第4章 2
シルヴィ、分からないことがある。どうしてアイルークはジェイと一緒に旅をしようと思ったのか。どうしてジェイはアイルークを連れて旅をしているのか。二人はシルヴィに教えてくれない。もしかしたらそれは、二人にしか分からないことなのかもしれない。
- それでも、知りたいこと -
「……ふぅ」
私はカウンターに肘をついてため息をついた。
やっぱり、メイに分かるのはこれくらいなのかな。魔術師サマが必要としてそうな情報はそんなに集まらなかったけれど、とりあえず報告できるだけ報告しなきゃ。
私はコップの中の葡萄ジュースを飲み干すと、パッと椅子から降りておじさんに頭を下げる。
「おじさん、ご馳走様!」
「……おや、メイちゃんもう行くのかい?」
おじさんは慣れた手つきでコップを手に取ると、カウンターの中に置いた。私は頷いて窓の外を見る。時間はもうそろそろ深夜だし、あんまり夜遅くまでいると危ないよね。メイだって一応、女の子なわけだし。
美味しい葡萄ジュースの代金を払おうと思って、私は荷物の中に手を突っ込んだ。するとその時、お客さんがまばらになってきた店内に、一人のお客さんが入ってくる。
ちょっと待っててくれ、とおじさんは私にそう言うと、新しいお客の方へと近づいていった。
「いらっしゃい。……注文は?」
「……いや、知人と待ち合わせているんだが」
なかなか出てこない財布と格闘しながら、入ってきたお客さんに視線を向ける。声は男の人みたい。頭まで布を被っているところを見ると、旅の人かな。声はまだ若い感じ。観葉植物のせいで顔がはっきりと見えないけど……あれ?
おじさんは少し首を傾げて、そしてふと思い出したように手を叩いた。
「ああ、あのお嬢さんかな。珍しい緑の髪をした……そのお嬢さんなら2階の奥の部屋にいるよ。野郎ばかりの席じゃ悪いと思ってね」
「済まない。……階段は?」
おじさんに案内されて、お客さんが入り口を横切っていく。私はその顔を見た瞬間、咄嗟にカウンターの下に体を隠した。
一瞬だけ見えたあの金髪の髪、碧眼の鋭い視線。どこにいても目を引くくらい、整った顔。チラッとしか見えなかったけど、腰に下げられたあの銀のリボルバーは……私の見間違いじゃなければ、サーシャお姉ちゃんの持つ『クロノス』の対になる『カイロス』。
ジェイロードさんだけが持っている、リボルバー。
「?……メイちゃん?」
おじさんはジェイロードさんを上に通した後、私の様子に気づいて首をかしげた。私はカウンターの下に隠れたまま、ジェイロードさんが戻ってこないのを確認して代金をカウンターの上に置く。
そして顔だけを出しておじさんに行った。
「お、おじさん。メイ……用事を思い出しちゃった。あははは……きょ、今日はこの辺で!それじゃっ!!」
私は荷物を手にしてそそくさと酒場を出る。おじさんは私の慌てように、ぽかんとした表情で首をかしげていた。それもそうだよ、だっておじさんは数年前のジェイロードさんを見たわけじゃない。見たのは向かいの宿の奥さんで、おじさんじゃない。
でも、ジェイロードさんがここにいるってことは、魔術師サマの言ってたあの人ももしかして……!?
「はぁっ、はぁっ……」
私は夜の人ごみから逃れるようにして走る。後ろから人がついてくる気配はない。多分ジェイロードさんには気づかれていないし、気づかれていたとしてもきっと追ってきたりはしないと思うんだけど……ううっ、怖かったよう。
何処からか喧騒に混じって潮騒の音が響いてくる。私は路地に捨て置かれた木箱に腰掛けて、安堵のため息を漏らした。忍び込んだ裏路地の間から、港に停泊する船の灯りが見える。物凄い早さで脈打つ心臓とは真逆に、船はゆらりゆらりと波に揺れている。
☆
部屋の扉がノックされた。私はその音にパッと椅子から立ち上がる。向こうから聞こえてきた声に、私はなんだか体が軽くなったような気がした。
「ジェイ!」
パッと部屋に入ってきたジェイに抱きつく。最近ではこれが私の日課になっていた。誰がインプットしたわけでもないのにね、とジュリアは苦笑していたけど、私にはこれが何故かとても心地がよいのだ。
ジェイは抱きついた私の頭を優しく撫でると、辺りを見回した。きっとアイルークの姿がないことに気づいたんだろう。
私はジェイを見上げて言う。
「アイルーク、宿で待ってるって。外に出たくないって」
私にはどうしてか分からなかったけど、ジェイはなんだか納得したように頷いた。
「……そうか」
ジェイはそう言うと、テーブルの上に置かれた葡萄ジュースに視線を落とした。私は機械だから、人間のように食べたり飲んだりすることが出来ない。店の店員がサービスだと言って置いて行ったけれど、私は一口も口をつけていなかった。アイルークがいたら代わりに飲んでくれるのに。
私はジェイに抱きついたまま、頭を押し付けた。アイルークがそうしていたように、私もジェイに体を預けてみる。
「?」
「ジェイ……ジェイは、どうしてアイルークと一緒にいるの?アイルークはどうして、ジェイと一緒にいるの?」
ジェイは被っていた布を取ると、その髪の色では目立ち過ぎると言って、私の頭に被せた。私は布の間から顔を出すと、窓辺で何かを見つめるジェイを見上げた。
「……」
ジェイは、あんまり喋らない。アイルークみたいに女の人に笑顔を振りまいたりもしない。でも何故か、アイルークより女の人が寄ってくる。
誰かが入れたデータの中に、人は、顔立ちの整った人間と性格の良い人間を好むと書かれている。ジェイは……性格はよく分からないけれど……顔は左右対称で、整った顔立ちをしている。瞳の色は私の造られた眼球よりもずっと澄んだ色をしているし、身長も男の人の平均よりも少し高い。
きっと、ジェイは外見で人に好かれるのだと思う。でも、私はジェイの外側も中身も好き。ジェイは、いつも私に最優先の命令をくれる。私を実際に造ってくれたのは別な人だけど、ジェイはそれを決めてくれた。
ジェイは、私のマスター。私が存在する理由をくれる。命令という、行動を示すことで。
「……ジェイ」
でも。アイルークの様子を見て、聞きたいと思った。
「ジェイはどうして私と一緒にいるの?私はどうして……ジェイと一緒にいるの?」
私の言葉に、ジェイはふと窓から視線を話した。私の表情はジェイにどう見えているのだろう。少なくとも、殺人人形でしかない私にインプットされた表情は限られている。
「……」
ジェイは窓のカーテンを締めると、布の間から顔を出した私の頭に手をおいた。そして何も言わないまま、その手を離した。すれ違うときのジェイの表情は、よく見えなかった。
「……明日の朝、ここを発つ。アクロスを経由して東南にある『微睡みの庭』へ」
背を向けたままジェイはそう言う。
期を待っていた計画が、もうすぐ始まろうとしている。預言書を巡る勢力図が明らかになり、同時に相対するべき敵が見え始めた。アクロス国、メーリング家、そして私達。各々が一冊ずつ預言書を所持しているという均衡を、崩す時。
「戦争処理に手間取ったネオ・オリよりも先に、メーリング卿のいる『庭』を叩く」
「……でも、ジェイ。そう仮定した場合、アクロスの預言書は90%の確率でネオ・オリの手に落ちる」
私の中に組み込まれた予測システムがあらゆる状況を計算して、その結果を叩き出す。戦争の処理に手間取ったとはいえ、ネオ・オリがまず押さえるのはアクロスの持つ預言書。それを押さえられれば、アクロスの国力も全て泡となる。
ジェイは振り返ると、私に向かって言う。これは最優先の命令。他のどんな命令よりも一番高いところに位置しているもの。私が……私が、ジェイの傍にいられる理由。
「今現在の最も危険な相手を早々に討つ。彼らが力を蓄えるのを待っている必要はない」
「……了解しました」
私は機械的な声を出して頷く。ターゲット順位の変更、ライラ・メーリング及び、メーリング卿ことラフィタ・メーリングを危険度Maxへ。同時に彼らが飼いならした冒険者達を危険度順に並べ……変更完了。
ジェイは私の確認音声を聞き、口を開く。
「おそらくあちらも同じ魂胆だろう。ぬかりのないように」
「了解しました、マスタ―」
私はそう言うと、ジェイの後を追って部屋を出た。頭から被った布がはためく。新しい命令によって私は稼働モードを切り替えた。警戒度が上がり、いつどこで戦闘を行うことになっても対応できるように体が緊張を帯びる。
そう、これが私の……私の、理由。ワたしノ、りゆウ。
『シルヴィ。本当にそれでいいの……?』
酒場を出ると強い風が頬を掠めた。
ノイズの向こうで囁いた声は、私の聴覚装置では察知することが出来なかった。
☆
カーテンの隙間から街を見下ろすと、見覚えのある店が建ち並んでいる。生きる意味すら持たなかった割に、どうでも良いことを覚えているものだと俺は自嘲の笑みを浮かべた。
街の中心部から少し離れた宿を選んだのは、この街がたった二年前まで俺が暮らした街だったからだ。はっきり言ってしまえば、この街には一生近づきたくはなかった。けれどこの街にしかアクロス方面へ向かう船はない。ネオ・オリを経由するにも、あちらはアクロスとの戦いで未だ緊張状態が続いている。
「……」
この風景を見ていると嫌でも思い出す。何もかもを見失って、彷徨っていたときのことを。
『……アイルーク。お爺様のお知り合いの方から紹介を頂いたわ。良かったわね』
爺さんが亡くなって7年後、俺は爺さんの最も優秀な跡取りとして、この街を治めるボードワール家に仕えることになった。どうやら爺さんの葬儀に来た人間に、母さんが顔を売っていたらしい。15歳の誕生日を迎えたその日、俺はボードワール家でも最年少の魔術師として異例の貴族仕えとなった。
『……。……ありがとう、母さん』
はっきり言って、俺にとってそんなことはどうでも良かった。爺さんが死んでから7年間、俺の心の中はまるで空洞だった。愛されるべき対象は永遠にこの世からいなくなり、母さんのスパルタも少し和らいだけれど、それが彼女の愛情に繋がるわけではなかった。
『……さようなら、母さん』
俺は何処か遠い所へ行ってしまいたかった。この村の中では、平原の風の冷たさが体に染みる。痛いほどの風を受けながら上を向いて生きていくことが出来るほど、俺は強くなかった。
だから、俺は逃げた。周りに羨まれながら、周りの尊敬の視線を集めながら、悲しみや空虚な心を隠して逃げ出したんだ。
「……はぁ」
俺はため息をついてカーテンを閉めた。ベッドに腰を下ろすと、食べかけの食事を見つめる。二年前によく口にした、近くの漁港で穫れる魚。畑で穫れた芋をペースト状にしたもの。味は悪くないが、見ると胸焼けがした。目の前に別なイメージが重なり、見たくない顔がいくつも過る。そのどれもが、生きている人間の顔ではなかった。
吐き気を覚えて俺は口元を押さえる。出てくるものは噎せた咳だけだったが、痙攣する胸に反して心の何処かでもう一人の自分が呟いた。
馬鹿みたいだな。人を殺すことなんて今じゃ表情一つ変えないくせに、初めて殺した奴らの顔は思い出したくないのか。
「げほっ、……っ……」
そうだ。今じゃどんな汚いことだって平気で出来る。飄々と人の心に付け入って、笑みを浮かべて裏切ることだって。
『そ、それは……』
『……おや、アイルーク様。いかがいたしましたかな?』
『特別扱いは出来ない決まりなんですよ』
『あ……ぁ……』
『あれだよ、……新しく来た……』
『お、お止め下さいっ!どうか、これ以上は……っ!!』
『さすがアイルーク様、理解が早い』
『っ、……くそ、畜生っ!!』
頭の中を声が過る。いくつもの記憶が混在してしまったかのように反響して耳鳴りを起こす。俺は呻きながらシーツを握りしめる。まるで過去の亡霊にでも取り憑かれてしまったかのように、数えきれない声が言う。
やがて波が引いていくように言葉は去り、誰かのクリアな声が響いた。
『……アイルーク様、ご覧になられますか?此処が貴方様がお仕えする方の街ですよ』
あれはそう、初めてこの街に来た時のこと。馬車を操る従者が、高らかな声で俺にそう言った。街並など興味がなかった俺は、馬車から少し顔を出して街を見る。
海に隣接したこの街は、青々と茂る草原の向こうに喧噪を響かせていた。あの時微かに胸をついたのは、仄かな期待だったのだろうか。