第1章 2
夜の街は静まりかえって、吹荒ぶ砂嵐の音だけが別世界の出来事のように何処か遠くで木霊する。手の中で揺らめく炎が煙草に燃え移り、細い煙をあげるのを俺は見ていた。
吸い込んで吐き出す煙のその向こう。砂漠を照らす月だけが無言で俺を見下ろしている。
- 己の味方であること -
その日の夜、メイはサーシャの勧めでこの安宿に泊まることになった。もともと臨時収入を期待していたメイは一も二もなくその勧めに応じたが、おそらくサーシャは善意だけで宿泊代を払ったわけじゃない。大方、ここらを歩き回っていたメイから情報を得ようとしているんだろう。
俺は煙草に火をつけ、狭い路地から見える欠けた月を見上げた。薄い煙が闇の中に浮かんで消える。煙に包まれた月は、煙たそうに雲の間に顔を隠した。
「……」
俺は煙草を加えて、後ろを振り返る。俺たちの使っている部屋に灯りはなく、どうやらサーシャもクリフも寝ているようだった。
「……んで、なんでお前、ここにいるんだよ」
隣に視線を向けると、むすっとした顔をしているメイの姿があった。目が冴えたのか何なのか知らないが、さっきから俺の唯一の楽しみを邪魔している。
俺は煙草の煙を吐き出しながら言った。
「ガキは寝る時間だろ」
「目がさえちゃったんだもん」
「だからって、なんで俺のところに来んだよ」
「……」
メイは黙り込んで、両膝を抱えた。俺はため息をついて煙草の灰を地面に落とす。火のついた一欠片が地面に落ちて、やがて静かに消えていった。
風が路地を吹き抜けていく。メイは持ってきた上着を頭まで被りながら、月しか出ていない空を見上げた。
「……ねえ、もしかしてだけど……」
メイはちら、と俺に視線を向ける。
「……エレンシアでジェイロードさんに会ったりした……?」
じっとこちらを見つめるメイに、俺は煙を吐き出した。このガキからあの男の名前が出てくるってことは、つまりコイツはある程度サーシャの事情を知っているんだろう。
俺は向かい側の店に視線を向けながら言う。
「……なんでんなことお前に言わなきゃいけないんだよ」
「それは……えっと……」
メイは上着の前を押さえて俯く。何かを考えるように視線を彷徨わせながら、答えを探しているようだった。
俺は煙草を地面に落とすと、靴裏で火を消した。そして懐から次の煙草を取り出す。火は一々持ち歩くのが面倒だから、適当に魔法でつける。
メイは足を投げ出してため息をついた。
「……こうゆうのメイは苦手なんだけど、お母さんがそうしろって言うから聞いてるの」
時折強い風が吹き荒れ、路地を駆け抜けていく。まるで生き物のように声を上げる風の音。飛んでくる砂に目を瞑り、メイはそのまま呟いた。
「……メイ達は商人でもあるし、情報屋でもあるの。情報屋は常に中立なんだって、お母さんはよく言ってる」
俺はふとセルマの顔を思い出して、その言葉の意味を考えた。いかにもあの女の言いそうなことだ。だが、メイが言いたいのはおそらく薄っぺらな意味じゃない。
メイやセルマは、金に見合った分の情報をサーシャに与える。それは『過去の予言書』の情報であり、ジェイロードに関する情報だ。
「……!」
不意にメイの言葉を辿っていった俺は、その意味するところを悟ってしまった。
「んじゃあ何か、お前は俺たちの情報をあのジェイロードとかいう男に売る場合もあるってのか?」
「……うん」
メイは俺に視線を向けて、しっかりとそう頷いた。そしてこう付け加える。
「お母さんがよくこう言うの。『ジェイロードもサーシャも、他の客とは違うんだ』って。サーシャお姉ちゃんのお母さんと私のお母さんは知り合いだったからそう言うんだと思う」
サーシャの母。トゥアス帝国のカタリナ王女と言えば、おそらく知っている人間は多いだろうと思う。帝国が世界の『知』と共に一夜にして消え失せたという歴史的な事件は、まさにカタリナが生きていた頃に起きたものだ。
カタリナは不老不死によってつい最近まで密かに生き延びていた。セルマと出会ったのはおそらくその頃だろう。
メイはセルマの言葉だと、前置きをして言う。おそらくまだメイ自身、その考え方に納得がいかないのだろう。
「でも……でも、どんな人が相手でもそれは商売なんだって割り切らなきゃいけないんだって。メイはサーシャお姉ちゃんの味方をしたくなるけど、それはいけないんだって」
「……」
俺はじっと煙草の煙を見つめながらメイの言葉を聞いていた。メイはいつキレるのかとチラチラ俺の顔を見ているようだったが、俺の中に苛立ちや不快感はなかった。
俺は大きくため息をつく。煙草から零れた灰が風に巻き上げられて消えていった。
「……情報屋なんてそんなもんだろ」
自分でも不思議なくらい、俺は冷静にそう答えていた。おそらくそれは俺が口を出すべき問題じゃない。サーシャはそれを理解したうえでセルマやメイから情報を買っている。
メイは唇を尖らせて、拍子抜けしたように地面に視線を落とした。
「……そんなもんなのかなぁ……?」
「んだよ、否定して欲しかったのか?」
俺がそう言うと、メイは頬を膨らませた。魔術師サマって本当に性格悪いよね、と可愛げもなくそう呟く。馬鹿言うな、サーシャよりはマシな性格をしてるつもりだ。
俺は二本目の煙草を吸い終わると、さっさと立ち上がった。慌てたようにメイが俺の後ろをついてくる。俺は宿の扉を開けながら言った。
「……結局、そのジェイロードに情報売ったことはあんのか?」
メイは首を横に振る。
「ううん。これはサーシャさんにも言ったんだけど……1年前くらい前お母さんのところに来て、それっきり。あ、あのときは1人だけだったよ」
扉の閂を閉め、二階への階段を上がる。木で出来た階段が静寂の中でギシギシと不快な音を立てた。俺は階段を踏みしめながら、考えを巡らせる。
魔術師は大体15か16で仕える相手や場所が決まる。その大半は王族や貴族で、才能の有無によって下働きから始める奴もいれば、最初からある程度の地位を貰う奴もいる。アイルークは後者の典型的なパターンだった。俺はその決まりが嫌で家を出たが、俺の記憶が確かなら、ファーレン……あのジジイが一度仕えたことのある貴族の家だったはず。
(一年前か……里に帰ってねぇから、あいつの情報は全く聞こえてこねぇしな……)
頭をかく俺の後ろでメイは大きな欠伸をした。自分の部屋のドアノブを握ると、目尻に溜まった涙を擦りながら言う。
「ふぁ……やっと眠くなってきた……それじゃあ、おやす、みっ!?」
丁度良く視界に入ったメイの襟首を俺はガシッと掴んだ。よく考えれば、目の前に情報屋がいるじゃねえか。まだまだ新米だが、使いようによっては使えるかもしれない。
「ちょっ、何……?」
「お前に別口の仕事をやる」
俺はメイに人差し指を突きつけた。メイは訳が分からず、顔を顰めたまま俺を見上げる。
「……変な仕事じゃないよね。サーシャさんの覗きとかだったらヤだよ」
「誰がそんな依頼するかっ!ぶっ殺されんだろ。……そうじゃなくてだな、ジェイロードと一緒にいるアイルーク・ハルトって男に関する情報だ。里を出た後からのことを知りたい」
俺の言葉にメイは目をしばたたかせた。
「いいけど……別口でいいの?お金、魔術師サマ持ちになるよ」
「金は作っとく。……じゃあな」
メイが疑わしそうな目で見てくるのを無視して、俺は自分の部屋の扉を開けた。
エレンシアのコロッセオで会った時のアイルークは、随分とジェイロードに傾斜しているように見えた。もともとあいつは他人に付き従うような性格じゃない。それは俺がよく知っている。
魔術師として十分な地位と実力を持ったあいつにどんな心変わりがあったのか。俺にはそれが気になって仕方がなかった。
☆
翌日の朝、俺たちはレスティナを立つことになった。とりあえず病み上がりのクリフの体調に気を配りつつ砂漠を歩かなければいけない。面倒くせぇと呟くと、俺の後ろをついて来たクリフが縮こまった。
荷物をまとめて宿を出ると、先に外に出ていたサーシャとメイが何かを話していた。メイもどうやら行かなければいけない場所があるらしく、あの武器の詰まった鞄を背負って、サーシャから借りた地図を見つめている。
「んだよ、また商売か?」
俺がそう問いかけると、メイは地図に視線を落としたまま頷いた。
「そうだよ。次はネオ・オリ」
ネオ・オリ。それはこの砂漠の殆どを統治する長い歴史を持った『太陽国ネオ・オリエント』だ。かつて500年前世界を統治したトゥアス帝国下にあり、その頃から王族の血筋が続いていると言われている。もっとも、ネオ・オリを支えているのは王家の血筋という象徴だけではない。
俺の後ろからクリフが顔を出して地図を覗き込む。
「ネオ・オリなら、 商隊か遊牧民の人たちについて行った方がいいんじゃないかな」
「うん。でもね、知り合いの商隊が今どの辺りにいるか分からなくて……」
ちょっと聞いてくる、と近くの露天商に声をかけにいくメイ。俺は後ろから顔を出しているクリフに訝しげな視線を向けた。
「……なんでんなこと知ってんだよ」
「えっ?え、あ……ね、ネオ・オリって『戦士の都』って言われてるくらい旅人の間では有名な場所だし……少なくとも剣士では知らない人はいないってくらい有名な場所だから……」
しどろもどろで応えるクリフに、サーシャは荷物を地面に置いてため息をついた。
ネオ・オリが戦士の都と呼ばれるのは、国が遊牧民族と強い信頼関係を保っているからだ。しかも遊牧民族には武闘派が多い。血の気が多いのも時々いるが、自分の民族に誇りを持っているような硬派な奴が殆どだ。
「そうですね。ジャン・ユサク、テレジア・ケベリは共にネオ・オリの三大戦士に名を連ねています。……護衛業の酒場では常にその話題が上りますから」
サーシャはそう言って、メイに視線を向ける。道の反対側にいる露天商の爺は、真っ黒に焼けた肌に皺を刻ませ、真っ白な髭を撫でながらメイの問いかけに応えている。
「お爺さん、それ本当?」
メイは商品の向かい側から爺に問いかける。耳が遠いのか、頭の回転が遅いのか、爺は1テンポ以上遅れて頷いた。
「そうじゃよ。その商隊ならもうそろそろ……おっ、ほれ来たようじゃ」
パッとメイは顔を輝かせて、枯れ木のような爺の指差す方向に視線を向ける。すると街の入り口の向こう、砂嵐の中に人影がぽつりぽつりと見え始める。荷物を引く馬や駱駝、そして人の姿。
丁度良いタイミングだと、喜びかけたメイの足が一瞬止まった。クリフも俺も、その異様な雰囲気に首を傾げる。
「あれ……」
指を差して振り返るクリフ。サーシャは無言のまま、街の入り口に入って来た商隊の人間に歩み寄っていった。
街の入り口では、不穏な空気を察した街の人間達が野次馬のように集まってきていた。サーシャは人ごみをかき分け、商隊のリーダーらしき中年の男の前に出る。
「……すみません」
問いかけに、男はあからさまに顔を顰めた。そして一度商隊のメンバーに声をかける。
「おい!歩ける奴は医者のとこに怪我人を運べ!あと馬と駱駝の様子も見てやってくれ。……で、なんだ?嬢ちゃん」
サーシャは男の後ろを運ばれていく怪我人の様子を見つめていた。商隊の3分の1は切り傷や火傷を負っている。馬や駱駝も、足の調子を気にしているように見えた。
サーシャは顔を上げる。
「……随分と怪我人が多いようですが、何かあったんですか?」
「ハッ!あった、なんてもんじゃねーよ。聞いてくれ、嬢ちゃん」
リーダーの男はサーシャの言葉に、待ってましたと言わんばかりに肩を竦めて喋り出した。野次馬達にも聞こえるように、声をデカくして。
「俺たちがいつもの通り、ネオ・オリで休憩してこの街に戻って来ようとしたら、珍しく入り口に監視がいねぇ。旅標の確認もせずに不用心だなと門を潜ったら突然あちこちから火炎瓶やら弓矢やら、てんやわんやの大騒ぎ!」
ぽん、と肩に手を置かれ、野次馬の輪の真ん中に巻き込まれてしまったサーシャはあからさまに嫌そうな顔をして男を見上げた。男は気付かず話を続ける。
「あれが一時間は続いたか……ともかく、投げるもんがなくなって腐った卵が飛び交い始めた頃、やっと国のお偉いさん方の登場だ。誰かが『国王様直属の上長官殿だっ』と叫んだ瞬間、今までの混乱が嘘のようにパッタリと治まりやがる。巻き込まれた俺たちゃ、ワケも分からず呆然とするしかなかったぜ」
おそらく商品と共に情報も運ぶコイツらは、こうゆう語りが日常になっているのだろう。回りくどい説明に業を煮やしたサーシャは、肩に置かれた手を払って言った。
「……それで、その暴動の原因とは?」
つれない反応をされたことで野次馬の数人から笑い声が聞こえて来た。男は肩を竦ませてサーシャを見下ろす。
「今、ネオ・オリは国王の後を継いで誰が政権を執るか、揉めに揉めてんのさ。1人はバートン国王の第1子、頭はちと弱いが武闘派一族と親交のある王子ボルドー・マルス。もう1人は、バートン国王が急病で床に臥せっている間、宰相を勤めたディーター・エデュロイ。こいつは遊牧民とも武闘派のやつらとも折り合いがすこぶる悪い。……次の国王はディーターだ、ボルドーだって国は真っ二つ。俺たちゃ、暴動のとばっちりだな」
俺はその声を聞きながらチラ、とメイに視線を向ける。もちろんその顔は血の気が引けてしまっている。露天商の爺は話が聞こえないらしく、しきりに首を傾げていた。
サーシャはたいして表情を変えず、男に軽く頭を下げる。
「……そうですか。ありがとうございます」
それでは、と踵を返すと、男がサーシャの背中に向かって声を投げる。
「おい嬢ちゃん、まさかネオ・オリに行くわけじゃねぇだろうな?止めとけよ、女とはいえおそらく容赦はないと思うぜ?」
男の言葉に、今度はクリフがメイに視線を向ける。メイの表情は真っ青になってしまっていた。サーシャは野次馬の輪から抜け出してくると、メイに歩み寄る。
「……だ、そうですが。どうしますか?」
殆ど表情を変えないサーシャを見上げ、メイは今にも泣きそうな表情で顔を上げた。
「で、でも……ネオ・オリには1人、注文をくれたお客さんがいて……」
メイはサーシャの服の裾を掴んで、じっとサーシャを見上げる。おそらくどうしても切り捨てることの出来ない注文なんだろう。
サーシャは軽くため息をついた。
「そうですか……仕方ありませんね」
「なっ……仕方ない、ってまさかガキの為にネオ・オリに行くのか!?」
「えっ、えぇっ!?」
俺の声にクリフがいつものように驚きの声をあげた。テメーはいちいち五月蝿いんだよ。
サーシャは俺とクリフに視線を向け、そしてもう一度メイを見下ろす。その頭に手を置き、珍しくメイの頭を撫でてやりながら言った。
「もしかしたら『過去の予言書』の情報があるかもしれません。……それに、メイはセルマの娘ですから」
「お姉ちゃんっ!!」
メイが目をキラキラさせてサーシャに飛びつく。俺は深いため息をつき、クリフは怪我を負った商隊の奴らを見て震え上がった。憧れの『戦士の都』とはいっても、暴動の起きている街に入るのは怖いらしい。いや、それが普通の考え方だと言っていいだろう。
サーシャはメイを宥めながら、珍しく慈愛の笑みを浮かべて白い手を差し伸べた。
「……お礼はクロノスとヒュペリオンの銃弾で頂きましょう」
メイも含め、俺たちが言葉を失ったのは言わずもがなだった。