第5章 2
僕にはたった一つだけ、思っていたことがあった。こうやって護衛の仕事をして、いつか強くなれたら、失ってしまった故郷のことを調べたい。何故消えてしまったのか、何故誰1人として助からなかったのか、それを知ることが残された僕の役目だと思ったから。
僕は無力で、非力だ。……でも、僕には僕の、やらなければいけないことがある。
- 光無き、声無き暗闇 -
降下機械は長四角の形をしていて、入り口とその反対側には壁がなかった。下を覗き込もうとしたけど、機械が動き出すみたいだから止めた。それにしてもこの箱、もしかしてロープか何かで吊り下げているんだろうか。もしそうなら、運悪くロープがキレてしまった時のことを考えると足が震えてくる。
テレジアさんは壁際にあったボタンに手を伸ばした。ボタンに書いてある数字は多分階数だと思う。テレジアさんは地下28階を押した。
「……えと、逃げ道確保が2人、お仲間助けるのが2人。これでいいのん?」
「あ、はい」
僕らはフレイさんの提案で二人ずつに分かれて行動することになった。サーシャさんを助けるのがフレイさんとテレジアさん、逃げ道を確保するのが僕とジャンさん。なんで僕が逃げ道確保に回されたかというと、フレイさんが『お前がいると邪魔だ』って言ったから、なんだけど……。
はっきりとそう言われると、分かっていることとはいえやっぱり悲しくなってくる。
やがてガタンと音がして降下機械が動き始めた。錆び付いているのか、時々音をたてて揺れる。けど確かに螺旋階段を下りて行くよりずっと楽だ。でも凄い音がする。
僕の隣にいたテレジアさんが、ぽん、と僕の肩に手を置いた。そしてニコッと微笑む。
「……剣士の兄さん、気にする必要ないのんね。あの兄さん、口悪いけど悪い人ない」
僕らの後ろにはジャンさんがいて、その更に後ろにフレイさんがいた。ギシギシ音を立てる機械に顔を顰めている。多分テレジアさんの声はあっちまで届いていないんだろう。
テレジアさんはメイスを持て余しながら言った。
「……正直は本当のことだけ言うのん。でも一番駄目は良い人のフリする悪人ね。あの兄さん、どちかと言うと悪人顔の善人」
テレジアさんの言葉に僕はコロッセオでのことを思い出した。フレイさんは自分の気をしっかり持っていればあれくらいの暗示は簡単に解けるって言ったけど、サーシャさんにトドメを刺そうとした僕を止めてくれたのはフレイさんだった。あの時魔法を使ってくれなかったら、多分恐ろしいことになっていたと思う。
僕はしばらく考えて、そして頷いた。テレジアさんは満足げに頷く。
「それにな、兄さん。兄さん自分のこと弱い言う。でもそれは悪いことない」
赤い髪が降下機械の下から上がって来た風に揺れた。テレジアさんはゆっくりと頷いた。真っ黒に焼けた顔で破顔する表情は、凄く魅力的だ。眩しい笑顔ってこんな表情を言うのかな。
「悪いことじゃ……ない?」
「そそ。……生きてれば、弱い人にしか出来ないこと、沢山あるのん。非力も無力も、一つの力よ」
だから『力』て字を書くね、とテレジアさんは結構無理のある理屈に堂々と笑ってみせた。
僕は胸に抱いていたレイテルパラッシュに視線を向ける。非力も無力も、一つの力。力の形。何度も何度も自分にそう言い聞かせると、冷たい空気で冷えていたレイテルパラッシュが、少しだけ暖かくなったような気がした。
(力、か……)
昔からずっと思っていたことがあった。護衛の仕事をして腕があがって、いつか強くなれたら……消えてしまった故郷のことを調べてみたい、と。この間グロックワースの街の一件を耳にしたときから、その思いが再び自分の胸に宿っていた。伝え聞いたその状況があまりにも自分の知っている故郷の惨状と同じだったから。
いつか一人で旅を出来るくらい強くなれたら、いつか全ての原因を知りたい。それはずっと前から、心の奥底で燻っていた。
でもままならないまま、自分はずるずるとここまで来てしまった。僕は自分で自分に絶望していたんだ。弱くて、臆病で、どうしようもない自分に。
(……もし……)
僕は顔をあげた。もうすぐ最下層が近づいてくるのか、降下機械はゆっくりとスピードを緩めていく。それと引き換えに、金属をひっかくような耳障りな音が木霊した。フレイさんが何か文句を言っているのがきこえてくる。
(……もし、ここから抜け出せたら……)
僕の決意と共に、降下機械は止まった。
☆
独房の中に人気がないことに気付いた一人が声をあげた。私は入り口の死角に入り込み、リボルバーを握りしめた。体は怠いが、多少の無理はききそうだ。ゆっくりと息を吐き、そして足音が近づいてくるのを待つ。足音はおそらく3人。
心臓が脈打つ。慌てているのだろう、鍵を差し込む音が忙しなく響いた。私は目を瞑り、息を整える。いつものように記憶の中のあの声を感じながら。
『サーシャ。……貴女には謝らなくてはいけませんね』
錠が落ちる音が、静かな独房内を緊張させた。鉄の扉が開く様子が私にはまるでひどくゆっくりした動作に見える。タイミングは一瞬だけ、私の姿が無いことに気付いたその一瞬。警戒する暇を与えてはいけない。
看守の一人が一歩を踏み出した。その瞬間、私は死角から看守達の目の前に跳躍する。銃口は入り口付近に立つ、邪魔な者たちに向けて。
「……っ!」
男が私の姿に気付いたその瞬間。彼が叫び声をあげるより速く、目にも留まらぬ速度で銃弾が看守の左胸を襲った。背後にいた二人は状況を理解出来ていない顔で、急に倒れた仲間と私を見つめている。
私は再びリボルバーを構えた。発砲音が2発連続する。二人分の体が折り重なるようにして倒れると、奥から声が響いて来た。
「な、何だ!?」
「脱走だ!独房にいた女が逃げ出したぞ!」
非常用の武器を持った男達が通路に立ちはだかる。独房を出た私は、前後を取り囲む人数を頭の中で数えながら、汚れた自分の衣服の中に空いている片方の手を入れた。利き手に持つ銀色のものとは違う、黒塗りのリボルバーが現れる。
『私はいてはいけない存在だった。……あの時に滅ぶべきだったのでしょう』
リボルバーの製品名も型番も、私は知らない。だから私は常に使用するシルバーのバレルにブラックのグリップをしたリボルバーを『クロノス』と呼び、普段使わず隠し持っているこちらを『ヒュペリオン』と呼ぶ。
このクロノスとヒュペリオンが私をここまで生かして来た。そして、これからも。
「……女一人に随分な数ですね」
私は左右を見回した。外へ続くのは右か、左か。看守の人数から見るかぎり、おそらく正解は右だ。私は二丁のリボルバーを握りしめた。男達は殺気立っている。もはや囚人だろうが何だろうが、殺してやろうという勢いだろう。だが彼らのその考えは間違っている。
『万物の理から外れた者の末路、とでも言うべきでしょうね……』
私は右方向にいる囚人達の真上に跳躍した。体を捻りながら銃口を狙った人間に向ける。クロノスが派手な音をたてて看守の一人に命中した。咄嗟に周囲の男達が警戒する。集まった看守が互いに体を引いて、真ん中にサークルが出来る。私はそこに着地するとヒュペリオンの引き金を引いた。
「……っ!」
後ろから飛びかかってくる男たちを蹴り倒し、クロノスのシリンダーを回転させる。弾数は残り少ない。ここからヒュペリオンのみで逃げ切れるだろうか。体術は多少出来るし、もしヒュペリオンの銃弾も切れたら男たちの武器を奪い取って戦うこともできる。
剣術、槍術、体術……生きていくための全てのことを、私は知っている。そしてそれはあの男……ジェイロードも同じだ。
頬の横を刃が通り過ぎて行くのを感じながら、私は看守の腹を蹴り上げた。やがて状況の不利を悟った男たちの顔に恐怖の色が浮かんでくる。それは死を目の前にした者の顔。
記憶の中の私が叫ぶ。
『……違います。貴女はいつだって逃げたことはなかった。逃げないことを教えたのは貴女じゃないですか!』
1人、また1人と逃げ出す者が出てくる。この世で悪意を持つ者の半分は、それを支えるだけの強い心を持たない。自分より強い者には頭を下げ、弱い者を見下し群れる人間。そんな者たちは邪魔にこそなれ、蹴散らすのに手間はさほどかからない。そう、それは一発の弾丸で小鳥の群れを散らすようなもの。
逃げ出そうとする看守たちに私はクロノスとヒュペリオンの銃口を向けた。弾数は少ないが、リボルバーの造りを知らない人間に、弾切れなど分かるはずもない。引き金に掛けた指に力を入れれば、彼らを恫喝するには十分だった。
道をあけるように命令しようとした刹那、通路の向こうから聞き覚えのある声が響いた。
「サーシャ!」
私は視線だけを動かし、階段へと続く道に視線を向ける。そこにはフレイさんの姿と、見覚えのある女の冒険者の顔があった。メイスにあの赤い髪、おそらくジャン・ユサクのパートナーだろう。
なぜフレイさんが彼女と一緒にいるのか疑問に思ったが、私はそれより先にここから脱出することを優先させた。人を助けにくるのだから、フレイさんたちは出口を分かっているのだろう。ここは彼らについて行った方がいい。
私は牽制の一発を放ち、男たちの動きを止めた。そして二人のもとへと駆け出す。後ろでは追いかける力をなくした男たちが、呆然と私たちの背中を見つめていた。
『……サーシャ。一つだけ約束出来ますか?』
フレイさん達が先導し、私は地下層からアルジェンナ砂漠へと続く通路を走った。やがて走っていくうちに肌が温かい空気を感じた。顔を上げると向こうにあるのは真っ白な陽の光。風の吹く音が私の耳にも届いてきた。
通路の終わりには大きな鉄の扉があり、そこにはクリフさんとジャン・ユサクの姿があった。常人にはとても開くことの出来ないような鉄扉は抉じ開けられていて、人一人分の隙間が開いている。
再会を喜ぶクリフさんを適当にあしらい、私は4人の後を追って砂漠へと通じる鉄扉を抜けた。