第5章 1
テレジアと名乗った女は、鍵を開けると周りの囚人たちの目も気にせずに歩き始めた。騒ぎ出そうとする奴には『そこの兄さんが魔法で焼くて言うのん。だから静かにした方いいのんよ~』と冗談とも脅しともつかないような言葉で黙らせ、テレジアは廊下へと出る。
胡散臭い奴だなと思いながらも、俺は結局コイツについていくしかなかった。
- 太陽国の二人の戦士 -
『淵霊嶺』は普通の監獄とは違った造りをしていた。まず中央には螺旋階段があり、そこから扇状に看守の部屋やおそらく交代で番をする奴らの寝床があった。そして部屋と部屋の間には廊下があり、螺旋階段から放射線状に伸びたこの廊下が、更に外側にある牢屋へと続く。
つまり脱走者は看守たちが常に待機している場所を通過しなければいけない。しかも廊下に面する場所にはご丁寧に窓がついていて、そこを通る人間が見えるようになっていた。
「……兄さん、看守、全然いないね。もともとサボり多いから、あんまり警戒することないのんよ」
俺は窓から中を覗いた。たしかに、看守の姿は見当たらない。おそらくさっきまではいたんだろう、読みかけの本が開いたまま、デスクの上に置かれている。暖炉には火が燃え盛っていてパチパチと音をたてていた。
テレジアはくしし、と笑う。
「兄さんのお仲間、よぽどイイ女だてことね。ここ野郎ばかり、仕方ない」
「……お前だって一応女だろうが」
俺は後ろで笑うテレジアにそう言った。そういえば、なんでコイツは男ばっかりの牢屋に入れられてたんだ。同室が死にかけジイさんとはいえ、『淵霊嶺』ではそんな細かいことに気を配る気もないのか。
テレジアは窓から看守部屋に忍び込むと、壁にかけてあった鍵を手に取った。そして壁沿いにずらりと並んだ武器の中から、一つに目を留める。
それは戦棍だった。たしかメイスと呼んだはずだ。鍵で壁に縛り付けられていたそれを、テレジアは素早く解放した。そしてこちらに向かってニヤリと、暗い笑みを向ける。
「あの看守……貧乳は男と変わりないて言たのん。もしも何処かお会いしたら、お礼しよ思てた」
殺気立った空気でメイスを握るテレジア。俺は一歩後ずさった。テレジアは窓から廊下へと戻ってくる。
「ホント失礼な男のんね!貧乳だていつかは救われる、美貌の神様フイオレンテイーナの言葉よ」
女神フィオレンティーナがそんなことを本当に言ったかどうかは知らないが、俺の知るかぎりフィオレンティーナの女神像は殆ど胸が膨らんでいる場合が多い。
テレジアはそう言いながら無い胸を張って歩き出した。手に持ったメイスから見るかぎり、おそらくその看守と出会ったら最後、剣や魔法よりも無惨な殺し方をするのは目に見えている。
俺はとりあえず、コイツとは必要以上に関わらないようにしようと心に決めた。あと貧乳という言葉は間違っても口にしてはいけない。
「……で?お前の相方は何処にいるか分かってんのか?」
俺は階段を下ろうとするテレジアにそう言った。螺旋階段を見るかぎり、おそらく最下層まで続いているんだろう。冷えた空気が這い上がってくるのがわかる。
テレジアは足を止めると、顔をこちらに向けて得意そうに笑った。一つに結った赤い髪が揺れる。
「くしし……このテレジア・ケベリ、お仲間の居場所くらいちゃんと把握してるのんね」
☆
ガチャ、ガチャと何かが外れる音がして、僕は慌てて鉄格子から隣の牢屋に視線を向けた。鉄格子が一本、二本、三本と折られて、通路の床に投げ出される。四本、五本と格子が壊されると、そこからゆっくりと黒い布を被った男の人が外へと出てくる。
僕は呆然と、牢屋から抜け出したジャンさんを見上げた。
「……も、もしかして抜け出すんですか……?」
ジャンさんは熊みたいな大きな体で僕のいる牢屋の前に立ちはだかると、僕を見下ろして言った。
「……お前は素直に捕まっているのか」
「そ、それは嫌ですけど……」
僕の返答を聞くと、ジャンさんは無言で鉄格子の一本に触れた。そして先ほどと同じ要領で格子を折る。手入れの行き届いていない牢屋だから、格子は錆びていて脆くなっているようだった。
ジャンさんと違って体の小さい僕は、簡単に格子の隙間をくぐり抜けることができた。
「……あ、ありがとうございます」
「……『力ある者、救いを必要とする人間の太陽となれ』太陽神バルトロの言葉だ。……礼はいらん。感謝なら神にしろ」
僕は歩き出したジャンさんの後ろ姿を改めて見上げた。ジャンさんは辺りを見回しながら歩き出す。僕はその背中を追いながら、ジャンさんの言葉を何度も何度も心の中で繰り返した。
牢屋を出た僕とジャンさんは、看守のいない部屋を通って階段のところまで出た。看守室にはレイテルパラッシュとジャンさんのコルセスカがあって、数時間ぶりにレイテルパラッシュを手にした僕は、人心地をつくことができた。
僕はレイテルパラッシュを抱いて看守室を出ると、階段の前で何かを考えているジャンさんに気付いた。
「?……どうかしましたか?」
「……足音が近づいてくる」
螺旋階段の手すりに体を預けた状態で、ジャンさんは上を見上げた。僕は咄嗟にレイテルパラッシュを抱く手に力を入れる。もしかして看守が戻って来たんだろうか。でも、僕には足音が聞こえない。やっぱり視覚を持たないジャンさんには普通の人には聞こえないような音まで聞くことが出来るんだろうか。
僕はレイテルパラッシュの柄に手をかけた。ジャンさんにばっかり助けてもらうわけにはいかないんだ。でも、やっぱり少し怖い。
ジャンさんは少し考えた後、僕に視線を向けた。
「看守ではない……テレジア、か」
ジャンさんの言葉から間髪おかずに、僕の耳にも2人分の足音が聞こえて来た。しかも人の声も聞こえてくる。
「ほら、いたのん!兄さん、アタシの勘、間違いなかたよ」
「……っテメ、走るの早すぎだっ……」
妙な訛りの女の人の声と、もう一人は……フレイさん?
「兄さん典型的な『マジユツシ』。力続かない、仕方ない」
「うっせぇなっ!!魔力使って仲間の気配探しながら走れるバケモンに言われたかねぇっつの!」
「……あ、一つ言うておくよ、アタシ『バケモン』て言葉も嫌いね。バケモン救う神、無いのん」
ジャンさんは上から聞こえてくる掛け合いに、無言のまま目を閉じている。僕は螺旋階段から上を見上げてみた。すると階段を駆け下りてくる赤髪の女の人の姿と、少し遅れて後をついてくるフレイさんの姿が見えた。
僕に先に気付いたのは女の人だった。そのままこの階まで駆け下りてくると、ジャンさんに視線を向けて。片手をあげてみせた。
「お、いたのん相棒。怪我ない?そうか、なら心配ないね。……で、この可愛いの誰ね」
女の人は言いたいことだけ言うと、すぐに僕に視線を移した。ジャンさんは自分で答えろ、という視線を向けている。僕は戸惑いながら、急に現れた見慣れない女の人に視線を戻す。しかし僕が名乗るより先に、一周遅れで駆け込んできたフレイさんが僕の姿に気付いた。
「あっ、テメ、クリフっ!!」
僕を見つけたフレイさんはもの凄い形相で僕に駆け寄って来た。僕はいつもの癖で反射的に後ずさる。フレイさんは僕の襟首を掴んで逃げられなくすると、ガックンガックン僕の体を揺さぶり始めた。
「てめぇ、なんで簡単に操られてたんだよっ!テメーが意識しっかり持ってれば、あんなの簡単に振り切れんだぞ!?」
「えうっ、で、でもぉっ、あのとき、色々、あってっ……」
僕は目を回しながらそう答えるしかなかった。ひたすら怒鳴りつけるフレイさんに、隣に居た赤い髪の女の人が笑う。
「兄さん兄さん、あんまりやると剣士の兄さん使いものにならなくなってしまうよ」
「もともと使えねぇから関係ねぇっ!」
女の人はやれやれと肩を竦めると、ジャンさんに視線を向けた。戦棍を肩に担ぐような格好でジャンさんの隣から螺旋階段の下を見下ろすと、緊張感のない顔で言う。
「最下層に兄さんたちのお仲間いるらしいから連れてこ思たんだけど、どうやら出口も下にあるのんね。どする?」
ジャンさんは僕とフレイさんに視線を向けて、ため息をついた。フレイさんの怒りは未だに治まらない。僕はガクガク揺さぶられながら、半分酔い始めていた。
女の人は僕らの様子をくしし、と笑って最下層に向かってのんびりと呟いた。
「賑やかなるね、良いこと良いこと」
☆
目を覚ますと暗闇が体を包んでいた。先ほどまで感じていた寒気が消え、同時に体の痛みも消え去っていく。コロッセオを出て3日。クリフさんに刺し貫かれた傷はおそらく、もう傷跡すらも残っていないだろう。今では呼吸も楽に出来る。ただ、流れた血の量が多すぎた。体がだるさを訴えている。
私は目を瞑ったまま、静かに辺りの気配を窺う。なんとなく目を開かない方が良いだろうと、女の勘が言っていた。先ほどから壁を隔てた向こう側から、男達の声がしている。
私は格子越しにチラチラと様子を確認している男達に気付かれないよう、ため息を吐いた。どうやら、目を覚ましたら慰み者にしてやろうという魂胆らしい。気を失っている間に手を出さなかったのは泣き叫ぶ姿を見たいがためだろう。
(下衆ですね……)
私は気絶しているフリを続けながら考えを巡らせた。
私はこんなところで絶望しているわけにはいかない。一瞬コロッセオで見たジェイロードの表情が思い浮かぶ。ここから出て彼を殺すまで、私は諦める訳にはいかないのだ。
入れ替わり立ち替わり様子を見に来る看守達。その足音の種類を聞き分けながら、私は大体の数を推測する。おそらく十数人だ。
(……リボルバーは……ありますね)
背中に固いものが当たる感触に私はため息をついた。おそらく看守達はそれが武器だと思わなかったのだろう。彼らが引き金を引かなかったことに私はほっとした。普通の人間なら、おそらくこれが武器だとは思うまい。しかしこれは剣よりも弓よりも、時には魔法よりも絶対的な力だ。
体が動くかどうか、一つ一つ力を入れて確認していく。血が足りないのが少々辛いが、とりあえずここにいる十数人の相手は出来るだろう。
私は鉄格子から見えない方の手を背中へと忍ばせた。
『どんな逆境も、待てば何処かに好機があると思いなさい。大事なのは辛抱。そして……』
(……チャンスを掴む運と心)
男の一人が独房を覗き込み、つまらなそうに戻って行った。一瞬の隙に、私は即座に体を起こした。入り口は鉄の扉。小さい格子戸が嵌っているが、その真下は死角になる。
私はリボルバーを構えた。また別な足音が近づいてくる。私は弾倉を回転させた。牢屋の中に人影がないことに気付いて、男は鍵を持ってくるだろう。チャンスは一回。それをものに出来るかどうかは、すべて私にかかっていた。
☆
「……で、どうやってここから最下層まで行くつもりなんだよ」
クリフ相手に怒鳴り散らした俺は、スッキリした気分でテレジアに向き直った。テレジアは螺旋階段の下を覗き込みながら、何かを考えている。隣にいるジャンとか言う男は何も言わず、テレジアの様子を見つめていた。
テレジアは下を向きながら難しそうな顔をしている。クリフはしきりに首を傾げていたが俺にはなんとなく分かった。コイツは魔力を使ってこの空間の構造を把握している。メイスを握っている姿からは想像がつかなかったが、コイツは多少の魔法を使えるんだろう。俺とは違う、特殊な魔力だ。
「うーん、どやら地下層に行くルート、2つあるのん。兄さんのお仲間、居場所把握できた。でも……うーん」
「な、なにか問題があるんですか……?」
テレジアはクリフに視線を向けると、はっきりと頷いてみせた。
「ルート選択、難しい。危険だけど早く行ける方するか。それとも安全に降りる方するか」
「どうゆうことだよ」
回りくどい説明に、俺は顔を顰めた。テレジアは一度ジャンに視線を向けると、困ったように俺たちに視線を戻した。そして赤い髪をかきながら苦笑してみせる。
数秒後、俺は詳しいことを聞こうとした自分を恨んだ。
「ここ、どやら20階。で、お仲間は地下28階ね。……階段下るのん、とても安全」
くししと笑うのが癖のテレジアが、可愛い子ぶってテへ、と笑って見せた。さっき10階分階段を下って来た俺は、いくら下りとはいえそれがどれだけ大変か身を以て体験している。ここからまた48階分下りろって言うのか、お前は。
ついさっきの勢いで掴み掛かろうとする俺を、クリフが慌てて押さえた。
「わ、ちょっ……フレイさん、落ち着いて下さい!さっきルートは2つあるって言ってたじゃないですかっ」
クリフの言葉に、テレジアはまた苦笑を浮かべた。この表情を見るかぎり、どっちももロクなことじゃないんだろう。
テレジアは言う。
「……ええと、各階に古い機械が設置されてるのんね、どやら下まで降下できる……エベなんとかて機械」
「……『エレベーター』。人や荷物を乗せて上昇、降下が出来る機械だ」
黙っていたジャンが補足を加える。それそれ、とテレジアは頷き、俺に向き直った。俺は嫌な予感を感じて一歩後ずさる。
なんだよお前、そのキラキラした目は。
「ただ、あれは電気がないと無理ね。……てことよ兄さん」
頑張て、と笑うテレジアに、俺は気が遠くなりかけた。