第1章 4
夕日の光を浴びてオレンジ色に染まる太陽神バルトロの石像。雨に打たれ、風に吹かれて薄汚れた石像の前に、1人の少年が立っていた。夕日の色をした髪の少年。その瞳はじっとバルトロの像を見つめている。
少年は何度も首を傾げ、そして改めて呟いた。
「……うむ、似ておらぬのう」
- ある日の、ある少年の、ある出来事 -
「じゃあ……僕はこれで失礼するよ」
私たちを宿まで見送った彼……フリッツ・コールはそう言って歩き出した。私の後ろを歩いて来たクリフさんがふとその背中に声をかける。
「あれ……フリッツ先生は別のところに宿をとってるんですか?」
フリッツさんに呼びかけるクリフさんの声は少し違う。恩師に対する敬意なのだろうが、おそらくそれだけではない。きっと剣士なら誰でも彼を尊敬するはず。
フリッツさんは足を止めるとこちらに向かって微笑みかけた。
「うん。お城の方に呼ばれてるから、友人達と合流してそっちに行くつもりだよ」
「そうなんですか!お疲れさまです」
クリフさんが頭を下げるとフリッツさんは軽く手を振って歩き出す。その背中が路地を曲がったのを確認して、私は隣に立っているフレイさんを肘で小突いた。
「……フレイさんの言葉はあながち外れていませんでしたね」
「あ?なんのことだよ」
クリフさんはフリッツさんを見送ると、ポケットの中から鍵を取り出して宿の中へと入っていく。メイはすっかりクリフさんに懐いたようで、二人は並んで部屋へと向かっていった。
私はその後ろを追いながらフレイさんを見上げる。
「彼……フリッツ・コールはネオ・オリ三大部族の一つゲイツ一族出身の戦士です。……『三大戦士』の最後の1人ですよ」
私の言葉にフレイさんは予想通りの反応を返してきた。一瞬、理解出来ないような顔をし、そして次の瞬間驚きが言葉を弾き出させる。即座に叫ぶクリフさんも五月蝿いが、彼は五月蝿いというより面倒臭い。
「……はぁ!?あの男がか!?」
「そうです。ルクスブルム傭兵学校は多額の金額をこの国に渡して、三大戦士の1人を『買った』んです。……まぁ、もともとゲイツ一族の出身ですから、国を離れることにさほど抵抗感はなかったようですね」
この国の事情も彼ら『三大戦士』の関係も私には興味のないことだが、彼らは国に、もしくは王族に使える忠実な部下だ。国は彼らを従えることで遊牧民族や各有力部族を従えることが出来る。そうゆう意味では国と部族のパイプ的役割を果たしていると言ってもいいかもしれない。
そんな関係が危うくなり始めたのは、現国王が病に伏してからだった。国王の後を継ぐべき王子達はまだ完全に国を統べる術を学んでおらず、一時的に『宰相』という地位が作られた。その地位に就いたのはディーター・エデュロイ。それはただの間に合わせの地位と人材だった。
それが全ての火種。
「ディーターは国の経済が傾いていることを知り、他の国との関係の強化を図りました。そこに丁度良く話を持ちかけて来たのが、かの有名なルクスブルム傭兵学校だった、というわけです」
一時的な宰相はその取引に高額な金を要求し、歴史ある傭兵学校はそれに応じた。その辺りから、彼を指示する人々が都の中で増え始めたのだ。遊牧民族に頼って細々と生きる生活から、他の国のように貿易や取引で成立する国へ……。それは都に暮らす人々にとって憧れでもあった。
「……この暴動の火種は『宰相』のカリスマ性と人々の生活の変貌にあります。住む場所を転々とする部族はいなくなり、都に安住する者が多くなりました。彼らは今も古い風習に凝り固まった部族を良く思っていないのです」
私の説明に、フレイさんは廊下を歩きながら呟く。
「……コンプレックスとは違うが、似たようなもんだな」
「ですね。ただ、気になるのは……」
私はふと今日、この街を最初に見たときのことを思い出す。私が1人で旅をしていた時の噂だと、ネオ・オリの国力は他の国に比べて弱く、経済的にも潤いはなかったはず。しかしこの街を見る限り、この国はエレンシアやグロックワースに近い発展を見せている。
急に黙り込んだ私に、フレイさんが顔を顰めている。私は階段から外の様子を見つめながら呟いた。
「……いえ、なんでもありません」
☆
街はゆっくりと夜の雰囲気に変わっていく。でもこの街は他の大きな都と違って猥雑な雰囲気は全くないから不思議。多分、ここに生きる人たちがみんな太陽神バルトロの血筋だからかもしれない。本当かどうかはよく分からないけど。
「……よっと」
私はゆっくりと窓から下に降りた。もちろん、私の部屋は1階。部屋の入り口には鍵をかけて、窓から外に出る。なんでこんな時間に私が外に出るのかって言ったら、もちろん情報集めのため。
暴動は怖いけど、それを怖がっていたら立派な裏世界の情報屋になれないんだもん。それに多分こんな時間に暴動は起きないはず。ネオ・オリ精神っていうのかな。この国の人たちは『勝負は堂々と』っていうポリシーがあるから。
「……」
サーシャさんの部屋の窓の下を屈んで通ると、後は一気に通りへ出る。多分サーシャさんのことだから気付いてもお咎めはないと思うんだけど……とりあえず、ね。
通りに出ると、人の気配は殆どなかった。やっぱり普通の人は家の中に籠りたくなるよね。危ないし。
「……ええと、とりあえず何処にいこうかな……」
私はキョロキョロと辺りを見回す。メイを相手にしてくれそうな人がいる場所だと……やっぱり酒場かな。お酒飲んでる人たちって、饒舌になりやすいからポロッと重要な話をしちゃったりするんだもん。上手く話を聞き出してあげれば、こっちにも面白い情報が入ってきたりする。
「それじゃあ、酒場に……っ!?」
意気揚々と振り返った私は、向こうから走って来た人にぶつかった。しかもあの『魔術師サマ』とかクリフお兄ちゃんとかならまだしも、私と同じくらいの身長の男の子。頭と頭がぶつかって、自分でもビックリするくらい大きな音が出た。
「い、いたたた……」
「っう~……」
私が頭をさすりながら顔を上げると、男の子が同じ格好で頭をさすりながらこっちを睨みつけてきた。
「そち、何処を見ながら歩いておる!」
「なっ!そっちだって、前も見ずに走ってきたじゃない!」
男の子はよく見たら私より少し目線が低かった。オレンジ色のさらさらの髪に、ちょっと生意気そうな目つき。私の言葉にむっとしたのか、つり目をもっとつり上げて、私の顔の前に人差し指を向けてくる。
「急に振り返る方が悪いのだ!余は急いでいてだな……!」
はっと何かに気付いたように、男の子は咄嗟に後ろを振り向いた。通りの向こうから数人の足音が聞こえてくる。彼は慌てたように建物の隙間に入り込み、私まで引っ張り込んだ。
「な、何……?」
「いいから黙っておれ、静かに!」
静かにって、そっちの方が五月蝿いよ。私はそう反論しようとしたけど、向こうから聞こえてきた足音に口を閉じた。数人のガラの悪い男の人たちが、さっきまで私たちのいた辺りでキョロキョロしてる。1人が何かを言うと、他の人たちが一斉に頷いて、街のあちこちに散らばっていった。
私は男の人たちがいなくなるのを確認して、男の子に視線を向けた。
「……スリでもしたの?」
「なっ、余がそんなはしたない真似をするものか!」
はしたない、と言われて私は口を尖らせる。そんなこと言ったって、この状態はスリに失敗したときの状態と一緒だ。財布を握っているところを見つかると、あんな風に追われるハメになるから。
私達は辺りを見回して、建物の隙間から顔を出した。
「むぅ……じゃあ、なんで追われてるのよー」
「そんなこと、そちに関係なかろう」
むっ、こっちがお姉さんらしくなんとかしてあげようと思ったのに、返答はそれ?可愛くないっ。
「あ、そんなこと言っていいの?さっきの人たちに教えちゃうことだって出来るんだよ?メイ、情報屋だもん」
私はそう言って胸をぽんっと叩いた。どーだ、恐れ入ったか。
でも男の子の反応は私が思ってたのとは全然違ってた。慌てふためくかと思ったのに、私をじっと見つめて、何かを考えてる。
「……そち、情報屋というのは……何でも知っておるのか?」
「えっ?え、いや……何でもってわけじゃないけど」
私は慌てて首を横に振った。だって、私は知っている情報しか知らない。知らない情報は知らなくて当然な訳で、だって知らないから知らないんだし……って、訳分からなくなってきちゃった。
夕日の色の髪をした男の子は、私の反応に顔を顰める。
「情報屋なのに情報を知らぬのか?」
「そんなこと言ったって、メイまだ半人前だし……だ、大体情報屋のお仕事ってどんなのか知ってる!?」
私がそう言って迫ると、彼は面食らったような表情で顔を横に振った。
呆れた。この子、もしかして何処かの財閥のお坊ちゃんか何かかな。なんとなく口調も偉そうだし、もしかしたら本当にそうかも。
私はぽん、と思いついたように手を叩いた。それなら、この世間知らずのお坊ちゃんに情報屋のお仕事がどうゆうものか見せてあげようっと。こうゆうの……えっと、社会見学って言うんだよね。
「じゃあ、このお姉さんのお仕事を特別に見学させてあげる!……あなた、名前は?」
私がニッコリと笑ってみせると、彼は瞬きをして言った。
「余か?余の名は……」
☆
「……やぁ」
夜の広場には人気が少なく、街の光が輝かしいのに対してこの場所だけはどこか寂しげに見える。そう思い始めたのは数年前からだけど、どうやらそう感じているのは僕だけではないようだ。
片手をあげて笑いかけると、旧友達は僕の顔を見てため息を吐いた。真っ赤な髪をした友人は呆れたような表情で僕を睨みつける。
「……フウ、そののんびり挨拶いい加減直すね。聞いててイライラするのん」
靴の裏で地面を叩きながら、彼女は戦棍のメイスを担ぎ直す。ちなみに『フウ』とは僕のニックネームのようなものだ。彼女は僕の名前をしっかりと発音することが出来ない。
「まぁ、いいじゃないか。テレジアの訛りに比べれば……」
「フウののんびりと同じない!」
珍しく眉間に皺を寄せてそう叫ぶ彼女はテレジア・ケベリ。今は機嫌が悪いけれど、機嫌が良ければとても優しい世話好きな性格。のはず。
僕は苦笑を浮かべながら、銅像の隣で黙りを決め込んでいる彼女の相方に視線を向けた。焼けた肌に長身の大男はジャン・ユサク。
「……随分とテレジアの機嫌が悪いようだけど、禁句でも口にしたかなぁ?」
僕がそうやって助け舟を求めると、ジャンはため息をついた。ちなみにテレジアの禁句は3つある。一つは貧乳、一つは化け物。そして最後の一つは……僕は命が惜しいから、言わないでおくことにしよう。
ジャンは相変わらずボロ布を被って、顔がはっきりと見えないようにしていた。シャイなのか人見知りなのかは分からないけれど、彼はいつもこんな格好をしている。
ジャンはカリカリしているテレジアを横目で見ながら言う。
「……王子が城から抜け出した」
「あれ……ボルドー王子が?」
僕がそう戯けてみせると、テレジアがキッとこちらを振り向いた。そして僕の襟首を掴んで言う。
「違うね!ミニの方ね、ミニの」
「ミニって……」
僕はしばらく会っていない王子達の顔を思い浮かべた。国王の跡継ぎ問題で騒がれているボルドー王子を除く王子達はたしか4、5人。その中でテレジアがカリカリするくらい重要な人物というと……。
ぽん、と頭の中に浮かんできたのは、まだ15歳にも満たない小さな少年だった。少し橙色に近い髪に、ちょっと気の強そうな顔をした男の子。
「フェオール王子が……?」
僕の言葉にジャンが頷く。たしかに、暴動が起きている城下に王子がいるとしたら危険だ。
「……抜け出したのは夕刻。至急探し出せとの命だ」
でも、とテレジアは靴裏で地面を叩く。メイスを担ぎ上げたまま、チラと辺りを気にする仕草を見せる。テレジアは僕に一歩近づくと、小声で囁いた。
「……それだけじゃないね。嫌な噂、聞いたのん」
「噂……?」
テレジアは頷いて、もう一度辺りに視線を向ける。そして呟いた。
「ディーター、動いたのん。海の向こうと連絡取り始めたよ。ボルドー王子に和解の話し合いを持ちかけてるね」
月が雲の中に顔を隠し、太陽神バルトロの石像が闇の中に紛れていく。風の音が広場の木々を揺らし、まるでこの国の光を揺らめかせているように見えた。
テレジアは真剣な顔で言う。
「……嫌な予感、する」
☆
俺の部屋の扉が叩かれたのは、深夜を少しまわった頃だった。酒でも飲みにいこうと考えていた俺は、突然のノック音に顔を顰めた。なぜなら、向こうから聞こえて来た声がサーシャの声だったからだ。
「……フレイさん、起きてますか?」
煙草を加えた状態で扉を開けると、いつもの格好のサーシャが立っていた。腰のホルスターにはクロノスが仕舞われている。
サーシャは俺を見上げて言う。
「これから少々外に行くつもりなんですが……ご一緒しませんか」
「ご一緒って……誰が行くか、お前なんかと」
俺がそう答えるとサーシャは苦笑を浮かべて、人差し指を俺に突きつける。
「……一軒なら奢ってさしあげましょう。いかがですか」
「うっ……」
俺は言葉に詰まった。こいつの場合、おそらく酒場で酒を飲むのが目的というわけじゃない。酒場で予言書の情報を集めるつもりなんだろう。『ご一緒』というのは、それについてこいという意味だ。しかし、一軒分奢りってのはまあまあ……いや、結構良い話かもしれない……。
財布の中の小銭を頭の中で確認して、俺は頷いた。
「ちっ、仕方ねぇな……」
サーシャは俺の答えを確認すると出口に向かって歩き始めた。俺は部屋の鍵を閉め、その後に続く。ふと隣の部屋を見ると、そっちはもう既に部屋の灯りが消えていた。クリフのやつ、もう寝たのかよ。
俺たちは宿を出て、外を歩き始める。大通りに並ぶ店はまだ灯りをつけたままだが、路地の奥はひっそりと静まり返っていた。サーシャは月明かりに照らされた道を真っすぐに歩いていった。
「……やけに静かだな」
俺は辺りを見回してそう呟く。もう少し活気があるもんかと思っていたが、大通りも人通りが少なくひっそりとしている。サーシャは俺の前を歩きながら言った。
「暴動の影響でしょうね」
「暴動、ね……どうしてこうゆう部族だのなんだのって、血の気が多いんだろうな」
ふとサーシャが足を止めて俺の顔を呆れた表情で見つめる。なんだよお前、その顔は。
サーシャはため息をつきながら再び歩みを進めた。歩くたびに靴音が響く、静かな夜だ。
「……まあ、宗教心だ何だと言う気はありませんが、彼らには彼らなりの『誇り』があるのでしょう」
呟いた言葉は、ゆっくりと闇の中に消えていった。