第2章 3
その日、俺たちはセルマの家で一晩を過ごすことになった。もっとも食事なんか出されるはずもなく、野宿用の携帯食料を齧り、あとはそれぞれ好きなところで寝た。俺はリビングのソファの上、クリフはガキ共に気に入られて子供部屋、サーシャはセルマの寝室。
メイが渋りながら持ってきた毛布に包まると、久方ぶりに深い眠りに落ちた。風の音が何かを囁きかけるように、窓の外でざわめく。
- ある夜の夢 -
「ねぇ、今度はこっちだよ!」
「違うわよ、今度は私たちの番っ」
あちこちで、呼び声が木霊してる。頭の中が真っ白で、ただその声を追いかけて走る。呼んでいるのは子供達の声だった。どれもよく聞き覚えがある。そしてそれは、あまりいい印象じゃない。
次第に視界がクリアになって、目の前が開けた。窪地にぽつりぽつりと建つ家並み、向こうではヤギが放牧されている。白い影が新緑の草花をはんで、両頬をしきりに動かしていた。そのずっと遠くには馬も見える。
「見て見て!」
「っ!」
ふと頬の脇を風が通り抜けた。ふと振り返ると、こちらを見て笑っている声が木霊した。少し離れたところに集まった子供達が、こっちを指差して笑っている。馬鹿にするような、そんな表情を浮かべて。
「!」
悔しさや恥ずかしさが入り交じって、咄嗟に視線を逸らした。足下に視線を落とすと、急に足下の木の葉が円を描くように回り始める。それは徐々に強くなり、やがて小さなつむじ風になった。慌ててそれを避けると、向こうで笑っていた声が更に大きくなる。
「あいつ、怖がってやんの!」
「仕方ないわよ、だって『できそこない』だもの」
「!」
カァッと頭に血が上った。『できそこない』の言葉の意味を把握しているのは、きっとこの中で自分だけだろう。向こうにいる子供達はその言葉の意味を知らない。大人達がそう言うのを真似しているだけ。だから怒っちゃいけない。怒っても、結局自分は負けてしまうから。
ふと砂利を踏む音が聞こえた。子供達が憎らしい表情から無邪気な表情へと顔色を変える。彼らの先にいたのは、白い髭が特徴的な老人。爺ちゃんだ。
「おや、次に呼んでいたのは誰だったかな?フリオか、ジェスティンか……それともミハイルか?」
一人一人孫の名前を呼んでいく爺ちゃん。すると集まっていた子供達の中から、一人が手をあげた。アイツだ。
「はい。……僕だよ、お爺ちゃん」
アイツは栗色の髪に子供特有の無邪気な笑顔で真っすぐに手を伸ばしていた。ソイツが声を出すと、さっきまで自分のことを嘲笑っていた者達の視線までもが、ソイツに向けられる。
老人もまた、彼を見てニッコリと笑ってみせた。可愛い孫達の中で、一番のお気に入りを見るような目で。
「おや、お前か。……聞いとるよ、お前は毎日しっかり勉強をしているそうじゃないか」
「当然だよ!僕お爺ちゃんみたいになるのが夢なんだもん」
嘘つきだ、と僕は静かに呟いた。他の子供達は、アイツが『一番』だってことをなんとなく分かってる。だから負けず嫌いの他の子達も、媚びるみたいにアイツの周りにくっついてるんだ。子供だけじゃない、親だって皆そう。爺ちゃんのようになりたいんじゃなくて、爺ちゃんのような偉い魔術師になりたいだけ。
ふとアイツの視線がこちらへ向けられた。その目は爺ちゃんに笑いかけてるときとは全然違う色をしてるように思えた。俺はギュッと手に力を入れた。すると手が固い感触を伝えてくる。視線を向けると、僕の手の中には、分厚い本があった。
向こうから爺ちゃんの機嫌の良さそうな声が聞こえてくる。
「おお、そうかそうか。流石にお前は言うことが違うな、フレイに爪の垢でも煎じて飲ませたいところだ」
「!」
急に名前を呼ばれて、慌てて本を背中の後ろに隠した。すると誰かが、爺ちゃんフレイならあそこにいるよ、とわざと余計なことを言って、こっちを指差す。
僕は上目遣いに爺ちゃんに視線を向ける。おそるおそる視線を上げると、冷ややかな目が僕を見下ろしていた。
「……なんだ、フレイ。また植物の本なんぞ読んでいるのか?」
「えっ、あっ、これは……その……」
爺ちゃんはきっと僕のことが嫌いだと思う。だって他の誰にもそんな目をしないのに、僕の時だけは違うんだ。僕は今まで爺ちゃんに笑ってもらったことなんかない。頭を撫でてもらったことも、抱き上げてもらったこともない。
爺ちゃんはいつもこうやって僕を睨みつけるだけなんだ。
「爺ちゃん爺ちゃん!もー、今は僕の話でしょ」
ふと俺と爺ちゃんの間で、そんな声が響いた。爺ちゃんはふと足下で袖を引っ張るアイツの姿に視線を向ける。他の子達も、視線をアイツに戻した。
「おお、そうだったな。どれどれ、見せておくれ。お前の成長が儂には一番の楽しみだからな」
「えへへ、ほんと~?爺ちゃん」
じゃあこっち来て、とアイツは爺ちゃんの手を引いて歩いていく。ぞろぞろと子供達もそれについていった。ぽつりと残された僕の周りに、自然の風が木の葉を散らしながら去っていく。ざわめく木々の下で、木はきゅっと唇と結んだ。
持っていた本を抱え直すと、遥か高いところに浮かぶ雲間から、消えかけていた太陽が差し込んでくる。
☆
「……?」
ハッと俺は目を開けた。気づくと外からは太陽の光が差し込んでいて、部屋の中を照らし出している。随分と長いこと眠っていたようだ。なんとなく嫌な夢を見たような気がする。
いや、それ以前に1つだけ。
「……オイ。なんで俺は銃口を向けられてるんだ?」
俺の目の前には、リボルバーの銃口を俺のこめかみに向けているサーシャの姿があった。ソファの後ろからこちらを覗き込み、呆れたようにリボルバーを下ろす。
「起こしても起きないので、死んでいるのかどうか試そうと……」
「試した瞬間に死ぬじゃねーかっ!!」
「……メイに提案されたんですが」
「てめーっ!!ガキっ!!」
サーシャに怒鳴りつけた直後、メイを睨みつける俺。メイは昨晩より幾分身なりの良い格好でフイ、と顔を背けた。おそらくボロボロの服を着ていたのはスリで捕まったときに相手の同情を引くためだろう。抜け目ねぇガキだ。だからガキは嫌いなんだ。
「ま、まぁまぁ……」
俺とメイの様子に、クリフが仲裁に入ってきた。それで俺はやっと我に返る。気づくと向こうの部屋からガキ共が面白がるようにこっちを見ている。どうやら俺はかなりの寝坊をしてしまったようだった。
こっち見んな、と一喝すると、ガキ共は慌てて部屋の中に戻っていった。後ろからサーシャの呆れたような声が聞こえてくる。
「……さて、さっさと顔を洗ってきて下さい。準備ができたら出発します」
☆
外に井戸があると言われて、俺は入り口の扉を開けた。眩しいほどの光が目を刺してくる。後ろをついてきたクリフが何度も瞬きを繰り返していた。
俺は顔を顰めながらあちこちを見回す。するとちょうど家の右側、林に近い裏手にぽつんと小さな井戸があった。サワサワと揺れる木々の間から朝日が差し込み、足下は光と影がまだらに踊っている。
適当に顔を洗うと、ぼやっと頭の中を覆っていた睡魔が消え去っていった。井戸水はまるで雪解けの水のように冷たい。
ふと、顔を洗ってから、近くに拭くものがないことに気づいた。
「おい、なんか拭くもの持ってるか?」
「えっ……あ、中に戻れば……」
そう答えるクリフに俺は舌打ち一つして、さほど濡れていない手の甲で水気を払い落とす。すると、隣から白いタオルが差し出された。見ると、いつのまにかふて腐れた顔でメイが立っている。
「ちゃんとタオルで拭いてよ、大人なのにだらしないなぁ」
「うるせぇな……お前こそ、ガキのくせに」
さっき寝起きで怒鳴ったせいか、あまりガキの挑発に乗る気がしない。俺はタオルを手に取ると、それで顔を拭いた。メイは家の壁に背をもたれて、しかめっ面をしている。表情から見るに、あのセルマとかいう女からタオルを持っていくように言いつけられたんだろう。
「だからガキは嫌いなんだよ」
使い終わったタオルを頭の上から落としてやると、メイは更に眉間に皺を寄せた。
「うっわ!やめてよ、もうっ」
メイは頭から被せられたタオルを取ると、適当に畳みながら俺を睨みつける。一方の俺はというと、夜には見ることの出来なかった辺りの風景を見回していた。いつも通り仲裁に入るクリフの声を聞きながら、井戸とは反対の方向に視線を向ける。
ぐるりと辺りを見回すと、この家がどれだけ山奥に立っているのか容易に感じることが出来た。四方八方、どこを見回しても林しかない。ここに井戸があるのも不思議なくらいだが、この辺りだけ拓けているところを見ると、何となく嫌な予感が脳裏を横切った。
拓けた一帯は草原になっていて、そこは風が吹くたびに緑の絨毯がうねっている。円のように広がる草原が自然のものではないことに俺はやっと気づいた。
「……ここ、前に何があったか分かる?」
「……え?」
メイに袖を引かれ、クリフがふと首を傾げた。メイは幼さの残る瞳で、眩しそうに朝の草原に視線をむける。草に覆われていて地面は見えない。
俺は草原の真ん中辺りまで歩いていった。すると足先に何かが触れる。草をかき分けて見てみると、欠けたレンガが散らばっていた。泥に汚れているが、おそらく建築に使われるものだ。
玄関の前に立っていたメイが言う。
「メイが生まれたばっかりの頃は、ここにグロックワースの隠し武器庫があったんだって。ずっとずっと前……トゥアス帝国と戦争をするときに作ったんだけど、それがずっと残ってて……でも、メイが生まれた頃に全部無くなったんだって」
「無くなった……?」
クリフの言葉に、俺は振り返った。目を凝らして見ると、俺の足下には無数の残骸が草花の下に埋もれている。『無くなった』にしては尋常な取り壊し方じゃない。俺の頭の中には、昨日のセルマとサーシャの会話が繰り返されていた。
「……グロックワースと同じように、か?」
俺がメイに視線を向けると、メイは静かに頷いた。ふとクリフの表情が曇る。
「グロックワースのことはメイも見たの。……『お仕事』したあと、お母さんのお使いで隣の街に行って、帰り際にグロックワースの様子を見たんだ。街は焼け落ちてて、人の姿はなくて……お母さんから聞いた、10年前の此処みたいに」
風がメイの言葉に応えるように草原を通り過ぎていく。朝露に濡れた歯がぽつりぽつりと雫を落とす。俺は静かに過去の残骸をつま先で弾くと、二人のいる場所へと近づいていった。
「つまりは10年前、ここにはグロックワースの隠し武器庫があって、それがなぜか急に破壊された、と。……するとあのセルマって女は軍人崩れか」
「そう。メイのお母さんはとっても強いんだから!」
お兄ちゃん達なんか一発だよ、と拳を突き出してみせるメイ。女ごときに負けるか、と言い返そうと思ったが、クリフはおそらく一睨みで終わってしまいそうなので止めておいた。
メイはニンマリ笑うと、隣に立っているクリフに視線を向けた。クリフは珍しく何かを考えるように地面と睨み合いをしている。しかしじっとこちらを見つめるメイに気づいて、クリフは我に返った。
メイはクリフの反応に首を傾げたが、さほど気に留めてはいなかった。
「……じゃあ昨日言ってた『リスト』は武器か何かか?」
俺の言葉にメイは頷く。
「そうだよ。武器庫は地上にあったのが主だけど、地下にもいっぱいあるの。そっちは無事だったから、今はサーシャさんみたいな特別のお客さんにだけ売ってるんだ」
特別、という言葉に俺は大きくため息をついた。つまりそれらは裏ルートでしか売らない品なのだろう。サーシャが買うとすればおそらく銃弾の類いだ。鉄を鍛えて造る剣や槍とは違い、銃器は特別な『知』がなくては造れない。つまり今の時代、それを生産できる人間はいない。
「え……でもそれじゃあ、使えば使うほど在庫もなくなるんじゃ……」
首を傾げるクリフにメイはピースをしてみせた。ふんぞりかえってる姿が癪に触るが、クリフにとってはそれほどでもないらしい。
「地下にはね、いっぱい銃弾が残ってるんだよ!それに銃弾を買うお客さんなんて、最近はサーシャさん以外にいないし……あっ!剣もあるよ、皆で手入れしてるから状態はいいし……クリフお兄ちゃん買っていかない?」
キラキラと目を輝かせて商売っ気を出すメイにクリフは苦笑した。そして腰に下がった愛用の剣に視線を向ける。
「せっかくだけど……遠慮しておくよ。やっぱり使い慣れた剣の方がいいし……」
「むぅ……。あっちは……まあ、除外するとして」
チラとこっちに視線を向けるメイ。
「除外ってなんだよ除外って!」
「だって魔術師って皆、性格悪いんだもん。スリの時もやけに目敏いしさぁ」
メイの言葉に、俺は喉元まで出かかった言葉が詰まってしまった。さっき見たあの胸くそ悪い夢が頭の中を横切る。まるで樹液に虫が集まってくるように、あのクソジジイに群がる子供達。あれのほとんどは性悪な親の差し金だった。どれだけ子供が有能かを見せつけ、ジジイのコネで何処かの城や貴族仕えの魔術師になれれば、子供の将来だけではなく、自分たちの老後も安泰になる。
一子相伝とまではいかないが、魔術師は師から弟子に言葉で魔術の理論を伝える。トゥアス帝国のように機械任せに生きていたころもそうやって魔術は伝えられていた。だからこそ、今の時代魔術師は重宝される。いわゆるエリート職、というところだ。
「同情引こうとしても失敗するから、魔術師に捕まったらすぐにお金返すことにしてるもん」
「……なら昨日の残り半分、さっさと返せ」
呻く俺にメイは舌を突き出してみせる。
「やだ。もう支払い完了したもん。それにクリフお兄ちゃんやサーシャさんなら返すけど、アンタは嫌」
「てめぇ……こんの、ガキっ!!」
取っ捕まえようと駆け出す俺に、メイは素早くクリフを盾にして家の中へと駆け込んでいく。一旦目の前で閉められた扉を開けて中に入ると、中からサーシャの呆れたようなため息が聞こえてきた。
ぽつんと外に残されたクリフは苦笑を浮かべ、そしてもう一度漣のように揺れる小さな草原に視線を向けた。瞬きをすると、目の前に別な光景が浮かんでくる。
連なる小さな家、あちこちに子供達が戯れ、向こうでは大人達が畑仕事に励んでいる。家の前には子供達の母親らしき影が青空の下で白いシーツを干していた。家の柵の前には小さいながらも蕾をつけた花が揺れていて、何処までものどかで平和な一場面。
『クリフーっ!』
はっとクリフは我に返った。声がした方向に視線を向けると、窓から体半分乗り出してこちらに手を振っているメイの姿がある。
「クリフお兄ちゃーん、サーシャさんが呼んでるよーっ!」
「あ、うん……」
クリフは生返事を返して、再び草原に視線を向けた。10年前の武器庫がそんなのどかな風景のはずはない。クリフは静かに視線を落とし、入り口への階段を上る。
爽やかな朝の風が、背中を撫でるように通り過ぎた。