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過去の予言書  作者: 由城 要
第2部 One Day Story
33/112

第3章 4


 誰カガ私ヲ呼ンデイル。私ノ名前ヲ呼ンデイル。貴方ハ誰?何故私ノコトヲ知ッテイルノ?ドウシテ、私シカ知ラナイコトヲ知ッテイルノ?

 ……ドウシテ、私ノ名前ヲ呼ンデルノ?





  - ヒューマン・エラー -





 何処かで私を呼ぶ声がする。誰の声かは分からない。データに登録された声ならば、履歴の中から声紋が一致する人間を割り出すことも出来るのに。


『……し、る……う゛……』


 ノイズの中で微かに聞こえてくる。まるで赤ん坊のように舌足らずで、男か女かも分からない声色。何度も何度も私を呼んでいる。私を……私を?


『……ぃ……し……る、う゛……』

「……シル、ヴィ……」


 ふと別な声が重なる。これは聞き覚えがある。履歴を遡る必要もない。数時間前に聞いた、ある人の声。しかし反対に、先ほどまで聞こえていたあの中性的な声は何処かへと遠のいていく。


『……、……』


 まるで風に攫われるように、声はずっと遠くへ消えていく。私は手を伸ばした。声を追うように。しかし実体のない闇の中では、相手も、自分の姿も、存在していないようなもの。何を追っているのかすら分からない。けれど不思議なことにエラーは起らなかった。不思議なほどに頭が冴え渡っている。


「シルヴィ……シルヴィ!」


 はっと、世界が入れ替わる。風の中を漂うような感覚が消え、私の視界には夜空が浮かんでいた。瞳に映っているのは、月と、雲と、……そしてクリフ・パレスンの姿。

 クリフは慌てた様子で私の顔を覗き込んでいる。


「だ……大丈夫?」

「……」


 私はクリフの顔を見つめながら、データの中に記録された今までの行動を確認していた。ライラ・メーリングと接触し、左腕を破損したこと。エラーの連続もあって、途中で中枢回路がシャットダウンしたこと。そして……。


(……あの、声は?)


 記憶システムを遡っても、『声』の記録がない。あれは確かにクリフの声ではなかった。声紋確認の機能がそう言っている。しかし、あの『声』のデータが存在しない。


「シルヴィ?」


 シャットダウンの影響でバグが発生したのか、それともシャットダウン中に聴音機能が拾った風の音だったのか。私はクリフの顔を見つめながら考えた。しかし答えは一向に出てこない。


「あの……シルヴィ?本当に大丈夫……?」


 ふとクリフの顔が曇る。大丈夫、とは身体のことを聞いているのだろう。視線が左腕へと向けられている。

 私はゆっくりと体を起こした。左腕は修理が必要だろう。指先は固まったまま動かない。破損部分から垂れ下がったコードは時折小さな火花を散らしていた。


「左上腕部に破損有り。……シルヴィ、修理必要」

「ええっ!?」


 私がそう言うと、クリフは慌てて辺りを見回した。


「あ、あわわ……こ、ここら辺に修理してくれそうな所あるかな!?」


 焦った表情でキョロキョロするクリフ。機械技術のないこの国に私を修理出来る場所など存在しない。どうしてそんな当たり前のことにクリフは気付かないのだろう。それに……。


「……どうしてクリフ、修理出来る所探してるの?」

「え、だって修理が必要なんだよね?」


 聞き間違い?という顔でクリフが聞き返してくる。そうじゃない、私が聞きたいのは……。私が聞きたいのは、どうしてサーシャ・レヴィアスと共に行動しているクリフが私のことを心配しているのかということ。

 別任務中だから私はクリフに攻撃をしない。クリフにとっては、それは攻撃の好機のはず。


「……」

「……シルヴィ?」


 私はゆっくりと立ち上がった。いつの間にか月の位置が変わっている。長い時間自動回復をしていたのだろう。私は屋根の上から辺りを見回して呟いた。


「……分からない」


 拳を握る。分からないことが多過ぎて、私は正常に動くことがままならない。特にこの任務中はエラーの発生率が高くなっている。任務ごとにこうなるようでは、ジェイにもアイルークにも迷惑がかかる。だって私は……私は、殺人人形なのだから。

 大丈夫?と問いかけるクリフ。どうしてそんなことを聞くのだろう。私は敵。クリフは敵。ジェイに従う私にとって、サーシャ・レヴィアスと行動を共にするクリフは敵。

 私はその顔を見ないようにして口を開いた。


「シルヴィ……クリフ、分からないから嫌い」

「えっ?……あっ」


 クリフが何かを言うより先に、私は屋根の端から跳んだ。左腕の機能は停止しているが、自動回復によって他の部分は正常に動いている。


「……」


 風を切る音が耳の奥で響く。私は真っすぐに闇の中を進み、後ろを振り返ろうとはしなかった。









 コツン、コツン、と定期的に響く足音。階段をゆっくりと下りてくる誰かの気配に、壁に背中を預けていたテレジアが顔をあげた。顔を顰めているのは、その気配の主を知っているからだ。僕は苦笑しながらも同じ方向を見やる。

 階段の踊り場から黒いドレスに身を包んだライラ・メーリングが姿を現した。外に出ていたにも関わらず、服にも髪にも乱れた様子はない。彼女は僕とテレジアを見ると、ふと唇を緩めた。


「あら……御機嫌よう」


 ふふっと微笑んで、彼女はゆっくりと階段を下りてくる。後ろをついてきたジャンが僕とテレジアに目配せした。

 宰相の部屋へと通じる通路に僕とテレジアは立っている。目の前を通ろうとするライラ・メーリングに、僕は口を開いた。


「……ボルドー王子と宰相の密議なら終わりましたよ」


 ふと黒い瞳が僕を射る。貴族という割にはその目は鋭く、まるで獣のような漆黒の色に染まっている。彼女は妖艶に笑うと、足を止めて囁いた。


「あら……まるで共謀でもしているような物言いですわね」

「ええ……本当のことを言ったまでですよ」


 僕はそう言って彼女の瞳を睨む。しかし相手は気に留める様子もなく、ドレスを翻した。


「ディーター様も貴方がたくらい頭の回る御仁ならば良いのに……惜しいですわ。有能な人材というものは、各々が別の場所で群れをなしている……」


 僕とテレジア、ジャンを一人一人見回してライラ・メーリングは呟く。そして宰相の部屋がある通路を見つめ、口端を上げた。何処からか舞い込んだ風が音を立てている。薄気味悪い音を響かせ、まるで獣の呻くような声で。


「どうして相容れないものは決まっているのかしら……どうしてこの世には『理』などというものがあるのかしら……。神など存在しない世界に、何故存在しない者の作り上げた『理』が居座り続けているのかしら……」


 まるで語りかけるように、彼女はそう言う。意味の分からない言葉にテレジアが顔を顰めた。それに気付いたのか、彼女は苦笑するようにため息をついて僕を見る。


「明後日に此処を発ちますわ。貴方がたがどう出るのか、とても楽しみですの。……何事も……変数あってこその世界だと思いませんこと?」


 ふふっと笑ってライラ・メーリングは歩き出す。通路の奥へと歩いていく彼女の姿に僕はため息をついた。









 風を切り、亜音速で私は砂漠へと出た。煌煌と月が照らし出すのは、果てしなく続く砂漠の姿。乾ききった空気が私の体を通り抜け、破損したコードが揺れている。

 早く帰ろうと、私はそればかりを考えていた。再びエラーを起こす前に。私にとって、一番不自由のない、それでいてエラーやバグのない、私のいるべき場所に。

 少し高い風の音。聴覚機器の反応するままに、私はそれを感じていた。やがて私は前方にポツリと小さな光を確認する。目を凝らし……否、眼球に取り付けられた望遠機能を駆使して、私はふと気付いた。


「……」


 私は加速した。距離が近づくのと共に、光は徐々に大きくなり、そしてついに私の視界を覆うほど近くなった。


「……ぅおっと!」


 加速したまま、私はそれに抱きついた。いくら人間に似せた皮膚を被っているとはいえ、かなりの衝撃だったのかもしれない。相手はしばらく痛みに耐えるように脇腹を抑えて苦悶していた。


「いっ……し、シルヴィ……っ」

「……何?アイルーク」


 首を傾げながら、アイルークの顔を覗き込む。アイルークはランプを片手に悶えながら呟く。風だけではない震えによって、ランプの中の火が揺れた。

 アイルークは痛みが治まってくるのを待って、左手で額を抑えてため息を吐いた。


「シルヴィ……女性が積極的なのは、俺としてはかなり嬉しい。かなり嬉しいが音速で抱きつかれるとお陀仏になる」


 もうちょっとそこらへん調整してもらわないとなぁ、とアイルークは茶色の髪をかきあげた。人間は弱い。特にアイルークは『魔術師』というカテゴリーに含まれ、接近戦に向いていない人間だ。……一度本人の前でデータをそのまま口に出したら怒られた。真実というものは、あまり口に出すべきではないらしい。

 私はアイルークに抱きついたまま頷いた。


「うん。シルヴィ、気をつける。アイルーク、お陀仏にしない」

「……。……まあ、分かったならいい。で、どうした?その腕」


 ランプが私の左腕を照らす。私はアイルークを離すと、破損データの検出を始めた。視界が切り替わり、私の目の前に膨大な量の管理記録データが表示されていく。青い画面に映し出された赤い文字。その一つ一つが破損部分に関するものだ。


「左腕の機能、41%に障害。原因は……ライラ・メーリングとの接触」


 私の報告にアイルークは少しだけ顔を顰めた。


「あのお嬢さん、やっぱり出て来たか。……災難だったな」


 アイルークはそう呟くと、持っていた荷物の中から薄い布を取り出した。そして私の破損した左腕にそれを巻き付ける。白いレースのついた女物のハンカチーフが、砂まじりの風に揺れた。

 私は固定された破損部分を見て首を傾げる。


「アイルーク。……シルヴィこれ、必要ない」


 私はもう一度破損データを読み上げようとした。コードの断絶と、それを覆う人工皮膚の裂傷。骨組みに問題はなく、普通の人間のように血が流れているわけでもない。


「これ、止血の方法。シルヴィに血液、ない」

「あー……いいんだ。ほら、部品落とすと色々大変だろうし、な?」


 アイルークはそう言うと身を翻して歩き出す。私はその後ろを歩きながら、もう一度女物のハンカチーフの巻かれた腕を見つめた。

 部品を落とす、ということは任務に掃討作戦が含まれていれば仕方のないこと。何処かを破損すれば部品を何処かに落とすこともある。それはジェイもアイルークも知っている。


「アイルーク……」

「んー……?」


 アイルークは私より少し前を歩く。巨大な月はまるで世界を飲み込もうとしているかのようだ。私は眼球のレンズに月と砂漠と、ランプを片手に歩くアイルークの姿を映しながら呟いた。


「シルヴィ……色々分かんない」

「……」


 アイルークは何も言わない。私は沈黙した背中に向かって、エラーの増加と任務中のシャットダウンを報告した。クリフのことは何故か口にしなかった。シャットダウンの原因の全てがクリフのせいとは言いがたく、またターゲットとの戦闘中に感じたあの感覚の発端は、ライラ・メーリングにあると考えられるからだ。


「……」


 アイルークは何も言わず、私の報告を聞いていた。私はなびくローブに手を伸ばし、それを引っ張る。今度はしっかりと力を調節して。


「……アイルーク。シルヴィ、何処かに異常あるの?」


 あの時感じた、ふつふつと沸き上がってくる何か。コードと骨組みしかない身体の奥底に潜む、靄のように不確実なもの。計算上にも出てこない、言いようのない、0でも1でもない……あれは一体、なに?

 ねえ、ともう一度問いかけようとした時。アイルークがふと足を止めた。私は衝突しないよう、同じように歩くのを止める。


「……」

「アイルーク?」


 アイルークは振り返ると、ふっと笑った。そして私の頭をぽんぽんと叩く。年齢に似合わず子供のような表情で。そしてもう一度歩き出す。


「……帰ろうか、シルヴィ」


 私はアイルークの行動を不思議に思ったが、その理由を聞こうとはしなかった。ジェイに頭を撫でられるのも、アイルークに頭を撫でられるのも、私にはとても心地よい。撫でるというたったそれだけの動作だというのに。


「……うん。シルヴィ、ジェイのところ帰る」


 風に揺れるアイルークのローブを掴み、私は頷いた。

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