第2章 2
夕日が照らし出したあの一瞬。背中を吹き抜けた風と共に消えたのは、私と母を縛り付けていた何よりも重い言葉。もちろん、自分で言った言葉に迷いなどなかった。もしかしたらこの言葉で何かが変わるのかもしれず、何も変わらないのかもしれず。
重みの消えた上着を羽織って、私は息を吐いた。
- 愚かな決意とヒュペリオン -
翌日、言われた通りに城の前まで来た俺たちを迎えたのはテレジアだった。
「あ、兄さんたち!ここね、ここ!」
馬鹿でかい城門の前で仁王立ちをしていたテレジアは、俺たちの姿を見るといつもの笑みを浮かべて盛大に手を振った。大声で呼ばれた俺たちに通りを歩く奴らの視線が突き刺さる。クリフは挙動不審になり、サーシャは呆れたようにため息をついていた。
俺はやけに元気の良いテレジアに言う。
「お前……仮にも三大戦士だっていう自覚があるのか?」
「あ、五月蝿かた?でも相棒と待ち合わせするよりマシね。黙たままだからいつも見つからないのん」
テレジアは城門をくぐりながら脳天気な顔でそう言った。相棒ってのはおそらくあの大男ジャン・ユサクのことだろう。なんとなくその様子が思い浮かぶ。
城の内部に足を踏み入れると、そこは城というよりも要塞のような作りをしていた。白煉瓦の積み上げられた巨大な建物だ。俺たちの目の前には真っすぐにエントランスに続く敷石が積まれていて、左右には何処へ続くのかも分からない通路がある。
テレジアは真っすぐにエントランスへ向かう道を歩き始めた。一番後ろを歩くクリフが辺りを見回しながら言う。
「な、なんだか……他のお城とはちょっと違う雰囲気ですね」
「ん〜、そう言われればそうかもしれないのん。ネオ・オリは昔アタシ達と仲が悪かた。だからお城もこんなつくりね。あの頃は毎日戦争だたて、ウチのオジジ言てたよ」
それからすると今なんてへでもないね、とテレジアは笑った。俺の隣を歩いていたサーシャは城の内部を見渡しながら呟く。
「……それほどまでに憎み合っていた者同士が、どうして現在のような関係になったのですか?」
テレジアはチラと視線だけで後ろを歩くサーシャを振り返り、そしてまた廊下に視線を戻した。サーシャはその様子を後ろからじっと見つめる。
「それは、この国に生まれてみないと分からないことのん。『言葉にするべき言葉とそうではないものを見極めよ』……太陽神バルトロの言葉ね」
「……そうですか」
テレジアの言葉にサーシャは頷き、それ以上を問おうとはしなかった。2人のやりとりに俺とクリフは首を傾げる。しかしサーシャはいつものように俺たちを無視し、テレジアは何も言おうとしなかった。
やがて城の中を登ったり下ったりを繰り返した後、俺たちは太陽の光が差し込む通路に出た。右側には部屋が並び、左側には空中庭園のようなものが広がっている。庭園は緑によって埋め尽くされ、眼下の砂漠の風景に映えて見えた。
「うわぁ……!」
「これは圧巻ですね」
足を止めて庭園を眺める俺たちに、テレジアは目を細める。
「ここ、とても空気がいいとこのん。砂もここまでは上がて来ないよ」
クリフは庭園の中に入って、下に見える砂漠を見渡した。顔が真っ青になったところを見ると、この城はそうとう高い位置にあるんだろう。風が緑を揺らしている。
ふと足下に視線を落とすと、太陽と同じ色で咲く一輪の花が俺を見上げていた。テレジアはくしし、と笑って、立ち並ぶ部屋の一番奥を指差した。
「……ちなみに応接室はあそこね。そろそろ行くのん」
サーシャはテレジアの背中を追って歩き出す。俺は庭園の真ん中で固まっているクリフの襟首を掴むと、案内された応接室へと向かった。
部屋に入るとそこにはジャンの姿があった。壁に背もたれながら俺たちに視線を向け、軽く首を上下させる。会釈のつもりなのだろう。クリフが慌てて深々と頭を下げるのを見て、サーシャは軽く会釈をした。
応接室にはテーブルとソファ、そしていくつかの棚が置かれていた。壁には古風な剣が飾られている。刃が曲線を描いた2本の剣だ。クリフはそれを見つけると、何かを思い出したようにテレジアに視線を向けた。
「あっ、そういえばフリッツ先生は……?」
ソファに腰を下ろしたテレジアは、向かいのソファを俺たちにすすめながら言う。
「フウならちょっと野暮用ね。お城にはいないよ」
「そうですか……」
しゅんとするクリフを見て、テレジアは笑った。
「でも会ったらよろしく伝えといて言てたよ。剣士の兄さんはフウの教え子のんね」
「あ……い、一応……ですけど」
クリフは俺とサーシャの顔色をうかがいながらそう答えた。俺は呆れてため息を吐き、サーシャは軽く咳払いをする。どうやらこいつは報酬の話に早く持って行きたいらしい。
サーシャの様子を悟ったテレジアは苦笑を浮かべて棚の中から袋を取り出した。黒い布地の、大きめの袋だ。それが3分の2……いや、5分の4くらい膨らんでいる。テレジアがテーブルの上に置くと硬貨がぶつかり合って重みのある音を響かせた。
絶句する俺とクリフ。浪費家の俺でも2ヶ月間、3食女付きの良いとこの宿で遊べるくらいの金だ。目を丸くする俺たちを尻目に、サーシャは冷静に金の入った袋を見つめる。
「……随分いただけるのですね」
「いらないなら減らしてもいいのんよ」
くしし、とテレジアは笑う。後ろの壁に背もたれているジャンはじっと2人の会話を見つめていた。
「いえ……頂けるのならば文句はいいません。ただ……」
サーシャは口端をあげる。その瞬間、テレジアの笑みに影が差すのを俺は見た。
「これだけ事が上手く運ぶと、裏を疑いたくなるのは人の性では?」
その一言で、ふっとテレジアの顔から笑みが消える。突然の言葉に俺もクリフもサーシャを振り返った。しかしサーシャはテレジアと、その後ろにいるジャンを真っすぐに見つめ、真剣な表情を浮かべている。
テレジアはサーシャを睨む。
「……どゆことね」
「私たちの目的はそちらも分かっているはずです。……たまたま立ち寄ったこの国で、たまたま城下にいた王子に出くわし、それを救った。そこまでは偶然で片付けられますが、どうも早く出て行ってほしいという感じがしてならないのですよ」
「さ、サーシャさん……」
言われてみればサーシャの言う通りだ。この国に来たのはサーシャの意志、そしてあのチビの王子に会ったのはメイがいたからだ。そこまでは俺たちの偶然だとしても、報酬があれだと割にあわない。もちろん多すぎる、という意味でだ。
テレジアは目を細くして、サーシャを見つめる。
「……口止め込みよ」
「フッ……ありがたいですが、それだけではない気がしますね」
クリフがハラハラしながら2人を交互に見つめる。サーシャは追い討ちをかけるようにジャンとテレジアに視線を向けた。
「それにフリッツ・コールがネオ・オリに戻ってきていることも気にかかります。いくら王位継承で揉めている時期だからといって、あなた方3人が揃うほどのことでしょうか」
「それは……!」
テレジアがそう言って身を乗り出した瞬間、後ろからジャンがその肩を抑えた。テレジアはキッと後ろを振り返ったが、ジャンの顔を見ると俯いた。サーシャはその様子を無言で見つめる。
ジャンはサーシャを見下ろすと、低い声を響かせる。
「……つまり、裏に『過去の預言書』があると言いたいのか」
「!」
サーシャは無言のままジャンを見上げていた。その横顔を見て俺は納得する。こいつがこんな顔をするのは、預言書に関わる話の時だけだ。獲物を狙う狼に似た鋭利な蒼い瞳。俺には時々、それがテレジア達のよく言う太陽神バルトロとかいうもんより、ずっと恐ろしく思える。
しかし、この剣呑な空気を打ち破ったのは、応接室の扉を叩くノック音だった。
「……何ね」
おそらく人払いをしていたのだろう。テレジアが嫌そうにそう答えると、扉が開いた。そこから見覚えのあるガキが顔を覗かせる。橙色の髪に白い肌。予想もしない相手の出現に、テレジアは思わず腰を浮かせた。
「王子!なんでここに……」
「余を助けた者達が来ていると聞いたのだ。礼くらい言わなければと思ってな」
ガキは俺たちの顔を見渡して、軽く頭を下げた。サーシャは軽く会釈し、初対面のクリフは慌ててテーブルに頭をぶつけた。ガキは大きな目をパチクリさせてサーシャに視線を向ける。
「……メイはおらぬのか」
ガキの言葉にサーシャは苦笑した。
「……ええ。伝言でもあれば承りますが」
「そうだな……なら文でも認めよう。ジャン、紙とペンはあるか」
ジャンは棚を一つ二つ引っ張り出すと、適当な紙とペンを手に取った。ガキはそれを受け取ると、出窓に置いてサラサラと字を書き始める。すぐさま文章が浮かぶのはやはり王子様、と言ったところだろう。見た目も中身も温室育ち。それが見ているだけでも伝わってくる。
ガキは紙を三つに折ると、サーシャに視線を向けた。
「これだけでは何だからな。庭園の花でも添えるとしよう。……そち、ついて参れ」
「王子!」
咄嗟にテレジアが抗議の声をあげる。さっきカマをかけられた苛立ち半分、そして半分は知らない者を指名するこのガキの浅はかさに対してだろう。しかしガキは泰然たる様子でテレジアを見つめ返す。
「庭園はすぐ目の前だ。それにこんな城の中で余を狙う馬鹿な人間はいない」
ガキはそう言うと、サーシャに視線を向けて行くぞ、と言った。それにしても俺でもクリフでもなく、サーシャを指名するとは見上げた根性だ。
サーシャは苦笑を浮かべてガキの後ろをついていく。応接室の扉を開けると、外の風が部屋の中に吹き込んできた。
☆
外は先ほどよりも少し風が強くなっていた。私は花を見つめる王子の後ろをついていく。庭園から空を見上げると、太陽がもう西の山間に帰ろうとしている。日差しは王子の髪の色と同じ橙色に輝き、緑の葉も昼を名残惜しむかのように朱色に染まっていた。
王子は花壇の前まで行くと、私を呼び寄せる。
「……そち、メイはどの花が好きなのだ?」
「さあ……そういった会話をしたことがないのでよく分かりませんね」
私の言葉に、王子は顔を顰める。花や服、価値観、そして男性の好み。普通の女性は複数集まればそういった会話を交わすもの。しかし私は今までそういった類いの話をしたことがない。メイと交わす会話といえば、依頼人と情報屋、もしくは武器商人としての会話だけ。
王子は花壇を指差して言う。
「ならそちに任せよう。どの花が良いと思う?」
「……そうですね……」
花壇の中には白く小さな花や太陽の色をした花など、様々なものがあった。色とりどりだからこそ映えるものばかりだ。私はその中で薄い赤紫色のものに手を伸ばす。似合う似合わないという基準ではなく、ただ長持ちしそうなものを選んだだけ。理由は至極簡単だった。
ふと強い風が吹き上がってくる。花々は一斉に茎を揺らし、空中庭園にざわめきが起った。私はその花に手を伸ばした状態で反射的に目を瞑る。風が髪を揺らし、私の上着をはためかせる。王子は背後にいるのだろう。目を瞑る前に私の足下に王子の影があったことを思い出す。
す、と風が背中を通り過ぎた。
「……!」
私は目を開いた。風はそのまま私たちの前を通り過ぎ、城下へと消えて行く。私はもう一度花に手を伸ばし、それを摘み取った。思ったよりも香りのある花だ。
振り返ると、王子は左手を後ろに隠していた。私は彼の右手に花を差し出す。
「……どうぞ」
「あ、ああ……すまぬな。……それでは戻るとするか」
先に行け、と王子はそう言う。私は深く息を吐き、彼の隠された左手を見つめる。風が止むと、庭園内は静寂に包まれていた。西日が私たちの影を緑の葉の上に作り出す。
私は王子の瞳を見た。
「……スリの手口はメイにでも教わりましたか、王子」
さっと王子の顔色が変わった。背後に回された左手をカモフラージュするかのように、花を握った右手も後ろへと回される。
「なんの……ことだ」
王子はそう言って私を睨みつけた。強い瞳だ。おそらく鈍い者ならば分からなかったかもしれない。だが、彼は選んだ人間が悪かったのだ。……いや、もしかしたら私を選んだ事に何か事情があるのかもしれないが。
私は王子の強い眼差しを見つめ返しながら言う。
「……女性の服の中に手を入れるのは褒められた所作ではありませんね。私が気付かないとお思いですか、左手に握られた銃……『ヒュペリオン』に」
「!」
王子の顔が青くなり、私を睨む瞳から力が失せる。
風が強く吹いたあの時、私は背中に風を感じた。上着の中に隠し持っていた『ヒュペリオン』の重さが消えたことに気付いたのはその時だった。
思えば昨日の夜、テレジアさんが酒場に入ってきたとき咄嗟に私の後ろに隠れたのは王子だった。その時に『ヒュペリオン』の存在に気付いたのかもしれない。
王子は視線を逸らした。やはり城の中で育てられてきた彼は嘘を貫き通すだけの心を持ち合わせていないのだろう。
「……て、テレジアに言おうがジャンに言おうが、返す気などないぞ!」
左手に握られた『ヒュペリオン』が顔を覗かせる。私は深くため息をついた。王子は首を激しく横に振る。
「ずっと昔に何かで見たことがある……これは人を確実に仕留めることのできる武器なのだと!これがあれば、余は……余はっ!」
「……王子」
「余は、この国を……!」
風が流れてゆく。強くに握られた花は彼の手の中で苦しそうに揺れていた。太陽の色をした髪が揺れるのを見つめながら、私はもう一度口を開く。
「王子」
ピタリ、と王子は喋る事を止めた。私はそれを見下ろして、そして彼の手の中にある『ヒュペリオン』を見つめる。それは私の母……カタリナをずっと支え続けたもの。そして同時に、彼女を縛り付けた力。
私は息を吐くと静かに言った。
「……それの名は『ヒュペリオン』。高みを行く者、という意味です」
「……?」
高みを行く者。偶然とはいえ死期から逃れてしまったカタリナは、それを持つ自分をいつも皮肉に思っていた。そしてそれは私も同じだ。私の中にあるのは復讐という二文字。『ヒュペリオン』を持つとき、カタリナが感じていた矛盾を私の中にも感じる。母の死に際に嘘をつき、ジェイロードを追う自分を思えば思うほどに。
「貴方が高みを行くというのならば、このことは不問に致しましょう」
「……よ、良いのか!?」
王子が驚いた表情で私を見上げる。しかしそれに礼儀として微笑み返すことなど私には無理な事だった。
「……王子。高みを行くには数えきれないほどの死を犠牲に、憎しみと苦しみの上を歩かなければならないのです」
「それは……それは、分かっておる」
私は王子の瞳を見つめる。どんなに重い事だと分かっていても、目の前で経験しなければ分からない事もある。彼はまだ知らない。高みを行くことの苦しさ、そしてその重圧を。
私は王子に背を向けて歩き出した。
「……申し訳ありませんが、先に帰るとお伝え下さい。あと……しばらくはこの国に残る、と」
西日が山際に消えようとしていた。