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過去の予言書  作者: 由城 要
第2部 One Day Story
38/112

第5章 1


 高みを行く者。現在の己に甘んずることなく、超然として生きる気高き魂を持つということ。しかしそれを持つことは同時に、誰かを傷つける覚悟をしなければならない。我を通せば火の粉は舞い上がり、僅かでもその足を引けばやがて己を失ってしまう。

 だからこそ、高みを行く者に逃げ道など許されない。





  - 戦いと覚悟のとき -





 動の刻、ネオ・オリエントの北東よりアクロスの軍が侵入、ゲートを突破し大通りを占拠。軍隊は中枢部隊のみを残し、他は蟻が巣を這い回るように路地から路地へと回り込み、住民の動きを封じる。

 花の刻、ネオ・オリエント城下の半数がアクロス軍により占拠。数カ所で住民の抵抗があったが、軍によって鎮圧される。

 暖の刻、城下の八割が占拠される。同時刻、ネオ・オリエント軍が城下にてアクロス軍への出撃を開始。しかし、体勢の立て直しに戸惑ったことは歴然であり、対応の遅さが露見する。

 風の刻、ネオ・オリエント軍との衝突を避け、中枢部隊が城へ侵入作戦を開始する。同時刻、アクロス軍、ネオ・オリエント城の城門を突破。


『勝機は得たり!』


 誰が叫んだ声かは分からない。聞き覚えのある声のようだったが、この騒ぎの中では誰の声とも判別がつかない。鬨の声が響き渡り、城は騒然としていた。逃げ惑う召使い達、そして無遠慮に踏みつけられる美しい庭園。アクロス軍が目指すのはおそらく、最上階の国王の私室。床に臥せった国王の首を獲ることで、この大掛かりな奇襲に幕を下ろすつもりなのだろう。

 もはや誰の目にも、勝利は見えている。


『相手は老いた頭目のみ!最上階を目指せ、其処に我らの勝利がある!!』


 数多の足音が石造りの階段を踏みつける音がする。耳障りな音だ、と誰かが呟いた。たしかに、自分の庭を土足で歩き回られるのは快いものではない。いや、むしろ不快と言うべきか。

 足音は階段を上がり、やがて大きな扉の前へと辿り着くだろう。この城は特殊な造りをしている。最上階の王族の部屋に行く為には、一つの部屋を通らなければいけない。

 そう、それは此処……公務に使われる謁見の間。


『国王の首を獲れ!アクロスの勇士として、この国を我らのものに!!』


 叫び声と同時に、両開きの扉が音をたてて開かれた。なだれ込もうとした第一陣が、敵の気配に緊張する。謁見の間の左右に位置する最上階へと繋がる扉の前に人影があったからだ。

 西側に立つ人影はアクロスの中枢部隊を見渡し、その真ん中に見覚えのある顔を見つけて嘆息する。


「聞き覚えある声すると思たら、やっぱりね。エロオヤジ」


 人影がゆっくりと前へ歩み出る。窓の光に照らされてそれが女であることが分かった。アクロスの軍隊はその姿に警戒の姿勢を取る。彼らに守られながら、宰相……ディーター・エデュロイは下卑た笑みを浮かべた。


「やはり此処にいたか……」


 口髭をさするディーターに、彼女は言う。


「おうよ。他の国の軍が城の中入てきて黙てられるほど、寛容ないのん。相棒もそう思てるね」

「……そうだな」


 すっと、東側の扉の前からもう1人が姿を現した。窓を覆うような大きな体、そして長身。ディーターはふと眉間に皺を寄せた。

 紳士に飾った顔から、徐々に本性が見え隠れし始める。


「テレジア・ケベリにジャン・ユサクか……。ふっ、お前達がいかに足掻こうとも、指導者のいないこの国をどうすることが出来る?それともまだあの屍のような老いぼれに全てを背負わせる気か」


 すっと軍人達の目に殺気が宿る。テレジアは肩に担いでいたメイスを構えた。ジャンも同じようにコルセスカを侵入者達に向ける。一触即発の中、不快な笑い声が謁見の間に響き渡る。

 本当にこの男は人間の醜さを寄せ集めたような男だ。ディーターはもはや宰相という皮を拭い去り、アクロスに加担するただの首魁と成り果てている。欲に溺れた人間はやがてこうなるのだ。そしてこれが……これが、我々の敵。

 テレジアがふと口角を上げた。


「……その馬鹿笑い止めた方良いね。国王サマなら此処にいるよ」


 その場が静まり返る。ディーターの声すら一瞬にして止めてしまうほど、その言葉は意外なものだった。侵入者達の間に戦慄がはしる。年老いた国王の命さえ奪えばこの国を我がものに出来るはずが、指導者が他にいたとなると面倒なことになるのだろう。


「なっ……!?馬鹿な、ボルドー王子は今頃、国を逃げ出しているはずだぞ!?」


 ディーターの声にテレジアとジャンが目配せをした。おそらくディーターは逃がすフリをして彼を殺すつもりだったのだろう。しかしあの人は今、この城の地下に捕らえてある。

 ある条件を付けて。


「……ああ。逃げるはずだった。でも少々用があったのでな……もう少し此処に残ってもらうことにした」

「……っ!?」


 すっと、余は謁見の間の中央にある国王の椅子の後ろから立ち上がった。階段の上にあるこの席からは、下にいる侵入者達の顔、そして憎きディーターの表情も全て見下ろすことが出来る。

 ディーターは余を見た瞬間、ぽかんとした表情を浮かべた。そしてすぐにその意味を察したかのように笑い始める。下品で低級で、紳士という言葉などもう欠片も感じられない。


「はっ……ハハハハハ!とんだ茶番だ、小さな王子よ!まさか貴方が国王だとでも言うつもりか?」

「……」


 ディーターにつられるように、アクロスの兵士達もまた、同じように笑い始める。つまらない人間たちだ。人を悪く言いたくはないが、目の前で群れるこやつらこそ、人間と同等に扱うべきものだとは思えない。

 誇りなどという信念を雀の涙ほども持ち合わせていない、ただの下衆。


「少年王でも気取るつもりか?……それこそ笑止千万、笑わせるのも大概にしていただきたいぞ、フェオール王子!」


 刹那、ゲラゲラと笑い続けるアクロス兵達の声が少なくなった。同時になにか重いものが次々に倒れる音が響き、その場が瞬時に凍りつく。

 じわりと、彼らの足下に赤い血液が広がった。


「少年王ですか。それもなかなかに格好良いですね。……ああ、臆病な兎の説得に時間をかけてしまって遅くなりました。申し訳ありません、国王陛下」

「っ!?」


 ディーターの表情が驚愕の色に変わった。それもそのはずだ、奴が引き連れて来た何千という中枢部隊が、奴の背後にいるたった1人の男にすり替えられているのだから。そして、代わりに謁見の間の廊下には咽せかえるような鉄錆びの臭いが漂っている。

 誰かが、ひっ、と声をあげた。余の立っている場所からも見える。回廊に転がった幾つもの『人であったモノ』が。

 男……いや、フリッツは赤く染まった右腕と剣を一振りすると、左手で懐から一枚の紙を取り出した。そしてそれをディーターの目の前に突きつける。


「貴方の失敗は前国王からボルドー王子に王位を継承させてしまったことですよ。捕まえて『説得』したところ、しっかりとこちらにサインをいただきました。……王位を末弟フェオール・マルスに譲る、と」


 フリッツの差し出した紙にはしっかりと兄上の字でサインがされていた。字は震えていて、端には血液の飛び散った跡がある。フリッツがただの『説得』をしたわけではないことは明らかだったが。


(だが……こちらに分はある)


 謁見の間にいる兵士達が剣をフリッツに向ける。フリッツはサインを奪い取ろうとするディーターの手を避け、素早くそれを懐に戻した。

 ディーターは余を睨みつけて叫ぶ。


「くっ……お前のような子供に何ができると言うのだ!何も知らずのうのうと生きてきたお前にっ!」

「……そちの言いたいことはよく分かるぞ、ディーター」


 余は椅子の前に立つ。此処に立つ父上の姿を見たのは何年前のことだろう。三大戦士や、軍の上層部の人間たちに語る父の姿は力強く、そして何よりも勇ましかった。あれこそが太陽神の子孫、バルトロの血と誇りを受け継ぎし者なのだと、誰もが思うほどに。


「余は無知だ。国を統べる術など知らぬ。国を傾けるかもしれぬ。だが……」


 父上と違って余は若い。あんなに強い眼差しも持っていない。それでも、父上と同じものが一つだけある。それは、この国を思う心。そして父上の息子としてこの国に生まれた誇り。

 それは太陽のように明るく、この国を照らし出すもの。


「この国に生きる者はみな、誇りを持っている。太陽神バルトロの子孫として、都に住まう者も、砂漠に生きる者もそれは同じだ。……見よ」


 余は東の窓を指差した。最上階に近いこの謁見の間からは砂漠の様子を見ることが出来る。アクロス兵の1人が窓に歩み寄り、そして愕然とした表情をした。


「この国を支えるのは余であり、そして余ではない。その意味すら解することの出来ぬお前に、この国を渡すことはできぬ」


 ジリジリと体を焼くような太陽の下、国を囲むように丸い輪が出来ている。目を凝らして見えるのは、ネオ・オリエントの旗を掲げた我が軍の姿と、その後ろに並ぶ黒い馬に乗った者達。彼らは黒い布に体を包み、ネオ・オリ軍の指示に従って都へと突入してくる。

 この国を支えるもう一つの柱。メティスカ、ルウ゛ァ、ゲイツの3つの部族。


「……計画を知たのが奇襲の前で良かたね。戦力になりそなの全員揃えるの大変だたのん」


 テレジアが窓から外の様子を眺めてそう言う。脂汗を浮かべて唇を噛み締めるディーターに、フリッツは口端を上げて言った。


「僕らをあまり馬鹿にしないで下さいね。力だけでこの地位にのし上がったわけではないんですから……」

「ちっ……!お前達、さっさとこいつらを殺すのだ!!早く、早く……っ!!」


 ディーターは周りにいる兵士達を見渡し、そう叫ぶ。殺気立つ侵入者達に三大戦士達の目の色が変わった。余はため息をつき、そして深く息を吸い込んだ。


「ジャン、テレジア。この者達を排除しろ!生死は問わない」


 一喝はおそらくディーターにも負けていなかったと思う。テレジアとジャンは頷き、侵入者たちに武器を向けた。いくら多少の人数差があるとはいえ、相手は士気が落ちたうえに孤立無援となった者達だ。三大戦士の2人が負けるはずが無い。

 余の一言に、扉の前に立っていたフリッツがぽかんとした顔をする。


「あれ……陛下、僕は?」

「あれだけ暴れておいて何をいうのだ。……これを返してこい」


 余は懐に入れていたヒュペリオンをフリッツに向けて投げた。フリッツは慌ててそれを受け取ると、安堵のため息をついてこちらを見上げる。


「……いいんですか?返しても」

「よい。……余には必要の無いものだった。そう伝えておけ」


 父上の部屋に戻る、と余はそれだけ言って謁見の間に背を向けた。断末魔や血の臭いに満たされたこの空間の向こうで、フリッツが苦笑しているのがなんとなく、分かった。









 僕らは走っていた。後ろからはアクロス軍と三大部族の衝突する音が聞こえてくる。剣の交わる音や、人の倒れる音、うめき声。恐くて恐くてたまらないけど、兎に角逃げないと僕もとばっちりを受けてしまう。

 メイの道案内でまだ安全そうな細い路地を走る僕ら3人。静かに逃げたいんだけど、さっきからフレイさんがやけにサーシャさんに噛み付いている。


「サーシャ!てめぇっ、なんで次の目的地がアンブロシアなんだよ!!」

「何か不都合がありますか。私は単に預言書の情報を求めてアンブロシアを希望しただけですが」


 前を走る僕とメイの後ろで、サーシャさんとフレイさんがそんなことを言っている。どうやら次の目的地がフレイさんには気に食わないらしい。

 フレイさんは眉間に皺を寄せながら、隣を走るサーシャさんを睨みつける。


「ふ・ざ・け・ん・なっ!!絶対昨日の夜のこと根に持ってんだろ!」

「いえ。根に持っているというより呆れているだけです。さっさと召喚くらい出来るようになって下さい」

「やっぱ根に持ってんじゃねぇかっ!!」


 てめえ、ふざけんなこの野郎、とフレイさんの罵詈雑言は止まらない。こうゆう時は関わらない方が無難だと学んだ僕は、とりあえず隣を走るメイに問いかける。


「ね、ねえ……本当にこっちの道で大丈夫……?」

「うん。今の部族の人たちが押してるから、ゲートの近くまでいけば安全だよ。……ふふっ」


 メイはワンピースをヒラヒラとはためかせながら笑った。状況違いな笑い方に僕は首を傾げる。後ろではまだ2人の会話が続いている。

 メイは路地を左へと曲がる。僕たちもそれを追って更に暗くて細い路地へと曲がった。足下に転がる樽や木箱に足を取られそうになったけど、すぐに体勢を立て直す。


「ど、どうしたの……?」

「ん?ううん。……なんか、楽しそうだなぁって」


 そう思っただけ、とメイは笑う。僕はなんのことかよく分からなくて、もう一度後ろに視線を向ける。2人の言い合いは……あ、いや、フレイさんの怒りはどんどんエスカレートして、今ではなんだか別な方向に話が進んでしまってる。


「だいたいな!お前、俺を差し置いて蛉人と話をつけんなっ!!俺の立場ってやつを考えろっ、少しは!」

「立場立場と言うのは魔術師の悪いくせではないですか?そんなプライドは捨ててしまった方が楽ですよ」

「余計なお世話だっ!!」


 た、楽しそう……?ど、どっちのことを言ってるのかな。どっちのことでもないような気がするんだけど……。

 ふと前に視線を戻すと、目の前に僕らが入ってきたあのゲートが見えた。部族の人以外に人気は無い。まあ、僕らはアクロス軍の格好をしているわけじゃないから、警戒されたりはしないだろうけど。


「はぁ、はぁ……や、やっと着いた……」


 僕はゲートの近くまで行くと、大きく息を吐いた。流石に全速力で走ったから息が切れた。辺りを見回すと、メイがゲートの前にいる部族の人たちのところに行って、事情を話してる。

 遅れて追いついてきたサーシャさんは、メイの様子を横目で見つめながら僕の方に歩み寄ってきた。


「……街の外は安全でしょう。今から出れば近くの集落で一泊出来ると思います」

「い、いいんですか?預言書の件は……」


 次いで走って来たフレイさんは、僕達が立ち止まっているのを見てパタリとその場に倒れた。一番体力が無いのに喋りながら走ってたんだから、まあ仕方の無いことだと思う。サーシャさんは呆れた表情でそれを見下ろし、そして僕に視線を戻す。


「ええ。……預言書を巡る勢力図が見えてきましたから、それを掴んだだけでも十分でしょう」


 勢力図。きっとそれは預言書に最も近づいている人たちのことだ。蒼天の書を持つジェイロードさん達、過去の預言書を所持している可能性の高いアクロス国、そして……。


「そして……そうですね、アクロスを裏で動かすメーリング家。彼らが独自に預言書を持つ可能性もあるのではないかと思います」

「じゃあ、どうしてアンブロシアに?」


 預言書のある場所が分かっているのなら、どうして直接そっちに向かわないんだろう。それにアンブロシアはこの大陸の南西。僕らが出会ったグロックワースの反対側で、遠回りであることは明白だ。

 話をつけたメイが疲れを見せない表情でこちらへと駆寄ってくる。


「それは……。……いえ、口にするのは止めておきましょう」


 サーシャさんは倒れたままのフレイさんを見下ろし、そう言った。


「何が得られるかは、行ってみるまで分からないと思いますから」



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