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過去の予言書  作者: 由城 要
第1部 One Night Story
19/112

第5章 3


 神がもしこの地上にいるのなら、私は己の罪を己の口から告白しましょう。私は死から逃げたのです。神が示した死の機会を失い、生きながらえてしまった。それが偶然にしろ必然にしろ、罪であることにかわりはありません。

 ただ一つだけ、祈ることが許されるのならば。私は、私の意志を継ぐ彼女の幸せを願いましょう。彼女の道に憎しみと悲しみの花が咲くことのないように。





  - 荒野に咲く一輪の花 -





「アタシ達、一度お国に帰るのんね。色々『ジヨウホウ』入たから、上の人に伝える。お仕事まだ続くね」


 監獄からアルジェンナ砂漠に出ると、テレジア達はそう言って去っていった。メイスを担ぎ上げたテレジアと、コルセスカを布に包み黒い布を頭まで被って歩き出すジャンの背中。クリフは何度も二人に頭を下げながら、それを見送っていた。

 俺は視線をアルジェンナ砂漠へと向けた。山の裾は僅かばかりの草が生えているが、砂嵐のせいで茶色く染まっているのが殆どだった。向こうに視線を向けると、瓦礫のような岩がゴロゴロと転がる荒野が広がっている。

 ふと砂を踏む音に気付いて、俺はサーシャの背中に目を向けた。


「おい。……何処行くんだよ」


 アルジェンナ砂漠へと歩き出そうとしていたサーシャが、ふと足を止めた。テレジア達を見送ったクリフが駈け戻ってくる。

 サーシャは顔をこちらに向けると、無表情で言った。


「関係ないでしょう……契約はすでに切ってあります。お二人もお好きにどうぞ」

「サーシャさん……」


 クリフがオドオドと困ったような表情を浮かべた。俺はそれを押しのけて、サーシャを睨みつける。


「俺たちがこれからどうするかは俺たちが決めることだ。だからってな……ここまで巻き込まれて説明なしで『ハイ、さようなら』かよ」


 サーシャが顔を顰めた。冷ややかな視線で俺たちを射る。いつもならこの表情一つで逃げ腰になるクリフが、俺の隣で静かに頷いた。そして言う。


「あの……僕も、知りたいです。なんだか色んなことがいっぺんに起きて、何がなんだか分からないから……」


 俺たちの言葉にサーシャはため息をついてみせた。どんな表情をされようが、俺は引く気はない。アイルークたちの考えていること、そして過去の予言書のこと。知る権利もへったくれもない。俺はそれを知りたいと、そう思った。それ以上に理由は必要ない。


「……仕方のない人たちですね……」


 荒野に視線を戻して、サーシャはそう呟いた。


「……私の名前は、サーシャ・レヴィアス。名前で分かるでしょうが、ジェイロードとは兄妹の関係です」


 サーシャはまず、そこから話し始めた。荒野に吹く風が、青空に砂を舞い上がらせていく。時折吹く突風が山脈を昇っていった。サーシャの視線は山脈の向こうに続く大地と空の間へと向けられている。

 クリフはじっと、サーシャの言葉を聞いていた。サーシャがあのジェイロードと血縁だというのは本当だろう。二人は目元がよく似ている。

 サーシャは視線を足下へ向けて呟いた。


「レヴィアスは父の性です。私が生まれた頃に亡くなったので、覚えてはいません。そして母の性は、リドール・T・ブレイス」

「!」


 俺とクリフは一瞬、サーシャの言葉に耳を疑った。姓名が長いのは財閥や貴族、そして王族の証。しかも省略された文字は、この歴史のある時点からその一族以外禁止とされた言葉だった。


「おまっ……まさか……」


 俺の声にサーシャが振り向く。


「……ええ。私の母の名はカタリナ・リドール・トゥアス・ブレイス。約500年前の、トゥアス帝国の第18王女です」

「なっ!?おかしいだろ、500年前の人間の娘って!」


 人間の寿命はせいぜい50かそこいらの世の中だ。トゥアス帝国があったころは医療も発達して70まで生きるのが普通だったらしいが、今ではそれも無くなって寿命が低下している。だからって500年はおかしい。だいいち、サーシャは俺と同じくらいにしか見えない。

 サーシャは驚く俺たちに呆れたような顔をした。


「……変な想像をしないでください。私は18です。それ以上に見えるんですか」

「い、いえ、見えないです……。あの、でもサーシャさん。それじゃあその……カタリナさんが結構な年齢になるんですけど……」


 サーシャが18歳であることが間違いないなら、クリフの言葉は当たっている。サーシャはため息混じりに、視線を荒野へ戻した。空に浮かぶ雲が影をつくり、影は砂の上を移動していく。サーシャはそれを見つめながら、一つ一つを説明し始めた。


「……500年前、トゥアス帝国はもはやこれ以上ないだろうというほどの権力と『知』を独占していました。その中でも当時注目されたのは、万物の理から外れた『禁忌』に関する情報です」

「禁忌、ですか……?」


 サーシャの瞳は何処か遠くを見ているようだった。砂嵐の吹き上がる砂漠の向こうに何かを見るように。


「ええ。この世の中で一番の禁忌……『不老不死』です」


 クリフが驚きの声を上げる。『不老不死』なんてものは物語の中の話で、それが実際に存在したという証拠はない。それが500年前の帝国の技術で実現していたというのだから、声を上げずにはいられないだろう。

 サーシャは小さくため息をついて、呆れたようにクリフを見る。人の話は最後まで聞け、と言わんばかりの表情で。


「……『不老不死』といっても、効果は完全なものではありません。心臓をひと突きされればもちろん死にますし、胴体を切り離されて細胞が死んでしまえば、結局死に至ります。……いわば、人間の数十倍、治癒能力が上昇した状態だと考えて下さい」

「数十倍って……」


 俺はふとコロッセオでクリフがサーシャの体を剣で貫いたときのことを思い出した。あれだけの出血と怪我をしておきながら、数日経った今、サーシャはこうやって俺たちの目の前に立っている。もしかしたら、傷はもう殆ど完治しているのかもしれない。


「当時の王族は、ほとんどの人間が『不老不死』という魅力的な力に溺れていました。しかしそれには大きな欠点があった……」

「欠点……ですか?」


 首を傾げるクリフの隣で、俺はふとあることを思い出していた。

 魔法を学ぶうえで1つの基礎となる『対価』という考え方がある。何かを実現させるためにはそれに見合った代償を必要とする、という理論だ。実現させるものが大きくなればなるほど、対価もまた大きくなっていく。

 特に生と死には、一定のバランスがあるとされてきた。


「……死なねぇうえに増やすわけにはいかねぇってことだろ」


 俺の呟きに、サーシャは深い泉のような色をした瞳をこちらに向けた。


「そうです。特に女は、子供をつくれば『不老不死』の力を失ってしまいました。何故かはわかりません。自ら実験台になるような勇敢な人間は王族の中にいなかったですから。……しかし、その力が子供へと受け継がれてしまうということだけは分かっていた……」


 ふとクリフの表情が曇った。何を考えたのか、俺にだって分かる。

 サーシャの母親・カタリナは『不老不死』の力を持っていた。その絶対的な力を、その女は捨てたのだ。俺たちには、そいつが何を考えていたのかは分からない。おそらくそれは血を分けた娘であるサーシャにも、永遠に分からないことだろう。

 サーシャは言う。


「カタリナは、500年前のあの夜を生き延びました。それは本当に偶然だったそうです。……彼女はそこから1人で生きて、父と出会い、そして私とジェイロードを生んだのです」


 みなまで言わなくても、サーシャの伝えたいことは伝わって来た。カタリナの血を受け継いだサーシャとジェイロードというあの男は、500年前にトゥアス帝国が溺れた『不老不死』の力を受け継いでいるのだ。

 おずおずとクリフは言う。


「じゃあ、カタリナさんは……」


 サーシャはクリフの言葉に頷くと、荒野の果てに視線を向けた。風の音が耳の中で木霊する。









「……ありがとうございました」

「いえ、いいんですよ。私たちの家には子供がいないから、とても楽しかったわ」


 私は頭を下げる母を斜め下から見つめた。

 髪を三つ編みに結い、結びきれなかった後れ毛が首筋から肩へと流れている。肌は乾燥した空気によってカサカサになり、顔はシミとそばかすが目立つ。彼女がトゥアス帝国一の美女と謳われたカタリナ王女だと、誰が気付くだろうか。

 母は私と、少し離れたところで出発を待つ兄を振り返って苦笑した。


「可愛げの無い子供達で……」


 『あの日』の前日。私たちは街までの道のりを断念して、集落から離れた場所にあったこの老夫婦の家に一泊した。老夫婦には子供がなく、私も兄も随分と可愛がられた。特に私は夫人が欲しがっていた女の子ということもあり、とくに良くしてもらった。

 ふくよかな体つきをした夫人が、皺の寄った顔を私に近づける。


「いえいえ、とても可愛いですよ。……また来て頂戴ね、サーシャちゃん」


 頭を撫でられるのは慣れていなかったが、私は我慢した。母は少し遠くにいる兄を振り返ると、再び苦笑を浮かべて言う。


「……では、そろそろ。本当にありがとうございました」

「いえいえ、また来て下さいね。歓迎するわ」


 私は見よう見まねで母と同じように頭を下げた。そして母の隣に並びながら、少し前を歩く兄の背中を視線で追う。

 兄がそうやって私たちの少し前を歩くようになったのは、昨日今日の話ではなかった。私はすらりと伸びた背中と、腰に下げられたリボルバーを見つめる。そこには銀色のリボルバーが収まっていた。それは私の持つクロノスと対となる『カイロス』。


「……」


 物心ついた頃にはもう旅をしていた。母は私や兄に戦う方法を教え、私たちは共に自分の身を守るすべと、生きていく力を身につけていった。

 母は何でも知っていた。体術、剣術、槍術……それは本当の意味での年の功だった。私と兄は時に助け合うことを教えられ、時に互いを敵と見立てて戦わせられた。

 母の訓練は、訓練ではなかった。


『訓練だとタカをくくる人間は危機的状況を生き延びることはできません。本気でかかっていきなさい』


 私たちは母の言葉で何度も剣を交え、時には撃ち合いをした。


『常に自分の背後に「死」を感じなさい。感じるからこそ、人は抗う。それが分からない人間に、生死をかけた戦いは出来ません』


 私は兄に勝ったことが一度もなかった。体力的な面で、兄は私の何倍も上をいっていたからだ。それでも母は勝負に手を抜くことを許さなかった。きっとそれは500年の時を生きてきた彼女が身を以て、この世のあらゆる危険と相まみえてきたからかもしれない。

 それでも『あの日』、母は死に抗うことが出来なかった。


「……少々忘れ物をしてしまったようです。サーシャ、取りに戻ってもらえますか」


 あの日、母は私にそんな奇妙なことを言った。何でも行動前にきっちりと確認する母が、何かを忘れてくるなど有り得ないことだった。首を傾げる私に母は有無を言わさなかった。


「私とジェイはここで待っています。……いいですね、サーシャ」


 集落も何も無い、林に囲まれた道だった。私は首を傾げながら、母と、少し前で足を止めている兄を見比べた。

 何故あそこで頷いてしまったのか、私には分からない。私は母の言う通りに道を引き返し、そして老夫婦の家へと戻った。

 老夫婦は苦虫を噛み潰した顔で一丁の黒塗りのリボルバーを差し出した。それは母がずっと愛用していた『ヒュペリオン』だった。母の言葉によれば、その名前の意味は『高みを行く者』……トゥアス帝国の、あの悪夢の一夜から偶然生き延びてしまった自分が持つには皮肉な名前だと、母はいつも口癖のように言っていた。

 黒く反射するヒュペリオンを見たその時、私は心臓の辺りにざわつきを覚えた。ざわめく木々の音に呼応するように激しくなる鼓動。女の子にこんなものを持たせるのは、と苦い表情を浮かべる夫人からヒュペリオンを奪い取り、私は走った。

 足をただ前に、前にと動かし、地面を蹴り上げる。胸のざわつきはまるで心の奥を不安という真っ黒な手に鷲掴みにされたかのようだった。自分の鼓動に耳を当てているように、心音が体全体に伝わってくる。

 坂を駆け上がり、私の足はそこで止まった。


「……!」


 銃声が鳴り響いた。引き金を引いたのは、誰でもない、実の兄だった。

 私は呆然と、硝煙をあげる兄のリボルバーとそこに倒れている母の姿を見た。兄はゆっくりと腕を下ろすと、リボルバーをホルスターに収める。まるで私との訓練を終えた時のような、ごく普通の自然な動作だった。

 私は何も言えなかった。兄は私の顔を見て、そして背を向けた。その背中は、ついさっき母と兄と私の三人で歩いていた時と、何も変わりがなかった。無言のまま小さくなっていく背中、それを見つめる私。

 変わったことと言えば、兄のリボルバーの弾が一つ減っただけのことだった。


「……兄、さま……?」


 私は無力だった。状況すら把握出来ず、私はただ兄の背中を見つめてそう呟くしかなかった。きっと何かの間違いだと、そう考えることさえ私には出来なかったのだから。


「……サー、シャ……」


 耳慣れた声が私を現実へと引き戻した。


「!……母様っ!!」


 駆け寄った私は、悲しくも母の怪我がどれだけのものかを一瞬にして知ってしまった。血の量、そして傷口の場所。通常の人の力では、その怪我は治すことが出来ない。そんな冷静な判断を、幼い頃から戦うことと同時に叩き込まれた私の頭は、いち早く察知してしまったのだ。皮肉にも、それを教えた母の最期を。

 私は地面に倒れた母の体を抱き上げた。思っていたよりも母の体は軽く、そして触れた肌は冷たかった。


「母様……何故、こんな……っ!」

「サーシャ……」


 母の肩は細く、三つ編みは砂にまみれている。羽織った上着からはゆっくりと血液が滲み出てきた。


「兄様が……母様を?何故、どうして……っ!!」


 母の手が私の頬に触れる。乾燥してカサカサした手が私の頬をなぞり、まるで私の中に兄の面影を見るかのように、母は弱々しい微笑みを浮かべて掠れた声で呟いた。


「よいのです……。ジェイは……悪く、ありません」

「母様!」


 私はその手をとった。

 私はこの目で見たのだ。兄が母を撃ち殺すその瞬間を。決定的な、その場面を。


「貴女には……謝らなくては、いけませんね……」


 母は私の腕の中から空を見上げた。薄い雲が青空の色を淡くし、太陽の光を弱めている。時折思い出したように強い光が地面を照らし出し、風はまるで母の魂を誘うかのようにざわめいていた。

 母の瞳はずっと高いところを見つめている。


「わたし、は……いてはいけない、存在だった……。あの時、帝国と共に……っ……滅ぶべき、だったのでしょう……」


 母がトゥアス帝国の王女だという話を、私は微塵も疑ったことはない。それは私と兄の持つ『不老不死』の力のせいだけではない。


 母は嘘が嫌いだった。嘘をつくことはこの世で一番してはいけないことだと、母はいつもそう言っていた。たわいのない嘘も、誰かのことを思ってつく優しい嘘さえも。

 だから私は、母を疑ったことは一度もなかった。


「万物の、理から……っ、かはっ!……外れた、ものの……末路とでも……言うべき、でしょうね……」

「……違います」


 私は叫んだ。母の手を痛いほどに握りながら、叫ぶしかなかった。


「貴女はいつだって逃げたことはなかった。……逃げないことを教えたのは貴女じゃないですか!」


 どんな状況でも背を向けるな。背後の『死』を感じ、そして徹底的に抗え。それこそが、目の前に道を開く。

 いつだって母は私たちにそう言い聞かせてきた。それなのに母は自分が『死』と向かい合ったこの状況で、逃げようとしている。私にはそれが耐えられなかった。

 どんな時も、どんな状況でも、凛として前を向く……。荒野に咲いても雪山に咲いても、生まれたことを嘆かず、ただ真っすぐ太陽を見上げる強い花のような母が、私は一番好きだったのだ。


「……っ、……サー、シャ」


 母は切れ切れに私の名前を呼んだ。ここにいます、と呟いて私は母の体を抱く。母は私を見ず、ただ空を見上げて言った。


「ひとつ、だけ……約束、できますか……」


 母の蒼い瞳に、刻々と流れてゆく雲が映っている。風に流されるまま、吹かれるままに移り変わる雲が。やがて何処か世界の果てで消えるのだろう。それも命と変わりがないのに、誰にも悲しまれることのないまま。

 母は微かに唇を開く。隙間から漏れてくるのは、もはや息と変わりがなかった。


「あの家に、戻って……『この家の子供にさせてください』と……っそう、言い、なさい……」

「っ!」


 私は声をあげた。しかし母は首を微かに横に振る。


「ジェイを……追いかけては……っ、かはっ!……いけ、ませんよ……」


 母はそう言うと、微かに握った手に力を入れた。それはおそらく、母の最後の願い。その弱々しい力は、私には何よりも痛かった。反論する言葉すら私から奪い、私はただ言葉を知らない赤子のように歯を食いしばって涙を流すしかなかった。

 母は祈るように、願うように呟く。


「サー、シャ……どう、か……どうか……人と、して」



 しあわせ、に。



「母様……」


 母の呼吸が細くなる。瞼がゆっくりと落ちてきて、最後に蒼い瞳が私に向けられた。触れた手からも力が抜けてゆく。

 私は、あまり得意ではない笑顔を浮かべた。


「……分かりました。兄さまは追いません。あの家に戻って、あの二人の子供として生きましょう。普通の人間として生きて、誰かと結婚もします。でも……」


 母は私の言葉を聞いて安心したようだった。私は涙の伝う頬に力を入れて笑う。笑うことはこんなに辛いものなのか。笑っていなければ、私は駄目になってしまいそうだった。

 笑っていなければ、私は母に嘘をつくことが出来なかった。


「私の母は、カタリナ・リドール・トゥアス・ブレイス。……貴女ただ1人だけです」

「……」


 ふっと、母の口から息が吐き出された。それが苦笑だったのか、それとも本当の微笑みだったのか、私には分からなかった。

 母の首筋に触れて、私はやっと声をあげた。何と言ったのかは覚えていない。もしかしたら声にもならなかったかもしれないし、ざわめく木々が私のすべてをかき消してしまったのかもしれなかった。ただそうやって泣くしか、私には出来なかった。

 青空が私たちを嘲笑うかのように輝いている。母の体を抱いて、私はいつまでもいつまでも泣いていた。乾燥しカサカサになった手は力を失い、シミとそばかすが目立っていた顔は死人の色に染まった。彼女がトゥアス帝国一の美女と謳われたカタリナ王女だと、誰が気付くだろうか。

 彼女は500年という途方もない月日を生き、たった十数年だけを愛する子供達と過ごした。それが幸せと呼べるのかどうか、私には分からない。ただ、言えることはたった一つ。彼女は自分の愛した子供によって殺され、自分の愛した子供に最後の嘘をつかれた。

 私は泣くだけ泣いた後、母の体からホルスターを外し、自分の腰につけた。そしてあの家から持ってきた『ヒュペリオン』を収める。そして母の亡骸の前に立った。

 黒塗りのヒュペリオンが青空の光を鈍く反射している。


「……」


 私は泣き腫らした瞳で、兄……ジェイロードが去って行った方向に視線を向けた。もうそこに兄の背中は無い。私の前を歩く、その姿はもう無い。

 私は道の向こうを睨みつける。言うべき言葉はたった一つ。


「……母様。私の嘘を、お許し下さい」


 嘆くように、風が吹いた。


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