第3章 3
あの子は昔から優秀だった。魔術師としての才に恵まれながらもそれをひけらかさず、それでいて真っすぐに生きる優しい子供だった。私の自慢の息子だった。ああ、愛しき我が息子よ。私の罪を告白しよう。全てはあの日、あの時から狂ってしまったのだ……。
- ああ、愛しき我が息子 -
「お父さん。僕、今日やっと召喚が出来ました」
「おお……召喚の儀式が行えたのならば、お前ももう立派な魔術師だ。何を召喚したんだい?」
茶色の髪に、優しい瞳をした息子だった。昔から兄弟達の中でも聞き分けが良く、村の子供達をよくまとめ、幼い者の面倒をよく見る子供だった。
魔術師としては早熟な方だったが、息子より早く魔術師として独り立ちした者も数人いた。
「イデア・トゥルーン・レ・ヴァルナ。……ヴァルナです、父さん」
「ヴァルナ……!?まさかお前は、それを知っていて召喚したのか?」
息子は素直にはい、と頷いた。まるで悪戯をした子供のような瞳だった。私が何かを言おうとすると、息子は苦笑を浮かべて私を見上げる。
「堕落した蛉人、イデア・トゥルーン・レ・ヴァルナ。……知ってますよ、蛉人から追われた孤高の精霊。説得するのに一晩使いました」
「そ、それでフォルカー……お前は無事だったのか?」
「はい。だって彼なら……いえ、なんでもありません」
首を横に振ってフォルカーは笑った。そしてまだ妹達には話さないでくださいね、と言って去っていった。始めは私にもその意味が分からなかったのだが……息子や娘を見ているうちに、やがて気付き始めた。
ああ、そうか。子供達は常に互いを敵視しているのだ。魔術師として、互いに互いを蹴落とす競争をしている。向上心の賜物と言えば聞こえは良いが、それはひがみや嫉妬という負の感情を巻き起こす。
「お兄様、ヴァルナを喚び出したって本当?なんだってそんな!お兄様ならフィリーネ……フィオを喚び出すことだって出来たでしょうに」
「契約者以外があんまり名前を呼んじゃいけないよ……。でも、いくらなんでもフィオは無理かな。話をしてみて、ヴァルナが一番合ってるって思ったんだ」
もっと怖いかなと思っていたけど、そうでもないよ、とフォルカーは笑っていた。私はその言葉を聞いて気付いたのだ。フォルカーがわざわざ堕落した蛉人を選んだのは、子供達の競い合いに加わりたくはなかったからなのだと。私は知っていた。あの子の力でならば、フィオだけではなく私が使役するデルヴァですら、従わせてしまうことができるのだと。
あれは心優しく、そしてよく出来た子供だった。幼い頃に魔術師としての才に気付いた私は、フォルカーに大きな期待を寄せて育ててきた。そしてあの子もまた、それに答え、想像以上の成果を見せてくれた。魔術に没頭し、魔術師として最高の人生を歩いてきた。
やがて息子は、華やかではないが穏やかでよく気が回る嫁を貰った。嫁は魔術師としては位が高いものではなかったが、春の和やかな空気を身に纏ったような人だった。
だが曇りのないその生き方に影が差し始めたのは、嫁に子供が生まれてしばらくした頃。
「ゴホッゴホッ……それじゃあ、父さん。僕はそろそろ」
「フォルカー、顔色が悪いぞ?帰って来たばかりなのにもう行くのか。……のう、フォルカー。しばらく休みを貰って、エメリナとフレイの傍にいたらどうなのだ。フレイも父親の傍にいた方が……」
「はは……大丈夫。今度のフレイの誕生日には帰ってくる予定ですから。それじゃ……」
そう言って、フォルカーは村を出て行った。その年の孫の誕生日、息子は村に帰ってくることはなく、嫁のもとに孫の誕生日を祝う一通の手紙が送られてきただけだった。
それから数回、近況を知らせる手紙が嫁の所に来た。嫁はそれを見る度に悲しい顔をして、それでも誰かと会う時にはそれを見せようとはしなかった。
そして孫が3歳を過ぎたある雨の日。フォルカーは物言わない姿で村へと戻ってきた。死因は過労と、流行病だったという。
「……エメリナ。お前には本当に……苦労をかけたとしか言えんな……」
「いえ……良いのです、ファーレン様。……あの人のことは……分かっていましたから」
ひどい雨の中の葬式だった。里の者達は皆、ひそひそと息子の棺桶を見つめながら言葉を交わしていた。そのどれも、フォルカーの出世をよく思っていない者達だった。
「フォルカー様……まだ25だったのにねぇ……」
「何やらせても完璧で、人当たりもよくて……良いお嫁さんにも恵まれてファーレン様の自慢の息子だったのに」
「……お仕え先でも仕事が出来るって評判だったみたいね……勿体ないわ」
勿体ない。人の命に、生き方に、勿体ないという言葉があるだろうか。息子は短い時の中を精一杯に生きてきた。魔術師として……。
ふと、誰かの言葉が耳についた。
「ほら、よく言うじゃない。よく出来た人ほど短命だって……」
良く出来た人間ほど短命。たしかに、フォルカーは良く出来た子供だった。手もかからず、常に優秀。私の期待に答え、そして誰に対しても優しい。本当に……思い返せばあんなに優秀な人間は、1人もいないだろう。
「……」
雨に濡れながら歩く私の後ろを、まだ小さい孫がついてきていた。おそらく父の顔など忘れ、葬式の意味すら知らないのだろう。ただ涙を拭う母を気遣いながら後を追う。
ああ、これもまた優しい子なのだ。
「……フレイ」
息子の棺の前で、私は孫を抱き上げる。はしゃぐその姿はもうフォルカーには見えていないのだろう。棺の扉を開け、その向こうにある冷たい肌の色をした息子を覗き込む。動くことも話すこともない、あの子の抜け殻。息子は……フォルカーは、生きていて良かったと思えたのだろうか。私が敷いてしまった魔術師としての道を、魔術師としての人生を、後悔しているのではないだろうか。
眠る息子の表情は、どことなく孫に似ていた。
「フォルカー……」
何かに驚いたように、孫がじっとこちらを見ている。涙が珍しいのか、それともこの棺の主が父だと悟ったのか……。
ああ、フォルカー……愛しき我が息子よ。すまなかった。本当に、すまなかった……。
やがて私は『過去』に思いを馳せるようになった。初めはフォルカーの生きていた頃から始まり、私の思いは果てしない時空の奥底へと向かっていった。
過去の間違いを正すことができるならば……この世に苦しみなど生まれることはない。愛しき息子もまた、あのような形で逝かせることもなかったのだろう。ああ、間違いを正すことでこの未来を変えることができるのならば……。
そして私は過去を預言する本を創った。過去に学び未来を変えられるのならと、そう思っていた。……だが、やはり運命というものは人が望むほどに簡単ではなかった。
「……なんだ、フレイ。また植物の本か?」
「あっ……」
「お前には魔術師になる気はないのだな。アイルークは毎日勉学に励んでいるというのに……」
孫は悲しげに目を伏せ、持っていた分厚い本を抱く手に力を込める。ああ、そうだ。そうやって私を嫌えばいい。私を……そして魔術師としての生き方を、自分で壊していけばいい。魔術師になどならなくても人の生き方は無限に存在する。たとえこの里の人間がお前を蔑もうとも、お前のことを支える者がいる。エメリナがお前を支えているだろう。
「ファーレン様……あの」
だがしかし、運命というものは逃れようとすればするほど追いかけてくるもの。
「どうした、エメリナ」
「実は……1つだけ、お話ししたいことがあるのです」
ある日嫁が告げたのは、子供達の中でもひときわ才能を持つ孫のことだった。
『当然だよ!僕お爺ちゃんみたいになるのが夢なんだもん』
前々から気付いてはいた。アイルークと名付けられたあの孫……フォルカーを常に敵視していた娘の子。あの子が私に気に入られようと、常に子供達の中央に陣取っていた。そしてその裏で、母親から愛されない生活を送っていたことも。
あの子にとって私に愛されることは、母に愛されることだった。魔術師として生きることは、母に愛されることだった。
運命とは、人生とは、何故こうにも複雑なのか。フレイもアイルークも、フォルカーの二の舞にするべきではないと思いつつも、二人は確実にその道を歩んでいく。
「爺ちゃんっ!!爺ちゃんっ、大変だよっ!!召喚の練習してたら……だれが一番強い精霊を使役に出来るかって話になって……」
あの日、子供達の言葉を聞いて私はやはり、と思った。絡み合った歯車が動き出し、やがて運命はまだ小さな子供達を飲み込んでいく。
「カナール・エミナ・ラ・フィリオーネ!汝、我の使役に下れっ!!」
「イデア・トゥルーン・レ・ヴァルナ!頼む、出て来てくれよっ!!」
アイルークは私がフレイのことを心の奥底で気にかけていることを知っていた。そしてフレイもまた、アイルークが話の引き合いに出されることを良く思ってはいなかった。
アイルークはフォルカーが使役することのなかったフィオを召喚することに成功し、そしてフレイのヴァルナ召喚は持ち越された。召喚を失敗した理由は、その幼稚な動機。私はそれに気付いて安堵しつつも、いつかは消え去るだろう要因に不安を抱いていた。
だから私は、生きているうちにとヴァルナを喚んだ。
「……のう、ヴァルナ。私は生きているうちに何人もの人間を不幸にしてきた。息子、孫……いや、この里に住う者みな、力によって尊い人生を曲げられてしまった」
『フン……人間とはいつの時代もそんなものだろう。力に溺れ、力によって死ぬ』
「ふっ……そうだな。そうかもしれん」
病床の枕元に立ったその蛉人は、無表情に私を見下ろした。フォルカーはこの蛉人を一晩かけて説得したと言っていた。気難しい孤高のヴァルナを、よく手なづけたものだ。
私は深い傷のあるヴァルナを見上げ、そして呟いた。
「……1つ、頼みがある。ナラカへの道にちょっとした仕掛けを施してある。もしも、フレイかアイルークが此処へ来た時は……」
『我にはそれすらお前の我が侭にしか見えん』
ヴァルナは机に腰をかけてそう言った。いかにも理解しがたいものを見る目でこちらを見つめる。私は笑った。笑ったのはいつ以来だったか。
それくらい、私は清々しい笑みを浮かべることが出来た。
「ああ、……我が侭なのだよ。だが、私の我が侭が少しでも孫達に伝わるのなら……それで十分なのだ」
そう、もしもフレイかアイルークが……いや、『二人が』あのナラカの仕掛けに気付いてくれたなら。私があの場所に秘めた思いに気付いてくれたなら。
私はそれだけで、それだけで良い……。
☆
「ふ、フレイさんっ、フレイさんっ!!見つけましたよ、サーシャさんを助ける方法っ!!」
転がるようにしてクリフが駆け込んでくる。相変わらずうるせぇやつだ。やっぱり一発殴って根性入れ替えてやった方がいいかもな……。
慌てふためいて走ってきたクリフは、俺の後ろで首を傾げた。
「?……フレイさん?」
どうかしましたか、と挙動不審な声が聞こえる。うるせぇよ、馬鹿。……本当に。本当に、どいつもこいつも……。
「……どいつもこいつも、馬鹿ばっか」
「えっ……ええっ!?」
意味が分からず、クリフが声をあげる。俺は指先についた赤黒い血液を払い落とした。
ああ、本当に今更過ぎる。今更あれは全て俺たちのためだったって?親父を亡くしたことへの罪滅ぼしだったって?馬鹿だよ、ジジイ。魔術師になんなって一言言えばいいだけの話じゃねぇか。親父と同じ生き方をさせたくないって、そう……言えばいいだけの話じゃねぇか。
俺はクリフから紙を奪い取ると、軽く目を通してため息をついた。過去視の中でこれの存在は確認済みだ。
「あ、あの……フレイさん?」
「……クリフ、鍵は」
俺がそう言うと、クリフは慌ててポケットから鍵を取り出した。俺はそれを奪い取って、机の目の前に掛けられた一枚の絵に手を伸ばす。
さっきの過去視で解除方法は見えた。思えば、昔はここに絵なんて飾られてなかったよな……。どうして気付かなかったんだ、俺。
「……『清き水の流れに耳を寄せ、龍神の心臓に光の矢を放つ。さすれば汝、解放の時を見ん』」
清き水、それはこの部屋の窓から見える、あのわき水の泉のこと。そして龍神の心臓は……。
「あっ……」
絵を外すと、そこには龍神を象った飾りが彫り込まれていた。中央には鍵穴のようなものがある。俺はそれにクリフから受け取った鍵を差し込むと、ゆっくりと回した。
彫り込まれた龍の瞳に光が宿り、次の瞬間ガコン、と何処かで大きな音が聞こえた。龍神を象った飾りはまるで笑うように目を細めると、ゆっくりとその姿を消していく。
「……。……行くぞ、クリフ」
「えっ?あ、は、はい」
俺はクリフを連れて、ジジイの部屋を後にした。