表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
過去の予言書  作者: 由城 要
第3部 One Road Story
53/112

第4章 1


 ずっと……ずっと、欲しいものがあった。それを求めて彷徨い続け、結局少年達は手に入れることが出来なかった。望まれたたった一つの幸福は、手に入れるべき人間を間違え、やがて彼らの道を大きく変化させた。

 やがて彼らは気付くのだろう。望むべきものを手に入れる人間など、この世には一人として存在しないということを。





  - 水中庭園 -





「てめっ……、行き止まりじゃねーかっ!!」


 蛉人に案内された地下通路の奥で、フレイさんは盛大にそう叫んだ。愕然とするクリフさんの後ろで、私は辺りを見回す。通路の様子は他の場所と変わりない。ただ1つ違うことは、そこが行き止まりである点と、天井の色が微かに違っていることだけだ。

 私はじっと目を凝らす。長方形の1つのブロックが、そこだけ白っぽい色になっていた。人1人が通れそうな大きさだ。私は蛉人に噛み付かんばかりのフレイさんの肩を叩く。


「あ?……なんだよ」

「フレイさん、上に……」


 上を指差すと、クリフさんもまた気付いたように声をあげた。


「……あ、たしかに、あの場所だけ色が違う……」


 クリフさんは右手を伸ばしてそのブロックに触れようとする。しかし私とそんなに身長の違わないクリフさんでは、天井に触れることが出来ない。

 私はフレイさんに視線を向けた。


「フレイさん、押せますか?」

「馬鹿言うなっ!俺でも届かないことくらい見りゃ分かんだろっ!!」


 フレイさんは私に確認させるように右手を伸ばしてみせる。その手は空を切り、上のブロックには届かなかった。私は足元を濡らし始めた水を確認し、クリフさんに視線を移す。


「……ならクリフさん」

「え、ええっ!?」


 届きませんよ、と呟く声を無視して、私は彼の持つレイテルパラッシュを手に取った。鞘の部分を持ち、天井に柄をぶつける。何度かそのブロックを退けることが出来ないかと試したが、剣から伝わってきた感触はあまり良いものではなかった。

 私が顔を顰めると、目聡くクリフさんが気付いたようだった。


「さ、サーシャさん?」

「……。……おそらく、特殊な石が使われていますね」


 下手に力を入れると剣の方を曲げかねない。私はため息を吐いた。

足元を覆い始めた水はいつの間にかくるぶしの辺りまで水位を上げている。そのスピードは恐ろしいほどに早い。クリフさんはパニックを起し始め、フレイさんは苛立ちを募らせていた。普通の人間ならば不安と恐怖に押しつぶされる感覚に陥るはず。

 私はレイテルパラッシュをクリフさんに返すと、もう一度フレイさんを呼ぶ。


「フレイさん、魔法を」

「はぁ!?ちょっ……てめぇに退かせらんねぇもんが俺に出来るかっ!」



 フレイさんは私の声に顔を顰めて声をあげた。


「出来ますよ。……ファーレン様が自分の孫を水死させるような、悪趣味な人間でないのならば」


 私はそう言って振り返る。その視線の先には、かつてフレイさんの父親が使役したというあの蛉人の姿があった。フレイさんは私の視線の先を辿り、そしてヴァルナを見上げる。


『……』

「……」


 ファーレン様は自分の息子を亡くしたことで、魔術師としての生き方に疑問を持った。そしてフレイさんをあえて突き放して育ててきた。自分の敷いたレールによって苦しむことがないように。しかし、その願いに反してフレイさんも……アイルークさんも、『魔術師』という生き方に固執していった。

 叶えたかった願いも、叶わなかった願いも、全てを彼は知っている。……知っているからこそ。


『足りぬ。……オマエには足りないものがある。いや、理解していないというべきか』


 長髪の間から覗く鋭い眼差しを持った瞳。彼にとって、たった3代の魔術師達の生き方はどう映ったのか。小国の誕生と争い、文明の発展、帝国の栄枯盛衰を知る彼にとって、フレイさんは取るに足らないものの一つなのかもしれない。


「……んだよ……」


 フレイさんはそう言ってガリガリと頭をかいた。水はやがて膝の辺りに達しようとしている。もしかしたら何処かでまた壁が崩れたのかもしれない。流れが早くなってきた。これ以上水位が上がれば足をとられる可能性も出てくる。


「資格だの何だの言っといて……」


 水音にフレイさんの呟いた声がかき消される。クリフさんは不安そうな顔でフレイさんを見つめる。


「フレイさん……」

「うるせえ。……うるせぇよ」


 フレイさんはゆっくりとため息を吐き、頭をかいていた右手を見つめた。何も言わなくともフレイさんの考えはこちらにも伝わってくる。それは接触点のナラカという特異な場所にいるためか、それとも彼の見た過去を、私も同じように見てしまったためか。

 何処かで壁の崩れる音がした。爆音にも似た激しい音と共に、天井が揺れる。今にも崩れそうな状態にクリフさんが引きつった声を上げる。

 そんな中、ぽつりと隣でつぶやく声が聞こえた。


「……ジジイのことは……分かってた。知らねぇふりをしてただけだ」


 私はふとフレイさんを振り返った。しかし私がその言葉の意味を聞くより先に、彼は言った。仕方ねぇな、といつもの口調で天井を仰ぎ。

 水音、轟音、そんなものに負けない力強い声で。


「イデア・トゥルーン・レ・ヴァルナっ!!我らを光の許に導けっ!!」









 太陽は平野の端に傾き、横向きに差し込む光が橙色に染まる。くすんだ色の光が草原を包み、平野はまるで秋の稲穂を思わせる色へと変化した。頭上の空はまだ仄かに青く、交じり合った二つの色が闇を引き寄せている。やがて来る夜を思わせるように、空に透明な月が浮かんでいた。


「……はぁ、はぁっ」


 俺は寝転んだまま、空を見上げて肩で息をしていた。くそ、ヴァルナを使うってのはこんなに魔力がいんのかよ。たった一言命令しただけなのに、魔力の大半をごっそり持っていかれたような気分だ。


「ふ、フレイさん、大丈夫ですか?」


 クリフが俺の様子に気づいたように近寄ってくる。俺は手をヒラヒラさせて答えた。顔を覗き込むクリフに、寝転んだまま言う。


「俺のことはとにかく……クリフ、家に戻ってお袋にこの状況を伝えろ。ジジイの家をこんなにしたって分かったら、今夜は飯抜きだ……」

「え、ええっ!?」


 俺はゆっくりと起き上がって、目の前に広がる風景に視線を向ける。

ジジイの屋敷の門の前に俺たちはいた。地下で俺たちが見つけた出口は、どうやらここに来たときにクリフが怖がっていたあの石造の真下だったらしい。サーシャが動かすことが出来なかったのはジジイの特殊な魔法がかけられていたせいもあるが、石造自体の重みもあったんだろう。

 少し離れたところに座っていたサーシャが立ち上がり、こちらへ近づいてくる。


「夕食抜きは避けたいところですね」


 サーシャはそう言うと、門の中へと足を踏み入れた。屋敷の前に広がる庭園は、ヴァルナの力によって退けられた石造の真下から水が噴出す形になっている。水はやがて庭園の石畳の上に溜まり始めていた。

 サーシャは靴を脱ぎ、庭園内に入っていく。バシャバシャと水音が響く。


「おい」


 俺が声を上げると、サーシャは庭園の端のほうで何かに気づいたように水の中に手を突っ込んだ。水の中から木の葉を払うと、何かを確信したような顔でこっちを振り向く。

首をかしげるクリフに、サーシャはふっと笑った。


「やはり、ファーレン様ほどの方になると考えることが違いますね。……クリフさん、とりあえずエメリナさんを」

「え?あ、はいっ」


 クリフが家の方へと駆け出していく。サーシャはそれを見送ってこっちへ戻ってきた。素足で地面に上ると、俺の隣に立って屋敷を見つめる。

夕日に照らされた横顔で、サーシャは言った。


「どうやら私たちは、まんまとファーレン様の我侭に踊らされたようですね」

「……まあな」


 俺は怒る気力もなくして、ただぼうっと庭を眺めていた。このままいけば収まりきれなくなった水が溢れ出し、水脈が枯れるまでこの辺りは水浸しの状態になるはずだ。本気で切れた時のおふくろの雷を想像しつつも、俺は何をする気にもなれずに、庭園を見つめていた。

サーシャは立ったまま俺に問いかける。


「……ひとつお聞きしてもいいですか」

「んだよ」


 面倒くせぇ話なら答えねぇぞ、と付け足すも、サーシャは苦笑を浮かべて言った。


「先ほど口にした『分かっていた』という言葉の真意を……お聞きしてもいいですか」


 思い切り面倒くせぇ話じゃねぇか。俺はそう思いつつも、つっこむだけの気力を失っていた。俺は再び寝転がって空を仰ぐと、目を瞑る。

 いつもならこんな話、死んだってしねぇけどな……。こうなりゃ話してしまったほうが楽か。どうせコイツの話術に乗せられて話すことになるんだろうしな。


「別に……言ったままの意味だろ。はっきりと自覚してたわけじゃねぇが……ジジイが大人気ない人間じゃないことくらい分かってた。それだけだ」


 ジジイはいつも、俺を目の敵にしていた。何かにつけて小言を言い、何かにつけて優秀なやつらと比べたがった。俺だって最初は分かってたんだ。ジジイがそんな人間じゃないことくらい、な。それでも……やっぱり俺には耐えられなかった。


「……全てジジイのせいにしちまうのが楽だったんだ」


 辛くあたられて、そのせいで周りからも孤立した。全てをジジイのせいにしてしまえば、俺は目の前に突きつけられた『才能』という言葉から逃げることができた。逃げてしまえば、俺は楽になることができたからだ。

 結局は、俺はそうやってずっと逃げまわっていた。周りが一人前になっても、召喚ひとつ出来ない自分から。


「……そうですか」


 サーシャはそう言うと、地面に置いていた上着と預言書を手にとって屋敷に背を向けた。クリフの後を追って歩き出そうとする姿を見上げながら、俺は言う。


「おい」


 少し離れたところでサーシャの足が止まる。俺は大の字に寝転がったまま、群青色に染まり始めた空を見つめた。

 何処へ行くのか、飛び去っていく鳥が頭上を横切る。薄く千切れた雲が空の彼方へと流れていった。こうしてまた、夜が来る。幾度も同じような時間が過ぎ去り、過去の過ちはいつかまた別な人間によって繰り返される。

 俺は深く息を吐く。


「先に言っとくが……俺にアイルークほどの力はねぇぞ」


 サーシャは立ち止まったまま、日の沈み始めた地平線を見つめる。そしてふと背中で笑ってみせた。


「フレイさんにしては随分弱気な発言ですね」

「茶化すな。……俺は」


 起き上がってその背中を睨み付けると、サーシャは振り返って俺を見下ろす。



「ふっ……構いませんよ」


 サーシャの手の中にある預言書が夕日に照らされる。日が暮れた後の夜空の色を思わせる深い紺色の表紙、そして金色の文字が躍る『過去の預言書』。ナンバー1が示すのは、それが始まりの一冊『原初の章』であるということ。

 サーシャはひらひらと手を振って背を向ける。


「私には魔術に関する知識も教養もなく、フレイさんにはそれがある。……ただ、それだけのことですから」


 縦に伸びた影が去っていくのを見つめながら、俺は夕日の眩しさに目を細めた。水に濡れたせいでびしょ濡れになった服が生暖かくて不快な気分だ。俺は結んだ髪の水を絞りながら、大袈裟にため息をついた。悪態をつきながら立ち上がる。サーシャの姿は、ゆっくりと遠くなっていく。

 ったく、本当に。本当にこの女は。


「……たいした奴だよ……」


 打算的で利己主義で、ムカつくほどに頭がキレる。必要以上のことを口にせず、味方を騙すことさえ日常茶飯事。そんじょそこらの悪人より、ずっとタチが悪い。ああ、タチが悪すぎる。だが、まぁ……落ちこぼれ魔術師にゃ、似合いの契約者なんだろうよ。

 ふと何処かで、誰かが笑ったような気がした。


「……ああ、そういえば最後にもう1つだけ」


 言い忘れていた、といった表情でサーシャは振り返った。俺は顔を顰める。こいつと一緒にいると本当に、うっかり心の中を読まれたかと思うから心臓に悪い。


「んだよ、俺はもう疲れて……」

「そこの庭園、しっかり排水設備が整っているようですね?」

「何ぃっ!?」


 俺が咄嗟に振り向いた時、強い風が地平線から屋敷の向こうへと吹きぬけた。

 水面が風に揺れ、鏡のように映った夕暮れの橙と群青色が乱反射するように波打つ。開け放たれた門から庭園の石畳の部分は水の中へと消え、段差のつけられた両側の花壇の部分だけが取り残されている。

 水に覆われた中央には翼を生やした男の石像が立っていて、水面を見つめるように下を向いていた。水面には現実世界の全てが溶け入ってしまったかのように、庭園の緑、空の青、夕日の色、夜の闇が交じり合っている。


「……!」


 朽ちかけた屋敷を背に、石畳に溜まった水が風に揺れる。それは巨大な水中庭園のようだった。噴水のように吹き上がる水と共に、ナラカの澄んだ空気が湧き上がっている。

 サーシャは庭園を見つめながら言う。


「あの脱出口を見つけなければこのような形にはならないでしょうね」


 落陽を受けたその光景は、俺が今まで見てきたどんな風景よりも、強く強く印象に残るものだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ