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過去の予言書  作者: 由城 要
第3部 One Road Story
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第5章 2


 なあ、爺さん。あんたは今の俺を見たらなんて言うだろうな。……いや、昔からあんたのあの言葉は、嘘ばっかりだった。全ては俺ではなくフレイヘ、そして母に厳しく接せられる可哀想な『俺』への言葉ばかりだった。

 でも爺さん。ひとつだけ感謝するよ。俺は、翼を手に入れたんだ。自由になるための翼を。……自由を得るための翼を。





  - Crawl up -





 真っ赤なものが飛び散って、辺りは騒然とした。闇の中に灰色の鳥が浮かび上がり、俺に術をかけていた者達が一人、また一人と、内側から破裂した。それは生々しい光景だったけれど、この1年で慣れきってしまった心臓は、吐き気すら催さなかった。

 灰色の鳥はくるりと広場を一周し、そして今度は辺りに集まっていた使用人達に視線を向ける。召使い達は悲鳴を上げ、下男達は我先にと駆け出そうとした。しかし、その足はまるで骨を抜かれたかのようにもつれ、やがて足先から砂へと変わっていく。

 ボードワール家の敷地は、今までにない異様な空気を放っていた。俺は魔術師達の魔法が解けたのを確認して、フラフラしながら立ち上がる。

 フィオはゆっくりと俺の前に降り立つと、今にも逃げ出そうとしていた主に向かって右手を一閃させる。するとまるで見えない刃で斬られたかのように、その体の上半身と下半身がスライドした。後ろに隠れていたジョットが、恐怖に息を詰まらせる。

 フィオはジョットを見つめると、再び片手を上げた。俺は咄嗟に言う。


「……フィオ」


 制止の言葉に、フィオはふとこちらを振り向いた。もういいのか、と視線で問いかけてくるのが分かった。俺は頷いて、広場から屋敷の裏口へと身を翻す。フィオに無理をさせすぎたか……体に思うように力が入らない。

 覚束ない足取りで、他の者達の視線を避けるように裏門を目指した。幸いなことに南の棟は裏門に一番近い道がある。両端を木々が覆っているために、血まみれの姿を見られる心配もない。


「……はぁっ……」


 俺は時折木々に体を預けて休みながら、裏口を目指した。広場の方では惨状を目にした他の使用人達が声をあげている。追いつかれる前に逃げ切れるか……。

 フラフラと歩みを進めていくと裏門が見えてきた。畑へ繋がる道の向こうは真っ暗で、逃げるには好都合だ。しかし俺は裏門に視線を向けて、ふと顔を顰めた。そこに思いもよらない人の姿を見つけたからだ。

 フィオの体に緊張がはしる。俺は切れ切れになった息でそれを制止すると、裏門に背を預けて立っているジェイロードに向かって口を開いた。


「なん、だよ……また、……お前かよ……」


 ジェイロードは静かにこちらを見下ろしていた。俺は額を流れる汗を拭って、息を整えながら言う。


「昼間も……言った、だろ。預言書の場所なんて……もう、誰もっ……」

「……そうだろうな」


 じゃあ何で、と俺はジェイロードを見上げた。その時。森の奥の方から、小さな影が飛び出してきた。月光に照らされて、その顔がはっきりと見える。それはあのナイフを手にしたジョットだった。

 逆手に持ったナイフの先が、月の光を反射させる。


「テオの……みんなの、仇ぃー!!」


 俺は咄嗟にその場を除けたが、フィオの召喚で力を持っていかれた俺と、子供とはいえナイフを手にしたジョットでは、勝敗は見えているようなものだった。倒れ込んだ俺はジョットの腕を掴みながら、胸の前で震える刃先を見つめる。


「アンタが……アンタがいけないんだっ!あの時、あのジジイを止めていればっ!!……止めてくれれば……あんなっ、あんな死に方っ……」


 ジョットの腕が震えているのは、人を殺す恐ろしさからだろうか。それとも、仇を目の前にした武者震いだろうか。俺は力の入らない手でそれを押さえながら、ぼろぼろ涙をこぼすジョットを見ていた。


「お母さんもお父さんも……あんな殺され方されるような人じゃなかったっ!テオだって……私だって!!」


 刃先が服を裂く。俺はその腕を押さえながら、ジョットのその後を思い出そうとしていた。けれどいくら考えても、思い出せない。そして気付く。……そうだ、思い出せないんじゃない、気に留めようともしなかったからだ。ヴァレリオが娼館の話をしていたことは微かに覚えている。そうすると、ジョットはそこから逃げ出してきたのだろうか。

 ふと、上を見上げると、こちらをじっと見つめているジェイロードの姿があった。ジェイロードはゆっくりと口を開く。


「……どうする?」


 まさに目の前で人が殺されそうになっているときに、問いかけられた言葉はそれだった。助けるでも、手を貸すでもなく。ジョットは仇を目の前にした興奮からか、ジェイロードの存在は見えなくなっているらしかった。

 俺はジェイロードを見上げる。そして、言った。


「助け……て、くれ……っ」


 掠れた声で、俺は助けを求めた。初めてのことだった。不思議なことに、今までどんなに絶望しても、どんなに世の中を恨み、憎んだとしても、俺は誰かに助けを求めたことなんてなかった。

 でも……なぜだろう。今は、言える。何の抵抗もなく、はっきりと。


「助けてくれ……っ!」


 そう叫んだ次の刹那、俺に覆いかぶさってナイフを向けていたジョットの体が弾き飛ばされた。俺は呆然として、寝転んだままジェイロードの顔を見上げる。


「……いつまで寝ている気だ?」

「えっ?あ、ああ……」


 俺は門に手をついて立ち上がると、後ろを振り返った。弾き飛ばされたジョットは起き上がると、後ろから走ってきた他の使用人や魔術師達に向かって叫ぶ。いつの間にか殆どの使用人達が、この騒ぎを聞いて駆けつけたようだった。


「あの人たちです!あの人達が、ご主人様を……!!」


 俺は門に体を預けながら苦い表情を浮かべた。この人数を、ジェイロード一人でどうにか出来るはずがない。しかしジェイロードは表情一つ変えず、見慣れない鉄の武器を片手に使用人達に向けた。

 もしも、と静かな声が響く。


「……もしもこの場を引くならば、命の保証はしよう。必要以上の殺生は好かないからな」

「なっ……!?」


 ジョットをはじめとした数人の目に殺気が帯びる。俺が制止の声をあげるより早く、奴らはジェイロード向かって襲いかかってきた。ジェイロードは武器を敵に向けると、引き金に指をかける。それはまるであらかじめ決められたもののように自然で、なめらかに。まるで伝説や神話に聞く戦神のようだった。

 始まってから終わるまで、時間はかからなかった。









 ベッドに座ってため息をついた俺は、ふと宿の扉を叩く音に気付いて声をあげた。すると扉からシルヴィが顔を出す。シルヴィはいつもより少し嬉しそうな顔で俺を見た。


「アイルーク、ジェイ到着したっ。今夕食食べてるっ」


 跳ねながらそう言うシルヴィに、俺は苦笑した。どうやらジェイロードに会えたのが嬉しいんだろう。最近のシルヴィは喜びが顔や行動に出るようになってきた。メンテナンス担当のジュリアは毎回メンテナンスをする度に変化があると言っている。


「そうか……良かったな」

「うんっ」


 思えば、あれから約二年。逃げるようにしてこの街を出て、ジェイロードと共に旅をした。そして数少ない預言書の手がかりを辿り、蒼天の章を手に入れた。人が作り上げた機器およびシステムプログラムに関する知識が書かれた蒼天の章。それを利用して作られたのがシルヴィだ。

 試作品は失敗ばかりだったが、ようやく成功例が出た。あとはその量産が当面の目標だ。今ジュリア達が骨身を削って研究に励んでいる。


「……アイルーク、これ冷めてる」


 ふと顔を上げると、シルヴィがテーブルの上の食事を見つめていた。俺は頷くと、左手で下を指差した。


「ああ……ちょっと食欲がないからさ。下に戻してもらっていいか?」

「……」


 シルヴィは俺の言葉に少し戸惑った表情を見せると、今度は少し唇を尖らせた。


「好き嫌いいけないって……ジュリア言ってた」

「いやぁ、麗しのジュリア嬢の言葉なら聞かなきゃ罰が当たるな……でも、今回だけ。頼む」


 両手を合わせてそう言うと、シルヴィは仕方なさそうにトレイを手にした。渋々といった表情で部屋を出ていく。いつの間にか、人間とそんなに変わりない表情を浮かべるようになったもんだなぁ。そう思いながら、俺はベッドに横になった。

 二年。あのままアンブロシアにいれば恐ろしく長く、そしてボードワール家にいれば恐ろしく短い時間だっただろう。けれど俺は今、全く別な場所にいる。爺さんの孫という肩書きは、未だに消すことが出来ない。そこに生まれてしまった以上、避けられないレッテルなのかもしれない。

 それでも、今はそれでいいんだ。此処が……俺にとっては一番の場所だから。


『……なあ、一つ聞いていいか』


 ふと脳裏に、あの後の会話が浮かんでくる。追っ手を倒し、俺はジェイロードの肩を借りながら街の外へと歩いていた。街に潜伏するのは危険だと意見が一致し、強行突破で隣町を目指していたときだった。

 辺りは真っ暗だった。ただ月の明かりだけが、俺たちの道を微かに照らしていた。


『昼間も言ったけど……あんた、預言書を集めてどうする気なんだ?』

『……』


 ジェイロードは何も言わず、黙々と歩いていた。ここまできて無視かよ、と心の中で俺は呟く。するとふと、ジェイロードは道の向こうを見ながら言った。


『……を、……するためだ』

『は……?』


 俺は思わずそう聞き返していた。風の音で聞き逃したせいだけじゃない。微かに聞こえてきた言葉が、想像とは全く違っていたからだ。

 ジェイロードは俺の方を振り返ると、いたって無表情のまま口を開く。同じ言葉が繰り返され、俺は返事が出てこなくなった。それはあまりに唐突で、想像を絶する答え。人によっては……コイツ馬鹿なんじゃないかと言いたくなるような、そんな目的だった。

 俺はどう答えるべきかと考えを巡らせ、そしてふと笑いが漏れた。少し皮肉混じりでアナーキーな笑い方。笑って初めて、俺は昔こんな笑い方をしていたんだと気付いた。そうか、そうだったな……。本当に心から笑うことなんて、久しぶりだ。

 愛情も、権力も……全部捨ててしまっても、人はこんなに笑えるものなのか。


『ふっ……男についてくのは趣味じゃないけどなあ……』


 聞いているのかいないのか、ジェイロードは黙々と歩みを進める。俺はそれが面白くて、また笑いをこぼした。ああ……楽しい。


『……分かった。あんたについてってやるよ、ジェイロード』


 ジェイロードは呆れたようなため息をついて言った。


『ならば早く自分の足で歩いて欲しいものだな』

「……ふっ……」


 俺は思い出して口元を押さえた。あの後、俺は楽しくて、おかしくて、ジェイロードの肩を借りながらいつまでも笑っていた。おかげで、頭がおかしいのかと毒舌で言われてしまったけれど。

 自由な翼を望み、見つけた宿り木。爺さん、一つだけ感謝するよ。俺は最後まで間違い続けるなんて馬鹿な真似はしなかった。それだけは……俺の唯一の救いだ。

 どんなに汚いことに手を染めても、そのせいで地を這ったとしても、これ以上絶望することはない。俺はやっと足の踏み場をならして、立ち上がったんだ。

 これが、俺の……ファーレンの孫としてじゃなく、アイルーク・ハルトとしての生き方。そして此処が、俺の生きていく場所。


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