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過去の予言書  作者: 由城 要
第3部 One Road Story
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第2章 1


 ねえ、こっちを見て、こっちを見てよ。新しい魔法を覚えたんだ、誰にも負けないくらい凄いやつ。絶対あいつには負けない、見たら絶対驚くよ。だから、ねえ、こっちを見て……。

 お願いだから……。





  - 過去の幻影 -





 ファーレン様の寝室には鍵がかかっているだけで、書庫のようにかんぬきがされた様子はなかった。


「……」


 室内は薄暗かった。死人の部屋だからだろうか、窓には黒い布地のカーテンが閉じられている。微かな光が漏れるそれを開け放ち、窓を開くと部屋の中に澄んだ空気が舞い込んでくる。

 寝室は、書庫とは違いこじんまりとしたものだった。ほぼ正方形に近い部屋の中、入り口から見て左側に出窓があり、正面にバルコニーが見える。他の部屋と雰囲気が違うのは角部屋だからだろう。出窓の隣には本棚が1つあり、入り口の右側にはベッドと、古い机が1つ。机の前には村の風景らしき一枚の絵。本棚の前に置かれた1人用のテーブルとソファの上には埃が積もっていた。


「……」


 私は再び辺りを見回した。本棚の本はそのままだがベッドは整理されている。朽ちるに任せるとはいえ、ファーレン様が亡くなった時のままにされているはずがない。もしそうなら……それを知ったクリフさんが明日から此処に来なくなるに違いない。


「机はそのまま、ですか……」


 私はゆっくりと机の前に立つ。その引き出しを開けると、意外にも中身は雑然としていた。天才と呼ばれる人間でも片付けに自身はなかったのか、それとも……。私は中身を1つ1つ確認することにした。

 古びた羽ペン、魔法陣のような奇妙な模様の書かれた紙。時折書庫にあったような文献も顔を出す。おそらくファーレン様は亡くなる直前まで書庫と寝室を行き来する生活を送っていたのかもしれない。

 一通り見終えた私は、次の段へと手を伸ばす。中身はどれも似たようなもので、乾いたインクや、帝国時代の珍しい本らしきものが一、二冊見つかっただけだった。やはり、此処には何もないのだろうか。


「……?」


 ふと最後の段に手を伸ばしたとき、私は違和感を覚えて首を傾げた。何かが指先に触れる感触。微かに嫌な予感を感じて手を離したその時、開け放しておいたはずの扉が開く音がした。


「!?」


 確かに、扉は開けておいたはずだった。部屋の中に籠った空気を入れ替えるために、廊下の窓を開けて風を通していたはずなのだから。

 人の気配に私は咄嗟にクロノスへと手を伸ばしていた。気配は1つ。相手はおそらくあの二人ではない。クリフさんならば1人で歩き回りはしない、そしてフレイさんならばこんな風に……こそこそ入ってくる必要はないからだ。


「!」


 クロノスを構えかけた私は、机の影から現れた影に手を止めた。そこから現れたのが、思いもよらず小さな人間だったからだ。茶髪に赤っぽい瞳をした小さな少年。息を切らしながらも辺りをキョロキョロと見つめて、先ほど私が開けようとした一番下の引き出しへと手を伸ばす。


「……私が見えていない……?」


 少年は何度も私を視界に入れながらも、目をあわせることはなかった。私はハッと顔をあげて辺りを見回す。先ほどまで埃だらけだったテーブルの上には数枚の紙とペンが乗り、ベッドの上には綺麗にシーツが敷かれていた。開け放した窓はそのままだが、そこにはたしかに人が生活をしている空気が残っている。


「これは……」

『過去の幻影だ、トゥアスの子孫』


 背後で聞こえた声に、私は咄嗟に振り返る。するとそこには、ベッドに腰掛けた状態でこちらを見つめる男の……いや、ネオ・オリでフレイさんが喚び出したあの蛉人の姿があった。左頬の深い傷痕が、私の記憶の中から彼の記憶を呼び覚ます。

 私は振り返って彼を睨む。



「……そう呼ばれるのは好きではありません。どこからそんなことを?」

『フッ……我ら精霊は人と何ら変わりない。住う世界が違うだけで、人と同じように群れをなして暮らす……風の噂を耳にしただけだ』


 私は額を抑えてため息をついた。魔術さえ理解に苦しむ私が、精霊達の噂にのぼるというのは滑稽な話だ。大体私の想像力がついていかない。

 ふと視線を机に戻すと、先ほどの少年が引き出しの中から何かを見つけ出したようだった。少しつり目で、ひねくれたような顔つき。私の予感を代弁するように蛉人は言う。


『そいつは10年前のあの餓鬼だ』

「餓鬼……フレイさんのことですか」


 少年は引っ張り出した一枚の紙を見つめ、何かを唱え始めた。イデア・トゥルーン・レ・ヴァルナ……、彼はそれを繰り返す。これはフレイさんが唱えていたあの言葉。蛉人はそれを冷めた目で見つめながら呟いた。


『その餓鬼は10年前、此処で俺を喚び出した……他の魔術師に先を越された屈辱と勢いのみでな』


 少年は何度も何度も呪文を唱える。こちらに背を向けた彼の背中からも、焦りや悔しさのようなものが滲み出ているようだった。子供らしい、子供っぽい、幼稚な感情。それでいて何よりも純粋なやりきれない思い。

 ふと、少年の目の前に人影が現れる。それはベッドに座っているあの蛉人だった。これが過去の記憶と言うのならば、今この場に現れた彼もまた過去の記憶の一部なのだろう。

 私はベッドに視線を戻した。蛉人はこれといってめぼしい表情も浮かべずに、淡々と語る。


『……深い眠りを妨げるようにその餓鬼が名前を呼んだ。あまりの五月蝿さに殺してやろうかと思ったが……』

「止めたんですか」


 私の言葉に蛉人は頷く。それはフレイさんがファーレン様の血縁だからなのか、それとも彼の気分だったのか。再び少年に視線を戻すと、蛉人と少年の会話が聞こえてきた。


『なんでだよっ!』


 地団駄を踏む少年、冷酷に見下ろす蛉人の瞳。


『同じことを言わせるな。全ては魔力の一言だ。オマエには我の力に耐えうる魔力も、我を使役する理由も何もない。ただ屈辱なだけだ。……違うのか』


 拳を握りしめ唇を噛む。それは本当のことを見透かされた悔しさなのだろう。しかし相手が子供であろうと容赦なく降り注ぐ、残酷な現実という言葉の雨。

 過去の彼の瞳は、弱いものを見る目ではなく、ただの1人の人間を見る目だった。


『オマエには資格がない。我を使役するだけではなく、魔術師として在ること自体だ』

『その歳で何を理由に力を望む……くだらないもののために使役される精霊など、低級精霊であろうとも存在しない』


 ふと背後に蛉人の……『現在』の時を生きる蛉人の気配を感じて、私は振り返った。指先がクロノスを弾く。やはり機械人形や人間と違う気配は読みにくい。ついとっさに指がバレルに伸びてしまう。

 彼は私の様子を冷静な瞳で見つめながら言った。


『……もうすぐ幻影が消える』

「そうですか」


 私は頷き、そして引き出しに視線を向けた。過去の幻影がゆっくりと薄れていく。悔しそうに拳を握りしめた少年の後ろ姿、開け放された引き出し、生活感のある寝室。それはまるで寝室のうえに重ねられたもう1つの寝室の風景が、風に流されていくかのように。

 蛉人の気配が動く。私は顔をあげると、誰もいなくなった部屋の本棚の前に立つ彼の背中に問いかけた。


「1つ……いえ、2つほど聞きたいことがあるのですが」

『……答えを保証はしない』


 背を向けたまま彼はそう言う。十分です、と私は答えた。彼が『言えない』ことは十分理解している。それは時に『言える』ことよりも正直に物事を教えてくれるからだ。

 開け放された扉から風が通るのを感じながら、私は問いかける。


「では、1つ……この幻影は、誰が、何のために仕掛けたのですか」


 引き出しに触れた指先に、微かに赤黒い液体らしきものがついていた。フレイさんが蛉人を喚び出す時に自分の血を使っていたことを考えると、あれは誰かの仕掛けた幻影の魔術としか考えられない。しかし、誰が、何のために?

 蛉人は首だけを少しこちらへ向ける。


『……我が答える必要があるのか』

「……。……では2つ目です。貴方は何故、私の目の前に?」


 私の言葉に彼の口元が緩んだ。しかしそれは安心できるような笑みではなく、気の抜けない食えない人間の浮かべる微笑み。


『……トゥアスの子孫よ、この世界はオマエが見ている世界だけではない。我ら精霊の世界はこの世界と共に存在し、人間の干渉を許さない。しかし……』


 蛉人は本棚に手を伸ばす。しかしそのしっかりとした腕は本棚を通り抜けた。まるで彼の体が透き通っているかのように。


『世界には幾つか、我らの住う世界との接触点がある。この村が良い例だ。特に、此の屋敷はな』

「……接触点」


 私は呟きながら、先ほど少年が開けたあの引き出しに手を伸ばす。開け放されたはずの引き出しは再び締められた状態に戻っており、私はもう一度慎重に中身を確認する。しかし中に入っていたのは、どれも重要性のなさそうな小物ばかりだった。


『他に聞くことがないのならば……我も行こう』


 蛉人は振り返ると、そう言った。その姿が微かに翳り、確かにそこに在った気配が風によって流されていく。私はその姿が完全に消え去ったのを確認してため息を吐く。

 やはり魔術や精霊といった類いのものは、慣れない。









「『清き水の流れに耳を寄せ……龍神の心臓に光の矢を放つ?さすれば……』……あれ?文字が消えかかってる……」


 僕は紙を陽の光に透かすように、天井からの光が差し込む書庫の真ん中へ後ずさった。なんとなく、筆圧の跡で読めそうな気がするんだけれど……。『さすれば』の跡がはっきりと見えてこない。


「ええと、『さすれば』、『さすれば』……」

「テメ、クリフ!勝手にサボるんじゃ……っ!?」


 椅子に乗って高い所の引き出しを押していたフレイさんが、上から怒鳴りつけてきた。僕は吃驚してそのまま後ろへと転びそうになる。バランスを崩した瞬間、立て直すことが不可能だと瞬時に理解した僕は、手をつこうと右手を後ろへと回した。

 でも、転ぶ刹那の時間は、思ったよりずっと長かったんだ。


「っ!?」

「!」


 僕らはそれぞれ全く違う反応をしていた。フレイさんは伸ばした右手が思ったよりも奥に入っていったことを驚き、僕はいつまで経っても床にぶつかる感触がないことに驚いていた。


「!クリフ!」


 先に状況を悟ったのはフレイさんだった。フレイさんが引き出しの仕掛けを解いた瞬間、書庫の床の中央部分が突然欠落したんだ。丁度中央に経っていた僕の体は、床の欠落と共に闇の中へと放り出された。お、落ちる!

 闇に飲み込まれるように、視界がどんどん狭まっていく。咄嗟にフレイさんが何かを唱えたのは見えたけれど、僕が落ちるスピードは恐ろしく早かった。

 耳元で風を切る音が聞こえる。天井が一気に遠ざかっていく。いつまで経っても訪れない床との接触に、僕は背筋がヒヤリとした。もし硬い地面や瓦礫にぶつかれば……恐ろしいことになる。


「……っ!!」


 僕は声を詰まらせた。その瞬間、風が僕の体を包む。遠い書庫の風景に、フレイさんの姿が見えた気がした。そして次の刹那、今度は冷たいものに体を覆われて、僕の意識は遠ざかりそうになった。響き渡る水音。何か重いものを放り込んだ時のような、そんな音だった。


「クリフっ!!」


 耳に響いたのはくぐもったフレイさんの声。薄れた僕の意識が微かに戻りかけた。そして。


「ッ!ゴホッ、ゲホッ!!……み、水!?わぷっ……!」


 暗闇の中で、僕は溺れそうになっていた。遠い書庫から照らし出される光はここまで届かない。辺りは真っ暗で、支えるものが何処にあるかも分からない状態。水面から顔を出して呼吸するのが精一杯な僕は、水が鼻に入ってくる不快感に耐えながら叫んだ。


「ふ、フレイさっ……うぷ、お、……溺れ……ッ!」


 混乱と溺れかけているせいでフレイさんの姿をはっきりと捉えることが出来ない。でも何かが上から下りてくるのを見て、僕は右手を強く掴まれたのを感じた。


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