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過去の予言書  作者: 由城 要
第2部 One Day Story
36/112

第4章 3


 窓をカーテンで覆う。月光が遮られた部屋の中は闇の色に溶けた。壁際に寄せたテーブルから蝋燭を掴み、床にそれを置く。スッと指先で白い円柱のふちをなぞると、ゆっくりと小さな火が浮かび上がってきた。やがてその仄かな光に誘われるように、溶け入っていた部屋の家具が微かに視界に見えるようになる。

 俺は床に置いた5本の蝋燭に火をつけ、深く息を吸い込んだ。





  - 祖父の影 -





 準備は完璧だ。俺は床に広がる魔法陣を目の前にしてそう1人ごちた。五芒星と、それを囲う一つの円。場所が場所だけに簡単な陣しか作れないが、実際は祭壇で行うのが普通だ。クリフに使いっ走りをさせて買い集めた薬草や鉱石を定められた場所に配置し、俺は魔法陣の前に座る。

 あとは頭の中に叩き込まれた呪文を、口にすればいいだけ。俺はポケットに忍ばせていた小型のナイフを手に取ると指先でその刃をなぞった。スッと鋭利な痛みがはしり、指先から鮮血が滴り落ちる。


「……」


 水滴が床ではねて音を立てる。微かに部屋を包む空気が変化した。血は木の床板には染込まず、少し浮いた状態で横に広がり、まるで別な空間に吸い込まれていくかのように消える。

 部屋の籠った空気が緊張する。ふと、どこからともなく風が吹いた。もちろん窓は閉まっている。


(かかった……か?)


 俺は血液がゆっくりと空気中に染込んでいくのを見つめ、そして大きく息を吐く。記憶を手繰り寄せながら、紡ぐべき言葉を口にしようとした。

 そのとき。


「……フレイさん、起きていますか?」


 廊下から声が聞こえて、扉が開いた。無遠慮に開かれた扉から光が差し込み、先ほどまで部屋の中を包んでいた緊張感が一気に緩む。扉から顔を出したのは、やはりサーシャだった。サーシャは俺と、目の前に広がる魔法陣を目にして顔を顰める。


「……ああ、取り込み中でしたか」


 魔法陣と蝋燭、そして配置された薬草や鉱物をしげしげと見回して、サーシャはドアを締めようとした。緊張感が脱力感に代わり、ふつふつと怒りが込み上げてきた俺は、そそくさと立ち去ろうとするサーシャを怒鳴りつける。


「てめっ……こちとら取り込み中だっ!!勝手にドア開けんなっ!つーか、ノックくらいしろ!!」

「フレイさんには必要ないかと思ったんですが……そこまでいうのなら、気をつけることにしましょう」


 フレイさんには必要ないって……『には』ってなんだ『には』って!

 深く深くため息をつく俺に、サーシャはもう一度魔法陣を見回した。何が珍しいのかは知らないが、陣の手前で座り込むと、薬草や鉱物を見つめている。手を伸ばさないのはおそらく、崩してはいけないと無意識に悟ったからだろう。


「それで……」


 ふと気付くと、サーシャの視線は魔法陣から俺へと向けられていた。


「……フレイさんは魔法陣で、何を?」


 蝋燭に照らされたサーシャの目が、答えを要求している。別に答える必要はないんだろうが……俺は視線を逸らしてため息をついた。睨み合いでコイツに勝てるなら、俺は最初からここにはいねぇよな……。


「……召喚だ。召喚の儀式」

「召喚……アイルークさんがやっていた、あれですね」


 サーシャの言葉に俺は曖昧に頷いた。まあ、あれは契約したうえでの召喚だから、こんな面倒くさい準備は何も必要ない。そもそもあいつは『フィオ』を召喚したときもこんな儀式全部省略して喚び出しちまったんだが。

 魔法陣を見つめ、サーシャはドアを締めた。また先ほどと同じように部屋の中が闇に包まれる。蝋燭が仄かな光で辺りを照らし、微かに空気が変わった。さっきと違うのは、部屋の中にサーシャがいることだけだ。

 じっと陣を見つめるサーシャに、俺は口を引きつらせる。


「……で、お前。何、当然のように居座ってんだよ」

「興味が湧きました。私は武術の知識はありますが、魔術に関することはあまり詳しくないので」


 座らせてもらいますね、とサーシャは俺の背後にあるベッドに腰掛けた。おい、せめて俺に了承を求めろよ、この女。


「気が散るっつーの!出てけっ」

「この程度で気が散るようでは召喚も上手くいかないのでは?それは私のせいではなく、フレイさんの実力のせいだと思いますが」


 べらべらと背後で痛いところをグサグサと突いてくるサーシャ。ああくそ、口喧嘩でもコイツに勝てねぇ自分がむかつく!


「あーあー、分かった!口出すんじゃねぇぞ!?失敗したら全部お前のせいだからなっ」


 もし失敗したら薬草その他もろもろの代金を払わさせる、と心に決め、俺は魔法陣に向かい合った。集中が乱されたが、どうやらまだ続ければなんとかなりそうだ。滴り落ちた血の雫が、また空気の中に溶けていく。

 俺はゆっくりと息を吐いた。目を瞑り心を静め、そして利き手を差し出す。指先で空中を切ると、微かに床に描かれた陣が光を放ち始めた。同時に部屋の中を包む空気が重みを増し、体に強い圧力がのしかかってくる。


「……っ」


 集中を切らしてはいけない。これは俺たちの……いや、あの一族が今まで使役してきた精霊『蛉人』が喚び起こされる前兆だ。やつらは自分より強い人間にしか従おうとはしない。こんなところでくたばる魔術師に、従う気はないということだ。

 重圧は時間が経つ毎に増していく。その力は幼い頃の記憶を呼び起こした。まだガキだったアイルークが、簡素な魔法陣一つで喚び出した精霊『フィオ』。ジジイの持つ精霊の後に続く力を持ったフィオを、アイツは自力で召喚した。

 真っすぐに陣を見下ろし。重圧などもろともせずに。


『……カナール・エミナ・ラ・フィリオーネ!汝、我の使役に下れっ』


 脳裏に言葉が浮かぶ。俺はただ、それを叫ぶ。


「イデア……イデア・トゥルーン・レ・ヴァルナ!」










 あれは……そう、アイルークが『フィオ』の召喚に成功して間もない頃だった。まだガキだったアイツが今までに例のない偉業を成し遂げたせいで、アイツに向けられる尊敬や敬意の視線は更に色濃くなっていた。ジジイもアイツの才能に喜んだが、その一方で他の子供達にはしばらく召喚の儀式は行わないように釘を打った。もともとガキが儀式を行って無事でいられたこと事態が奇跡だったんだ。


『良いか、アイルークは特別なのだ。お前達は間違っても儀式を行ってはいかん。大丈夫、お前達も大きくなれば精霊を召喚することも出来るであろう』


 白い髭をさすりながら、ジジイは俺たちを見回した。その横で満足げな表情をしているアイルークを見るのが、俺はとてつもなく嫌だった。あてつけのようにこちらを向いて無邪気に笑うアイツが。


『……っ……』


 だから俺はある日、オフクロやジジイ、そしてアイツ等の目を盗んで、一度だけ召喚の儀式を行った。どうしてもアイルーク以上の『蛉人』を召喚したかった。今思えば、ただアイツの才能に嫉妬していただけだ。

 ジジイの書斎から一冊の本を盗み出した。埃を被っていて読みづらかったが、魔術以外の本も読んでいた俺には、それを解読するのは朝飯前だった。


『……えっと……ウ……じゃない、「ヴァ」?……ヴァ、ルー……ナ』


 俺は蛉人のナンバー2『フィオ』以上の力を持つ精霊を探していた。もちろん、普通に考えればそれ以上の精霊はジジイの持つナンバー1の『デルヴァ』以外にいない。それでも俺は奇跡的に最後にジジイの手で走り書きされたメモを見つけたのだ。


『イデア・トゥルーン・レ・ヴァルナ……』


 聞いたことのない名前だった。下級の精霊かと思ったが、そんなものをジジイが書き留めておくはずがない。俺は不思議に思いながらも、そのメモを片手に殆ど見よう見まねで召喚の儀式を始めることにした。

 あれは家から少し離れた林の木陰。木々がざわめき、足下に光の斑点が揺らめいていた。草花の香りと、少し湿った地面。俺はそこに簡単な召喚の魔法陣を描き、アイルークのやっていたことを真似た。本格的な魔法陣にしなかったのは、あくまでアイツと同じ状況にしたかったからだ。


『イデア……イデア・トゥルーン・レ・ヴァルナ……』


 風が背中から森の奥へと吹き付ける。体を揺らす森の木々は、まるで無謀なことを試す俺に制止の声をかけているようにも思えた。

 やがてざわめきが止まると、ひっそりとした森の中に一筋の光が差した。光の斑点が吸い寄せられるように魔法陣に集まっていく。それは異様な光景だった。まるで光を喰らい尽くすかのように、魔法陣の中に消えていく。


『……イデア・トゥルーン・レ・ヴァルナ』


 光が喰い尽くされ、ふっと目の前が暗くなった。背中に冷たい感触が通っていったのを覚えている。もしかしたら、儀式に失敗して一瞬で命を奪われたのかもしれない。本気でそう思った。

 それでも不思議なことに、俺の叫び声は自分の耳の中に届いた。


『イデア・トゥルーン・レ・ヴァルナっ!!』









 肩にのしかかってきた圧力は、私の息を詰まらせた。全てを押しつぶすような力。私はかろうじて息をしながら、フレイさんの背中を見る。同じ圧力を受けているのだろう、何かに耐えるように時折肩が揺れる。

 しかしその圧力が緩んだのは、フレイさんが何かを叫んだ直後だった。


「……!」


 私はハッと顔をあげた。何かの気配を悟ったからだ。それは人ではない……人のように質量のある気配ではなかった。

 フレイさんは大きく息を吐いて顔をあげる。そして魔法陣の上にぼんやりと浮かぶ人影にため息を吐いてみせた。


「……」


 人影は人間の男、という感じだった。アイルークさんの使役する『フィオ』が女性の形をしているのならば、今目の前に浮かぶ彼が男性の形をしているのもなんとなく頷ける。彼は腰の辺りまである長髪に、鋭い瞳をしていた。人間の歳で表すのならば……30前後といったところだろう。前空きの襟を重ね、胸の辺りを帯で留めた姿はやはり普通の人間と少々違った雰囲気を醸し出している。

 浅黒い肌、左頬の下に刻まれた深い傷痕。鋭い視線で足下にいるフレイさんを睨みつける。煩わしいものを見るような視線で。

 そしてその唇が開いた。


『また……オマエか』

「……!」


 声、と呼ぶには相応しくない。それは彼の口を通して発しているものというより、直接頭の中に響いているように感じた。まるで思考の中に何か別な意識が割り込み、集中を乱そうとしているかのように。

 フレイさんはその声に動揺することなく、顔をあげる。


「またってなんだよ……。10年近く前の話だぞ」

『人間の感覚と我々は違う。小国の誕生と争い、文明の発展、帝国の栄枯盛衰を知る我からすれば、オマエの10年など足下にも及ばない』


 私は蛉人については詳しいことを知らない。いや、それは魔術師以外の人間にとって当然のことだろう。彼らは数多い精霊達の中でもっとも高い位置にいる高貴な種族と言われている。

 高貴にして巨大な力を持つ精霊。神と同等、時にはそれ以上に崇められることもある者達。そして彼らを唯一使役することのできる魔術師一族。

 ふと、蛉人は私の姿に気付いたように顔をあげた。


『……この女は?』

「?ああ、コイツは……」


 鋭い視線が私を射抜く。答えようとするフレイさんを遮って、私は座ったまま答えた。


「……サーシャ。サーシャ・レヴィアスといいます」

『主か』


 フレイさんと私を見つめるその瞳は、先ほどから色を変えない。それは考えが読めないことを表していた。やはり魔法や精霊といったものは分かりにくいと私は思う。人間の思考は突詰めれば理解出来るが、それを超越した力は、超越出来る者にしか理解することを許さない。だから……正直なところ、私は魔法の類いは好きではない。なるべく敵に回したくないというのが本音だ。

 蛉人の言葉にフレイさんは苦虫を噛み潰したような顔をする。


「なわけねぇだろ、なんで俺が……」

「ええ。フレイさんの方から頭を下げられたので、仕方なく」


 正直にそう答えると、フレイさんは物凄い勢いで振り向いて私を睨みつけてきた。嘘偽りない事実を答えたというのに随分な反応だ。

 しかし蛉人は面白いものを見るようにふと口元を緩める。


『あの餓鬼が女に仕えるとはな。……それで我の力を借りたいというわけか』

「あのなぁ!仕えてるんじゃなくて、単に目的が同じってだけで……。ああもう分かった、勝手に言ってろ!兎に角、力を貸せ!!使役に下れ!!」


 ものを頼むとは思えないほど横暴なフレイさんの様子に、蛉人は深いため息をついた。そしてじっとフレイさんを見下ろし、首を左右に振る。その表情はまた先ほどの鋭い瞳に戻っていた。

 彼は言う。


『足りぬ。……オマエには足りないものがある。いや、理解していないというべきか』

「……どうゆうことだ」


 蛉人はフレイさんを見つめて静かに呟く。世界の盛衰を見てきたというその瞳の奥には、おそらく私達では到底考えることの出来ない深い思考を持っているのだろう。


『以前のオマエには覚悟と理由が無かった。そして今のオマエにはその資格が無かった。それだけのことだ』

「!」


 資格、という言葉にフレイさんの肩が揺れた。動揺は跳ね返って増幅し怒りに変わる。彼と旅をしてきて知ったことだが……それはおそらく、フレイさんの中の一番のコンプレックス。過剰な期待に答えることの出来なかった虚しさ、そして自分の目指していたものを簡単に実現させたアイルークさんへの劣等感。

 そして一番大きいのはおそらく、稀代の魔術師と呼ばれた祖父の……。


「……資格って……資格ってなんだよ!!」


 フレイさんはかぶりを振る。背後にいる私にはその表情は見ることが出来ないが、どんな顔をしているのかは分かった。


「力か?才能か!?んなもん……どうにか出来るならとっくにしてんだろ!!」


 人間にはどうしようもない、どうにも出来ないものが必ずある。それは力も然り、才能もまた然り。限界という二文字は何よりも重く、自身を傷つける。鋭利なナイフのようにその痛みは体の内側を抉っていくのだから。それは……私にも、分かる。


「……一つ尋ねても良いですか?」

『……なんだ』


 私はフレイさんの背中から視線を移した。そして蛉人を見上げる。


「私は魔術について詳しいことを知りません。ですが……貴方はこの場に喚び出され、今こうして私達の目の前にいる。2人の会話を聞く限りでは以前一度喚び出されたことがあるようにも思えます。……使役に下るに足る『資格』をフレイさんは既に持っていると思いますが」


 フレイさんの擁護というわけではないが、それは事実だ。フレイさんの言っていることが本当ならば、約10年前……つまりフレイさんがまだ子供の頃に蛉人を喚び出している。彼の性格から考えるに、それはアイルークさんが『フィオ』を使役に下したすぐ後だろう。

 蛉人は私を見下ろしてため息をついた。


『……。……資格、とは力でも才能でもない』

「では、何が足りないと?」

『……それは言えない』


 パッとフレイさんが顔をあげた。何かを言おうとするフレイさんを肩を私は掴む。ベッドから立ち上がると、私は魔法陣の前に立った。そしてゆっくりと陣の上に浮かぶ相手を見上げる。

 言えない、という言葉は、言わないという言葉とは随分と意味が違う。その理由は大きく分けると2つだ。内因的な理由と外因的な理由。つまりこの場合、単に相手が気に入らない為に言いたくないのか、誰かに口止めなどをされていて言えない理由があるのか。しかし彼はこうやって2度もフレイさんの前に現れている。


「その資格は随分と重要なもののようですね。……ならば一つだけ教えて下さい。それはフレイさんだからこそ必要なものなのではありませんか?」

『……』


 彼は表情を変えない。それでも微かに瞳の色が変わったのを私は悟った。答えとするには少々曖昧ではある。それでもそれは一つの可能性のようなものだった。

 彼の言う資格とは、力でも才能でもない。おそらくそれは手に入れられないものではないのだ。だからこそ彼はフレイさんの前に現れる。そしてその資格とは、フレイさんだからこそ必要なもの。

 これは本当に憶測に過ぎない。それでもフレイさんが魔術師の中で底辺の人間だと、私には思えなかった。城や貴族に仕え、自堕落に暮らす魔術師など腐るほどいる。プライドと自尊心と欲の塊になった人間の方が『資格』があるというのならば、それはどう考えてもおかしい。ならば最初からその『資格』がフレイさんだけのものと考えた方が良いのではないか。


『話がすぎたようだな……我はもう行く』


 蛉人は息をつくと、身を翻した。闇の中に背中が消えていく。その後ろ姿が完全に闇の中に溶ける一瞬、微かなため息にも似た呟きが聞こえた。


『……たいそうな人間に仕えたものだな……』

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