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過去の予言書  作者: 由城 要
第1部 One Night Story
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第4章 3


 そこからどうなったのか、俺はその時のことをはっきりと覚えていない。ただ一つ言えることは、アイルークたちを取り逃がしたということだけだ。

 サーシャは3人が消えてもこっちを振り向こうとはしなかった。ゆっくりと下ろされたリボルバー。バレルを握る手に、強い力がこもったのを俺は見た。

 そして突然の終幕とともに……俺たちはコロッセオ制圧に踏み込んできたエレンシア国軍に捕まった。





  - 突然の終幕 -





「くそっ!!」


 俺は目の前にある壁を蹴りあげた。向こうから『五月蝿い』だの『黙れ』だのという罵倒が聞こえてくるが、俺の苛立ちはそんなもので萎むほど小さなものではなかった。

 運悪くエレンシア国軍のコロッセオ制圧に巻き込まれた俺たちは、あの後すぐに軍に捕まった。偶然居合わせてコロッセオの関係者に仕立て上げられた俺たちは、数日前の言葉通り、北の大山脈にある監獄『淵霊嶺』に送り込まれることになった。つい数時間前のことだ。


「あーくそ!思い出すだけで腹が立つっ!!」


 俺はヒビの入った牢屋の壁に何度も蹴りを入れる。

 牢屋は3、4人専用の造りになっていた。牢屋には死んでいるのかいないのか、数時間前から寝床でピクリとも動かない皺だらけのジジイが1人、そして寝床の毛布をすっぽりと被った状態で壁に張り付いてるヤツが1人。


「五月蝿い!静かにできねぇのかっ」


 斜め向こうの牢屋からも非難の声が聞こえて来た。俺は鉄格子を掴んで怒鳴る。


「テメーこそ黙れ!燃やすぞ!?」


 そう言うとパタリと声がやんだ。そのかわりひそひそと何かを呟き合っているのが聞こえてくる。何を言っているのかは大体予想が出来た。魔術師なんてエリートがよりにもよって監獄の中でも地獄と呼ばれる『淵霊嶺』に入ってきたのが珍しいんだろう。

 本気で燃やしてやろうかと悪意が心をつついたその時、ふと壁に身を寄せていたヤツが肩を震わせた。


「……兄さん、あんまり叫ばない方いいのん」

「あぁ?」


 奇妙な言葉に振り返ると、そいつは毛布の間から両目を出してこちらを見上げていた。


「叫ぶのー……ええと、力、なくなりますのん。『タイリヨク』が」

「たいりよくって……体力か?」


「そそ。発音むずかし。……それに『マジユツシ』さんは『キリヨク』がないの駄目だて聞きました。ここ長居するなら、止めた方いいですのんよ」


 そいつの言葉は理解するのに数秒を必要とした。耳慣れないイントネーションと喋り方の癖。俺は何か引っかかるものを感じながら、とりあえず自分の寝床に腰を下ろす。


「魔術師は気力……か?まあ、間違ってはいねーな」


 そいつは壁にそって並べて設置された2つの寝床の片方に座っていた。俺は反対側の寝床にいるから、座ると自然と向き合う形になる。

 毛布を被ったそいつは、俺の様子を確認するともう一度肩を震わせた。


「そそそ。あんまり騒ぐの独房行きですのん。ちなみに真面目にしてると……」


 毛布の中から指先が現れる。寒いのが嫌なのか、姿を見られたくないのかは知らないが、今のところコイツは目と指先しか見えていない。指先は細く、浅黒い。隙間から見える瞳はベージュ色をしていた。

 そして細い指先が示すのは、俺の枕元の寝床でピクリとも動かないジジイの姿。


「そこのオジジのようにホトケサマ」

「そうなのか……っておい、看守ーっ!ジイさん死んでるぞ!!」


 俺の叫び声に、向こうからまた囚人たちの怒鳴り声が返ってきた。俺が呼んでるのはテメーらじゃねぇ、看守だ、看守。

 叫んだ後、俺はふと格子を持つ手を離した。そういえば俺がこれだけ騒いでいるのに看守が止めにくる様子はない。さっきここの牢屋に入れられる時に看守ともめたが、その後は一度も様子を見に来ない。毛布を被ったヤツは、俺の様子を見て笑った。


「くしし……兄さん、『カンシユ』来ないのん。久しぶりに『最下層』行きが出たて、みんなで見物と冷やかしね。しかもオンナノコだて」


 女の子、という声に俺は視線をヤツに戻す。


「『最下層』、独房なんて嘘のん。あれ拷問部屋だと思た方がいい。……オンナノコだともと大変よ、男たちに弄ばれて最後は死ぬ。カワイソーネー」


 両手を合わせて合掌しているつもりなのか、ソイツは毛布と毛布を摺り合わせた。










 ジェイロードとかいう男がアイルークたちと共に消えた後、俺たち3人の間には何とも言えない空気が横たわっていた。向こうから軍の奴らが近づいてきたのは分かっていたが、はっきり言って俺たちはそれどころではなかった。

 サーシャは3人が姿を消したのを確認するとリボルバーを下ろし、引き金から指を外した。俺はそれを見つめながら言った。


「……おい」


 サーシャは何も答えなかった。血溜まりの地面に向けられた銃口が、力なく揺れている。滴った赤い雫が落ちてポチャンと音を立てた。


「……おい、サーシャ」

「……サーシャさん」


 よろよろと近づいてきたクリフもまた、俺と同じことを思っていただろう。悲鳴や怒号の坩堝となった闘技場の中で、唯一俺たちは冷静だった。

 俺もクリフも、サーシャの背中から目を離さない。俺たちが言いたいことはただ一つ。


「……お前は、何者なんだ……?」

「……」


 サーシャは何も答えなかった。やがて闘技場内に入って来た軍のやつらが俺たちの姿を確認して近づいてくる。


「おいっ、サーシャ!」


 俺は怒鳴った。何も知らないまま何も聞かないまま、ハイさようなら、と切って捨てられるわけにはいかなかった。取り押さえようと腕を掴む軍人たち。俺はそれを渾身の力で振り払った。サーシャも同じように軍のやつらに拘束されていく。あいつは抗わなかった。


「……ふざけんなよっ!!」


 それは俺が最後に言った言葉。

 サーシャは、最後までこちらを振り向こうとはしなかった。









「畜生っ、アイツ……」


 俺は寝床に拳を突き付けた。『淵霊嶺』の最下層に送られたのはおそらくサーシャで間違いない。このまま、俺は事情を知らないまま、アイルークのことを、あの機械人形のガキやジェイロードとかいう奴らのことを忘れろっていうのか。

 北の冷えた空気が体を包む。だがそれとは反対に、俺の中に溜まった怒りや理不尽な感情はどんどん熱さを増していった。

 反対側で毛布に包まっていたヤツは、俺の様子に何かを察したようだった。


「……あれ、オンナノコ、兄さんの仲間ですのん?」

「別にあんな怪物、仲間じゃねえ……」


 でも、と俺は突きつけた拳を握りしめた。このまま終わりに出来るほど、俺は都合良く出来ているわけじゃない。


「でもな……アイツに洗いざらい喋らせるまで、死なせるわけにはいかねぇんだよ……!」


 俺は拳を見つめながら、溜まった感情をその一言で全て吐き出した。このまま大人しくしているのは割に合わない。アイツを『最下層』から引っぱり出して、全ての事情を聞き出すまでは。

 毛布を被っていたヤツは、クシシと肩を震わせて笑った。馬鹿にしてんのかと睨みつけると、そいつはベージュ色の瞳で俺を見つめる。


「……兄さん、威勢がいいのん。相部屋がオジジだけでなくて良かた思た」

「あぁ?」


 俺は立ち上がってソイツに視線を向けた。ソイツはまた訛った言葉で笑う。


「実を言うと、ウチの相方も捕まてるのん。『ダツソウ』するなら、手伝いするのんね。ど、ど?」

「脱走って……テメーみたいなひ弱は大人しく捕まってろ。そこのジイさんと仲良くな」


 そう言って鉄格子に手を伸ばしたその時、はらりとソイツは被っていた毛布を取り去った。そしてゆっくりと俺に近づき、俺の顔のすぐ近くでニッコリと微笑んでみせた。

 血のように真っ赤な髪と、浅黒く日焼けした肌。そして髪は高い位置で一つに結ってある。そして何故か、その右手にはつい数時間前に見た、ここの牢屋の鍵が握られていた。


「……兄さん、ここはいるとき看守と一騒動してくれた。だから盗れたのんね」


 ソイツは鍵を掴むと、自分の厚い唇に押し当てた。そして俺を見上げてウインクする。


「アタシ、名前、テレジア。テレジア・ケベリいうのん。よろしく、どーぞ」


 その女はそう言って笑ってみせた。









「うっ、ひっく……」


 僕は声を抑えるようにして泣きながら、何度も目を擦った。体は怪我や疲れで動かないのに、涙だけは何度も何度も溢れ出て来た。

 僕の頭の中は色んなことでいっぱいだった。シルヴィのこと、ジェイロードさんのこと、そしてサーシャさんのこと。裏切りとか、事情の分からない関係とか、この寒くて暗い牢屋とか。全てが僕を責め立てているみたいで、僕はどうしようもなく悲しくなった。


「……ひっく、……っ……」


 エレンシアで捕まってから、サーシャさんとフレイさんがどうなったかは知らない。もしかしたら同じ場所にいるのかもしれないし、いないのかもしれない。……でも、僕だけ『淵霊嶺』に連れて来られたのだとしたら、僕は多分もっと泣くことになると思う。

 ここはどうやら、怪我をしている囚人が収容される場所のようだった。清潔だけど、どの牢屋にも人が居ない。さっき僕を連れて来た皮肉屋の看守が、『みんな怪我や病気をするとこの寒さですぐ死ぬから、ここは滅多に使われないんだ』って笑っていた。


「……っく……」


 僕は溢れる涙を拭った。そして鉄格子の嵌められた窓から外を見つめる。雪の時期じゃないから雪は降っていないけれど、代わりに冷たい雨が降っている。中途半端に割れた窓からは冷えた空気が入って来た。


「…………おい」

「ひっ!?」


 突然背中から聞こえて来た声に、僕は悲鳴をあげた。僕の背中には壁しかない。なのにそこから声がしたんだ。すごく低い、男の人の声。


「……。……泣き止んだか?」


 壁から聞こえて来た声が隣の牢屋から響いてくることに気付くまで、少し時間がかかった。人の気配なんてしなかったから、僕は慌てて壁と向かい合う形になる。


「えっ、あ、はははいっ!」

「……そうか」


 声はすぐに沈黙に変わった。僕は不安になって、会話を繋ぐような話題を探した。そうしていないと壁の向こうにいるこの声の主が、自分の聞き間違いなのではないかと疑ってしまいそうだったから。


「……え、えっと……あの、貴方は?」

「……ジャン・ユサク」


 返答は少し遅かったけど、当然のことを答えるようなはっきりとした言葉だった。でも、返って来たその返答は、僕には全く思いがけないものだったんだ。


「え、ええぇっ!?ジャン・ユサクって、あのジャン・ユサクさんですかっ!?」

「……どのジャン・ユサクか知らないが……。世界に同じ名前を持つ者がいない限り、お前の想像通りだろう」


 僕は口をパクパクさせながら、壁の向こうから返って来た答えに混乱していた。ジャン・ユサクといったら、あの太陽国ネオ・オリエントで最も有名な、メティスカといわれる部族の戦士だ。先祖代々、視力を失う代わりに父親から受け継いだ義眼を、一族の誇りと共に受け継いでいく。

 そんな凄い人の前でメソメソ泣いていたんだと思うと、僕は急に恥ずかしくなってしまった。


「……お前は?」

「え?」

「お前の、名は?」


 ジャンさんは低い声でそう言った。僕は慌てて姿勢を正し、壁に向かって頭を下げる。


「あっ、はい!僕はクリフ・パレスンと言います。……あの、弱いんですけど、一応剣士をやってます……」


 小さくなっていく語尾。ジャンさんには聞こえただろうか。壁の向こうの声は何かを考えるように一度沈黙して、捻り出すような低い声を発する。


「……傭兵学校の出か」

「はい、あの一応……」


 僕はさらに小さくなった。フレイさんの前では間違っても傭兵学校の出だ、なんて言えない。じゃあなんでこんなに使えないんだと言い返されるのが目に見えてるから。

 ジャンさんはまた何かを考えるように沈黙した。僕は返答を待ちながら、寝床にあった毛布に包まる。ここの寒さは、グロックワースやエレンシアの都の比じゃない。段々と冷えていく指先を摺り合わせながら、僕は白い息を吐いた。


「さ、寒いですね……」

「……ここは雪山だからな」


 ジャンさんはそう呟く。きっと彼はどんな寒さも我慢出来るんだろう。声は僕みたいに震えていない。


「山を越えるとアルジェンナ砂漠なのに、こんなに寒いんですか……?」

「……エレンシアはもともと地盤が高い場所にあり、アルジェンナ砂漠は海面より低い位置にある。高地と砂漠では気温も気候も違う」


 僕はふとサーシャさんの地図を思い出した。エレンシアから山脈の頂上へ行くことは簡単だけど、アルジェンナ砂漠の方からは難しいと言われている。

 エレンシアはもともと高い場所にあるから、山の中腹辺りから登るようなもの。逆に砂漠はずっと低い位置にあるから、山の裾野から登ってくるようなものだってことだ。

 でも、あれ……?


「それじゃあ、あの……さっき看守さんが言ってた『最下層』って、山の麓辺りになるんですか?」


 僕は両手の人差し指と親指で三角形を作ってみる。左人差し指の第2間接の辺りがエレンシアの都の位置で、人差し指が合わさった部分が『淵霊嶺』の場所。

 右手の指の付け根あたりが国境を越えたアルジェンナの砂漠だとすると、『淵霊嶺』の最下層は親指と親指の触れる地点。つまり、アルジェンナ砂漠と大体同じ高さに位置することになる。


「……そうだ。そしてそこからアルジェンナに抜けるルートが存在する」


 僕は指で三角形を作ったまま、一瞬思考が停止してしまった。

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