第3章 2
『リル・イン』。麻薬の一種で、トゥアス帝国が栄華を誇っていた時代、支配下に置かれた国々の重労働者達が服用していたとされる薬物だ。決められた使用頻度を超えると恍惚状態に陥り、それにハマると精神的に依存し始める。治療方法は薬を絶つより他にない。少なくとも、今現在は。
- ファントム -
「メーリング家はトゥアス帝国時代から続く貴族の家柄。帝国の支配下に置かれていた頃は多くの奴隷を持ち、かなり厳しい労働条件の下、領地の農園で働かせていたと聞きます。……『リル・イン』も多用されていたということです」
私は地図に描き込まれた平野に視線を落とした。思えばこの辺りは旅をしたことがない。広大な平野が広がっていると聞くが、麻薬のことを知る旅人達は避けて通るルート。カタリナと旅をしていた頃も、この周辺に立ち寄ったことはなかった。
「帝国という抑止力を失った後は農園を縮小し、薬の栽培を中心に切り替えました。……メーリング家とはそうゆう関係の人間なのですよ」
フレイさんは顔を顰めて言う。
「……んじゃあ何で、そんな奴が此処に?」
「……。これは私の推測ですが……」
私は地図をたたみながら話し始める。
メーリング家は奴隷を数多く従えさせていた。しかし過酷な労働条件の下で死者の数も増加し、人手不足に陥る。近隣のアクロスから労働者を募るにしても、相手は『リル・イン』の輸入先であり、そこから労働者を連れてくるには障害が多すぎる。
そこでメーリング家が目をつけたのが、海を挟んだ向こうに広い土地と部族を持つネオ・オリエント。
「おそらくアクロスの思惑にメーリング家が一枚噛んだ形なのだと思います。裏でお金を出しているのはメーリング家だと思って間違いはないでしょう」
メーリング家は今、2人の兄妹によって成り立っている。それが当主ラフィタ・メーリングと、妹のライラ・メーリング。詳しいことは殆ど伝わってこないが、2人はまるで双子のように同じ顔をしているのだという。
地図を丸めて荷物の中に戻すと、フレイさんは納得のいかないような表情を浮かべていた。何かを考えているのか、こちらを睨んでいるのか、いまいち判別しづらい顔だ。
「……どうかしましたか?」
私の顔をじっと見つめながらフレイさんは言う。
「メーリング家とネオ・オリのことは理解したけどな……まさかお前、それだけで呼んだわけじゃねぇだろ?」
「……随分利口になりましたね」
笑いながらそう言うと、フレイさんは眉間に皺を寄せてこちらを睨みつけてきた。私は椅子から立ち上がると、部屋の窓の前に立つ。眼下の通りでは人の往来が少なくなり始めた。疎らになり始めた人影は、間もなく訪れる夜の静けさから逃げるように何処かへと消えていく。
「メーリング家は麻薬によって得た収益でかなりの財産を持つ貴族ですが……、彼らはその権力によって十数人の冒険者達を手駒に持つ、『過去の預言書』争いの首魁です」
「!」
窓を開くと、夕暮れの香りのする風が吹き込んでくる。私は窓枠に背をもたれて、椅子に座るフレイさんを振り返って頷いた。
「メーリング家は『過去の預言書』を求める数多の権力者達の中でもトップクラス。……私は、ジェイロードと同等に注意を払わなければいけない人間だと思っています」
差し込む夕日がテーブルの足を照らす。私の影が風に揺れて、風の音が部屋に響く。
「あいつらと同等って……そんなに危険な人間なのか?」
「ええ。メーリング家に使える冒険者達とはち合わせしたことが何度かありましたが、どれも……」
私はふと足下に視線を向ける。形のないものを口にするのは難しい。当てはまる言葉は見つからず、少しでも意味の近い言葉を探すが見当たらない。
ありきたりな言葉は使いたくはないが……
「どれも……そうですね、『狂犬』のようなものでした」
フレイさんが首を傾げる。それもそうだろう、私は横目で窓の下を見下ろしながら付け加える。
「凶暴、粗暴という意味ではありません。まともな人間ではありますが、考え方がイカレている……ああいった『狂犬』を飼いならすことが出来るのは、同じ……いえ、更に凶悪な『狂犬』だけです」
☆
サーシャお姉ちゃんから2人を連れてくるように言われてから、かなり時間が経っちゃった。魔術師サマは煙草屋さんの前ですぐに見つかったんだけど、クリフお兄ちゃんは全然見つからない。もう、買い物くらいで一体どこまで行っちゃったんだろう。
メイは日が傾き始めた通りを曲がってちょっと細い路地に出ると、建物の影で暗くなっていた裏路地の方にクリフお兄ちゃんの姿を見つけた。
「あっ、いたいた!クリフお兄ちゃん!!」
こっちに背中を向けているクリフお兄ちゃんは、メイの声に吃驚して振り向いた。両手には抱えきれないほどの沢山の紙袋。
クリフお兄ちゃんは袋の隙間からメイを見て首を傾げた。
「あ……あれ、どうしたの?」
「メイはお兄ちゃんを呼びに来たんだけど……クリフお兄ちゃんこそ、どうしたの?そんなにいっぱい買い物しちゃって……」
メイはクリフお兄ちゃんの持っていた買い物袋を2つ受け取る。……う、結構重いよ、コレ。お兄ちゃんが普通に持ってたからお手伝いしようと思ったけど、宿まで持っていけるかな……。
「これはフレイさんの買い物の手伝いだから……あ、重いなら片方だけでいいよ」
クリフお兄ちゃんはそう言って重い方の袋をメイから取り上げる。クリフお兄ちゃんって臆病で、いざとなったときに頼りないけど、こうゆうときとっても優しいんだよね。メイにお兄ちゃんが出来たような気分で、とっても嬉しい。
買い物を済ませたクリフお兄ちゃんと並んで歩きながら、メイは言う。
「ありがとう。……でも、魔術師サマの買い物って、コレ一体何に使うの?」
「うーん、それは分からないんだけど……」
これ買ってきてって言われたんだ、と買い物のメモを渡されて、メイは首を傾げた。あんまり字は読めないんだけど、なんだかいっぱいメモされてる。これ全部買ってこいって魔術師サマって人使い荒いよね。自分はそんなに買い物してなかったのに。
大きな通りに出ると、さっきよりも人通りが少なくなっていた。夕日が更に濃い色に変わって、地面に2人分の長い影が出来る。メイは袋を抱え直して、ふと道の向こう側に集まっている人だかりに気付いた。
あっ、もしかして井戸端会議かな。もしかしたら何か面白い話が聞けるかも。
「お兄ちゃん、ちょっとここで待ってて!!」
「えっ、ちょっ……」
メイは買い物袋を持ったまま、道の端で会話をしているおばさん達のところに近づいていった。こうゆう井戸端会議って、色んな噂が飛び交ってるから面白いんだよね。お母さん曰くガセが多いらしいけど、中には何処から聞いてきたんだろうってくらいの情報が入ってたりするんだ。だからこうゆう井戸端会議を見かけると近づいていきたくなっちゃう。魔術師サマなんかに言ったら『お前、それ職業病だろ』とか言われそうだけど……。
「アナタ、この間の暴動の時、大丈夫だった?」
「ああ、私と息子達は家の中にいたから良かったんだけど、旦那がねぇ……」
井戸端会議は5、6人の女の人で行われてた。みんな子持ちって感じ。2人は後ろに子供を連れていて、4歳くらいの男の子達がお母さん達の話に興味なさそうに遊んでる。
メイがおばさん達の声が聞こえてくる場所に立ち止まると、井戸端会議を聞いていた1人が口を開いた。
「……そういえば、聞いた?次期国王様の話」
「聞いたわよ、国王様ったらボルドー王子に王位を譲るんでしょう?」
(!)
ボルドー王子って、たしかフェオールの一番上のお兄さんのことだよね。部族寄りの考え方だけど、ちょっと優柔不断っていうか臆病っていうか……あんまりネオ・オリの国王に向いてない人。
おばさんたちは宰相派なのか、口々に文句を交わしてる。でも、1人が何かを思い出したように手を叩いた。
「あ、でもアタシが聞いた話だと、一応王位をボルドー王子に譲るけど、その後は全部王子に一任するらしいわよ」
「一任ってことは……」
「じゃあ……そのままボルドー王子が『他の誰か』に王位を預けることもあるってこと?」
『他の誰か』ってつまり、あのディーターって宰相のことだよね……。そんな、ボルドー王子じゃ、ちょっとディーターに脅されただけでもすぐに王位を譲っちゃいそうだよ。そうじゃなくても『和解』を申し込まれて簡単に引き受けちゃったって話もあるし……。
「どうしたの?」
さっきまで反対側にいたクリフお兄ちゃんが、いつの間にかメイの後ろに立っていた。徐々に逸れていく井戸端会議から目を離して、メイはなんでもないって首を横に振る。お兄ちゃんは首を傾げてるけど、メイは荷物を抱えて歩き出した。
「……行こ、サーシャお姉ちゃんが待ってるよ」
「?……うん」
顔をあげると、橙色の夕日がお城の向こうに消えようとしてる。その眩しい色にフェオールのことをちょっとだけ思い出した。
フェオール……大丈夫かな……。
☆
太陽が沈むと夜になる。夜になれば生きとし生けるものの殆どは眠りにつき、野生動物が砂漠を徘徊する。もともと野生動物だった『人間』は、他の動物から身を守り、自身の食料摂取量を少なくするために眠ることを覚えた。
夜になると街の灯は消え、城の光だけがぽっかりと浮かんで見える。私は城に近い通りの建物の上でじっとそれを観察している。
「……深の刻、異常なし」
私はそう呟きながら、『頭』の中のデータファイルにそう書き込んだ。『頭』と言っても『記憶』という意味ではない。私……シルヴィ・フェブラインことWP25mL661型はデータを記憶するメモリが頭部に設けられており、『頭に記憶する』という点では人間と一緒だが、その作業工程は全く異なっている。
「……」
ふと顔をあげると、空には月が出ていた。明日はおそらく快晴だろう。私の中に設定された予測機能がそう告げる。けれど……『天気』は、そう上手く動いてはくれない。予測を越えるような大雨や、嵐が突如として現れる。そうゆうとき……私はとても『分からなくなる』。
「『分からない』……」
私が最初に覚えた言葉は『はい』と『いいえ』だった。それは1と0であり、生と動であり、有と無だった。その2つが私の全てだった。
そしてその後に『どちらでもありません』という言葉を覚えた。ジェイが言ったのか、アイルークが言ったのかは分からない。それはとても大切な言葉で、それを覚えることよって私が旧式のオトモダチ達よりも成長した証になるらしい。
でも私には未だにそれが理解出来ない。0と1の間に無数の数が存在するのと同じだと、そう教えられても分からない。
『……内部情報の漏洩に禁止処理が掛かっています』
『あ……ごめん』
月を見ていると、つい6時間と32分前に聞いたクリフの言葉が頭の中をリピートした。『ごめん』とはごめんなさいという意味であり、申し訳ありませんや、すみませんと同一の言葉。相手に不快な行いをしたとき、謝罪の意味で述べる言葉。
でも……なぜクリフは『謝罪』をしたのだろう。私は禁止処理が掛かっているという事実を述べただけ。多少表情は変化するが、私には基本的に『不快』という感覚が発生しない。発生するのは攻撃を仕掛けられた時のみ。しかしそれも不快という感覚より、自己防衛のためにインプットされた、いわば条件反射。
「……分からない……」
天候のように、人間も時々『分からない』。ジェイやアイルークの傍にいても時々そう思う。そしてそう思えば思うほど、頭部のデータファイルにエラーが生じてくる。エラーが溜まりに溜まると、エレンシアの時のようにシャットダウンしてしまうこともある。
「……」
シャットダウンしないためには、別なことに頭を切り替えることだと、いつかアイルークがそう言っていた。私はその言葉通りに再び思考を切り替える。現在の任務……ライラ・メーリングの監視へ。
「……初の刻、異常なし」
そう呟いた時、一瞬ネオ・オリの城から強い風が吹き付けた。私は眼球に傷をつけないように目を瞑る。これが壊れると行動の際にとても不自由になるからだ。
風はしばらく吹き続け、やがて過ぎ去っていく。しかし、私の背後にはまるで風が落としていったかのように、さきほどまでなかった一つの気配が残されていた。
「……ふふ、お久しぶりですわ、『緑のお人形さん』」
「!」
ターゲットの気配に私は振り向いた。声のする方向……通りを挟んで反対側の、建物の屋根に黒髪の女が立っている。それは漆黒のドレスに身を包んだライラ・メーリング。右手を絡ませているのは大鎌・メタトロニオス。
三日月のように反り返った刃が月夜に光り輝いている。
「私の可愛い子供達が教えてくれたの。貴方達は本当に勘が良くて、行動も素早いわ。……貴方達が部下なら沢山可愛がって差し上げるのに」
それが残念で仕方ないですわ、とライラは言う。私はその言葉を聞き流して戦闘態勢に入った。ライラ・メーリングは数多くの冒険者達を雇っている『上の人間』だが、その戦闘能力の高さは私の頭の中にしっかりとインプットされている。
「……初の刻、ターゲットと接触」
サーシャ・レヴィアス、フレイ・リーシェンと同等に警戒順位の高い人間……それがライラ・メーリング。私は右手で素早く拳を作り、呟いた。
「……任務遂行のため、攻撃に移ります」