第4章 2
あまりにもあっけなく、勝負は決着がついた。彼女は剣で貫かれ、あのクリフって男も半分は暗示が解けたようだけど、まだ体の自由はきいてない。
真っ赤に染まる彼女の姿は、赤く染まった一本の百合だ。自身で己を悲しみその魂を慰める、一本の百合。その姿は凛として美しい。
「純血のシルシの白百合ではなく、血に染まった紅百合か……いいね、それも素敵だよリリィ?」
- 憎しみと悲しみの上に立つ -
サーシャの体が血溜まりの中に倒れた。波うつ血の波紋に、観客の怒号や歓声が木霊する。サーシャの体はピクリとも動かず、俺は呆然としたまま二人を見つめていた。
サーシャの血液はすでに致死量に達している。その肌が白く染まっていくのを見つめながら、クリフの右手は残酷にも剣を振り上げた。そのまま刃が振り下ろされれば、サーシャは死ぬ。
「クリフ、止めろっ!!」
咄嗟に俺はそう叫んでいた。その瞬間、クリフの手が金縛りにあったようにピタリと止まる。それでも完全に体の動きを止めることは出来ないようだった。視線が客席にいる俺へと向けられる。
助けてくれ、と言わんばかりの瞳で。
「っ……!」
俺は瞬時に利き手に力を込めた。人差し指と中指を立てて、それを空中で一閃させる。省略呪文の魔法だ。決めた場所に衝撃にも近い強風を吹かせる。
突如としてクリフの体は後方へと投げ飛ばされた。俺は観客が静まりかえる一瞬を狙って、客席から闘技場へと飛び降りた。
「サーシャ!!」
サーシャの体は血溜まりの真ん中に横たわっていた。首筋に触れると、微かに脈はある。しかし閉じた目は開かれず、ただ静かに瞼が閉じられたまま。
俺は立ち上がって、客席の上に視線を向けた。アイルークはさも楽しそうな顔でこちらを見ている。まるで面白い悪戯に引っかかったガキを見るような目で。
俺は叫んだ。侵入者のせいで静まり返ったコロッセオに、俺の声が響く。
「アイルーク!!これは全部、テメーの仕業かっ!!」
アイルークは肯定するでも否定するでもなく俺を見つめている。しかしその表情に浮かぶニヤけた笑みは肯定しているのも同じことだ。ざわめく場内を見回して、アイツはわざとらしく肩をすくめてみせる。
「仕業、なんて……俺が悪巧みでもしたみたいじゃないか」
「テメェ!!」
俺は瞬間的に魔法を発動させた。さっきのような省略呪文の類いじゃない。今まさに俺の、この怒りを爆発させるに相応しい、猛火だ。
手のひらに魔力を集める。右手がギシギシと軋むほどの力に、意識を集中させる。そしてそれを迷うことなくアイルークへと向けた。
「我、汝らが主の名を受け継ぎし者。冥界の劫火よ、我の前に立ちはだかる者を焼き尽くせっ!」
俺の言葉が発せられた瞬間、入り口に近い客席の一部が爆発した。賭け事に興じていた観客は逃げ惑い、逃げ場を求める虫のように四方へと散っていく。
爆発した客席は、劫火によって燃え盛っていた。しかし、その中に人の姿がある。
アイルークの足下には魔法陣が浮かび、そこから灰のような肌をした女がアイルークを庇うような格好で立ちふさがっていた。翼のような両腕がアイルークの体を包み込んでいる。
アイルークは灰色の翼に触れて言った。
「……もういいよ、『フィオ』。キミが出てくるほどのことじゃないさ」
「っ!」
俺は真っすぐに異形の女を見上げる。ガキのころ、あいつが奇跡的に召喚させた精霊『フィオ』。アイツはあの一件で、ジジイに次ぐ魔力を一族に見せつけたんだ。
アイルークは恋人にでも触れるような動作でフィオを後ろへと下がらせると、俺を見下ろして口角を上げた。
「……お前は本当に変わらないよな。そうやって他のことにまで手を出すから身動きがとれなくなるんだよ」
「っ……」
俺は拳を握りしめた。気分はガキの頃と一緒だった。アイツはいつもずっと上の方にいる。俺は他の奴らのように器用に動き回れず、結局泥沼を這いずり回るしかない。
アイルークが視線を闘技場の隅に向けると、クリフがゆっくりと立ち上がった。おそらくクリフを操ってるのはアイルークだ。
けれど魔法でどうにかすることは不可能。あいつには、フィオがいる。ジジイの持つ最高位の精霊に次ぐ力を持つ、フィオが。
「……ほら、早くしないと、フレイ」
「くそっ……くそっ!!」
唇を噛む。俺はここに突っ立ってるしかないのか。どうしようもない怒りと焦りが、まるで他人のようにどうにかしろ、と叫んでいる。どうにかできるもんなら、とっくにそうしてる。どうにかできるもんなら、俺はあのジジイに見放されることも、族長に選ばれることもなかった。
俺は叫ぶ。胸を突いて出た言葉は、自分でも驚きの言葉だった。
「……どうして、どうして俺なんだっ!!」
☆
「―― 『どうして自分なのか』、ですか。簡単なことですね」
ハッと、背後から聞こえた声に俺は振り返った。血溜まりの中から、人影が立ち上がる。真っ赤に染まった服の、貫かれた部分を押さえながら顔をあげたのは、まぎれもなくサーシャだった。
サーシャは空いている片方の手を背中に入れる。そこから出て来たのは、銀のバレルが鈍い深紅を反射する一丁のリボルバー。
サーシャは胸を押さえていた手を放し、俺の脇をすり抜ける。
「それは、貴方が貴方だったから、ですよ。フレイさん」
手をリボルバーに添えて、引き金に指をかける。その動作は自然で、剣で貫かれた人間だとは思えない。
「お前っ……どうして……」
「……貴方が貴方であることを止められなかった。だから運命は自分の身に降り掛かって来た。それは貴方が招いた結果です」
サーシャは銃口をアイルークに向けた。フィオが咄嗟に庇おうとするより早く、正確に引き金を引く。銃声特有の轟音が響き、その刹那、アイルークの目の前で紫色の魔法陣が光った。硝子を割るように魔法陣にヒビが入り、砕け散った破片が空中に消える。その瞬間、剣を構えていたクリフの膝が崩れた。
サーシャは銃をアイルークに向けたまま言う。
「どうにもならない運命を嘆こうが喚こうが、全ては貴方の勝手ですよ。……ただ一つ言わせていただくなら……」
その背中は凛として、はっきりとした強い意志を持っている。少なくとも俺にはそう見えた。サーシャははっきりと前を見据え、そして言う。
「『嘆く暇があるなら前を向き、喚く暇があったら歩き出しなさい。……違う風景を見たいと思うなら』」
逃げ惑う観客の声が変わった。エレンシア軍の服を着た男達がコロッセオを出ようとする観客を一人一人、まるで群れた蟻を捕獲するように捕らえていく。おそらく国がコロッセオの排除に動き出したのだろう。闘技場には助けを求める声、怒号、様々なものが行き交っている。
辺りは混乱の渦。観客の喚き声や叫びが木霊する中、サーシャのその言葉ははっきりと響いた。俺はハッとしてサーシャの背中を見つめる。
「……ふっ、さすがリリィだね」
俺たちの会話を中断させたのはアイルークのため息にも似た笑い声だった。サーシャはリボルバーを構え直し、アイルークを睨みつける。引き金には指が掛けられていた。その背中には今まで感じたことのない憎悪が宿っている。
「……ああ、この呼び方は嫌かい?サーシャ・レヴィアス。……どこから気付いてた?」
サーシャは下らない言葉には見向きもせず、静かに弾倉を回転させた。冷静に見えて、その目には怒りが宿っている。サーシャを纏う空気には近づきがたいものがあった。
サーシャは言う。
「……貴方がナンパをして来た時から、です。私には喧嘩の売り文句にしか聞こえませんでしたが?」
アイルークはクス、と口角を上げる。俺にはそれが何のことだか分からなかった。クリフも同様に困惑した表情を浮かべている。
二人の会話から察するに、アイルークがサーシャを嵌めるために仕組んだってことか?どうしてアイツがサーシャにそんなことを……。
アイルークはサーシャと俺、そしてクリフの顔を一人一人見つめ、そして自分の背後に向かって視線を向けた。
「そっか……。ふふっ、さすが貴方の妹君ってところだよ、ジェイロード」
「!」
アイルークの後ろから、一人の男とガキが姿を現した。どっかの貴族みたいな紳士風の格好をした、妙に落ち着き払った男だ。金髪に碧眼、目元の雰囲気が確かにサーシャと似ている。
隣にいるガキは女だ。緑色の奇天烈な色に髪を染めて、隣の男に見合うような、金持ちの娘のような服を着ている。
ジェイロードという男の出現に、サーシャは表情を変えなかった。代わりにクリフが驚いた顔でサーシャとジェイロードに視線を向ける。
「ジェイロードさん!?……サーシャさんが妹って……」
スッと、サーシャが片手でクリフの言葉を制する。サーシャはクリフが黙るのを確認すると、客席にいるジェイロードを睨みつけた。引き金に掛けた指に力が入っている。俺もクリフも、何も言えず、二人のやり取りを聞いているしかなかった。
「……お久しぶりですね、ジェイロード」
ジェイロードはじっとサーシャを見下ろしている。闘技場を挟んだ向こう側の客席から、軍の奴らが観客の捕獲し始めているのにも目を向けず。
サーシャは口元を引きつらせながら、アイルークと隣のガキに視線を向けた。
「随分見ないうちに手駒が増えたようですね。とくに、その娘……」
緑頭のガキは、サーシャに睨みつけられていることに気付いているのかいないのか、曇った色の瞳をしていた。その無表情に固まった顔を見つめて、ようやく俺は気付く。
こいつ、殺人人形だ。
「なっ……!」
クリフも俺とほぼ同時にそれを悟ったようだった。サーシャが俺たちの言葉を代表するように呟く。
「高性能の殺人人形ですか……」
今まで見て来た奴らは動作も声も全てが機械的で、明らかに生きている気配がしなかった。だが、こいつの動きは人間に近い。
ガキはジェイロードとアイルークを交互に見つめる。まるで命令を待つ犬のようだ。俺は咄嗟に体勢を整える。クリフは困惑したまま、身動きがとれなくなっていた。
「殺人人形を作る『知』……予言書は貴方が持っているということですか」
サーシャの声に、アイルークが笑う。
「ふ……ちょっと違うよ、リリィ。俺たちが持っている預言書は完全とは言えないんだ」
「!?……どうゆうことだ?」
俺はアイルークを見上げる。アイルークは昔の、まるでジジイに褒められた時のような、得意そうな表情を浮かべて俺たちを見る。
「預言書はジイさんの手を離れた後、途中でバラバラになったんだよ。……あれは魔術師の下になければ効果がない代物だからさ」
アイルークはそう言って隣のガキに視線を向ける。ガキは何かを感じ取ったように頷くと曇った瞳を空中に向けて、データを読み上げるような恐ろしく事務的な口調で話し始めた。
「……バラバラといっても一枚一枚切り離された状態ではありません。『過去の預言書』は原初の章、蒼天の章、万物の章、大地の章、終焉の章の5つに分けられています。我々が持つのは人が作り上げた機器およびシステムプログラムに関する蒼天の章……」
サーシャはじっとガキの言葉を聞いていた。その間も手に持ったリボルバーの引き金にかかる力は増している。
アイルークは客席の椅子に肘をつきながら笑う。
「つまりはそうゆうこと。……つまり、リリィが『過去の予言書』を手にしたいのならば、他の4つの章を集めて、その上で俺たちから蒼天の章を力づくで奪い取るしかないわけだ」
「な、なんでそんな大事なことを、僕たちに……?」
クリフの言葉は至極もっともな意見だった。しかしサーシャは何も言わず、一歩、二歩と客席に歩み寄り、三歩目で足を止める。その瞳はしっかりと、ジェイロードという男を睨みつけて。
「!」
殺人人形のガキが何かに反応した。しかしそれより先にサーシャが引き金を引くのが早かった。
銃声は大きく轟いた。迷いなく放たれた銃弾は、先ほどから一言も言葉を発しないジェイロードの頬を擦り、端正な顔に赤い線を作らせた。咄嗟にガキが反撃の体勢をとるが、ジェイロードは左手でそれを止めた。
そいつは口端をあげて笑った。サーシャはしっかりと自分の兄を見上げて、言い放つ。
「……覚えておいて下さい、ジェイロード・レヴィアス」
エレンシア国軍の本隊がコロッセオ制圧に突入してくる。アイルークはその様子を確認すると、紫色の光を放つ魔法陣を発生させた。3人の姿が徐々に薄れていく。おそらく空間移動の魔法だ。
「私は貴方を必ず殺し、予言書を手に入れます……」
逃げ惑う客の混乱の渦の中で、サーシャは憎しみの上に立っていた。