第1章 4
不老不死の先覚者、それを帝国はルミナリィと呼んだ。彼らの完全なる不老不死の研究は多くの犠牲の上に作り上げられ、帝国の崩壊によって、その研究も忘れ去られたかに思われていた。しかし、朽ち果てた遺跡の中に1つだけ生き延びた命は、たしかにルミナリィの完成を意味していたのだった。
- 与えられ、奪われるもの -
サーシャ、と。カタリナは赤子にそんな名前を付けた。カタリナが名前をつけることにアダンは少々渋っていたが、カタリナは頑として譲らなかった。
そしてその日から、サーシャと名付けられたその子供は私の妹になった。
「……サーシャ」
奇妙なものだった。名前を呼べば犬のように後をついてきて、幼さ故に言葉を理解しない。何かの拍子に泣き出すのも不思議だった。驚いては泣き、悲しくなっては泣き、空腹になっては泣き……私も昔はそうだったのだとアダンに教えられても、あまり信じられなかった。
サーシャは常に私の後ろかカタリナの後ろについてまわった。覚束ない足取りで私達の後ろを追ってきては、服の裾をしっかりと握りしめた。
「サーシャ」
サーシャはあまりアダンには懐かなかった。いや、懐かなかったというよりも、カタリナが常にサーシャを傍に置いて離さなかった。そしてサーシャも、アダンと接する時間は殆どなかった。
そう、あれはサーシャを遺跡で発見してから、一年ほど経ったある日のこと。
珍しく私はサーシャのお守りを任された。カタリナはアダンと共に水を汲みに行くと言い、2人だけで川辺へと歩いていった。いつもならば水汲みは私の仕事だったのだが……当時の私はなんの疑問も抱くことなく、地面に座って遊ぶサーシャを見つめていた。
「にぃにぃ」
サーシャは手をバタバタさせながら何かを訴えていた。どうやら辺りを飛ぶ蝶々が気になるらしい。捕まえようともがいては、空を切る両手。不思議な生き物だと私は改めてそう思った。カタリナに似た面影、まだ何も理解出来ない妹。食べ、眠り……そんな日々を続けていけば、今の私のように言葉を覚え、そして自分の足で歩くようになるのだろうか。
「……」
ただ1つだけ分かったことといえば、この妹は、どうやらアダンよりもカタリナに似た性格だということだ。子供らしく騒ぎ回ることは少なく、どちらかというと言葉数も少ない。
「……」
諦めたのか、サーシャは蝶を目で追いながら欠伸をした。うとうとと船を漕ぎ始める。そういえばカタリナ達の帰りが遅い。水を汲みに行くのにこれほど時間がかかるだろうか。
私は立ち上がると、今にも眠ってしまいそうなサーシャを放って坂を下り始めた。水場はすぐそこにあるはずだ。私は坂を駆け下りると、向こうに見えた人影に声をかけようとした。
その時。
「……!」
銃声が鳴り響いた。詰まるような唸り声が聞こえて、そして人影が倒れる。私の足は止まっていた。
倒れた人影の向こうから見えたのは、しっかりとヒュペリオンを構えたカタリナの姿だった。銃口からは硝煙があがっている。獣のように鋭い視線がはっきりと相手の姿を見つめていた。
呆然と、私は足下に転がった人の姿を見た。それは確かに、私が父と呼んだ人の姿だった。
「母、様……?」
アダンの体から血液が広がっていく。立ちすくんでいると、微かにアダンが血の流れる脇腹を手で覆った。
「……っ、……カタリナ……!」
カタリナは静かに彼を見下ろしていた。
「手が、狂いましたか。……せめて苦しまないようにしようと思ったつもりでしたが」
カタリナはアダンの傍に膝をつくと、フゥ、と息を吐いた。アダンは呻くようにカタリナを睨みつける。
「一体、何を……っ」
「……。……貴方の理想は、確かに素敵なものでした」
クルリとリボルバーを回転させ、今度は左胸に銃口を押しあてる。アダンの体は一瞬震えたが、抵抗するだけの力は普通の人間である彼には残っていなかった。
カタリナは静かに目を閉じる。
「しかし貴方には分からなかったようですね……。理想は、理想でしかなく……全ての幸せなど何処にもないのだということを」
「っ、……カタ、リナ……!」
引き金に指が伸びる。私は咄嗟にそれを止めようと口を開いた。しかし私の制止が届くことはなく。
「愛しています。……貴方の愚かさも、全て」
☆
波の音しか聞こえない船の上で、俺はジェイロードの口から語られる物語を聞いていた。いや、聞いていたというよりも……ただ呆然としていただけなのかもしれないが。
つまりカタリナは、自らの夫であるアダンを殺した。ジェイロードはそれを目の前で見ていたことになる。母親が父親を殺すその瞬間を。
「じゃあ……じゃあ、あんたがカタリナを殺したのは、その復讐なのか……」
俺は上擦った声でそう呟いた。するとジェイロードはこちらに視線を向け、そして考え込む。
「……そうゆうことになるのか」
まるで聞き返すようにそう言われて、俺は溜め息をついた。ジェイロードはしばらく沈黙すると、腰から下げていたカイロスを手にする。
「いや……半分は復讐でも、半分はそうではない……」
手元に落とした視線。俺は首を傾げ、そして問いかけた。こちらが問いかけなければ、相手は答えを返してこない。この男はそういった男だ。
「どうゆうことだ?」
ジェイロードはこちらに視線を向ける。
「……カタリナは憎しみによってアダンを葬ったわけではなかった。私もまた同じだということだ」
「……?」
憎しみではない。俺は手すりに背中を預けながら考える。憎しみ以外で人を殺すとするならば、そこにあるのは意見の相違、もしくは相手が自分にとって邪魔になった時ではないだろうか。カタリナが言った言葉を頭の中で繰り返す。理想、幸せ、愚かさ……愚かさ。
俺はふと、顔をあげた。ジェイロードは呟く。
「もしも……カタリナが今生きていたとしたら、確実に私を殺そうとしているだろうな」
「それは……つまり、アダンもあんたと同じように『知の救済』を行おうとしていたってことか……!?」
眩しいくらいに照りつける太陽を見上げて、ジェイロードは頷く。
「ああ……救済にとってルミナリィは重要な研究材料。……アダンにとってサーシャは人ではなく観察対象でしかなかった」
☆
木に背中を預けて眠る。短い夢が私の中を過ぎ去って消えていく。そのどれもが、数少ない父の思い出だった。はっきりした顔も声も覚えていない。ただ私はいつもカタリナに手を握られていて、父とは言葉を交わすことも少なかった。
「……」
焚き火の燃えカスが燻っている横で、私は眠っていた。声が聞こえる。夢の中で私を呼ぶ声が。それはおそらく父のものだろう。少ない記憶の中で、父は私を呼ぶ。
『……サーシャ』
『……ぱぁぱぁ』
言葉すら知らない私は、呼びやすい発音で彼を呼んでいる。いつも父を呼ぶと何故か先にカタリナが現れて私を宥めていた。しかしこの時は珍しく、父が私の傍に寄ってきて私を抱き上げた。
大きな手に抱かれながら、私は辺りを見回す。気付くとそこは何処かの宿だった。兄がベッドに座ってこちらを見ている。母は何処へ行ったのだろうか。
『サーシャ、見てご覧……この街はこの間より大きくて人も多いだろう?』
父に言われて窓から外を見ると、そこには大きな街並が広がっていた。幾人もの人が行き来し、露天商がものを売り、旅人が足を止めてそれを見つめている。まるで蟻の行列のように続く人の群れ。父はそれを見下ろしながら、静かに呟いた。
『数えきれないな……一体この大地の上に、どれだけの人が生きているのか』
私は父の腕の中で下の通りを見つめている。
『そして今この瞬間に、どれだけの人が死んでいくのか……』
露天の横には浮浪者らしき人影もあった。眠っているのか死んでいるのか、ピクリとも動かない。父は兄も窓の近くへと呼び寄せる。兄は返事をするとこちらへと歩み寄ってきた。一瞬だけ抱き上げられた私を見上げて、そしてまた下へと視線を向ける。
『もしも死というものがなくなったなら……どうなるんだろうな』
ふと父がそんなことを呟いた。私は意味が分からず、首を傾げる。兄は父の目を見つめて、そして考えるように空を見つめた。
父は言う。
『ジェイロード。生きるということは素晴しいことだ。……そうは思わないか?どんな生にも必ず意味がある。どんな運命にも必ず安息がある』
『……。……』
『少し難しかったか?』
片手で兄の頭を撫でると、父は私の頭にも手を伸ばした。
『ぱぁぱぁ』
『ん……なんだい?サーシャ』
大きな手は心地良かった。ただそれだけを覚えている。彼にとって私がルミナリィでしかなかったとしても……そこにあったのは確かに安息だった。
たとえそれが気まぐれなものだったとしても。
「……」
ふと短い記憶から引き戻されて、私は舌打ちをした。焚き火の燃えカスに砂をかけて光を消すと、辺りは夜の闇に包まれる。クロノスに手を伸ばすと、闇の中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「……流石、って言った方がいいのかな?」
「闇に乗じてとは卑怯ですね……三大戦士の名が泣きますよ。フリッツ・コール」
雲間から三日月が顔を出す。私は後ろを振り返った。いつの間にか気配が背後に移動している。剣はまだ鞘に納められたままだが、気を抜くことはできない。
一族特有の体を隠すような服を身に纏い、彼は苦笑した。
「闇討ちも仕事のうちだよ。……それより、魔術師の彼とクリフ君の姿が見えないようだけれど?」
「……言ったはずです。状況と価値を天秤にかける、と」
私はクロノスを構えた。フリッツさんは困ったように頬をかくと、剣に手を伸ばした。私はジリジリと距離を離しながら、辺りに警戒する。他の2人が何処かに潜んでいるとも限らない。
ある意味三大戦士はメーリング卿と同じくらい厄介な相手。彼らは近距離の攻撃を得意としている。あまり距離を詰められたくはない。いくら私とはいっても、あの三人を同時に相手にすることは出来ない。
フリッツさんは剣の柄を握り、そして溜め息をついて手を離した。
「……!」
「やっぱり、やめておこう。本当のところ、今回は牽制が仕事だしね。それに……」
彼は私を見つめて、そして苦笑する。
「どうやら今のキミは預言書を持ってない。下手に突つくよりは賢明だと思うけど」
下手に出ているように見えて、彼は案にこれ以上こちら側に深入りするなと言っている。それもそのはず、ここはネオ・オリの国境内。私が預言書を狙って此処に来たことに彼らも気付いているのだろう。
私はクロノスを下ろした。
「忠告、ですか」
「まぁね。……それじゃ、今日はこの辺で」
彼はそう言うと、闇に乗じて姿を消した。気配が去っていくのを確認しながら、私は舌打ちをした。1人であの3人を相手にする方法を考えなくてはいけない。どんなに最悪な状況であろうと、勝たなければ預言書を手に入れることは出来ないのだ。
クロノスが鈍く月明かりを反射している。再び眠る気にはなれず、私は燃えカスの焚き火の上にもう一度火を放った。