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過去の予言書  作者: 由城 要
第2部 One Day Story
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第4章 2


 それを渡されたのは、数年前。春が訪れるより少しだけ前のこと。冬の空気が暖まって、森も平野もゆっくりと新緑に移り変わろうとしていた、あの頃。

 僕はレイテルパラッシュを片手に、1人平原の中に立っていた。澄んだ風が通り抜ける、故郷があったはずの場所で。





  - 数年前の記憶 -





『クリフ、忘れ物はない?ほら、ちゃんと荷物の確認して。あれと、これと、それと……』

『わ、わわわっ……ちょっ、全部出したらまた荷物詰めなきゃいけなくなるよ』

『おにーちゃーんっ、お弁当忘れてるー!』


 バタバタと走り回る声が小さな村に木霊した。村、なんて言ってもここは本当に数軒の家が寄せ集まった、本当に小さな集落。都会から遠く離れた山奥に人が住み着いたのは、この辺り一帯が肥沃な土壌を持っているかららしいけど、トゥアス帝国を失って以降、積極的に開拓をしようとする人間なんて殆どいなかった。だから、この村の近くに同じような村はほとんどない。一番近くの村は、山を越えたあたりに一つだけあるくらいだ。

 目の前に広がる平原を見渡して、僕は深いため息をついた。するとお弁当を持ってきた妹が不安そうに首を傾げる。耳の下で2つに結んだ髪が揺れた。


『おにいちゃん……本当に大丈夫?』

『大丈夫だよ。学校の人も良い人だと思うし……』


 お弁当を受け取って荷物の中に入れると、その様子を隣で見ていた姉が額を押さえて深いため息を吐いた。ショールの先っぽを弄るのは、イライラしていたり不安なときの癖だ。


『違うわよ。学校まで辿り着けるか心配なのよ、私達は!この間、アルナンドおじさんに街に連れていってもらった時も、アンタ、ぼけーっとして道順覚えていなかったじゃない!!』

『うっ……そ、それは……』


 言葉に詰まる僕に、姉さんはグチグチと説教を始める。どうしよう、これが始まったらしばらくは抜け出せない。今日中に、なるべくルクスブルムの近くまで行きたいのに、これじゃあ隣町に行くことすら危ういよ。

 嫌な汗をかき始めた僕に、その様子を遠くから見つめていた隣の家のおばさんが笑う。洗濯物を干しながら、姉の背中に声をかけた。


『マリーちゃん、あんまり引き止めると野宿することになっちまうよ』

『あ……そ、それもそうね。……分かったわ、さっさといってらっしゃい!』


 どん、と背中を押され、僕はつんのめって転びそうになった。そして隣のおばさんに頭を下げて、もう一度生まれ育った故郷を見回す。

 小さな畑が点在し、家畜も数頭しかいないような小さな集落。数軒しかない家々の後ろには小さな林があるだけだ。そして砂利道が続く先には、果てのない平原が広がっている。


『おにーちゃーん!頑張ってねーっ!!……いじめられないようにねっ!!』


 妹の叫び声。姉と、おばさんの笑い声。僕は照れくささと、一抹の不安と、そしてそれ以上の期待を胸にして、此処を立ち去った。









「……ああ、覚えてるよ。キミは確か、特別枠で入学したんだ。3年に1人、出るか出ないかっていう特別生だった」


 先生の言葉に、僕は頷いた。

 前々から剣を振るのが好きで、いつか剣士になれたらって思いながら、姉や妹の目を盗んで練習をしていた。でもうちは元々お金がなかったから、半分は諦めてたんだ。でも15歳のときにそれを近所のおじさんに見つかって……腕試しにルクスブルムの特別枠を受けてみたらどうか、って言われた。

 今思えば、始まりはそんなものだった。


「でも本当に、キミには素質があったと思うよ」

「……そう、ですか……?」


 僕はカップをテーブルに戻してそう言った。どんなことばをかけられても、あの頃のようには……剣を振るえない。あの頃は本当に何の迷いもなく、剣を振るっていたのに。こんなに悲しい気持ちにはならなかったのに。

 先生は頷いて、窓の向こうに視線を向ける。


「うん。まあ、ちょっと臆病なところがあるけど……特別枠で入って、最後まで首席でいられたのはクリフ君だけだよ」

「……」


 温くなったミルクがカップの中で揺れる。思い返せば思い返すほどに、あの頃の記憶が蘇ってきた。学校を卒業して、仕える人も決まっていて。全部が順風満帆に思えた。だから仕事を始める前に一度だけ、故郷に報告に行こうと思ったんだ。

 学校にいる間、姉からは手紙が来ていた。といっても、姉も一番近くにある街まで下りてきた時しか手紙を出せなかったから、手紙を受け取るのは年に一通だった。もちろんこちらから手紙を出すことは出来ないので、近況はいつも一方通行だった。


『……はあっ、はあ……』


 一年と少し前。僕は学校を卒業したことを報告するために故郷へと戻った。平野から続く長い坂道を駆け上がって、僕は故郷を目指していた。早くみんなに報告したくて、近くの街に泊まらず、そのまま家を目指した。

 きっとそれを知ったら、皆呆れた顔をするだろう。でもきっとすぐに笑って迎え入れてくれる。背中を叩いて、温かな家の中へ。

 そうしたら、この胸に抱いたレイテルパラッシュを自慢するんだ。


『……はぁ……』


 僕は足を踏み出して、そして息を飲んだ。一晩中歩き通したせいで空はもう白くなり始めている。背中から差し込む仄かな光を感じながら、僕は呆然と立ちすくんだ。


『え……?』


 唇から漏れたのは、息とも声ともつかない音。足下に伸びた影がキョロキョロと辺りを見回し、僕の目は錯覚を起こした。

 風がゆっくりと大地を這っていく。伸びた草が見慣れない人間の姿にざわめき、まるで波のように雑草がなびいている。


(……え……?)


 背中越しの太陽が、辺りを照らし出していく。そこは草原。まるで平野から繋がっているかのように、雑草が辺りを埋め尽くし、集落にあるただ一つの砂利道を覆っている。

 膝が崩れた。何が起きたのか、僕には分からなかった。道を間違えた?そんなわけない。だって草の中に埋もれた砂利道は、たしかにここに集落があったことを物語っている。なら、みんな一斉に引っ越した?そんなわけない。ここには畑がある。それを捨ててすぐ別な場所へ移ることはできないはず。


(!……畑……)


 木は雑草を踏みつけて、記憶を手繰り寄せながら畑のあった場所を目指した。集落の入り口にあるはずの畑。雑草に覆われた畑を見回し、僕はふと形の違う葉が寄せ集まっていることに気付いた。


『これって……姉さん達が育ててた……』


 草を避けてそれを引っ張り出すと、根っこについた芋が顔を出す。でもそれは萎んでしまっていて、新たな芽を出していた。僕はもう一度立ち上がって辺りを見回す。ふらふらと覚束ない足取りで、家のあった場所を目指した。

 砂利道を目印に、僕はある場所で足を止めた。はたから見れば、そこはただの草原の一カ所にしか過ぎなかったけれど。


(……)


 僕は記憶をたぐりながら、玄関があったはずの場所を探す。屈んで草を分けると、中からは炭のようになった木片と乾いた粘度のような土が現れた。それは自分の家を形作っていたものだと気付くまで、時間は掛からなかった。


『あ……あ……』


 何があったのか、何が起ったのかは分からない。けど一つだけ分かるのは、ここに自分の帰るべき場所がないこと。ここにいたはずの愛しい人たちはみんな、何かの、予想も出来ないアクシデントに見舞われて、ここから消えてしまったんだ。

 此処から……もしくは、この……大地の、上、から。


『あ……』


 涙が出たかは覚えていない。ただ、僕にはそれが信じられなかった。実感も湧かなかった。きっと嘘なんだと、何かの夢なんだと信じたかった。

 そして、あの日から……僕は、旅に出ることを決めた。










 カラン、と音をたてて喫茶店の扉が閉まる。店員の声に送られて、クリフ君は外へと出て行った。僕はテーブルの上に置かれたお代を見つめながら小さくため息をつく。

 丁度一年と少し前。ルクスブルム傭兵学校に送られてきた一通の手紙が、校内に波紋を呼んだ。手紙によると卒業したばかりの1人の生徒が、いつまで経っても仕え先に現れないのだそうだ。それが他の誰でもなく、首席で卒業したはずのクリフ・パレスンだと知った時は、誰もが耳を疑ったくらいだった。


「よいしょっと……」


 僕はティーカップを持って席を移動した。そして観葉植物の影に隠れるように座っていたもう1人の客に話しかける。


「やあ、今度は本当に『偶然』だね。……向かい側、いいかな?」

「……ご勝手に」


 対して気に留める様子もなく、彼女はそう言った。クリーム色の髪を耳にかけ、興味なさそうにコーヒーを口にしている。パンを千切って口に運ぶ彼女……名前はたしかサーシャさんだったかな……に、僕は笑って見せた。


「……もしかして、聞いていたかな?」

「いえ。聞いていたというより聞こえてきたと言った方がいいでしょうね」


 もくもくと朝食を食べながら、彼女は顔色一つ変えずに言う。僕は苦笑を浮かべて、そしてため息を吐いた。いくら国の政策のためにルクスブルムに追い出されていたとはいえ、未来ある青年がああゆう道を歩かなければ行けなくなったことは、心苦しい限りだ。


「……それじゃあ、キミは知ってたのかな?」

「……いえ。『ついていきたい』と言われただけなので、それ以上のことは知りません。ただ……」


 ふと、何かを思い出したように彼女は顔をあげて、続く言葉をパンで塞いだ。


「……ただ?」

「いえ。……私が言うべきことではありませんね。聞きたければ本人からどうぞ」


 最後のヒトカケラを口の中に放り込むと、彼女はコーヒーでそれを飲み下した。店員を呼びつけてお代を渡すと、一息はいてテーブルから立ち上がる。すっと背筋を伸ばしたその姿は、やはり普通の女性とは違う空気を纏っていた。やっぱり……この人もただ者ではないんだろう。

 店から出て行こうとする背中に、僕は問いかける。


「……一つ、聞いてもいいかな?」


 入り口の扉に手をかけて、彼女はこちらを見た。人を射るような碧色の瞳。僕は座った状態のまま、頬杖をついて彼女を見上げた。


「キミは……もし、クリフ君が足手まといになったら、どうする?」


 クリフ君は彼女についていくと決めた。それは傭兵学校を出て、偉い人に仕えることとは意味が違う。彼女に仕えることは、僕たち三大戦士が国王の為に命を賭けるのと同じ。臆病な彼が選んだ道はもっとも険しく、そして恐ろしいもの。

 彼女はふっと笑った。そしてこちらに背を向ける。


「状況と彼の価値を天秤にかける……それだけのことですよ」


 では、とだけ言って、その姿が扉の向こうに消える。僕は肩をすくめて呟いた。

 本当に、彼は大変な人の仕事を引き受けてしまったようだ。










「……それで?他に隠し事あるなら、ささーと話すのんね」

「なっ……そ、それ以外には、何もっ……かはっ!!」


 スッと、テレジアの髪が揺れた。少なくとも、自分にはそれしか認識出来なかった。次の瞬間、派手な音をたてて兄の身体が弾き飛ばされる。壁に衝突すると、まるで人形のように身体から力が抜けたようだった。

 ボロ雑巾のようになった兄をテレジアが氷のような瞳で見下ろす。


「……ホントはもと力入れてやりたいところよ。王子の御前だから手を抜くね」

「く……わ、私に……そんなことをして、どうなるか分かっているのか!?」


 兄は額を切ったのか、顔半分が血に濡れている。呆然としている余の前でテレジアは兄の胸に右足を置いて蹴り倒した。そしてじわじわと踏みつける。その顔に浮かんでいるのは怒り。しかしそれは自分を叱る時とは全く違う、殺気を帯びた憤り。


「分かてるね。人払いはとくの昔に済ませてあるのん」

「っ……フェオールっ!!」


 兄の視線がこちらを向く。その表情に余は息が止まった。恐怖を浮かべた人の顔。死にたくない、助けて欲しいという顔。生物の欲望の根本にあるものが顔に出るだけで、こうも人は醜く恐ろしくなれるのだろうか。

 咄嗟にテレジアに制止の声をかけようとした瞬間、テレジアはそれを兄には見えないように、後ろ手で制した。


「……言えばいいだけの話よ、ボルドー王子」


 テレジアは兄の髪を掴み、見た目からは想像の出来ない力でそれを持ち上げる。足を宙に投げ出した兄は本当に人形のようだ。

 窓から吹き込む風は冷たく、カーテンが心のざわめきを代弁するかのように揺らめいている。テレジアは顔を近づけて、低い声で言った。


「吐け。……それだけがアンタが生き残るただ一つの手段だ」

「ひっ……!!」


 兄の身体が硬直した。見開かれた目はテレジアの鋭利な視線から離せなくなっている。これが、三大戦士。戦いの中で生きてきた人間の、恫喝の瞳。

 テレジアが急かすように髪を掴む手を揺らすと、兄は顔を引きつらせ、口はまるで別の生き物が乗り移ったかのようにぺらぺらと喋り出した。


「みっ……み、三日後!三日後だっ。メーリング家の、あ、あの女がアクロスに到着次第、あちらからアクロスの軍が攻め入ってくるっ!!」

「……!?」


 余が顔を上げると、テレジアは兄の身体を壁に叩き付けた。そしてもう一度相手を見下ろす。


「軍の侵入経路は?」

「く、国の東っ……こ、国民は殆どがディーター派だから後に回しっ……し、城に突入、するっ……!あ、あの男はっ、わ、私に……逃げ道をっ、用意すると……」


 テレジアの目が細くなる。兄の襟首を掴んで持ち上げると、そのままもう片方の拳を鳩尾に叩き付けた。まるで締められた鳥のような顔で苦しそうに息を吐いた兄は、そのままその場に倒れ込む。テレジアはそれを見下ろすと、ふん、と鼻息を吐いた。


「国を渡して自分だけ生き残るなんて下衆のすることね。全部終わるまで黙て寝てるといいのん」

「……」


 ボロボロになった兄の姿を見下ろしながら、余は小さく身震いをした。自分の考えでやったこととはいえ、やはり振るった力を目の前にすると足がすくむ。めまいを起こした時のような感覚だ。


「……王子?」

「あ……いや……なんでも、ない」


 自分でも自覚するくらい、見た目は似たところの多い兄。それが今、父上の部屋の床でボロボロになって気を失っている。自分も、もしも国民に反発されれば……やがてはこのように砂と埃にまみれて命を落とすことになるのだろうか。


「……王子」


 ふと、両肩に手を置かれてやっと我に返った。いつの間にかテレジアの顔はいつもの表情に戻っている。テレジアは少しだけ悲しそうに笑うと、余の頭を撫でた。


「怒るの、罵るの……全部アタシ達の役目ね。……王子はただ、前を向くの良いよ」

「……」


 余はじっとテレジアの目を見つめる。この者達は本当に強い。それは体のことではなく、心のことだ。屈強な戦士とは、体よりも心の強い人間をいうのだと、改めてそう思った。

 コク、と頷いて余はテレジアを見る。願わくば、太陽神バルトロから受け継ぎしこの瞳に、彼ら三大戦士と同じ力が籠っているように。


「テレジア。ジャンとフリッツを呼べ。アクロスが攻め入ってくるのは三日後……。……迎え撃つぞ」


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