書のうちの3冊目というのは、考えさせられるものがありますね」


 フリッツは外を見つめながら、ふと目を細めた。砂漠を見つめるとき、三大戦士は皆、同じ表情を浮かべる。今はネオ・オリという住処があったとしても、やはり彼らの故郷は其処にあるのだ。


「何故だ?」

「『大地は全ての中心にあり、この地に立たずして生きるものなし』……砂漠に生きる全ての部族の、教訓のようなものですよ」


 まるでジャンのようなことを言う。そう言いかけて、そして止めた。フリッツもゲイツ一族とはいえ、やはり砂漠に生きる者なのだ。厳しい暑さ、草木の育たない砂漠。そんな環境だからこそ、強靭な部族の誇りが生まれてきた。

 余はもう一度手元の預言書に視線を落とす。フリッツ達によれば、預言書は他に4冊あり、それぞれが違った情報を所有者にもたらすらしい。5冊揃えることができれば、それは過去に繁栄したトゥアスと並ぶ知を手に入れることも容易い。

 しかし、同時にそれ相応のリスクを覚悟しなければ。


「……」

「……。……最近の陛下は考え事が多いですね」


 フリッツが苦笑を浮かべた。余は肩を竦める。仕方がないことだ、余が考えるべきはこの国の未来、そしてこの国に生きる全ての者の幸せなのだから。

 フリッツが続けて何かを言おうとしたとき、激しい音をたてて寝室の扉が開いた。急な物音に驚いてそちらを見る。


「フウ!一体、どゆことねっ」

「……ああ、やっぱり来ましたか」


 余の寝室だということを忘れているのか、蹴破る勢いで入ってきたテレジアにフリッツは笑って見せた。テレジアはズカズカとフリッツに歩み寄っていく。


「こうなるだろうから、わざわざ文書で送ったのになあ」

「おうよ!ふざけた文書だたから、わざわざ馬走らせて来たのん。……きちり説明してもらうよ!」


 ギッとフリッツを睨みつけるテレジア。余は話が分からず、ただ首を傾げる。テレジアがフリッツに食いついているのはいつものことだが……。

 余は椅子から立ち上がると、テレジアに問いかけた。



「何かあったのか?」

「何かあたも何も、フウが私に暇を出したねっ。この忙しい時期に!この大事な時に!」


 返答によってはメイスを振り回しそうな険相のテレジアに、フリッツは苦笑した。


「暇というか、暗に囮役になってくれと書いたんだけど……」

「囮役なんて暇与えられたのと同じねっ!アタシはあの女探し出して、一度殴らないと気が済まないのん!」


 ご立腹のテレジアと、困ったように笑っているフリッツを見比べて、余は首を傾げる。テレジアが囮役?あの女?殴る?話の意味が分からずポカンとしていると、フリッツがこちらに視線を向けて、なんでもありませんよ、と笑った。


「フウ、聞いてるね!?」

「はいはい。文句は後でジャンと一緒に聞くよ。……それでは陛下、失礼致します」


 フリッツは余にそう言うと、暴れ出しそうなテレジアの背中を押して寝室を出ていった。しばらくテレジアの声が廊下に響いていたが、その姿が消えるとやっと城の中が静かになる。

 余は首を傾げ、そしてもう一度窓の外から砂漠の果てに視線を向けた。


「大地は全ての中心にあり、この地に立たずして生きるものなし、か……」


 ネオ・オリに必要なものは何か。今のままでは、いつかアクロスと同じように他の国に攻め込まれてしまう。今、この国の王として成すべきことは何なのか……。

 荒れ果てた荒野の果てに、鷹が飛んでいくのが見えた。


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