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過去の予言書  作者: 由城 要
第3部 One Road Story
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第2章 2


 我ら精霊の住う世界と人間の住う世界。それを繋ぐ場所が所々に存在する。それは『接触点』。かつてこの地に生きた人間達は精霊との交わりによって特殊な能力をあみ出し、やがて『魔術師』と呼ばれるようになった。あの魔術師の生きた地、その接触点を我らは『ナラカ』と呼ぶ。





  - 接触点『ナラカ』 -





「ゲホッ、ゴホッ……あ、ありがとうございます……」


 僕は咳き込みながらそう言った。目の前に立つサーシャさんは、いえ、とだけ答えて辺りを見回す。

 地下に落ちた僕を助けてくれたのは、床の落下音を聞いて書庫に戻って来たサーシャさんだった。よく見ていなかったけど、もしかすると書庫から飛び降りて、僕を水の中から引き上げてくれたのかもしれない。

 サーシャさんは上を見上げてフレイさんに言う。


「フレイさん、ランプをお願いします。暗くて周りがよく見えないので。あと、ロープのようなものがあれば」

「あ、ああ。ちょっと待ってろ……」


 フレイさんはそう答えて姿を消した。僕は上着を脱いで水を絞り出す。服が体に張り付いてなんとなく嫌な感じだ。体が冷たく感じる。

 改めて上を見上げると、抜けた床がずっと高い位置にあった。濡れた服のせいだけじゃなく、体がぞっと震えた気がした。サーシャさんは僕の視線を追って上を見上げると、髪をかきあげて言う。


「それにしても落ちたのがクリフさんで良かったですね。フレイさんなら水面まで上がってこれるかどうか」

「サーシャさん……それ、どっちのフォローにもなってないです……」


 サーシャさんは上着を脱ぐと、同じように水を絞り出して近くにあった岩に掛けた。そしてもう一度水の溜まっている場所に歩み寄り、片手を水面に伸ばした。上ではロープを見つけてきたフレイさんがランプをくくり付けて下ろしてくれる。水滴を払ってランプをつけると、辺りの様子がはっきりと見えてきた。


「!サーシャさん、あんなところに扉が……」


 僕らのいる場所の向こうには川のようなものが通っていて、その向こう岸に1つの扉が取り付けられていた。お屋敷の中みたいにしっかりした扉じゃなくて、どこかの安宿にありそうな扉。よく見ると、石で出来た簡単な飛び石がある。

 サーシャさんは水滴を払うと、書庫からフレイさんが下りてくるのを確認して歩き出した。飛び石がしっかりしているかを確認して、向こう岸へと渡ってしまう。


「さ、サーシャさん!?」

「面白そうですし、奥へ進んでみましょうか」


 この状態で、と言いそうになったけれど、僕はその言葉を飲み込んで歩き出した。こうゆう不穏な場所に限ってサーシャさんがやけに生き生きしてるように感じるのは気のせいなのかなぁ……。僕とフレイさんは互いに深々とため息をついてしまった。









 波の音は1つとして同じものがない。風も、空の色も、人の会話も、空気の流れも。私なら、それはきっとエラーという部類に入ってしまう危険なもの。同じものばかりの、変わらないものばかりの世界で造られた私には、それがとても危険で、恐ろしい。今はまだジュリアのメンテナンスによって幾分改善したけれど、やはり定期的な点検は必要不可欠。

 日暮れの港町を見下ろしながら私は外を見ていた。正確にいうならば、アイルークからしばらく休んでいるように言われて、宿の窓から外を眺めることでこの街の周辺マップを記憶装置の中に作成していた。人のように休むことは私には出来ない。完全停止か、他に何かをするか。だから周辺地図を頭に入れていたのだが、宿の窓から見える範囲はたかがしれてしまっていた。すぐに私のマップ作成は終わってしまったからだ。


「シルヴィ、ジェイロードから連絡が……。……何してるんだ?」


 振り返ると、アイルークが扉から顔を出していた。この街で落ち合う予定が長引いているのだ。少し遅れるかもしれないとは聞いていたが、やはり計画は順調にはいかないらしい。

 私は出窓から離れる。


「……シルヴィ、日照時間計ってた」


 日照時間を計るのはエネルギーを節約出来る行動の1つだ。周辺マップより使用用途は少ないが、それでもそこから翌日の天気やこの周囲の地形を知ることが出来る。

 アイルークはなんともいえない表情をしていた。私はアイルークの目の前まで来ると、ジェイからの指示を促す。


「アイルーク、ジェイは?」

「あ、ああ……随分長引いたけど二、三日中にこっちに着くそうだ。船の予約を取っておけって」

「……うん。シルヴィ、分かった」


 私は頷くと、改めてアイルークを見上げた。こちらの視線に気付いたのか、アイルークは首を傾げる。


「ん?顔に何かついてるか?」


 頬をかくアイルーク。私はその顔をじっと見つめ、そして首を傾げた。


「……アイルーク、へん」

「えっ、顔が!?」


 それは大変だ、と慌てて部屋の鏡で顔を確認し始めるアイルーク。私はそのローブを掴んだ。私が言いたいのは顔の形の話ではない。いつもなら自由行動中に嬉しそうな顔で街へと繰出していくアイルークが、珍しく宿にこもりきりでいることだ。本人曰く『一日3人の女性に声をかけないと死んでしまう』のに、ここ数日は私としか会話を交わしていない。


「違う。アイルーク、そわそわしてる。……調子悪い?」


 人は体調に異変をきたすと、普段の様子から変化する。顔が青くなったり、フラフラしたり。アイルークはどの症状とも違うけれど、たしかに以前とは違う。

 振り返ったアイルークは困ったような笑みを浮かべると、私の頭をぽんぽんと撫でた。


「……大丈夫だって」

「……」


 苦笑するその笑顔に、私は体の何処かが締め付けられるような感覚がした。何か、コードばかりが収められた胸の奥に、わだかまりがある。私……嫌ダ、こノ感じ……。

 不快、という二文字が弾き出される。でも何故。相手はアイルークなのに。ジェイとアイルークは、私の中に位置づけられた、最も重要で大切な人間なのに。

 分かラナい……クリフの時みタい……。分カラナイ……分からない?どうして、分からないの。本当は分かっているのに。


『……それは、シルヴィがそれを知りたいから』


 どこかで声が聞こえる。でも耳に取り付けられた聴覚機器は反応を示さない。誰の声……?聞き覚えのあるような、ないような。

 それでも、その言葉は私のわだかまりを言い表すにはあまりにも的確だった。


「……シルヴィ、知りたい。知りたいのは、いけないこと……?」


 分からない。だから知りたい。知るということは理由と要因を求めること。知ることで得られるのは答えとは限らないと理解しているけれど。

 でも、知りたい。

 アイルークはふと顔から笑みを消して、額を抑えて俯く。


「……。……ちょっと昔のことを思い出してた。それだけ」

「昔のこと……子供のときのこと?」


 昔というのは大体10年以上前のことを指すとジェイが言っていた。けれどそれは人によって差があり、5年前を昔と呼ぶ人もあれば、3年前を昔と言う人もいる。それなら造られてまだ1年の私には『昔』はない。もちろん造られた時からこの形の私には、子供のころ、など存在しない。

 アイルークは部屋の扉を閉めると、ベッドに腰を下ろして苦笑した。もう少しこの部屋にいてくれるのだろうか。私はなぜか嬉しくなって、その隣に座ってアイルークの話に耳を傾けた。


「俺の子供の時は……まあ、あんまり可愛い子供じゃなかったな」


 ま、女性に対するマナーは昔から身につけていたけどな、と何故かアイルークは胸を張ってみせる。良くは分からないけれど。

 子供、というのは生まれてまだ何も分からない小さなもの。私は大きいからだがあるけれど、まだ子供だってジュリアが言っていた。私はアイルークを見上げる。


「……ジェイ言ってた。ヒトは小さいとき、親に守られて育つんだって。ヒトは動物とは違っているけれど、その習慣だけは変わらないんだって。……アイルークも、そうだった?」

「……」


 また、だ。私は瞬きを繰り返す。この間、街を歩いている時に見せたあの表情。いつもと違う、形容出来ないような複雑な表情。私はまたアイルークのローブを掴んだ。そうしないと、またアイルークが話を変えてしまいそうな気がした。

 アイルークは頭をかくと、大きく息をついて呟いた。観念したかのような、そんなため息にも思えた。アイルークは口を開く。


「……ああ。たしかに、いた。でも……」

「でも?」


 膝の上で手を組んだまま、アイルークは俯いた。その横顔は私が今まで見てきたどの人間よりも、哀しい瞳の色をしていた。


「『あんな奴最初からいなければ』……何度も、そう思ってた」










 地下空洞とでも呼ぶべきか……そこにあった扉は、多少歪んでいたもののサーシャの力で簡単に開いた。ランプを掲げて中を照らすと、意外にも中は何処かの神殿のように飾りのついた支柱が立ち、壁はしっかりと補強されている。石畳が続く通路は、まさに回廊だった。


「凄い……何処かのお城みたいですね」


 俺の前を歩くクリフが辺りを見回してそう呟いた。サーシャは石畳の脇に座り込んで、端を流れる水を見つめている。俺はなんとなく嫌な予感を感じて辺りを見回した。さっきから感じていたが、なんとなく空気が重い。水によって清められた空気が、肩にのしかかってくるようだ。


「……どうかしましたか?」


 サーシャが立ち上がってこちらに視線を向ける。俺は首をかきながら呟いた。


「……どうやらここ、『ナラカ』の中心部らしいな」

「ナラカ?」


 首を傾げるクリフ。俺は頷いて、近くにあった支柱に視線を向けた。そこに刻み込まれた飾りは、人ならざるものを描いているように見える。


「ナラカっつーのは……まあ、いわばこっちの世界とあっちの世界の交わる地点、みたいなもんだ。先に言っとくが『あっち』つーのは死後の世界じゃねぇぞ」


 悲鳴をあげかけたクリフが、ふと瞬きをする。ランプを片手に戻ってきたサーシャは支柱の飾りを見つめて呟いた。


「あちら、とは精霊の世界ということですか」

「ん?ああ、まあな。もともとこの村はこのナラカから吹き上がる魔力を利用しようと作られた。この屋敷はその真上に立っているってガキの頃に聞いたことがある」


 だが、強過ぎる魔力は力を持たない者には危険になることが多い。だからこそこの屋敷はジジイにしか使うことが出来ず、ジジイの力の象徴みたいなもんだった。ガキのころおふくろに言われたことがある。ジジイの家で遊ぶのを咎めはしないが、接触点ナラカに近づいてはいけない、と。そのころはナラカの場所すらもよく分からず、探し出そうともしなかったが……。

 俺は肩にかかる圧力を感じながら言う。


「あっちの世界と交わる場所を接触点っつーんだが、ナラカってのはこの土地の接触点の名前だ。村に住む奴なら知ってるが、正確な位置までは……」

「……そうですか」


 サーシャは頷いてランプを掲げる。通路の奥にはもう1つ扉があるようだった。今度は割としっかりした、石造りの扉。いったいこの地下通路、何処まで続いてるんだ。

 サーシャは俺たちに背を向けると、扉の方へ歩み寄っていった。慌てたようにクリフがそれに続き、俺は辺りを見回しながら呟く。


「あんまり近づかねーほうが良いぞ。間違ってあっちの世界に迷い込むと、魔術師でも戻ってくるのは……」


 精霊の住む世界はこちらとは違う神聖な場所。人間を不浄の者として扱う精霊や蛉人は、人間に自分たちの住処を干渉されることを嫌う。まだここは入り口に過ぎないが、あの支柱とこの石畳……城でもないとこにこんなもんがあるってことは、これはおそらくあちらの世界のモノだ。奴らの癇に障ってしまえば普通の人間なら一発であの世往きだろう。

 しかし俺の忠告を聞いていないのか、サーシャは扉に手をかけると、あっさりこう言ってのけた。


「……開きました」


 コイツいつか痛い目をみろ。


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