第1章 2
例えば貴方が喋ってくれるのなら、聞きたいことは沢山ある。どうやってアイルークみたいな魔術師を従えさせたの?貴方を慕ってるシルヴィのことをどう思ってるの?どうしてそんなに預言書を欲しがるの?
そして私は今日も、何も言わずに貴方を見送るの。
- ある一途な思い -
あれは少し前の話。ネオ・オリで負傷したシルヴィの腕の損傷を直していたときのことだった。
私はいつものように数日間工房に詰めていて、時折邪魔しにくるアイルークをどうやって追い払うか悩んでいた。シルヴィの修復と同時にやらなければいけないことがあるのに、アイルークが工房に入ってくるといつも作業の邪魔をされる。今度来たらガツンとやってやらないと、と私はそんなことを考えながら作業をしていた。
傍らのシルヴィはエラー処理のために眠ったまま、昔話に聞くスパゲティ中毒者のように沢山のコードが彼女の体を囲んでいる。私はデスクから立ち上がると、夕日の差し込むカーテンに手を伸ばした。
もうすぐ夜になる。向こうの山の端から紺色の夜空が迫ってきていた。
「……ふぅ」
私はカーテンを締め、そして工房内を振り返る。工房……と呼ぶには小さな敷地。数年前まで時計職人として生計を立てていた祖父が遺した場所だ。父も若い頃は祖父と同じ時計師を目指したそうだが、やはり今では部品をつくる技術を持った人もいなくなってしまった。祖父の時代も、古い時計の修理が殆どで、時計を一から作り上げることなど皆無だったらしい。
それでも私は祖父と父を……時計師として尊敬してきた。
「……」
ふと、一階から足音が聞こえてきた。階段を上ってくる足音は、聞き慣れた父のものではない。数年前に怪我をした父は足を引きずるのが癖になってしまっていたから。
またアイルークか、と私はレンチを構える。以前から私のことを豊満な胸だの、美しい足だのと、顔を会わせる度に口にしてくる。下心みえみえの褒め言葉を言われても、こちらとしては気に障るだけ。以前はラチェットレンチで一発お見舞いしたが、今度は特大のモンキーレンチでもくらわせようか。
私はレンチを振りかぶった状態で扉の前に立つ。コンコン、と反対側からノック音が響いて、私はどうぞ、と声をかけた。扉が微かに開く。
振りかぶったレンチが弧を描いた。
「アイルーク!また私の研究を邪魔しに……っ!?」
多少手加減しつつ顔面を狙ったレンチが簡単に受けとめられた。相手はレンチを片手で掴んだまま、顔を顰めて私を見下ろしている。
「……殴るなら相手を確認してからにしてほしい、ジュリア」
「ジェイロード!……ご、ごめんなさい。まさか貴方だとは思わなくて……」
碧眼に見下ろされて、私は慌てて頭を下げた。けれどジェイロードは気分を害した様子もなく、部屋の隅にある椅子に腰を下ろす。……この人はいつもそう。あまり感情を表に出さないというか、表情を変えることが少ない。だから怒っているのか分からないし、笑っているのかもいまいち分かりにくい。
私はレンチをデスクに置いて、ジェイロードに問いかけた。
「……コーヒー、飲む?ちょっと待ってて、今お湯を沸かしてくるから……」
「……いや、いい」
ジェイロードはそう言うと、静かにシルヴィに視線を向けた。私はやることがなくなってしまって、デスクの椅子に腰掛ける。
「……」
こちらが無言になると、この人は気を利かせて話しかけてきたりはしない。だから沈黙がずっと続く。そうゆうところはアイルークの方が幾分マシなのかもしれない。
私はシルヴィを見つめながら言った。
「シルヴィの状態も戻ってきたから、もう少しで動けるようになるわ。……あと、貴方から頼まれたものも揃ってる」
「……ああ。数は?」
私は机の上に広がった資料の中から、一つの束を取り出した。設計図や報告書がまとめられた紙束にはシルヴィと同じ機械人形の研究内容が書かれている。私は何枚かを捲って、赤く印がついた紙を見つめた。
「WE18mY451型が12体、WE89D110型が20体、MP56fL353型が3体……」
ふとジェイロードの視線を受けて、私は慌てて口を押さえた。
「あ、ああ、ごめんなさい。ええと……銃器搭載の女性型モデルが21体、近距離戦型無形態モデルが20体。あとこの間新しく作った男性型にした人工知能入りプロトタイプが3体。あとはWP25mL661型……シルヴィを含めて36体」
彼は私の話を聞きながら、何かを考えるようにシルヴィに視線を向ける。私は紙をもう一枚捲って、工房を利用する仲間達の報告書に視線を向けた。エラー、予期せぬバグ……失敗の原因が書き連ねられた報告書を見ているとため息が出てくる。
「シルヴィと同じタイプも、何班かに分けて製作したんだけど……全部失敗に終わったわ。未だにどうしてシルヴィが出来たのか不思議よ。人工知能も、シルヴィ以上のものが作れない」
シルヴィはこの工房で生まれた。アイルークが預言書の中から導き出した過去の知識を利用して、この街の様々な職人達で額を集めて、作り上げたのがWP25mL661型。もちろんその前に幾つか試作品で銃器搭載型も作ったけれど、これは本当に防御か攻撃かしか出来ない極端なものだった。
「……シルヴィは『人形』だなんて思えないわ。旧式と違って、自分で学ぶし、自分で答えを出せる。まだ少し理解に乏しいところもあるけど、本当に『人間』みたいよ」
「……そうだろうな」
無表情にそう呟くジェイロード。私はその横顔を見ながら笑った。
「この間、ネオ・オリに向かわせたでしょう?帰ってきたとき大変だったのよ」
こうゆうとき彼は、何が、と問いかけることすらしない。気を使わなくて済む相手には特にそう。だから私は話し続ける。壁に向かって話している気分にならないか、なんて口の悪い仲間は言うけれど、私は平気よ。
だって、そこにいるって分かっているもの。
「何を言われたかは分からないけど、『ジェイの悪口、シルヴィ許さない』って、そればっかり。あんまりプンスカ怒るから、何処かショートしちゃわないか心配になったわ」
「……そうか」
ジェイロードはただそう言った。私はため息をついて、報告書の束をテーブルに置く。
まあ確かに、もう少し微笑んでくれれば話し甲斐があるとは思うわ。綺麗な顔も台無し。……まあ、いまさらそんなこと言ったって仕方ないわね。もう1年の付き合いだもの。
私は自虐的な言葉を発しながら、ジェイロードを見る。
「……それで?貴方がここに来たのは、別に私に会いに来てくれたわけじゃないでしょう?」
「……。……旧式を数体利用したい」
「旧式?」
私達はシルヴィを新式と呼んでいるから、自動的にそれ以前に製作した機械人形は旧式にあたる。銃器搭載の女性型モデル。あれがそうだ。
私はデスクの引き出しから、データを羅列した紙を引き出した。そこには数人の名前と顔が書かれたものが載せられている。それは過去の預言書を狙う冒険者達のリスト。一応、殺人人形達に覚えさせる為に、程度の低い人工知能を搭載したプロトタイプ達に冒険者達の顔のデータを集めさせた。
私は一枚一枚の冒険者達の名前を見ながら呟く。
「誰かのところに向かわせるの?」
「ああ。設定を頼みたい」
了解、と頷いて、私は転がったペンと適当な紙を手に取った。ジェイロードを振り返ると、彼は椅子に座ったまま何かを思案するように目を瞑っている。きっと彼の中で何かシミュレーションされているに違いない。でも……。
(悔しくなるくらい綺麗な顔……)
長い睫毛が伏せられたまま、しばらく動かない。整った輪郭も、細長の目も綺麗なのに、女が付かないのは性格のせいだと私は思う。寄ってきてもすぐ去ってしまうのは、その無表情のせい。
だって、貴方は見てないもの。貴方と同じ世界を見れる人なんていないもの。……貴方は口にしてくれないから。
(……本当に、綺麗な顔)
例えば貴方が喋ってくれるのなら、聞きたいことは沢山ある。どうやってアイルークみたいな魔術師を従えさせたの?貴方を慕ってるシルヴィのことをどう思ってるの?どうしてそんなに預言書を欲しがるの?
(……貴方が警戒してる『サーシャ・レヴィアス』ってどんな人?)
一度アイルークを問いつめてみたけど、ヘラヘラ笑って誤魔化された。気にしなくていい、なんて言われたけど、気になるじゃない。だってファミリーネームがあの人と同じなんだから。
じっとジェイロードの顔を見つめていると、ふと視線がこちらに向けられる。私は慌てて椅子を回して、背を向ける。
「……で、どうするのっ?」
机に向き直ったフリをして、私は問いかける。もちろんジェイロードが気付いたわけないと思うけど。
「旧式を5体準備して欲しい。ターゲットはフレイ・リーシェン、クリフ・パレスン……サーシャ・レヴィアスの、3名だ」
冷静な声で彼はそう言う。私は走り書きしていたペンを止めると、見えないようにため息をついて頷いた。
「……了解」
☆
甲板に出ると、爽やかな風が吹いていた。私は辺りを見回してふと、フレイさんとクリフさんの姿に気付く。あの2人が揃って一緒にいるのは珍しい。大抵フレイさんは船室にいて煙草を吸い、クリフさんは柄の悪い旅人に絡まれないような場所にいることが多い。
私が近づいていくと、フレイさんがこちらに視線を向けた。
「……んだよ、サーシャ。今起きたのか?遅っせぇな」
ふと空を見上げると、太陽が高い場所で輝いている。確かに少し寝過ぎてしまったようだ。クリフさんがレイテルパラッシュを抱いたまま笑う。
「あ、珍しいですね。サーシャさんて、結構早起きなのに……」
「そうですね。少し眠り過ぎてしまったようです」
お二人は何を、と問いかけると、クリフさんが頷いた。
「あ、フレイさんに会ったのはたまたまなんですけど……あっちの大陸の話になったら、フレイさんが、その……あんまり土地勘がないみたいなんであっちのことを教え」
フレイさんの鉄拳が飛んだ。どうやら土地勘がない、という言葉が癇に障ったらしい。ガツン、という良い音と共にクリフさんの潰れた悲鳴が響く。
「馬鹿言うな、行ったことねぇんだから土地勘も何もあるかっ!」
半泣きのクリフさんにフレイさんが怒鳴りつける。私は呆れて溜め息をついた。
「……まあ、どちらにしてもあちらの地理を頭に入れておいた方が良いでしょう。『微睡みの庭』では何が起るか分かりませんから」
後で世界地図を貸しましょう、そう言おうとした瞬間。私達の足下に一本のナイフが向かってきた。私は咄嗟に後ろに飛び退る。クリフさんとフレイさんも何とかナイフを避けたようだった。鋭利な刃が床に突き刺さる。
甲板にいた船員達も、旅人達も、一様に何事かという表情を浮かべた。私は船室の地下に繋がる扉の前にいた一人の女性に目を留める。作られたような左右対称の顔。
「殺人人形……」
私が瞬時にそう判断したのは、その顔形がグロックワースで襲撃してきた殺人人形と同じだったからだ。フレイさんもハッとした表情でそちらに視線を向ける。あの時パニックを起こして顔まで見る余裕のなかったクリフさんは、まだ状況が判断出来ていない様子でキョロキョロと辺りを見回している。
「ちっ……」
思わず舌打ちをしたのは私だっただろうか、それともフレイさんだったのだろうか。
殺人人形は黒い布を被り、静かにこちらを見つめていた。しかし、よく辺りを見回すとそれは1体ではない。
(ドアの前に一体、甲板の奥に二体、二階に一体……4体か)
私は指先でクロノスを弾いた。クリフさんも顔を顰めている。
船の上という状況下では、容易にリボルバーや魔法を使うわけにはいかない。流れ弾で他の乗船客に被害が出れば面倒なことになりかねないからだ。誰かが死のうが私には関係ないが、船という閉鎖空間から逃げることはできない。
魔法も同じだ。下手に動いて船を壊すわけにもいかない。
(このタイミングで狙ってくるということは、やはり……)
私は静かに息を吐き出す。フレイさんがチラ、とこちらに視線を送ってきた。
「……オイ、どうすんだよ。俺もクリフも使えねぇぞ」
横目でクリフさんを見ると、案の定足が震えはじめていた。レイテルパラッシュを抱きしめたまま、鞘から引き抜く様子すらない。私はため息を吐いた。相変わらず、肝心なところで使えない護衛だ。やはり近距離戦を戦える人間がこうではいざとなったとき苦労する。
私は口を開いた。
「私が行きましょう。フレイさん、援護をお願いします」
フレイさんは眉を顰めた。
「援護って……本当に援護しか出来ないからな?」
「構いません。さほど期待してませんから」
私はそう言うと、向かってきたナイフを避けて扉の前にいた機械人形の前に転がり出た。甲板の奥にいた他の人形達が寄ってくる。フレイさんが後ろの方で文句を言いながら、魔法を発動させた。空中で小さな爆発音が二つ鳴り響く。
機械人形は爆風に体を揺らされたようだった。私は踏みとどまり、視界が悪くなる一瞬を狙ってその体に蹴りを入れる。人間の腹とは思えない硬質な感触が足に伝わった。
私は爆風に身を隠しながら再び距離をとる。久々の戦いに背中がゾクゾクとスリルを感じていた。