第1章 2
初めて目を開けたとき、私は必要な全てを知っていた。必要な全てとは、マスターに従う上で必要な情報。殺人人形として生まれた私は完璧だった。……少なくとも、欠陥を自分で認める機械は存在してはならないのだから。機械は完璧でなければいけない。
でも……。なら、マスターに……ジェイに、見放された私は、存在してはいけないのだろうか……。
- 人形の戸惑い -
「よいしょっと……」
視界を覆い隠すような大きな紙袋を抱えて、僕は辺りを見回した。ガセトさんに頼まれて街におつかいに出たんだけれど……あまり馴染みのない通りだったから、少し迷ってしまったみたいだ。左右には細い路地、そして前方は行き止まり。
荷物を抱え直すと、小さく溜め息をついて僕は呟く。
「こっちでもない……どの辺りから間違ったんだろう……」
オロオロと左右を見回していると、向こうから歩いて来た2人組の男達とぶつかりそうになった。
「あっ……、す、すみません……」
僕は咄嗟に謝った。こうゆう街で、しかもこうゆう路地裏。大体こんなところを歩いている人はまともな人じゃない。
先に謝罪したのが功を奏したのか、男達は舌打ち1つだけして、擦れ違いざまに僕を睨みつけただけだった。これでもし、謝るのが遅かったら、難癖をつけられるところだった。
「……こ、怖かった……」
僕は2人の姿が遠ざかっていくのを確認してそう呟いた。今日はレイテルパラッシュを持ってきていない。……というか、ここ最近は剣を持ち歩くことはなくなっていた。フレイさん達と一緒だった時とは違って、あのサナトリウムにいる間は、剣は必要ないから。
でも、と僕は自分の手を見つめる。今この手にあるのは大きな紙袋だ。こんな風に物を抱えて歩いているのは変わりない。レイテルパラッシュも腰から下げているというより、ただ抱えているようなものだった。
大層なものを持っていても、使わなくては意味が無い。そう言ったのはフレイさんだっただろうか……サーシャさんだっただろうか。
(そういえば……2人はどうしているんだろう)
脳裏に銃口を向けるサーシャさんの姿が浮かぶ。あの時、僕に銃弾を浴びせたサーシャさんは、今まで見せたことの無い残酷な瞳の色をしていた。フレイさんも、あの化け物のような生き物から逃げることが出来たのだろうか。
(それに……シルヴィがあの庭にいたってことは、ジェイロードさん達もあの場所に……)
「……クリフ、発見」
ふと後ろからそう声をかけられて、僕は振り返った。するとそこには長袖の質素なワンピースを着たシルヴィの姿がある。シルヴィは僕を見つけると、いつも通り変化の無い表情で近づいてきた。
そして僕の前で足を止めると、紙袋を見上げて言う。
「シルヴィ、ガセトに迎えに行くように頼まれた。……クリフ、帰ってくるの遅い」
「えっ、あ、ご、ごめんっ」
道に迷ってて……と、言い訳を口にしようとすると、シルヴィはそれを遮って続けた。
「シルヴィ、ガセトに『頼まれた』。『頼まれた』……『命令』じゃない」
「へ?」
シルヴィは僕から紙袋を奪い取ると、軽々とそれを抱きかかえた。僕より小さなシルヴィだから、袋を抱えると胸から頭まですっぽりと隠れてしまう。
シルヴィは僕に背を向けると、迷いのない足取りで歩き始めた。どうやら帰り道を覚えてるみたいだ。
「ガセト、頼み事は命令じゃないって、言った。……命令じゃないから、シルヴィ病院にいようと思った。でも……」
前が全く見えていない状態なのに、シルヴィは前から歩いてくる人や道端の障害物を避けて歩く。
「でも?」
「……。……クリフ、放っておくと旅人にからまれる。クリフの戦闘能力、普通の人と大差ない」
シルヴィの言葉に僕はがっくりと肩を落とした。一応傭兵学校の出なんだけど……いや、やっぱりやめておこう。その情報を知ったうえでそう言われてるんだとしたら、悲しくなるから。
それに……。
「え、えっと……心配してくれた……んだよね?」
僕が後ろからそう言うと、シルヴィは突然立ち止まった。そしてくるりと振り返ると、僕を見上げて言う。
「……クリフ帰って来ないと、ガセト達が治療道具なくて困る。シルヴィも、手当て出来ない」
「手当て?」
首を傾げると、シルヴィはまた前を向いて歩き始めた。ついてこいと言いたげな動作に、僕は疑問を持ちながら歩き始める。
☆
「遅かったな。……もしかして道に迷ってたか?」
シルヴィに導かれてサナトリウムに帰ると、レンナートさんが入り口で僕等を迎えてくれた。僕は慌てて頭を下げて謝る。でも彼は気にするなと言って笑ってくれた。
「クリフ、路地裏で迷ってた。……レンナートの言った場所だった」
シルヴィは紙袋を渡すと、そんなことを言った。レンナートさんは片手でそれを受け取ると、シルヴィの頭を撫でながら僕を見た。
「ハハッ、この街は入り組んでるからな。……かくゆう俺も、この街に住みついた当初はあの辺りで迷った」
「あれ……レンナートさんはこの街の出身じゃないんですか?」
僕がそう言うと、彼はシルヴィから手を離して街の方を見やった。夕暮れの橙色を受けた街並が向こうまで広がっている。
「ああ……話してなかったか。俺は元々メーリング家の奴隷だった。子供の頃に色々あってな……殺されかけたところをガセトさんに助けてもらった」
殺されかけたというより、もう殺されていたようなもんだったけどな、とレンナートさんは苦笑してみせた。シルヴィから受け取った紙袋の中を探りながら、彼は続けた。
「俺の場合は少々特殊だが……同じような状況で此処に来る子供は多い。それに生まれたばかりの赤ん坊が此処に捨てられたりもする」
レンナートさんは袋の中から出した消毒薬と包帯をシルヴィに渡すと、僕の方を見た。
「……西側の病棟に、子供達を集めた病室があるんだ。さながら孤児院のような状態でな……もし暇なら、シルヴィと一緒に相手してやってくれないか?」
☆
クリフを連れて西の病棟に足を踏み入れると、階段の前で座っていた数人の子供達がこちらに気付いたように振り返った。するとまるで木の上で鳴く鳥達のように、来た、みどりの髪のお姉ちゃん来た、と騒ぎ始めた。
「……シルヴィ、知り合い?」
横に並んだクリフは子供達のはしゃぐ様子を見ながらそう問いかけてきた。私は消毒液と包帯を持ったまま、まとわりついてきた数人に目を向ける。
「……クリフを迎えに行くまで、ここにいた。全員、顔覚えた」
私がそう言うと、集まってきた1人が嬉しそうに笑った。
「え~、じゃあ、おねえちゃん。ぼくの名前はぁ?」
見ると、そう言い出した少年以外にも何人かが同じような表情をしていた。私は指をさしながら言う。
「ミリアム、ヘラ、クリメネ、アタラ、ヘルダ、セリュタ、コルガ」
一人一人の名前を言い当てると、子供達から感嘆の声が漏れた。必要ならば、それぞれの年齢も言い当てられる。といっても、ここにいるのは赤ん坊から4、5歳の子供だけなのだが。
私がミリアムと呼んだ少年は、手の中の消毒液と包帯を見ると、思い出したように手を出した。
「あっ、そうだった!おねえちゃん、包帯!」
貸して貸して、と子供達がわらわらと手を出してくる。私は先に手を出したミリアムに消毒液と包帯を渡した。すると子供達は一斉に2階の病室へと駈けていった。クリフは首を傾げながら、階段を上っていく様子を見ている。
「……ケガしてる子がいるの?」
「治療中の子供、3階から上の病室に収容される。……2階と1階、軽傷の子供がいる」
「じゃあ、なんで包帯が……?」
私はクリフの方をちら、と見て歩き出した。2階へ続く階段を上ると、その先で子供達が輪を作っている。最近知ったことだけれど、人というのは何かに注目するとこのように輪を作って野次馬になるらしい。子供でもそれは変わらない。
人垣になった子供達を避けてその円の中心に行くと、ミリアムが包帯と格闘していた。私はミリアムの手からもう一度包帯を受け取ると、足下に置いてあった消毒液に手を伸ばす。
少し遅れて、クリフが近づいてきた。
「それ……野良犬?」
私は頷きながら、膝を折って目の前の犬に視線を向けた。子供達に囲まれて、痩せ細った犬がか細い呼吸を繰り返している。足には大きく裂かれた傷があり、まだ血が止まっていなかった。
「うん。シルヴィ見つけた。クリフが包帯買ってくるまで、此処に」
消毒液と包帯を見比べて、私はそう呟く。治療の仕方はインプットされている。けれど……犬の手当ても人間の方法と同じで良いのだろうか。
治療道具とにらめっこを続ける私に、隣に腰を下ろしたクリフが言った。
「貸してもらっていいかな?……こうゆうの、慣れてるから」
ハイ、と手を出されて、私はクリフに全てを任せることにした。クリフは服のポケットからハンカチを出すと消毒液で湿らせて、傷口にあてる。痛みがあるのか、野良犬は時折体を震わせ、こちらを睨みつけた。
クリフの手さばきは無駄がなかった。足が折れていないかを確認して、止血をして、包帯を巻いていく。集まっていた子供達も、じっと静かにその手際を見つめていた。
「……お兄ちゃん、上手ね」
近くまで寄ってきていた1人の少女がそう言った。この少女はたしか……ニニナだ。クリフは苦笑しながら答える。
「昔、姉さんや妹が同じように怪我した野良猫とか、野良犬を拾ってきてたから……。……それに」
傭兵学校でも人の治療の仕方とか教わったし、とクリフは小声で言った。
「……クリフ、兄弟いるの?」
ふと私はそう呟いた。兄弟、姉妹……言葉とその意味は分かるけれど、それはなんだか不思議な存在だった。自分と似た顔の者が、自分以外にも存在している。それは自分とよく似ているのに、自分とは違う思考を持つもの……。
クリフは手当てを終わらせると、血のにじんだハンカチを畳みながら私の方を見た。
「うん。でも……、ううん。何でもない」
クリフはそう言って視線を落とした。どうしたのだろう。何か良くない思い出でもあるのだろうか。そういえばジェイも、命令以外でサーシャ・レヴィアスの名前を出すことはなかった。
「兄弟、姉妹……シルヴィ、よく分からない」
自分と同じで、でも違うもの。殺人人形の私とは違い、人は不思議な関係を沢山持っている。家族、友人、恋人……言葉と意味でしか知らない、様々なもの。
ミリアムがハンカチを洗ってくると言い出して、クリフはそれを彼に任せた。子供達の輪がバラバラと散っていく。立ち上がろうとしたクリフは、まだ座ったままの私に首を傾げた。
「?……どうかした?」
「……クリフは……自分と同じような存在があるの、怖くない?」
私の言葉に、クリフはきょとんとした顔をした。しばらく困ったような表情をしていたけれど、すぐ私が辿ってきた思考が分かったらしく、苦笑いを浮かべた。
「兄弟姉妹のこと?……怖いと思ったことはないけど」
「でも……シルヴィ、シルヴィと同じWP25mL661型がもう1つ出来たら、怖い」
そうしたら、私はどうなるだろう。今までジュリア達は私と同じタイプを作ろうとしていたけれど……もしそれが成功していたら。私はジェイとアイルークの……マスター達の傍に、いられただろうか。
1体だけならいい。量産されればされるほど、私の存在理由もまた減っていく。ジェイとアイルークの傍にいられなくなる……。
「シルヴィ、怖い……ジェイ、シルヴィいらなく……なる?」
肩が震えた。まだ何処か壊れているのだろうか。ただでさえ起動しているのが精一杯の、この機械の体が。
クリフは私の顔を覗き込んで、そして怪我をしていない方の肩に手を置いた。
「シルヴィ……」
存在理由以上のものを、求めてはいけない。私はジェイ達の傍にいたかった。ジェイを守るという使命が、いつのまにか傍にいたいという願いに変わっていた。
でも……それは人形には許されない。
「シルヴィ……怖い」
ジェイの命令は、ジュリアの元に戻って待機することだった。でも体が動くようになった今でも、私はこのサナトリウムから出られない。それはきっと……私自身が、怖がっているのだ。
「怖い……怖いよ……クリフ……」
私は『使えない機械』と、見放されてしまったのだから……。