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過去の予言書  作者: 由城 要
第3部 One Road Story
55/112

第4章 3


 初めて目の前で真っ赤な鮮血が流れる様を見た。思考が停止し、膝が震え、胃の奥底がその事実を吐き出そうとした。足下に転がった肉片から骨が覗き、人としての形を失ったモノ。いや、もっと恐ろしかったのは、それを見て薄笑いを浮かべるヤツら。そして今は、俺もまたヤツらと同じ……。





  - 残酷な太陽 -





 俺が仕えた主は、新しく主人となったばかりだという若い男。歳はまだ30前、それでも自分より一回りも二周りも年上の部下達を従えた、存在感のある男だった。蛇のように鋭い瞳は部下達の反発を無言で押し止めることが出来、彼が低い言葉で呟けば、たとえ長年一家に仕えてきた執事でさえクビを切られた。

 まだ15歳だった俺は、彼の直属の部下として常に付き従う立場に立たせられた。


「……アイルーク。ヴァレリオはまだか」


 主はいつも大きな椅子に腰掛け、肘をついた状態で人を見下ろした。俺はその椅子の横で抑揚の無い声で呟く。


「徴収に手間取っているんでしょう……あの辺りは誰が向かっても、いつもそうなります」


 この街一帯は全て、俺の仕えるボードワール家が権利を持っていた。新しく流れてきた者たちを甘い言葉で誘い込み、高い金を要求する。それがこの一家のやり方だった。爺さんがこの家の人間に仕えていたときはまだマシなやり方をしていたようだが、俺が仕えるようになった頃には内部の者達の殆どが腐りきっていた。


「……」


 主は不機嫌そうに眉根を寄せて、背もたれに体を預ける。俺はそれを横目で見ながら、足下に視線を落とした。

 初めて、この家の後ろ暗いところを見たときも、俺は絶望すらしなかった。世の中なんてこんなもんだ。金という権力を掴んだ人間の中に、形のない幸せなど求める心はない。そして逆に、権力を持たない弱者に与えられた道はただ一つ。

 不幸という、二文字。


「……アイルーク。ヴァレリオ達の様子を見に行け」

「!」


 あの日、何があったのか主人の顔は、いつもより機嫌が悪いように思えた。そうでなければ、俺に様子を見に行かせるなんてことを口にしない人間だったから。

 少しだけ驚いた表情をする俺に、主人は睨みつけるような視線を向ける。早く行けと言わんばかりの表情。俺はすぐに頭を下げて、彼のもとから離れた。


「西街の端、陸橋の手前の農園、か……」


 ボードワール家を出た俺は、下働きの男たちに聞いた情報を頼りに部下の一人を捜した。ヴァレリオという名前のその男は、俺があの家に仕えるよりずっと昔から部下として働いていたらしい。皺を深く刻ませていやらしく笑う顔が印象的な男だった。

 その日の天気は快晴。青々と茂る草原とは真逆に、西街の農園付近は悲惨な状態と化していた。一ヶ月ほど前に街全体を襲った大雨が農作物を腐らせ、畝を洗い流した。道に転がる砂利は畑から流れ出たものなのだろう、道の両側に広がる畑を見回しながら、今年の収穫は期待出来ないだろうと心の中で呟く。農作業に詳しくない俺でも、それははっきりと分かった。

 ふと、人の気配に顔をあげた俺は、思わぬ叫び声に驚いた。


「お、お止め下さいっ!どうか、これ以上は……っ!!」


 それは女性の声だった。同時に悲鳴と激しい打音が聞こえてくる。火が付いたような子供達の泣き声。何が起っているのか理解してしまった俺は、足を止めて視線を落とした。


「出すものを出してもらえりゃ、これ以上傷をつけるつもりはないんですがねぇ……俺たちとしても仕事が出来ない体になられたら飯の食い上げだ」


 嗄れた男の声。ヴァレリオだとすぐに分かった。顔をあげると、畑の向こうにある家の前で夫婦らしき二人の男女が男たちに囲まれている。後ろでは子供らしき姉弟が怯えながらも泣き声をあげていた。。


「で、ですから……今お渡しした分で全てなんですっ。お願いします、それ以上されたら主人の体が……」


 どうやら今月分の徴収料が足らないのか、夫がヴァレリオの持つ鞭でめった打ちにされている。もうほとんど意識がないのだろう、地面に突っ伏した男は白目をむいていた。

 しかしヴァレリオ達は手を休めない。


「いやぁ、困りますなぁ。近所の人間だって苦しいのは同じ……特別扱いは出来ない決まりなんですよ。それに貴方がたは先月も、先々月も徴収分に足らなかった」

「そ、それは……」

「それに不思議なことに、貴方がたは痩せ細っているわりに、そこの坊ちゃんと嬢ちゃんは随分と健康そうに見える。何故なんでしょうねぇ……」


 ハッと、何かに気付いたように女性が子供達を抱きしめる。ヴァレリオはニヤリと口端で笑うと、辺りの人間に目配せをした。周りの男たちも分かりきったように頷く。男の一人が母親の髪の毛を掴み、子供達を引き離そうとした。その時。


「ヴァレリオ!」


 咄嗟に口をついて出た自分の声に、俺は驚いていた。ヴァレリオは俺の姿に気付くと、先ほどまで浮かべていた嫌な笑みをサッとかき消して、上の者に向ける顔をつくりあげる。


「……おや、アイルーク様。いかがいたしましたかな?」

「あ……いや、……主人がお前の帰りが遅いとお怒りになっている。早く屋敷へ戻るように、と」


 突然現れた介入者の姿に、男達は一様の反応を見せ、母親と子供達はすがるような視線をこちらへ向けた。

 ヴァレリオの態度から、俺が彼らより上の立場にいることは明白だった。母親は助けを懇願するような目で俺を見つめてくる。土色に乾いた頬を流れる涙。おそらくこの人は、自分たちの食事を疎かにして子供達を養ってきたのだろう。両親よりも血色の良い顔をした姉弟。姉は10歳、弟は6歳といったところだろうか。二人もまた、同じようにすがるような視線を向けてくる。俺は耐えきれなくなって、反射的に視線を逸らした。

 ヴァレリオは俺の反応に気付いているのかいないのか、笑いながら男達に言う。


「主人がお待ちならば仕方がない。しかも魔術師様ご自身が迎えに来てくださるとは、さぞお怒りなのだろう。ならば仕方ない」


 その言葉に、母親が安堵の表情を浮かべた。しかし、ヴァレリオの言葉は更に残酷に、俺の耳に焼き付いた。


「……事は早く済ませてしまわなければ、な」









 その後の記憶は、酷く曖昧で断片的なものでしかなかった。家族を取り囲んでいた男の一人が、畑に転がっていた鍬を手に取り、殆ど虫の息だった父親の頭に向けて振り下ろした。石を叩くような音と共に粘着質な液体が弾け、泣き喚いていた子供達の声が一瞬にして止まった。その瞬間、人を凍りつかせるような静寂が辺りを包み込み、そしてやがて時間が動き出したかのように母親の悲鳴が上がった。

 男は5、6度鍬を振り下ろし、辺りに赤い塊を散らした。頭だけが跡形もなくなった人の体は、首から液体を垂れ流し、まるで絞り出されるかのように心臓の動きにあわせて血を吐き出した。


「あ……、っあ……!」


 本能的な恐怖が足下から這い上がってきた。まるで体の中を虫が這っているかのようにザワザワと。

 悲鳴を上げる母親。泣く事すら忘れて、変わり果てた父親の姿を凝視している子供達。男は頭を潰すのに飽きると、今度は子供達を母親から引き剥がした。お母さん、と掠れた声で子供が叫ぶ。ヴァレリオは母親と子供達を交互に見て、そして母親の髪を掴んだ。


「アイルーク様、こうゆうときはどちらを先に制裁を加えるか分かりますかな?」


 ヴァレリオは日常と変わりのない声でそう言う。けれど俺にはそれに答える余裕すらなかった。一歩も動く事も出来ず、声すら出せずにいたから。


「子供達を殺すところを母親に見せつけるのも面白いですが……その逆の方が何かと都合がいい」

「ひっ……!」


 男の一人が縄を持ってきて母親の首にかけた。逃れようともがく体を押えつけ、犬のように首に回した紐を締め上げる。


「あまり遊びすぎると片付けるのも大変なのですよ……。もう少し若ければ娼館に売れるんでしょうが、残念でしたねぇ」

「……ひうっ、ぐ……っは、あ!」


 締め付けられた喉が空気を求めて動き、やがて母親は口の中に溜まった涎を垂らして白目をむいた。体から力が抜けてゆき、肺は動く事を放棄する。男達は母親が地面に崩れ落ちたのを見て、トドメを刺すように懐から取り出したナイフで左胸を貫いた。死の境を彷徨っていた心臓は、まるで一生分の働きをするかの如く大きく痙攣し、その体は一瞬だけ緊張状態に達して時を止めた。

 二人分の血が足下まで流れてくる。けれど俺は停止した思考の中で身動きすらとることが出来ずにいた。ヴァレリオはそんな俺を嘲笑い、男たちに捉えられた姉弟に視線を向けた。


「さて、お嬢ちゃん、お坊ちゃん。俺たちはキミたちまで殺すほど鬼ではない……頭を下げればキミたちのうちどちらかを助けてあげよう。……どうするのかね?」


 母親の心臓を貫いた心臓を鼻先に向けられて、子供達は体を震わせた。弟は恐怖に耐えきれなくなったのか、言葉にならない悲鳴をあげて泣き始める。おそらく本能的に恐怖を感じているのだろう。死に抗う姿は子供と言えど、動物と同じようなものだった。

 ナイフから滴る赤い血を見つめていた姉は、弟の叫びに、一欠片の正常な思考を取り戻したようだった。震えながら、乾いた唇が掠れた言葉を紡ぐ。


「り……リウ、を……た、すっ……けて、下さ……いっ」


 リウというのはどうやら弟の名前らしかった。ヴァレリオは眉根を上げて、少女の健気な願いに驚いたような表情をしてみせた。


「おやおや……これはしっかりとしたお姉さんだ。どれどれ、顔をよく見せておくれ……本当に良いのかな?」

「リウ、は……っ、リ、ウは……ち、小さいから……おか、あ、さん……そうっ、言って……る、から……っ」


 おそらく少女は、お姉さんだからと弟の世話を見ながら育ってきたのだろう。弟は姉の言葉など理解出来ないほどに混乱している。弟を殺さないで欲しいと涙ながらに懇願する姉に、ヴァレリオはいやらしく笑ってみせた。

 ……そして。


「そうかそうか。……だが、残念だねぇ」

「!?」


 男の一人が、叫び喚いている少年の腹を蹴り倒した。小さく柔らかい体が地面に転がり、恐怖を理解した瞳が空を見上げる。その瞳に、大きな石を振り上げた男の姿が映った。そしてそれは、慈悲すらないスピードで振り下ろされた。

 鈍い音に、少女の悲鳴があがる。


「……男は自分で金が払えるようになるまで時間がかかるのだよ、お嬢さん。その点、キミは下働きならば出来そうだ。それにあと2、3年で娼館にも出れる。……幸せだねぇ」


 少なくとも坊ちゃんよりは生きていられるんだから。耳元でそう囁く声に、少女の絶望的な泣き声が上がる。男たちは暴れる少女を動けないように縄で括ると、殆ど担ぎ上げるような形でその場を去り始めた。

 ヴァレリオは残された親子の死体をじっくりと見下ろし、そして背中を向ける。死体をそのままにするのは、周辺に暮らす者達への見せしめだ。


「……お待たせ致しました、アイルーク様。共に屋敷へと戻りましょうか」

「……」


 俺は声すら出せずにいた。目の前に散乱した肉片や骨、流れ出す血液から。ヴァレリオは何度か俺の名前を呼んだようだったが、俺にはそれに答えるだけの言葉が出てこなかった。

 ただ、何かを理解した瞬間、肺の奥からせり上がってくる胃液を感じて、肩に触れたヴァレリオの手を払いのけていた。


「うっ……、さ……先に屋敷へ、戻れ。俺に……俺に、構うなっ」


 血溜まりの中に蹲り、俺はただそう叫んでいた。ヴァレリオは肩を竦めるフリをしてその場を去って行く。

 死体しかなくなった家の前に、離れて行く少女の声が響いてくる。男達を、ヴァレリオを、俺を、呪うかのような恨みの言葉。まるで死体が喋っているかのように生々しい残酷な言葉を耳にしながら、俺は体の奥底に溜まったものを吐き出していた。


「げほ、っ……かはっ」


 吐瀉物は血と混じり、俺は痙攣する体に息苦しさと涙を流していた。

 分かっていたつもりだった。徴収分を払う事の出来ない者達の末路を。女は娼館に売られ、男は殺される。それは理解していた。

 奴らは人間として生きていくための努力すらせず、世界を彷徨い……金に困って甘い誘いの言葉に乗る。それはこの人間達の生き方が全て返ってきた、いわば相応の罰。魔術師として、ファーレンの孫として別の次元に生きて、努力してきた自分には関係のないこと。恨まれようと、呪われようと、関係のないこと。理解していた。……理解していた?

 白目をむいた死体達がこちらを見ている。誰でもなく、俺だけを。


「っ、……くそ、畜生っ!!」


 俺には関係ない。俺がやったわけじゃない。俺はただ、主人の言葉を伝えにきただけだ。何故恨まれなければいけない?俺が恨まれる理由などない。ただ、居合わせただけのこと。

 俺は違う、俺は違う。……そう、違うんだ……。


(俺はただ……ただ……)


 蒸し暑い空気に異様な臭いを発しながら、3つの死体に蝿がたかりはじめる。俺は吐き出すだけ吐き出すと、フラフラと立ち上がった。俺を責めるかのように太陽が背中から照りつける。

 15歳の夏。俺はその日から、愛情を求める事だけではなく、考える事すら放棄した。


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