第2章 1
歌えや踊れ、森の精霊達。日が沈む西の空を仰ぎ、一日の終わりに舞い踊れ。森の『瞳』が揺らめく夜、空を見つめる泉の満月。惑わされた愚かな人間が、紫の光の許に円舞曲を踊る。滑稽なるその姿、森の王は静かに笑うだろう。
踊れや踊れ、森の怨霊達。日が昇る東の空に背を向けて、一日の終わりに舞い狂え。
- 森の守護者達 -
「さ、サーシャさんっ……も、もうそろそろ、休憩にしませんかっ?」
ゼェゼェ言いながら、クリフが前を歩くサーシャにそう言った。両膝に手をついて息を整える様子を見て、サーシャはいままで歩いてきた道を振り返った。
あの夜、突然殺人人形に襲われた俺たちは、騒ぎが起こる前に宿を出た。しかしこの先に集落のようなものはない。俺たちはここまで丸一日歩き通しだったのだ。俺ももうそろそろ足が限界に近い。しかしサーシャは俺たちと同じ分だけ歩いても、ほとんど顔色を変えなかった。
振り返って小さく息を吐くサーシャに、俺は呆れたように呟く。
「……お前……バケモンだな」
しかしコイツの耳は地獄耳だったようだ。サーシャは俺に視線を向けると、呆れたように鼻で笑いやがった。
「ふっ……フレイさんも限界ですか?」
「なっ、コイツと一緒にすんな!……俺はまだ行ける」
俺の言葉にサーシャは肩をすくめてみせる。
「その割には先ほどから、足を引きずっているように見えますが?」
俺は憎たらしい表情を浮かべるサーシャの顔を睨みつけた。苛立ちが殆どだったが。それでも俺の中のどこか冷静な頭がこう呟いている。
(コイツ、いつの間に……)
そう、いつからそんなことに気づいていたのか。俺は改めてサーシャの顔を見つめる。いくらコイツも旅の経験が長いとはいえ、俺だって簡単に疲れを見抜かれるような人間ではない。
クリフの説得にサーシャは小さくため息を吐いて頷いた。どうやら野宿をしようというクリフの案が通ったらしい。喜びと同時にへなへなと座り込むクリフを見つめるサーシャの横顔。
「……なんですか?フレイさん」
ふとその顔が振り返った。俺はなんでもねぇよ、と首を横に振る。サーシャは訝しげな表情を浮かべていたが、すぐに視線をクリフの方へと戻した。
サーシャは座り込んだクリフの顔を覗き込んで微笑む。
「……そうですね、今日はこの辺りで野宿にしましょうか」
☆
この時期の野宿は冬に比べて比較的楽だ。夏が終わり、秋の気配が近づいてくる頃。冬場のような重装備をしていなくても、地べたに寝転がればすぐに眠ることが出来る。
俺たちは道から少し林の中に入ったところで野宿をすることになった。木々の陰なら、雨が降ってきても濡れにくい。
「……」
俺はちょうど良い大きさの石の上に座り、薪集めでチョロチョロ動き回っているクリフに視線を向けた。いつも抱えるようにして大事そうに持っている剣は薪を集めるのに邪魔らしく、荷物と一緒に木の幹の根元に置かれている。
よくよく見ると、キッチリと手入れの施された剣のようだ。長年使っているもののようで、鍛冶屋で直した跡も残っている。
(……そんだけ使って腕があれじゃ、剣が泣くな)
俺はポケットからタバコを取り出した。スリ騒ぎや、殺人人形の襲撃のおかげで、残りは3本ほどしかない。それを口に加え、火をつけようとした俺にサーシャがふと視線を向けた。
「……フレイさんは喫煙者ですか」
「あ?……なんだよ、吸うなってのか?」
俺の反応に、サーシャは世界地図で顔を隠した。
「いえ、構いません。……それより先に、薪に火をつけていただけませんか。月が翳ると地図が見えないので」
「んなの、アイツに……」
振り返ってみると、先ほどまでそこにいたクリフの姿が無い。薪広いに、森の奥の方へ入っていったのだろう。俺は大きくため息を吐いて、集められた薪の前に腰を下ろした。指をパチリと鳴らすと、中から炎が燃え上がってくる。呪文を極力短縮させた魔法だ。一瞬の発火能力しか発揮しないが、火をつけるのにはこれで十分すぎるほどだ。
俺は火の様子を見ながら薪を足していく。しかし、ある一本の薪を炎の中に突っ込んだところ、火が少し燻った。
「?……げっ、これ欅じゃねーか。こっちは櫟、杉に……アイツ、全然考えずに拾ってきてやがんな」
手元にある薪のストックに目をやると、欅の枝が何本か混じっていた。欅は皮が爆ぜるため、薪には適さない。俺は腹立ちまぎれに使える薪と使えない薪を分けることにした。炎の様子を見つめていたサーシャが苦笑する。
「……随分と詳しいんですね」
「あ?」
睨みつけてやると、サーシャは肩をすくめて言った。
「……魔術師の方は、魔法以外のことに興味を持たない方が多いので」
炎が火の粉を巻き上げていく。俺は使える薪だけを炎の中に投げ入れながら、息を吐いた。サーシャの言葉はあながち間違ってはいない。魔術師として大成するヤツは、そのほとんどが昔から英才教育を受けてきた人間ばかりだ。魔法以外のことに興味を持たない。
俺はタバコに火をつけると、それを加えながら薪を分け始めた。サーシャはその様子を面白そうに眺めている。
「……んだよ?」
俺がそう言うと、サーシャは首を振った。
「いえ。……植物に詳しいのなら、旅をするうえで何かと役に立つだろうと思っただけです」
サーシャの言葉に俺は下を向いた。タバコの灰を落とし、煙を吐き出す。炎の煙とタバコの煙が混じり合いながら、星の輝く夜に消えていく。
「……言っとくが、俺が知ってるのは簡単な薬草くらいのもんだ。俺は学者じゃねぇからな」
「そうですね。……でも、今の学者なんてたかが知れていますから」
世界が『知』を失い、人は生きる上で必要な知識以外の全てを忘れてしまった。まるで干ばつに襲われた畑のように、撒かれた知識の種は地面から顔を出そうとしない。そうやって気が遠くなるほど長い年月が同じように流れて来た。
「……そうだな」
再びタバコを加えると、その煙が体の中に吸い込まれ、ほのかな苦みが舌の上を滑っていく。スッと冷たい風が通るような、そんな感覚にも似た味。
俺は薪を適当に分けると、使える薪を数本、炎の中に投げ入れた。炎が再び勢いを取り戻していく。俺はため息を吐いた。
「それにしても……アイツ、何処まで行ったんだ?」
「そうですね。薪を探しに、随分奥に入っていったようですが……」
サーシャが地図から顔を出す。俺たちは顔を見合わせ、そしてもう一度クリフが入っていった森の中に視線を向けた。おそらくこのときほど、俺とサーシャの考えが一致したことはないだろう。
(……これは完全に迷いやがったな……)
俺はタバコを地面に擦り付けて火を消すと、大きくため息を吐いた。
「……なあ、アイツの契約切ったらどうだ?他の街で探せば、もっとマシなやつがいるだろ」
サーシャは立ち上がると、肩をすくめて歩き出した。荷物の中から取り出した二丁のリボルバーを腰のホルスターに収め、暗闇の中へと消えていく。俺もまた、その姿を追って歩き出した。
「考えておきます」
薪の燃える音と共に、サーシャのそんな声が響く。
☆
「……あ、いたたた……」
闇の中、微かに差し込む月明かりだけを頼りに僕は森の中を歩いていた。木の枝が頬に当たってペチッと音を立てる。僕は頬をさすりながら辺りを見回した。
さっきフレイさん達と一緒にいた場所から、そう遠く離れていない。僕の感覚はそう訴えるのに、周りに人の気配はない。そのかわり、川のせせらぎの音が耳に届いた。もしかして僕は全く反対の方向に歩いていたんだろうか。
「ど、どどどどどうしよう……」
さっと血の気が引いて、僕は身震いをしてしまった。あとでフレイさんに何を言われるか分からない。またあの夜のように契約破棄の話を持ち出されたらどうしよう。
(久しぶりの依頼、これを逃したら……)
僕はぎゅっと服の裾を握った。いつもこうゆうときに抱きかかえているはずの剣はない。なんだか不安になって、僕は足早に川の近くへと降りていった。川まで行けば、月明かりで少しは明るいはずだ。開けているから、フレイさんかサーシャさんが探してくれるかもしれない。
山の斜面から半分転がり落ちるようにして河原へ出た。大きな岩のゴロゴロ並んでいる河原が視界に入ってくる。砂利のせいで歩きにくいけれど、それでも森の中よりは幾分マシだ。
僕は辺りを見回した。人の影は見当たらない。
「さ、サーシャさん……フレイさぁーん」
二人を捜すために口を開くと、弱々しくて情けない声が出た。自分でも泣きたくなるくらいに不甲斐ない。溢れてきそうな涙を拭って再び足を動かした。その瞬間だった。
大きな水音が、上流から響き渡った。まるで何か大きなものが水面に飛び込んだようだった。不安に包まれていた僕はビクリと体を震わせる。
「いっ……今の、み、水音は……?」
僕の頭が一瞬で叩き出した答えは、幼少の頃、誰かに聞かされたおとぎ話の一節だった。混乱した思考は、やけにクリアな昔の思い出を引きずり出してくる。
『北東の森にはね、森全体を守護する妖精が住んでいるんだよ。彼らは日が暮れると毎晩人気のない場所に出て来て踊り明かすんだ』
祖父か、祖母か。それとも近しい間柄の人間か。随分前のことで忘れてしまったけど、しゃがれた老人の声が言う。それに対して答えるのは、小さい頃の僕だ。
『へぇ~、楽しそう!!』
『だがね、クリフ。彼らを見たら、絶対に近づいてはいけないよ。人間が彼らの姿を見ると……あっちの世界に連れて行かれてしまうからね……』
ぞわぞわと足下から這い上がってくる寒気に、僕は身震いした。そんなおとぎ話を思い出した途端、向こうから子供の声が聞こえて来る。カチカチと歯が鳴っているのが、自分でもよく分かった。声は1つではなく、2つ、3つと増えていく。女の子の声、男の子の声……。
「クスクス……」
「……あははは……」
僕の頭は混乱していて、とにかくこの場から逃げ出すことしか考えていなかった。後ずさりしようと右足を後ろへと引く。砂利が微かに音を立てて、僕はそんな音にも震え上がってしまった。
そして振り返ろって走り出そうとした瞬間、僕の肩を誰かが強い力で掴んだんだ。
「クリフさん」
「うわぁあああっ!!」
恐怖を吐き出すように叫んだ僕。けれど次に聞こえて来たのは、妖精達の声でも、幽霊の声でもなくて、呆れたようなサーシャさんとフレイさんの声だった。
「……今のは耳にきましたね……」
「うるせーなっ!!静かに出来ないのかお前は!」
フレイさんにグーで頭を殴られる。痛みはあったけれど、それよりも安堵と嬉しさが勝ってしまって、僕は半泣きのまま目の前にいたフレイさんに抱きついていた。もしかしたら呆れられて置いていかれたかもしれない、とまで考えていたから、まさか二人が探しに来てくれるとは思わなかった。
「探しにぎでぐれだんれすね~……うっ、うっ、嬉じいれす~」
フレイさんとサーシャさんの顔を見て、僕はそう言った。もう絶対に迷わないように、とフレイさんのローブを掴む。
「だぁ、もうウゼェ!!抱きつくな!」
抱きつくなら女にしろ、と嫌がるフレイさん。あまりの剣幕に、言われた通りサーシャさんに視線を向けると、今まで見たことのない、世にも冷たい瞳でこう言われた。
「それは一種の男女差別です。お断りしておきます」
「お前も結局嫌なんじゃねぇか!」
フレイさんの言葉に、サーシャさんは鼻で笑う。
「いえ、少なくともフレイさんよりはマシだと思ってます」
そう言って河原の方へとサーシャさんは歩き出した。僕に抱きつかれた状態で動けなくなっているフレイさんは、右手をぐっと握りしめて、サーシャさんの背中に怒鳴りつける。
「お前みたいな腹黒女はコッチがお断りだっ!!」
「光栄です」
どうやら言い合いでは完全にサーシャさんの方が役者が上みたいだ。言葉に詰まったフレイさんの拳が怒りに震えている。僕はふと河原へ歩き始めたサーシャさんに気づいて、慌てて声を上げた。そっちはさっき水音がした方だ。
「さ、サーシャさんっ!そっちには……っ!!」
僕がそう声をあげた瞬間、サーシャさんの目の前にあった大きな岩の上に黒い影が見えた。でもそんな気配に気づかないサーシャさんじゃない。誰よりも早くその影に気づき、彼女は上を見上げる。
「……何してるの?サーシャお姉ちゃん」
そこにいたのは、妖精でも幽霊でもなく。大きな瞳が可愛らしい、一人の女の子だった。