第2章 3
サーシャお姉ちゃんがお城から戻って来たのは、太陽が消えて辺りが薄暗くなった頃だった。食事に行かないかって誘われたけど、私は先に食べちゃったって言ったら『なら私も食事に行ってきます。2人が帰って来たらそう伝えて下さい』って言って出てっちゃった。
それから不機嫌そうな魔術師サマと、挙動不審になってるクリフお兄ちゃんが帰って来たのは、しばらくしてからのことだった。
- 平和への生け贄 -
「おい、ガキ!サーシャは!」
私の部屋にズカズカと入ってきた魔術師サマの第一声はそれだった。本当にレディに対する礼儀ってものがなってないよね。ノックくらいしてくれないと、こっちが着替え中とかだったらどうするんだろう。
でもちょうどベッドに寝転がってゴロゴロしていた時だったから、余計なことは言わないでおいた。だって言うと五月蝿くなるんだもん。メイ、大人だよね。
「……ご飯に行ったよ」
「はぁ!?あの女、俺たち置いて先にメシかよっ!」
魔術師サマはそう言って苛立ちまぎれにため息をついた。あれ、また喧嘩でもしたのかな。喧嘩って言ってももちろん、魔術師サマの一方的な喧嘩。クリフお兄ちゃんは魔術師サマの怒りにビクビクしてるみたい。部屋に入らないでドアの付近でこっちを見てる。
魔術師サマは私の目の前まで来ると、鼻先に手紙と花を突き出した。
「おい。……王子様からの手紙だぞ」
「えっ……フェオールから!?」
私は咄嗟に体を起こして、手紙と花を受け取った。もしかして誤解が解けないままだったらどうしようとか、今日一日そんなことばっかり考えていたから、まさかあっちから手紙が来るなんて思ってもみなかった。
手紙を広げると、流麗な文字が現れる。凄い。さすが王子様、としか言えなくなっちゃう。でも……メイ実は文字読めないんだよね。読めるのはお母さんの持ってる武器リストとか、情報屋として必要な知識の単語だけ。どうしよう。
私は一度魔術師サマを見上げて、そして廊下からこっちを窺ってるクリフお兄ちゃんに視線を向けた。
「クリフお兄ちゃん。手紙、読んでほしいんだけど……いい?」
「えっ、あ、う、うん……いいよ」
クリフお兄ちゃんは私の隣に腰掛けると、手紙を受け取って目を通し始めた。クリフお兄ちゃんはなんてったってルクスブルムの卒業生だもんね。あそこって傭兵としての戦い方だけじゃなくて、知識とか礼儀も教わるから頼りになるの。
手紙を読んでいるクリフお兄ちゃんを尻目に、魔術師サマは口元をつりあげる。
「お前……目の前にいる俺をスルーしてクリフを指名しやがったな……」
「あれ、魔術師サマって文字読めたっけ?」
ププ、と笑ってみせると、魔術師サマはいつも通り眉間に皺を寄せて、こう言おうとする。読めるに決まってんだろ!このガキ、って。
でも魔術師サマがそう言う前に、物凄い音が通りから響いた。クリフお兄ちゃんは小動物みたいに吃驚して、魔術師サマは窓に駆寄る。私は咄嗟に魔術師サマに向かって叫んだ。
「な、何……!?」
「……暴動だな。目の前の通りでやり始めやがった」
「えっ……ええぇっ!!」
クリフお兄ちゃんの叫び声はまた爆発音の中にかき消された。窓ガラスにヒビが入り始める。魔術師サマは舌打ち一つすると、私とクリフお兄ちゃんの襟首を掴んで部屋の外に連れ出した。廊下に出ると、他にも部屋に泊まっていた数人のお客さん達が集まってる。
それを見たとき、私ははっとサーシャお姉ちゃんのことを思い出した。
「サーシャお姉ちゃんは……っ!?」
「!」
魔術師サマはとりあえず私たちを通りから一番遠い場所にあるクリフお兄ちゃんの部屋に引っ張り込んだ。無理矢理背中を押された私は床に転がって、慌てて起き上がった。振り返ると魔術師サマが部屋の窓を開けようとしてる。
私は表の騒ぎに負けないくらいの大声で叫んだ。
「で、出てくの!?」
「様子見だ。お前らここにいろよ」
窓に片足をかけて魔術師サマが外に出て行く。クリフお兄ちゃんが何かを言おうとするけれど、爆風に阻まれて、その姿を見失ってしまった。
表では爆発音や叫び声が木霊している。私は体を竦めて壁際にへたり込んだ。
☆
食事を終えて通りへ出ると、宿の辺りが騒がしくなっていた。人々が駈けて行ったり、戻って来たりしている。爆発音を聞きながら、どうやら暴動らしいということが私にも分かった。どちらの勢力が押しているのかは分からないが、肌の色を見るかぎり、都に住むディーター派の人間だろう。
私は辺りを見回し、一カ所に人垣が出来ていることに気付いた。ディーター派の集まりだろう。私はその輪の中に近づいていく。
「……どうするんだよ、これ」
「どうしようったって、あんた考えがあんのかい?」
「悪いのはこいつだろう、放っておけば……」
人の群れをかき分けていくと輪の中央に子供の姿があった。肌の黒い、遊牧民の少女。まだ7、8歳くらいだろう。息が絶え絶えで、苦しそうに顔を歪ませている。
周りにいた人々はコソコソと呟きながらも、誰も少女に手を差し伸べようとはしない。
「……メティスカかルヴァのガキだろ」
「道端に店を出してて、ケチをつけられたとか……」
「知らないよ、ワタシがやったんじゃないんだしね……」
周りの会話から察するに、どうやら道端に店を出していた遊牧民の少女が、ディーター派にケチをつけられ暴力を振るわれたのだろう。それを見ていたボルドー派の遊牧民達が怒りを露にした。つまりはそうゆうことだ。
バラバラと人垣が崩れてゆく。まるでここには何もなかったのだと言わんばかりの顔で。
「……」
私は一歩、少女に近づいた。真っ黒な瞳が虚ろにこちらを見上げてくる。膝を折って首元の脈拍を確かめ、手を離すと彼女の体を仰向けにした。少女の体はすぐに力を無くし、息が途絶える。力を失った体はまるで別な生き物のようにずしりと重かった。
通りの間をいくつもの視線が交差する。その視線はすべて私と、小さな屍に集まっていた。見て見ぬフリを決め込んだ彼らは、私の一挙一動を監視している。
私は少女の体を持ち上げると、細い路地へと歩き出した。もちろん追ってくる者はない。追ってくるということは同時にこのややこしい事態に関わるということだからだ。
路地は薄暗く、暴動とは真逆の神聖な静寂を保っていた。野良猫さえもいない、建物の影。人の姿は2人分しかない。私と……そしてもう1人。
「……その子を何処につれていくのか、聞いてもいいかな?」
「別に何処に連れていく気もありませんよ。あいにく私はクリフさんとは違うので」
路地の中央に、紫の瞳をした男が立っている。右目の下には泣きボクロ、腰に下げた剣は体を覆う布で隠されている。
私は少女の屍を彼の手に渡して言った。
「……まるでジャン・ユサクのような格好ですね、フリッツ・コール」
私の目の前にいたのは、遊牧民のように頭まで黒地の布で覆ったフリッツさんの姿だった。彼は少女の体を抱き上げると、ニッコリと笑う。
「まあ、今はルクスブルムで先生をしているけれど、僕も遊牧民族の出だからね。時折こんな格好もするよ」
「……『こんな格好』で、野暮用ですか?」
私がそう言って口元をあげると、フリッツさんは頷いた。私は表情だけは笑いながらも心の中で呟く。この人はテレジアさん達よりずっと考えが読めない。
「なんだか大体のことは察しているように見えるなぁ」
「……ええ。ただ、これから展開がどう転ぶかを見てみたいのですよ。私にとって有利に動くか、不利に動くか」
私は苦笑を浮かべる彼を見つめる。彼は肩を竦めると、あっちを見てご覧、と言って私が歩いて来た路地を示した。私はすっと顔だけをそちらへ向ける。静寂に包まれた路地に、馬車が近づいてくる音がした。
少女が倒れていた辺りを数台の馬車が通過する。一台、二台……そして三台目が通りかかろうとした時、人々の歓喜の声が聞こえてきた。馬車から顔を出しているのは歳でいうなら40前の紳士だ。身なりの良い格好に口髭が特徴的に見える。
フリッツさんは私の横まで来ると、低い声で呟いた。
「……彼が渦中の人物ディーター・エデュロイ。海の向こうの国アクロス出身の人間さ」
「アクロス……たしかルクスブルムの隣にある国ですね」
ディーターの姿が見えたのはほんの一瞬だった。やがて馬車が何台も後を追って消えていき、喧噪もすぐに遠のいていく。フリッツさんは少女の亡骸を抱え直すと、困ったようにため息をついた。
「……どうやらキミは頭が良すぎるみたいだ。勘が良いのはいいことじゃないよ。早死にしてしまうからね」
「ですが私の生死を決めるのもまた、私の勘です。……つまりアクロスとルクスブルムが蔓んで、ネオ・オリを潰そうとしているわけですか」
私がそう言うと、フリッツさんは肯定の代わりに肩を竦めてみせる。
つまりはこうゆうことだ。海の向こうの国アクロス、そして傭兵学校を有する国ルクスブルムが、戦闘部族を持つネオ・オリを我がものにしようと、政治に使えそうな男を送り込んできた。彼こそが現宰相のディーター・エデュロイ。
ディーターは国王が病床についた隙を狙って宰相という地位まで登り詰めた。彼は三大戦士のフリッツ・コールをルクスブルム傭兵学校に売ることで、ネオ・オリの資金源を作らせ、今まで自分達だけで生きてきたこの国を、他の国の干渉なしでは生きていけないようにしてしまった。
(……王子がヒュペリオンを欲した理由はおそらくこれでしょうね)
ディーターの計画によって持ち直したネオ・オリ。そして部族の考えから離れ、都に住むようになった人々。このまま行けばネオ・オリは無条件で海の向こうにある脅威に従う国になってしまう。おそらく王子はその現状を知っていたのだろう。そう考えれば全てに合点がいく。
私はフリッツさんに視線を向けた。
「……それであなた方は、アクロスとルクスブルムの動きを窺っているというわけですね」
フリッツさんは困ったように笑いながら片手で顔を覆うと、路地の間から見える空に視線を向けた。
「僕らにとって守るべきものは全て一緒なんだ。……きっとキミには分からないだろうけど」
フリッツさんの言葉に私は嗤う。
「ええ、分かりませんね。……私は、私のためだけに生きていますから」
そう、私の全てはあの『過去の預言書』、そしてその先にあるあの男への復讐のため。私にとって優先させるべきはたった一つなのだから。
フリッツさんはため息を吐いて、黒地の布を被る。顔が見えなくなると、くぐもったような声で彼は呟いた。
「……クリフ君は大変な人の仕事を引き受けてしまったようだね。できれば彼とは剣を交えたくはなかった」
フリッツさんは背を向けると、少女の亡骸を抱き上げたまま歩き出した。路地の闇の中に黒い布がゆっくりと溶けていくように見える。少女の死を嘆くかのように風が吹き抜けていった。
私はフリッツさんの背中に、一言問いかける。
「……フリッツ・コール。その少女は何処へ?」
彼は足を止めると、振り返ることなくただ空を見上げた。路地から見えるのはまるで別世界のように鮮やかな青い空。同じ風が吹いているのに、此処の路地だけは静寂と悲しみに包まれているように見える。
空を見上げながら彼は言う。
「太陽の下、誰も気付かない場所に埋めるんだ」
誰も気付かない場所。それはおそらく、あの少女の父も母も、兄妹達すらも気付かない場所なのだろう。おそらく少女の生死は誰も知らず、ただ姿を消したことにされる。もしこのことを部族の人間が知れば、再び暴動が起こり、犠牲者が出る。
「……この子は、これから『行方不明』になるんだ。人買いに連れていかれたのかもしれないし、間違って砂漠に出て衰弱死したのかもしれない。家族は探しまわるだろうけど、きっと永遠に見つからない」
まるで平和へ捧ぐ生け贄のように……少女の死は隠蔽される。フリッツさんは顔だけこちらを向けて、私を見る。
「……キミも僕も、ここでは会わなかった。何も見なかった。そうゆうことだよ」
「……そうですね」
私が頷くと、フリッツさんはまた背を向けて歩き出した。私は小さく息を吐いて、もと来た道を歩き出す。通りに出ると数人の人の視線が突き刺さった。しかし私は何事もなかったかのように宿へと足を進める。
しばらくすると、宿の方向から誰かが走ってくるのが見えてきた。私はふと顔をあげ、向こうから疾走してきた相手に片手をあげた。
「ああ、フレイさん。……どうかしましたか」
フレイさんは私の姿を発見すると、不機嫌そうな地顔を更に歪ませて近づいてきた。
「……てめぇ!人が心配して来てやったっつーのに、『どうかしましたか』とは何だっ!」
今にも掴み掛かって来そうな形相に私はため息を吐く。あの程度の暴動で、私が心配されるような事態になるはずがない。
考えていたことが顔に出ていたのか、フレイさんはワナワナと怒りに肩を震わせている。私はため息を吐くと、宿への道を歩き始めた。街のあちこちには暴動のあとが残っている。焼け焦げた煉瓦や、赤い血溜まりをつくる敷石。
「何もありませんでしたよ。……何も」
呟いた私の声は、真っ青な空の下に消えた。