第2章 2
一年前まで其処に在ったものは、もう存在していなかった。気配と呼べるものはなく、そこは全て焼き払った後だったらしい。建物も何もかもがなくなってしまった草原。広すぎる空き地のようにぽっかりと拓かれた場所。
風が頬を撫でる。その草原の中に一つでも誰かの遺した何かがあれば、この人生は変わっていたかもしれない。でも、そんなものは一つとしてなかった。……そう、一つとして。
- 消え去った幸せ -
岩の上からこちらを覗いているのは、ボロボロの服を身にまとったガキだ。月光に映える金髪に、灰色のワンピースを着ている。無駄にでかい瞳に、生意気そうな表情。歳でいうなら12くらいのもんだろう。無邪気といえば聞こえが良いが、怖い物知らずともとれる好奇心に染まった瞳でサーシャを見下ろしている。
「こんなところで何してるの?」
はた、と俺はガキの顔を見上げた。どっかで聞いた声だ。もともとガキみたいなうるさいのとは付き合いがないから、記憶の中から同じ声を引っ張り出してくるのは簡単なことだった。
『本当にごめんなさい。……そ、それじゃ!』
脳裏に一瞬だけ、俺の脇をすり抜けて人ごみに混じっていくガキの姿が思い浮かんだ。消えていくほんの一瞬、その手の中にしっかりと俺の財布を握りしめていた、あの光景。
俺は即座に声をあげていた。
「お前!この間のスリか!?」
「え……ひゃっ!?」
ガキはその声に驚き、やっと俺を確認したようだった。顔からさっと血の気が引いていく。強ばった表情で岩を降りると、すぐにサーシャの後ろに隠れた。まるで人見知りの子供のように、サーシャの背中から顔を出しては、こちらの剣幕を確認して顔を隠す。
「おいサーシャ!そいつをこっちによこせ」
俺の言葉に、サーシャは涼しい顔で言う。
「子供相手に大人げないですね……。簡単にスられたフレイさんもフレイさんだと思いますが」
呆れたようにため息を吐く憎たらしい顔。それを見た瞬間、俺は矛盾に気づいた。このガキに財布をスられたのは、たしかサーシャに会うより前だ。そうなると、サーシャは俺と会う前にスられる瞬間を見ていることになる。
「てめ、やっぱ見てたのか!?」
「ええ、たまたま」
たまたま、なわけがあるか。文句の一つや二つ、いや三つ四つ言ってやろうと口を開いた瞬間、抱きついていたクリフがガキとサーシャに視線を向けた。
「さ、サーシャさんのお知り合い、ですか……?」
クリフの言葉に、サーシャは苦笑する。腰に手を回して後ろに隠れようとしているガキを引っ張り出して言った。ガキは嫌がって首を横に振っているが、どうやらサーシャの力には敵わないらしい。隣に立たせられ俺と目が合うと、フイと視線を逸らした。
「知人の娘さんです。……メイ、セルマは近くにいますか?」
サーシャに見下ろされ、メイと呼ばれたガキは少し拗ねたような顔で頷いてみせた。
「……いつもの場所にいるよ」
スリの時と違って、その口調はガキそのものだ。もともと俺がガキ嫌いなせいもあるかもしれないが、見てると憎たらしくなってくる。
サーシャは少しだけ何かを考えるように地面と睨み合っていたが、しばらくして顔をあげた。メイに視線を向けると、静かな声で言う。
「……それなら、セルマの所に行きましょうか。もしかしたら彼女が何か情報を持っているかもしれませんし」
「情報……ですか?」
俺に引き剥がされたクリフが、メイを見つめながら首を傾げた。ついさっきまで頬を膨らませていたメイは、クリフが無害だと直感したのか、クリフに向かって胸を張ってみせる。濡れた金色の髪が、体の動きにあわせて揺れた。
「メイのお母さんはね、色んなこと知ってるんだ!」
「?」
訝しげなクリフの表情にサーシャは肩をすくめたが、自分の口から答えを言おうとはしなかった。
☆
ガキに案内されて行き着いた場所は、森の奥深くにある一軒の小屋だった。周りにはメイより年下のガキ共が数人、走り回っている。どいつも髪が濡れていて、服を着ている途中のもいれば、互いに髪を拭いてやってるのもいる。中には素っ裸で走り回るヤツもいた。
メイはぎゃーぎゃー騒ぎ回る子供達を前にして、サーシャに視線を向ける。
「さっきまで、みんな河原で体洗ってたんだ」
申し訳なさそうに言うメイに、サーシャは苦笑してみせた。後ろで冷や汗をかいているクリフをちら、と振り返り、そして納得したように頷く。
「……ああ、そうゆうことですか」
俺たちの様子に気づいたのか、走り回っていたガキ共がふと足を止めた。どうやら見慣れない客人を前にして、警戒心が勝ったんだろう。数人はそそくさと家の中に入っていき、残りはサーシャに近づいて来た。
メイは近づいて来たガキにテキパキと指示を出す。
「カレン、ダーラ、お母さんにサーシャさんが来たって言って。ダン、アールの頭拭いてあげてよ。髪濡れてるまま服着たら濡れちゃうでしょ。あとリック!走り回るなら服着てよ!!」
どうやらガキ共の中でメイが一番年上らしい。他のガキは5、6歳が殆どで、メイくらいのガキは他にいない。しっかりしていそうな二人組がメイの指示通り、家の中に入っていく。それを確認して、サーシャは苦笑した。
「……また増えたように見えるのは気のせいですか?」
「うん。前にサーシャさんが来たときから2人増えたんだよ」
二人の会話を聞いていたクリフが、首を傾げる。
「え、ってことは……兄弟じゃない?」
「そう、血がつながってるのはお母さんとメイだけ」
メイはそう言って首を横に振った。ここまで来る間、どうやらクリフが気に入ったらしく、さっきからずっと隣を歩いている。ちなみに俺に対してはというと、これ見よがしに舌をだしてみたり、視線が合えばわざとらしく逸らしたりしていた。
メイはサーシャとクリフの手を引いて、家の中へ入っていく。俺は後ろから三人の様子を見ながら、後に続いた。
家の中は思っていたよりも暗かった。寝るところだったのか、灯りは消され、家の中には月明かりが差し込んでいる。ガキ共は皆、奥へと入っていき、残されたメイはサーシャに椅子をすすめた。おい、俺とクリフは立ちっぱなしかよ。
俺が文句を言おうと口を開いたとき、ふと奥の部屋からロウソクの明かりが揺れた。視線を向けると、30後半くらいの女が立っている。量の多い茶の髪を一つに纏めた長身の女だ。着ている服はさほど綺麗なものではなく、使い古された綿の衣。袖から伸びる腕には多少の筋肉がついているようだ。男のものとは違う、しなやかな腕。
(……剣士か何かに近いな……)
ゆっくりと、女はサーシャの座っている椅子に歩み寄った。そしてじっとサーシャを見下ろす。その瞳の右半分は眼帯に覆われていた。
「……あと数ヶ月は来ないだろうと思っていたが……思ったより早いな」
無表情でそう言われ、見上げるサーシャは苦笑した。苦笑するしかない、といった表情で。
「ええ……色々動きがあったので。でも丁度良かったです。追加で、商品をいただけますか?」
商品というサーシャの言葉に、クリフが首を傾げている。女はじっとサーシャを見下ろし、仕方ない、と息を吐いた。
「メイ。リストを持って来な」
「はぁい!」
ガキが奥の部屋へ入っていくのを見送って、女はやっと俺たちに視線を向けた。クリフと俺を一人ずつ、じっと眺め、何の表情も浮かべずにサーシャに視線を向ける。
「こいつらは?」
「『護衛』です。グロックワースで契約をしてきました。こちらがクリフ・パレスンさん、そしてこっちがフレイ・リーシェンさんです。……クリフさん、フレイさん、こちらはセルマ・レディンス」
サーシャが俺たちを紹介する。しかしセルマという女はその言葉を聞いて顔を顰めた。俺はまた、あのジジイの話をされるのかと警戒していたが、女が気にかけたのは全く別の言葉だった。
セルマは戻って来たメイから『リスト』とかいう紙束を受け取ると、俺たちにも椅子をすすめた。そして自分もソファに腰掛け、テーブルにロウソクを置く。
「……グロックワースで、と言ったな?どれくらい其処にいた」
サーシャはセルマの言葉に顔を顰めた。
「……メイが『仕事』をしていた日の夜中まで、ですね」
仕事、と言われて俺は思い出したようにセルマの後ろに立っていたメイを睨みつけた。
「そういやお前、まだ財布の中身を返してもらってないぞ!?」
「盗ったらもう私のものだもん。教えられなかった?盗られた方が悪いって」
プイ、と顔を逸らすメイに、俺は握りこぶしを震わせる。怒りを鎮めようとクリフが俺を諭すが、お前に諭されると逆効果だ。
怒りに震える俺に気づき、セルマが振り返る。
「なんだ、メイ。この男から盗ったのか」
「う……だってサーシャさんの探し人だと思わなくて……」
メイの言葉に、セルマは目を細めた。そしてもう一度俺を見つめると、後ろに向かって声を投げる。
「なら、メイ。半分返してやれ」
「えぇっ、うそ!?」
「半分っ!?」
思わぬ言葉にメイが素っ頓狂な声を上げた。俺もまた驚きの言葉についそう叫んでしまう。隣にいたクリフも、何がなんだか分からず、ぽかんと口を開けている。セルマは俺たちの様子に苦笑を浮かべ、そしてサーシャに視線を向けた。
「……サーシャ、今回の代金はそこから貰おう」
セルマの言葉に、サーシャは笑った。何処か悪どい笑いに見えるのは気のせいか。
「助かります」
「助かるのはお前だけじゃねーかっ!!」
叫ぶ俺をクリフが宥めるが、お前に宥められると余計に苛つく。メイは嫌そうな表情を隠そうともせず、棚から取り出した俺の財布を差し出した。顔に
『仕方ないけど、あげる』
と書いてある気がするのは、被害妄想なせいではない。
「お前っ、俺様から盗んでおいて、なんだその態度はっ!謝罪の言葉くらい言えっ、ガキ!」
「なっ、ガキ!?……そんなこと言うならあげないから!」
「『あげない』って、それはそもそもテメェのモンじゃねーっ!!」
しかしそんな外野の攻防を完全に無視して、サーシャはセルマに向き直った。そして何かを考えている様子のセルマに問いかける。
「……グロックワースがどうかしたんですか」
セルマは目を細め、そしてロウソクの灯りに視線を向ける。ユラユラと揺れ動く小さな炎が、この部屋の中の唯一の灯りだ。セルマの独眼がじっとそれを見つめていた。サーシャもまた、自らの問いの答を探すように、ロウソクに視線を落とす。
騒ぎ合う俺たちをよそに、セルマは低い声で言った。
「……昨日のことだ。グロックワースの街が消えた」
「―――― !?」
セルマの言葉に真っ先に反応したのはサーシャではなく、俺たちの仲裁に入っていたクリフだった。言い合いをしていた俺とメイは、真ん中に立っていたクリフがそっちに気を取られたおかげで、話の腰を折られてしまった。
サーシャは眉をひそめ、静かに口を開く。
「……昨日、ですか?」
「ああ、荷馬車で南に向かおうとしていた商人達が発見したらしい。街は焼け野原、人の気配は全くなし……それもたった一夜で、だ」
「たった……一夜で……?」
クリフが呆然と、セルマの言った言葉を繰り返した。メイは突然大人しくなったクリフの顔を横から見上げ、首を傾げている。顔面蒼白のクリフはメイの視線にも気づいていない。
それに対して、ソファに座ったサーシャはひどく落ち着いていた。
「……これで何件目ですか」
「正確な数は定かではないが……この大陸ではここ10年の間に4、5件といったところだ。もっとも、国が体面上黙っている場合もあるが」
セルマはメイの持って来たリストを片手に、俺の財布から抜き出した半分の金額と照らし合わせていた。サーシャはセルマの言葉にしばらく何かを考えているようだったが、軽く首を横に振って顔をあげた。どうやらそれ以上のことを追求するのは止めたようだ。
セルマはそれを悟ったように聞き返す。
「……聞きたいことはないのか?」
「いえ、特には。……貴女がそれ以上話さないということは、また今回も原因不明なのでしょう?」
「よく分かっているじゃないか。だが、そう言われてしまうと、こちらとしては商売あがったりだ」
セルマはそう言うと、メイを呼びつけて何かを指示した。『リスト』から何かを指差すと、よく分からない単語を口にする。しかし俺たちには伝わらない会話でも、メイは何度も頷いていた。
メイが奥の部屋へ入っていくのを見送ると、セルマは再びサーシャに向き直った。外では風が木々を揺らす音が聞こえてくる。
「……本当に、この時代というのは不便なものだな。全てが曖昧で、闇の中。腑に落ちないことばかりで、本当のことが見えて来ない」
セルマは隠されていない左目でサーシャを見る。その瞳は決して暖かいものではなく、かといって冷たいものでもない。
ふと風のざわめきが止み、辺りが静かになった。ずっと遠くで鳴いているフクロウの声だけが、静寂を邪魔している。静けさがやけに気に障る、そんな夜だ。
サーシャはセルマの言葉に聞き入っていたが、しばらくして口を開く。
「それで良いのではないでしょうか」
その言葉はやけにはっきりと響いた。サーシャは何かを懐かしむような、それでいて何か苦いものを思い出すような、そんな表情を浮かべている。
サーシャは言う。静かに、それでいてはっきりと。
「全てが完璧な世界は……きっと、飽きるような味しかしませんから」




