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過去の予言書  作者: 由城 要
第3部 One Road Story
41/112

第1章 1


 全ては一つの棺桶から始まった。あの日、貴族以外に使用されることのない馬車が村の前に止まり、ある魔術師の亡骸が村に帰ってきた。雨に打たれながら粛々と運ばれていく漆黒の棺桶。降りしきる雨の中で、俺たちはまだ、これから始まる運命など知る由もなかった。





  - 魔術師の故郷 -





 あの頃の記憶は曖昧で、俺の中では形のない思い出になっている。おぼろげながらその光景を覚えている気がするのは、後で他の奴らが話していた言葉を継ぎ足して作り上げた幻想なのかもしれない。それでも一つだけ言えることがあるとすれば、あれは確か、雨の降る夏の夕方。


「……フレイ、今日はお客様が来るの。だから……ちゃんとした服を着て、お家にいるのよ?」


 顔をあげると、おふくろがハンカチを片手にそう言っていた。俺は何故来客が来るのにおふくろが泣いているのか分からなかった。ただ来客と聞いて、あのジジイが来るんだとばかり思っていた。……あの頃の俺は、まだジジイに懐いていたからだ。

 その期待は、あながち外れてはいなかった。ジジイは雨が激しくなって、雷鳴が鳴り始めた頃に家に来た。数人の、見たことのない顔の男たちを連れて。

 おふくろはジジイと男たちにふかぶかと頭を下げると、ジジイに背中を押されて玄関から外へと歩き出した。俺は何が始まるのか分からず、ただ呆然とした顔で2人の背中を追う。

 ジジイはおふくろに向かってこんなことを言っていた。


「……エメリナ。お前には本当に……苦労をかけたとしか言えんな……」

「いえ……良いのです、ファーレン様。……あの人のことは……分かっていましたから」


 目尻を抑えながら雨の中を歩く2人。後追いのガキみたいにそれを後ろから追う俺は、おふくろの言葉に何故か泣きそうになった。今でもその理由は分からない。ただ、おふくろのその一言に、計り知れない何かが詰まっているような気がしたからだ。

 先を歩く男たちに、1人、また1人と里の人間が集まってきた。どれも申し合わせたように黒い服を身に纏っていて、誰1人としてジジイとおふくろに口を聞こうとしない。それでも、遠巻きに見ていた数人がこちらをチラチラと見つめながら話をしていたのは分かった。


「フォルカー様……まだ25だったのにねぇ……」

「何やらせても完璧で、人当たりもよくて……良いお嫁さんにも恵まれてファーレン様の自慢の息子だったのに」

「……お仕え先でも仕事が出来るって評判だったみたいね……勿体ないわ」

「ほら、よく言うじゃない。よく出来た人ほど短命だって……」


 その時の俺には、それが何のことだか理解出来なかった。葬式というものも初めてで、何が起っているのかも分からない。ただ俺たちは村の外れにある墓へと向かっている。それだけはなんとなく理解出来た。

 フレイ、とおふくろに呼ばれて、俺は2人の隣へと駆寄る。ジジイは俺の頭を撫でて抱き上げると、そのまま墓地へと歩き出した。視点が高くなって喜ぶ俺に、おふくろは雨に濡れて意味のなくなったハンカチで涙を拭った。

 墓地は雨で薄暗くなっていた。俺たちはその中央へと歩みを進め、一つの大きな穴の前で足を止めた。それはまるで何処までも続いているんじゃないかと思うくらいの、でかい穴だった。


「……」


 ふと顔をあげると、穴の向こうには黒く細長い箱が置かれていた。ジジイとおふくろはその箱の前に歩み寄り、上の方に取り付けられた小さな扉を開けた。


「……フレイ」


 ジジイが俺の顔を扉へ近づける。扉の向こうに微かに見えるのは、血の気のない人形のような男の顔。茶色の髪に中肉中背の体……今思えば、それは皮肉なくらいに『誰か』に似ていた。


「フォルカー……」


 ぽつりと、背後で聞こえたジジイの呟きに、俺は首だけで振り返った。そして俺はふとそこで動けなくなってしまったのを覚えている。

 いつも厳格で、里の人間からも恐れ敬われるあのジジイの顔には、一筋だけ雨とは違うものが流れていた。


「……!」


 俺はもう一度箱の中で眠る男に視線を向ける。男の正体が分かったわけじゃない。この男が、ジジイにとって泣くほど大事な人間だったんだと、幼心にそう思ったからだ。

 あの日降り出した雨は、それから2、3日は止まなかった。それはまるで、これから始まる出来事を意味するかのような長雨だった。









「……何をしているんですか?」


 私は何度目かも分からないため息をついて、後ろを振り返った。隣を歩いていたクリフさんは首を傾げながら同じ方向に視線を向ける。


「う……うるせぇな!いいから先歩けっ!!」


 真っすぐに続く緩やかな下り坂。小さな丘の頂上付近に私達は立っていた。振り返っても前を向いても、続いているのはなだらかな平野。澄んだ空気が東へと駆抜けていく。

 フレイさんは先ほどから私達の少し後ろで、辺りを気にしながら歩いている。その挙動不審な様子に、いつもは逆の立場のクリフさんは苦笑気味だ。私は大きくため息を吐く。


「本当に故郷に帰るのが嫌なようですね……」

「言い出したのがお前じゃなければ蹴り倒してたところだっ!!」


 キョロキョロしながらも苛立った表情を浮かべるフレイさんに、それはどうも、と私は言い返した。

 ネオ・オリを出てから約2ヶ月。私達はグロックワースの西に位置するアンブロシアという村を目指している。途中まで道案内をしたメイとはグロックワースの国境付近で別れ、そこからはフレイさんの案内でようやく村の手前まで来た。


「で、でも……良いところじゃないですか?空気もきれいだし」


 隣を歩くクリフさんは、下手にフレイさんの地雷を踏まないように気を配りながらそう言う。私はもう一度道の向こうに視線を向けて頷いた。


「そうですね。思っていたより閑散とした村ですが……」


 道の先には点在する家と林、そして向こうには森が広がっていた。丁度丘と丘の間の窪地なのだろう。村の中心から少し離れたところに小さな湖が見える。近くでは子供達らしき影が数人、集まって何かをしていた。普通の村と違うのは、子供達の遊んでいる場所で時折何かが光ることだ。赤い光、白い光、青い光……やはりここは魔術師の村なのだと実感させられる。

 丘から下ってきた私達は、窪地の丁度中心に存在する巨木の前で足を止めた。


「とりあえずファーレン様の屋敷に行きましょうか。フレイさん、案内を……。……?」


 ふと私は後ろを振り返る。そこには立ち並ぶ他の家よりも少し大きめの家が建っていた。周りは木々と柵が覆っていて、私達のいるところからは家の庭先が見て取れる。

 丁度私が振り返ったとき、そこにはシーツを干す若い女性の姿が見えた。彼女は洗濯物を腕に掛けながら一つ一つ干していたが、私達の姿に気付くと、バサッとそれを落としてしまった。


「ぼ……ぼ……ぼ……」


 驚愕の表情を浮かべている彼女に、私はすぐにフレイさんに視線を向ける。おそらく知り合いか、それともこの家がフレイさんの家なのか……。フレイさんも彼女の顔を見て、一瞬で顔色を真っ青に変化させる。


「――坊ちゃま!!」


 不覚にも彼女が叫んだ言葉に、私もクリフさんも思考を停止させてしまった。










「エメリナ様!エメリナ様!!坊ちゃまですよ、坊ちゃま!坊ちゃまがお帰りになられました!」

「『坊ちゃま』言うな!俺はもう18だっ!!」


 俺たちを玄関に置き去りにして階段を駆け上がっていくファリーナに、俺は後ろからそう怒鳴りつけた。苛立ち紛れにため息をつくと、背後にいたサーシャが納得したように頷く。


「……ああ、そういえばフレイさんは曲がりなりにもファーレン様のお孫さんでしたね」


 今更気付いたとでも言わんばかりの口調に、俺はサーシャを睨みつける。しかし俺の威圧はサーシャではなく、クリフに効果をもたらしたようだった。ひっ、と息を詰まらせて、クリフがサーシャの影に隠れる。

 サーシャは息を吐くと、玄関から家の中を見渡した。


「それにしても、かなり大きな家ですね……。ファーレン様もこちらで?」


 玄関の目の前には、壁沿いに上の階に繋がる階段がある。1階の部屋はリビングをあわせて3つ。2階は吹き抜けになっていて、壁の両側に2つずつ、更に奥に1つ扉がある。扉を開けると屋根裏部屋に続くようになっていて、そこはこの家のメイドをしているファリーナの部屋だ。

 2階建てでも部屋数の少ない家が主流のこの時代に、これだけの家は確かに大きい部類に入るのかもしれない。まあ、生まれた頃から住んでいる俺には分かんねぇけどな。


「いや……ジジイん家はもっと先だ」

「そ、それじゃあ、フレイさんのお爺さんの家ってもっと大きいんじゃ……」


 家の中を見回して頭を回すクリフ。サーシャもまた、興味深げに頷いている。俺はため息をつくと、冷静に周りを見渡して右手で部屋数や敷地の大きさを数えた。


「まあ、そうだな……敷地で言えばこの家の3倍ってとこか」

「さ、さん……っ!?」

「……なかなかの広さですね」


 クラクラしているクリフの隣でサーシャはそう言った。おそらくコイツには家って観念がなんだろう。俺が言うのもなんだが、一般人の反応として正解なのはクリフだ。大抵の人間はあのジジイの家の広さや敷地面積に驚く。聞いた話によると、中流貴族と並ぶ程度の屋敷らしい。

 サーシャは何かを考えるように辺りを見回し、そしてふと顔をあげた。


「では、この家は……」

「あら。お客様ね」


 サーシャの言葉はそこで遮られた。階段の上に視線を向けると、手すりを掴みながらゆっくりと下りてくるファリーナとおふくろの姿がある。俺は顔を顰めてため息をついた。するとおふくろは階段の上から俺を見下ろして笑う。


「あらあら……おかえりなさい」


 おふくろの微笑みははっきりと俺に向けられているが、その視点は合っていない。サーシャはふと首を傾げ、俺に視線を向ける。俺は何か言いたげなその視線を無視して上を見上げた。


「……ああ」

「お客様も一緒なのね。今、お茶の用意をするわ」


 おふくろは後ろからついてきたファリーナに視線を向ける。頷いて下へと下りてきたファリーナに俺はため息をついた。


「別にいらねぇよ。用事を済ませたらすぐ出てく」

「あれ……坊ちゃま達はお急ぎなんですか?」


 ファリーナの声に頷こうとしたとき、背後でサーシャが苦笑した。首を左右に振って、階段の上にいるおふくろに視線を向ける。


「いえ。少々、この里に長居させていただこうかと思っていましたので」


 きっぱりと言いきったサーシャに、俺とクリフが驚愕したのがほぼ同時だった。










 波音が絶えず響き渡る、ある港町の一画。赤茶けた煉瓦造りの建物が両側に立ち並ぶ街並。私は帽子を目深に被り、前を歩くアイルークの背中を追う。アイルークもまたローブで顔を隠しながら坂道を下っていた。

 私が船に乗るのはこれで3回目になる。船は浮力を利用した乗り物で、人の知恵が作り出した産物だ。トゥアス帝国と共に知識を無くしたこの世界には、どうやら残された『知』と消え去った『知』があるらしい。私にはその違いが分からないが、それはきっと人間の生活の基盤となるものと、それ以上のものとの違いなのだろう。

 私は少し顔をあげてアイルークの背中を見る。先ほど街に入ってから、その足取りは早まっていた。下り坂のせいかと思ったが、それ以外の何かが速度を速めさせているのだろう。


「……アイルーク」


 ローブの裾を引っ張ると、アイルークはハッとしたようにこちらを振り向いた。しかしその表情もすぐにいつもの少しふざけた顔に変わる。


「あ、悪い……って、ああっ!?この俺が、女性のエスコートを忘れるとは!」

「……」


 私には最近覚えたことがある。アイルークの冗談には、真顔で視線を逸らすことだ。ジュリアもジェイもよくそうしている。だからそれがきっと正しい反応なのだと私は思った。

 私はアイルークのローブを掴みながら、隣を歩き始める。人ごみを避けながら坂を下ると、向こうに港が見えてきた。私は帽子が潮風に飛ばされないように押さえながら言う。


「……アイルーク、何か考えてる。さっきから、ずっと」

「……」


 今度はアイルークが沈黙する番だった。アイルークの表情はローブで見えないけれど、何かしらの反応をしているはず。彼は人間だから。私みたいにプログラムされた殺人人形ではないから。

 しばらく言葉を発しなかったアイルークは、ふと緊張を解いたようにため息をついた。


「……なんか見透かされてるような感じだよなぁ……」

「?」


 首を傾げる私に、アイルークは帽子ごと私の頭を押えつけた。帽子のつばから上を見上げると、一瞬だけ風のいたずらでアイルークの表情が見える。


「……!」


 さあ行くぞ、とアイルークは私の頭をぽんぽんと叩いて、先を歩き始める。私はその場に立ちすくみ、そしてその背中を見つめた。

 私が見たアイルークの表情を、上手く言い表す言葉を私は知らない。なにものにも形容しがたく、それでいて様々な感情の入り交じった複雑な感情。いつもの軽薄な笑みとはかけ離れた表情に、私は胸の奥がざわめくのを感じた。

 それは私には到底理解出来ないもののように思えてならなかった。


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