第4章 4
愛されたかった。けれど愛してもらえなかった。俺は自分を不幸だと思った。そして俺は更なる不幸を呼び寄せた。絶望という沼の淵で、俺は泣き叫ぶ。
やがて俺の前に一人の男が現れる。助けを求めても、男はその手を差し伸べようとはしなかった。
- 地獄という場所 -
それから1年の月日が流れた。俺は主人の下で確実に仕事をこなし、信頼を得て、屋敷の中で確実に敵を作っていった。傍目から見れば尊敬を集めているように見えても、嫉妬深い魔術師達の本心など最初から分かりきっていたことだった。
そして1年前と大きく違っていたのは、俺自身がヴァレリオと同じ役目を持たされたことだった。いわば、徴収役。もとは下っ端の仕事だったが、下っ端よりも仕事が出来るということでその任を任された。担当場所は南街の外れ、もともと土が良くないせいで毎年確実な収穫を望むことの出来ない場所だった。
そこに割り当てられる人間は頭の弱いヤツばかりだった。だから大体数ヶ月ごとに人が入れ替わり……俺はその度に、ヴァレリオと同じように人を殺した。自分の手を染めたりはしないが、殺し方も全て指示をした。2回も3回も同じことを繰り返せば、もう俺の心の中に罪悪感など残らなくなっていた。
毎日がつまらなかった。主人の命令を聞き、人を脅し、殺し、仲間内からも人からも恨まれ、街の人間からは恐れられる。唯一面白かったのは、新しく俺の部下となった人間に、人を殺すところを見せる時だった。初めて死体を見たやつは1年前の俺と同じように吐き散らし、やがては慣れて、どれもボードワール家の傀儡へと化した。傀儡になればつまらないものになってしまうが、涙を流して嫌がる様は楽しかった。唯一俺が面白いと思えることだった。
そんな生活を送っていたある日。俺はいつものように徴収のために部下を連れて南街の外れへと向かった。その日の徴収は先月の徴収分を基準の額より少なめに出した家で、今回基準に達しなければ殺してしまおうと思っていた。
部下達の中には、目新しいヤツは一人もいなかった。つまらない徴収になりそうだと思いながら、俺はいつも通りに人を殺す指示をし、少ない徴収額を理由に家の男を殺し、女はまだ若かったので娼館に送ることにした。
なにもかもがいつも通りだった。一生続いていくのだろうと思っていた、繰り返しの一欠片。しかしその歯車が狂ったのは、その後だった。
「……アイルーク・ハルトというのはお前か?」
トネリコの植えられた家の前に金髪の男が立っていた。仕事を終えて返ろうとしていた俺たちは、やけに整った顔をした男に顔を顰める。俺は訝しげな表情で、俺よりいくつか年上であろう相手を見た。
「……なんだ、冷やかしか?」
俺が爺さんの孫と知っての冷やかしは多かった。そのどれもが流れ者の旅人で、この男も携えた剣を見る限り、ただの旅人にしか見えなかった。
けれどその男は冷やかしとは違う表情を浮かべて、切り捨てた。
「フッ……どんな男かと思えば、ただの下衆か」
「!?」
部下達が顔を顰める。余所者とはいえ、ボードワール家の人間に汚い言葉を吐けばどうなるのか、この辺りを通る旅人達は知っていた。
部下の一人が眉間に皺を寄せて口を開く。俺はそれを片手で制した。
「止せ。……人の名前を聞いておいて下衆とは随分じゃないか。お前は?」
俺がそう言うと、男は確かに、と納得したように頷く。そいつは俺の後ろで睨みつけてくる部下達に表情一つ変えず、こう名乗った。
「ジェイロード・レヴィアス。……魔術師ファーレンの血をひくというお前に話があって此処まで来た」
「話……?」
俺は顔を顰めた。爺さんの名前を出すということは、おそらく過去の預言書目当てなのだろう。そういえば何処かの国で預言書が見つかったという噂も耳にする。近頃は預言書に関するガセネタがあちらこちらに溢れ、トレジャーハンターだけではなく、強国も小国もその噂に振り回されているらしい。
あの村のことも、爺さんとの関係も全て忘れかけていた俺には、関係のないことだった。主から預言書の話を何度か聞かれたこともあったが、幸いにも俺の主人はそんな不確かなものより目の前にある財に重きを置いていた。
「『過去の預言書』について……知っていることを話してもらいたい」
やっぱり、と心の中で呟きつつ、俺はこのやけに顔の良い男を見つめる。
預言書などというもののことなど、噂で耳にする以外、殆ど記憶の中から消え去りかけていた。だからだろうか、俺にその存在を問いかけてきたこのジェイロードとかいう男に、俺は興味を持った。
「へぇ……『過去の預言書』、か。……分かった、知っていることを教えてやってもいい」
「アイルーク様!」
後ろにいた部下達からそんな声が飛ぶ。俺はヘラヘラと笑って見せて、男達に言った。
「お前達は屋敷へ戻れ。俺は少しこの男と話をしてから戻る」
「ですが、お一人では……」
「危険じゃないだろ。……曲がりなりにも、俺は魔術師だ」
俺がそう言うと部下達は互いに顔を見合わせ、アイルーク様がそう言うのなら……と渋々その場を去っていった。
残された俺は改めてジェイロードを見つめる。金髪をしたその男は腰に剣と、見たことのない筒状の形をした鉄の塊を装備していた。何かで見たことがあるが、思い出せない。それでも漠然と武器だということは分かった。
ジェイロードは人気がなくなったのを確認すると、俺に向かって口を開く。
「単刀直入に聞こう……預言書の在処を、知っているか?」
「ハッ、在処を知ってたらもっとマシな人生を過ごしてるだろうな」
俺は口端でそう笑って、ジェイロードに視線を向けた。ジェイロードは訝しげな表情でこちらを見つめている。
「それにアレは、エレンシアにあるって話も聞けば、ネオ・オリにあるって話も聞く。アンタの欲しい情報はなんだ?証拠のないネタならいくらでも提供できる」
「……」
ジェイロードは眉を顰めたまま、俺の言葉を聞いていた。挑発を理解しているのかいないのか、いまいち反応の薄い男だ。女に好かれそうな顔のわりにニコリともしない。
なんだ、からかいがいのないヤツだな。ちょっとは楽しめるかと思ったのに。
「大体、預言書を探し出してどうするんだ?エレンシアやアクロスのような強国ならともかく……はっきり言って一人の人間に何が出来る?」
過去の預言書。『過去』の全てを知りつくすための書物。けれどそんなもの、あっても俺にはどうしようもなかった。『過去』を変えられるわけじゃない。時間は後戻りを許さないのだから。
俺はジェイロードを見つめた。面白い理由でも口にすれば、傑作だと腹を抱えて笑ってやろうと、そう思っていた。
「……」
しかし相手はため息をついてこちらに背中を向けただけだった。
「話をしても無駄のようだな。……手間をかけた」
呆れたような声でそう呟き、ジェイロードは去っていく。俺はその背中につまらそうに肩を竦めると、反対方向へ向けて歩き出した。
なんなんだ、あの男。屋敷に戻りながらそう呟いたとき、空はもう日暮れが迫ってきていた。
☆
「……?」
一人遅れて屋敷に戻って俺は、ふと屋敷の裏口の辺りで下男達がこそこそと何かを離しているのを見た。召使いや下男達が、主や魔術師達の機嫌を確認し合い、時折仕事の愚痴を交わす……そんなことは日常茶飯事だった。ただしそれが目上の者に対する発言ならば、少々状況が違ってくるが。
「だから……に、……が……」
「……でも、そんな……」
「待て、……だとしても……に、……」
奴らはいつもひどく暗い顔で、まるで鼠が囁き合うような声で話をしていた。しかしこの日は何故か、どれもみな一様に真剣な顔で額を突き合わせている。
俺は不審に思いながらも、面白いものを見つけたように笑った。どうやら下男達は話に夢中でこちらの存在に気付いていないようだ。俺は気配を悟られないように近づいていく。するとあとちょっとというところで、一人がハッとしたように顔をあげた。
「あ、……アイルーク様!」
うわずった声に皆が一斉にこっちを向いた。さっと顔を青ざめる者もいる。よからぬ算段だろうと、俺はニヤリと笑った。
「……何の話だ?」
俺はわざとそう聞いた。すると男たちは首を横に振りながら、なんでもありませんよ、と顔を見合わせた。いかにも怪しい仕草だったが、少し脅しておいた方が面白いかもしれない。
俺はそんなことを思いながら男たちに言った。
「それならいい。……よからぬことは考えない方が身のためだからなぁ?」
「ま、まさかそんな。は、ははは……」
空笑いを始める男達の横を通り抜けながら、腹の底から笑いが込み上げてきた。きっと奴らはこれから、主に悪巧みがバレるのではないかという恐怖を抱えながら生きていかなければならない。この屋敷の中で少しでも反抗心を抱いた奴は、目上の者達によって手が下される。一瞬にして首が飛ぶか、一生生死の境を彷徨い続けるのかは、痛めつける者の自由だ。それはこの屋敷の中の暗黙の了解であり、いわば絶対的な規律。
笑いが止まらなかった。どうしてこんなに、この世の中は単純なのか。強いものは生き残り、弱いものは虫けらのように死んでいく。残忍な殺され方をした彼らを慰めるのは、蛆や蝿だけだ。幸せなどというものは、結局誰かを踏み台にして築き上げるものでしかない。
「ふっ……はははは……」
俺はすれ違う召使い達の不審な視線を受けながら、笑いを押し殺すのに苦労していた。階段を上りながら数人とすれ違ったが、どれも皆異様なものを見るような表情でこちらを見ている。
廊下を歩いていくと、ふと後ろから誰かが俺の名前を呼んだ。足を止めて振り返ると階段を駆け上ってくる子供の姿がある。まだ13にも満たない下働きのガキだ。変声期すら迎えてない高い声が俺を呼ぶ。
「アイルーク様!」
「……ジョットか。屋敷の中を走り回るなと、何度言えば分かる」
ジョットは数ヶ月前に自分で志願してこの屋敷の下働きとなった子供だった。他にも同じくらいの年齢の下働きはいたが、ジョットは他の子供より大人っぽく、中性的な顔立ちをしている。顔には最近出来たものらしい大きな傷痕があったが、それを除けば男色を好む者たちにはウケそうだった。
おそらく上の者達をそんなことを考えて雇ったのだろう。男に興味のない俺には分かるはずもなかったが。
「言う事を聞かないようなら主のところに連れていくことになるな……」
俺はわざとそう言って肩を竦めてみせた。ボードワール家の主人が相当の男色だということを、屋敷の中で知らない者はない。ジョットは俺の言葉にパッと視線を逸らすと、ごめんなさい、と呟いた。そしてもう一度顔を上げると、メモらしきものを俺に差し出す。
「これ、ヴァレリオ様からです。中身を絶対に見るなと言われたので、言いつけられてすぐにお持ちしました」
「……ヴァレリオが?」
「はい。火急の用事だと言われて」
俺はメモを受け取ると、それを広げた。文字は確かにヴァレリオのものだ。詳しく中身を読もうとした俺は、ジョットがじっとこちらを見つめていることに気付く。
「……ジョット、仕事へ戻れ」
「あ、はい。分かりました」
俺はジョットが去っていくのを確認すると、廊下の奥にある自室の扉を開けた。そして鍵を閉めてからベッドに腰掛ける。魔術師用の広い部屋の中は、質素だったアンブロシアの家よりもずっと快適だった。
俺はヴァレリオからだというメモを手に取って、中身を見る。そこにはたしかにヴァレリオの古くさく律儀な字で、こんなことが書かれていた。