第2章 1
酒場に足を踏み入れた私は、酒場の奥のテーブルに座ってジュースを頼んでいるメイの姿を見つけた。彼女はこちらに背を向けた状態で、向かい側にいる誰かと会話をしている。
私が立ち止まったことで前に進めなくなったフレイさんが、顔を顰めて私の見ている方向に視線を向けた。私より身長が高いフレイさんは、メイと共にジュースを飲んでいる相手を見て一言、こう言った。
なんだあのガキ、こんなところでデートか、と。
- 小さな王子様の憂鬱 -
「……ここが酒場か?」
私の向かい側に座った男の子はそう言って辺りを見回した。物珍しそうにキョロキョロとあちこちを眺めている。店員さんが通りかかるたびにその姿を目で追ったり、カウンターにいるおじさんがカクテルを振ってるのを不思議そうに見てみたり。
「そうだよ。……中に入るの初めて?」
「入るも何も、見るのも聞くのも初めてだ。……そうか、この国の人間は夜をここで過ごすのだな」
納得したように首を縦に振るこの子はフェオール。下の名前も聞いたんだけど、全然教えてくれなかった。なんでだろう。サーシャさんみたいに何か理由があるのかな。
フェオールは辺りを見回しながら、知らないものは何でも私に聞いてくる。
「そち、あの赤っぽい飲み物はなんだ?」
私はフェオールが指差す先に視線を向ける。カウンターでおじさんが準備しているのは、瓶に入った飲み物だ。よくよく見ると赤い色をしてる。
「あれは葡萄酒だよ。葡萄の果汁を発酵させた飲み物」
「葡萄酒……ああ、聞いたことがあるぞ。父上が体の具合が良いときに飲んでいるのを見たことがある」
フェオールはグラスに注がれる葡萄酒を見つめながらそう言った。表情が少し明るく見えるのは、私の気のせいかな。さっきまで周りの視線を気にしてそわそわしていたのに、今は随分落ち着いたように見える。
じっとその顔を見つめていると、フェオールは私の視線に気付いて首を傾げた。
「……なんだ?余の顔に何かついているのか?」
「ん?ううん。……フェオールの髪って綺麗な夕焼けの色なんだなって思って。ほら、あれに似てるじゃない。ええと……バルトロの持つ太陽石みたいな」
この国で……というよりこの国を支える遊牧民族の間で信仰されてる神様に、太陽神バルトロって人がいる。男の神様で、太陽を司る神様なんだけど、この人の逸話に面白い話があるんだ。
ずっとずっと昔、この世界がまだ闇に覆われていた頃、神様の一族が競って『この世で最も素晴しいもの』を探そうとした。みんなが納得できるものを見つけた人には、この世界の神様を統べる重要な役目を与えられるとかで、神様はみんな世界の果てまで『もっとも素晴しいもの』を探しに出かけたんだ。
みんな色んなものを持ってきて、互いに自分の選んだ美しいものを自慢し始めた。『愛』、『力』、『理』、『美』……集まったものはどれも素晴しくて、どれが一番かなんて決められなかった。でも最後にバルトロが自分の持ってきたものを見せると、みんなが納得してしまった。
彼が持ってきたのは、燃えるような太陽の石。愛も、力も、理も、美も、全てを光の許に浮かび上がらせる眩しいほどの太陽。
だから太陽神バルトロの像は、いつも太陽石に似せたオレンジ色の宝石を持っている。
「そういえば、たしか国王様も同じ髪の色をしてたよね。やっぱりあの宝石は王家の血筋を表してるのかなぁ」
私は葡萄ジュースを飲みながらそう呟く。するとフェオールは何故か慌てたように首を横に振った。いつのまにか顔が真っ青になってる。なんでだろう。
「よ、余はそうは思わぬが!お、おそらく気のせいであろう」
「……?何慌ててるの?」
私が首を傾げると、フェオールはぶんぶん首を横に振った。
「慌ててなどおらぬっ。そ、それより情報屋とやらの仕事を教えるのではなかったのかっ」
「あ、そうだったっけ。これじゃあ酒場で葡萄ジュース飲んでるちょっとおませなお子ちゃまだよね。ちゃんとお仕事しないと……」
私はそう言って椅子から降りると、まず葡萄酒を準備していたおじさんのところに駆寄っていく。とりあえず話を聞くなら、毎日酒場で働いている人に聞いてみないと。
振り返ってテーブルにいるフェオールを見ると、何故かほっとした様子で葡萄ジュースを啜っていた。私と目が合うと、また慌てたように視線を逸らす。へんなフェオール。
私はカウンターの椅子に座ると、おじさんにニッコリと笑いかけた。
☆
「おじさん、こんばんは」
「おお、メイちゃん。彼氏を連れているからどうしたのかと思ったぞ。なんだデートか?」
「おじさん、これはデートじゃなくて、社会見学だよ」
メイがカウンターに寄ってきたことでカウンターにいる店主との会話がこっちのテーブルにも聞こえて来た。サーシャは酒を飲みながら、何かを考えるようにメイの言葉を聞いている。俺は店員に追加の注文をつけながら、奥に座っているガキに視線を向けた。
オレンジ色の髪に、やけに身なりの良い格好。どこからどう見てもいいとこの坊ちゃんだ。メイのやつ、どこであんなの拾って来たんだか。
サーシャはグラスの氷を回しながら呟く。
「……気になりますか」
「俺は男に興味はねぇぞ」
「フレイさんの嗜好は聞いていません」
俺の言葉に、サーシャは冷えた目を向けて来た。この女……ほんっとーに冗談が通じない奴だな……。
サーシャは横目でガキを見つめる。キョロキョロとあちこちを見回しているガキは、こちらの視線に気付いていない。もともと観葉植物の隣に席をとったから、メイの位置からもガキの位置からもこちらは見えないはずだ。
サーシャはグラスに口をつけながら言う。
「あの橙色の髪……ネオ・オリの王族に似ています。私も詳しく聞いたことはないのですが……」
俺は店員から注文した葡萄酒を受け取って、もう一度ガキとメイに視線を向けた。カウンターから戻ってきたメイはガキと何やら会話をしている。あの自信たっぷりの顔を見るに、ガキに何かを教えてやってるんだろう。
ふとサーシャは何かに気付いたように窓に視線を向けた。通りに面した窓には酒場の明かりが反射して、外は見え難くなっている。
「……?」
サーシャがふと首を傾げた。その時だった。
ドン、と派手な音がして、酒場の扉が開かれた。店にいた奴らが一斉に入り口に視線を向ける。それは俺もサーシャも同じだった。
「……なんだ?」
店に入ってきたのは、5人ほどの男たちだった。どいつもそこら辺にいそうな旅人の格好をしている。ただ普通と違うのは、そいつらの目指した場所が空いているテーブルでもカウンターでもなく、メイとガキのいる奥のテーブルだったことだ。
メイは咄嗟に何かに気付いたようにガキを庇った。そして何やら男たちと睨み合っている。あのバカ、なに喧嘩売られて素直に買ってんだよ。
チラと視線を戻すと、サーシャは慌てた様子もなくグラスを傾けている。
「……おい、どうすんだよアレ」
サーシャは観葉植物の陰から一触即発のメイ達の様子を冷静に見つめた。相手は大人の男5人。いくらセルマに護身術を教わっているとはいえ、障害物の多い店の中で男5人を相手に立ち回りを演じろなんて、到底無理な話だ。
サーシャは氷とグラスがぶつかる音を聞きながら、俺に視線を向けた。
「……私が出て行くわけにはいかないでしょう」
そりゃそうだ。この店内でクロノスをぶっ放されたら、俺もメイもあのガキも流れ弾に当たらないとも限らない。それに女が出て行けばあのガラの悪そうな奴らに馬鹿にされるのは目に見えてる。……けどな。
「……暗に俺に出て行けと言ってる気がするのは気のせいか?」
「最近頭の回転が早くなってきたようで助かります」
サーシャはそう言って笑ってみせる。笑顔というより、せせら笑いと言った方がいい。以前は徹底して無表情を貫いていたが、最近はこんな表情を見せるようになった。はっきり言っておぞましいことこの上ない。もうちょっとマシな表情が出来ないのかお前は。
「……ちっ……」
俺は舌打ち一つして席を立った。元はと言えば、この女の気概にほれ込んでついてきてしまった自分が悪い。
ローブを脱いで音をたてて椅子を引くと、何人かがこっちに視線を向けた。俺は一歩二歩とメイ達に近づいていく。背中に突き刺さる視線が痛い。
「ちょっ……何!?フェオールをどうするの!」
「だからなぁ、お嬢ちゃん。俺たちはこの人の世話役みたいなモンさ」
「そんなわけないでしょ!だったらフェオールだって嫌がらないはずだよ」
男たちの言葉にメイはすっかり頭に血が上っているようだった。このままだと男たちに手を出しかねない。そりゃあ1人2人ならまだしも、相手は5人だ。
男たちの1人が俺に気付く。しかし俺はそれに目も向けず、メイをからかっているリーダー格の茶髪の男の肩を左手で掴んだ。
「おい」
「……あっ……」
目をつり上げて怒っていたメイが俺の姿に気付いた。驚いたというよりも呆然とした様子でこっちを見上げてくる。
リーダー格の男はチャラチャラした不良のようだった。振り向くとすぐに顔を顰め、凄みの利いた顔で睨みつけてくる。
「んあ?……なんだよオマエ。このお嬢ちゃん助けて王子様気取り?」
「はぁ?……あのなぁ……」
俺はため息をついて、男の肩を掴む左手に力を込めた。男は顔を顰めて俺の手を振り払う。そしてもう一度メイとガキに視線を向けようとしたその瞬間、派手な音をたてて俺の拳が男の顔を強打した。
いきなり攻撃を受けた男は、受け身もとれずに床に転がった。周りにいた男たちは呆然として、俺と転がったリーダー格の男を見比べる。
俺は振り向き様に拳を作り、呟いた。
「……俺はガキにも興味はねぇんだよ」
☆
「……ご苦労様です」
グラスを空にした私は新しい注文を店員に頼んだ後、フレイさんに歩み寄る。男たちのうち2人は完全にノックアウトされていて、残りの3人はついさっき這々の体で逃げ帰っていった。魔法を使わずにここまで出来れば及第点だ。今度から雑魚はフレイさんに任せようと、私は考えを改めた。
「……あぁくそ、久々の殴り合いだと手が痛ぇな」
フレイさんは息切れしながら座り込んでいる。とりあえず怪我はないらしい。私はそれを確認してメイに視線を向けた。メイは私と目が合うと叱られた子供のように肩を竦める。
「……さ、サーシャお姉ちゃん達、なんでここに……?」
「無論、お酒を飲みに来たのですが?」
そう言うと、メイは更に小さくなったようだった。私はため息をついて、テーブルの奥に追いやられた少年に視線を向ける。少年はきょとんとした表情で、私とフレイさん、そしてメイを見つめていた。
少年は言う。
「……そちはメイの知り合いか?」
その口調を聞いた瞬間、私の予想は確信になった。後片付けをしている店員達を振り返り、彼らには聞こえない小声で少年に視線を向ける。
「ええ。サーシャと申します。あちらはフレイ・リーシェン。……貴方はネオ・オリ現国王の末子、フェオール王子ですね?」
「……!」
少年は私の言葉にすぐ顔色を変えた。驚きの表情を浮かべているメイとフレイさんを睨みつけ、牽制する。近くにはまだこちらを気にする野次馬達が集まっているのだ。
少年……いえ、フェオール王子は私を上から下まで見つめて、顔を顰めたようだった。それもそのはず、私やフレイさんは服装や持ち物からすぐに旅人と分かる。温室で育てられた王子様からすれば野蛮な者に見えるのだろう。
王子は私を睨みつける。
「……そなたらも、ディーターの手下なのか?」
「えっ……?」
王子の言葉に真っ先に反応したのはメイだった。
「ディーターって……宰相でしょ?なんで私たちが……?」
「……」
メイの言葉にも王子は視線を逸らし、何も答えようとしなかった。無視をし続ける王子の様子に、メイの声から力が失われていく。隣で徐々に沈んでいくメイの様子に、フレイさんは立ち上がってため息をついた。
私は小声で王子に囁く。
「……私たちは何も言いません。メイの表情に嘘偽りがあると、貴方がそう思うのなら」
「……」
王子は一度だけメイに視線を向けたが、すぐに顔を逸らした。フレイさんが肩を竦めて私に視線を向ける。
「……どうすんだよ、これ」
「どうするもこうするも……このままここに置いていくわけにはいきませんからね……」
私がそう言ってため息を吐いた。この王子があとで誰かに発見されて、城の人間から難癖をつけられては堪らない。私の言葉に、王子がピクと反応を示した。何処かに連れていかれることを察知したのだろう。その様子を見て、メイが何かを言おうと口を開く。
「で、でも、フェオールが此処にいるのも、何か事情があるんじゃ…………あれ?」
ふと通りが騒がしくなった。メイの視線につられて、私たちは通りに視線を向ける。酒場にいた人々は何かに気付いたように、通りに面したテーブルに集まり始めた。もしやまた仲間でも連れて来たのかとフレイさんが入り口に視線を向ける。
しかし扉を開けて入って来たのは、全く違う人間だった。
「あれ?みんな騒ぎすぎね。アタシそんな有名人違うよ」
高い女の声。聞き覚えのある口調に、フレイさんが声をあげる。
「げっ!」
「!」
咄嗟にフレイさんはメイを前に押しやり、王子は同じタイミングで私の後ろに隠れる。もちろん、先に発見されたのはフレイさんの方だった。
「あ、『マジユツシ』の兄さんね。茶髪に赤目の兄さんが酒場で暴れてるて聞いたから走て来たのん」
「俺かよ!」
メイの後ろから顔を除かせたフレイさんが思わずそう叫んだ。まあ、あの一方的な喧嘩を見れば誰もがそう勘違いするに違いない。苦笑を浮かべると、フレイさんに睨まれた。
酒場に入ってきたテレジアさんは、フレイさん、メイ、私の順番に視線を向けて、最後にフェオール王子を見下ろした。背後に隠れていた王子はテレジアさんの視線を避けるように、顔を逸らす。
テレジアさんはため息をついて髪をかきあげ、そして小声で言った。
「……王子。帰るのんね」
「……」
「……国王様が心配してるよ」
国王様、という言葉に王子は顔を上げた。テレジアさんはにっこりと笑って、その手を取る。王子は何も言わずにそれに従った。
テレジアさんは自分の着ていた上着を王子の肩にかけると、私に視線を向けた。
「……お礼したいけど、ここはちと無理ね。明日、城に来るといい。歓迎するのん」
「……ええ。分かりました」
それじゃあ、また明日、と言ってテレジアさんは私たちに背を向けた。集まっていた野次馬達には知り合いの子供だと言い、入り口にいた店主に口止め料を密かに握らせる。普段はとぼけた人間を装っているが、やはり国使えの人間らしい。金の使い方を心得ている。王子はテレジアさんの様子をじっと眺めながら、何も言わずに歩き出した。
私はそれを見送りながら、王子の言った言葉を思い出す。
(……ディーターの手下、ですか……)
ディーター・エデュロイ。一時的に設けられた宰相の地位から、国王へ成り上がろうとしている男。彼は確か、海の向こうの国の出身だったはず。彼は国の経済を立て直すために三大戦士の1人であるフリッツ・コールをルクスブルム傭兵学校に売り、このネオ・オリエントを発展させた。
野次馬達がテレジアさんの姿を追って窓に張り付いている様子を見つめながら、私は一人呟いた。
「……出来過ぎていますね……」