第4章 1
宿に帰って飯を食い、部屋で横になる。人間ってのは簡単なもので、酒を飲んで飯を食えば、苛立ちも多少は治まった。あとはエレンシアを無事に出ることが出来れば、あれこれ文句を言うこともない。全ては終わったことだと考えることにしよう。
街の灯が徐々に消えていくのをベッドの上から見つめながら、俺はベッドに横になった。丁度良いくらい腹は満たした。苛立ちも徐々に治まりつつある。目を瞑れば、明日の太陽を拝むことが出来る。
……はずだった。
- 戦いと闘いと -
「……あんのクソ女!!」
闇市場は昼より夜の方が人通りが多い。麻薬で頭が完全にイってるヤツや、娼館の客引きがウロウロする中を、俺は地面を踏みつけながら歩いた。さっきまで治まっていた苛立ちが、また沸々とわき上がってくる。
テキトウに捕まえた闇市の商人によれば、コロッセオは闇市場の奥の奥に位置してるらしい。俺は人ごみを押しのけ、ジロジロこっちを見る市場の年寄りの視線を無視して急ぐ。
裏路地へと入ると、そこは真っ暗闇だった。下の方から光が漏れている。階段があるんだろう。
「……やっぱり来た」
「っ!」
後ろから聞こえたアイルークの声に、俺は即座に振り向いた。細い路地を後ろから塞ぐように、アイルークはこっちを見つめている。なんだってこうゆう会いたくないヤツに会っちまうんだ。
アイルークは苦笑を浮かべる。俺はそれが癪に障って、一言言ってやろうと口を開く。しかしそれより先に、アイルークがそれを制した。
「分かってるって。……それより、早く行かないとサーシャさんの試合、終わっちゃうよ」
ニタリとアイルークが笑う。その瞬間、俺は理解した。いや、正確にいえば思い出したんだ。それまですっかり忘れていたことを。
魔術師は、魔術以外に興味を持たない。目の前に今にも消えそうな命があったとしても。
「!」
俺は階段を下る。下れば下るほど地下の歓声は大きくなっていく。異様な盛り上がり、そして罵倒。さまざまなものが入り交じった声や感情がコロッセオの中に充満している。
光を放つ入り口に足を踏み出す。その瞬間、目の前が真っ白に染まり……次の瞬間、コロッセオ全体が俺の視界に飛び込んできた。
「……な……」
鮮烈な赤、そして有り得ないような血の臭い。肉片が飛び散った跡。
歓声と怒号が耳を劈いた。興奮が最高潮まで達したコロッセオの客席で、俺だけが場違いのように突っ立っていた。
俺はしばらく声が出なかった。後ろからアイルークが階段を下りて来たことにも気付かなかった。
「なん、だよ……これっ……」
掠れた声しか出なかった。足が動かなかった。それがおそらく、普通の人間には正しい反応だ。俺は呆然として、客席の一番後ろから闘技場を見下ろす。
闘技場の土は真っ赤に染まっていた。あちこちに数体の死体が転がっている。どれも左胸から血を流して死んでいた。溢れた血が溜まり、土を汚し、闘技場はかつてないほどの殺戮の中にあった。
「……!」
中央にはサーシャが立っていた。その横顔は今まで見たことがないほど無表情で、冷ややかな瞳で死骸の山を見つめている。右手には血に染まった剣を持っていた。一振りすると、血の滴りが地面に落ちる。
ふと、サーシャがこちらに視線を向けた。その瞳に背筋が凍る。硬直する俺をすり抜けて、視線はアイルークに向けられた。睨みつけるようなサーシャの視線に物怖じせず、アイルークは女をナンパするときの要領で軽く手を振る。
「……良かったなぁ、フレイ。サーシャさんの相手はあと一人。間にあっただろ?」
「……!」
俺はアイルークを見た。アイルークはニヤッと笑い、サーシャに視線を戻す。サーシャは視線を闘技場内に戻すと、向かい側にある待ち合い室の扉が開くのを見つめている。
俺は咄嗟に客席の通路から一番前へと階段を下りた。興奮した奴らが手すりの前に集まっている。俺はそれを押しのけて、叫んだ。
「サーシャ!!」
何故そうしたのか、自分でもよく分からない。サーシャの横顔はこちらを見ようとはしない。ただ、その唇が微かに動いているのだけは分かった。何かを唱えるように、何かを思い出すように。
「おいっ!」
会場は異様な熱気を放っている。ここにいる全ての人間は狂っていると言っても間違いではないかもしれない。人が人を殺し、それに金を賭ける好き者達。それに踊らされる人間が半分は生き残り、半分は死んで行く。
そんな空間に俺と、サーシャはいた。ある意味狂っているのは俺たちなのかもしれなかった。目的のために人を殺すサーシャと、あいつを止めるでもなく助けるでもなく、ただ呆然とするしかない俺と。
「サーシャ!!」
叫びながら、俺は思った。今の俺は、ガキの頃から何一つ変わっていないんだと。優秀な魔術師になりたかった。けれど目の前に立ちはだかった才能という壁を目の前にして、俺はどうすることも出来なくなっていた。
アイルークのように優秀な魔術師の奴らなら、今ここでサーシャがどうなろうとただ笑って見ていられるんだろう。死のうが生きようが、俺には関係ない。
俺もそうなりたかった。そうなるのが一番楽なことなんだと分かってる。それでも俺はそう出来なかった。
サーシャは何かを呟き、深呼吸をする。そしてアイツなりに何かを考えているのか、チラと死骸に視線を向けた。
その時、ふとサーシャは待合室の扉が開いたことに気付いた。しっかりとした足取りで、相手は薄暗い待合室から明るい闘技場へと歩みを進める。その姿がはっきりと見えた瞬間、サーシャの表情が驚きに変わった。
「なっ……!」
闘技場に姿を現したのは、愛用のレイテルパラッシュを鞘から抜いた……クリフの姿だった。
☆
どこか遠くで、沢山の人の声が聞こえる。漣のように寄せては返す音。僕はぼうっとした思考の中にいた。手はレイテルパラッシュを握ってる。今までずっと、ずっと僕と一緒にいた剣だ。それは僕が村を出た、あの日からずっと変わらない宝物。
なんだろう、視界ははっきりしてる。数えきれない人の群れと、地面に寝そべった人と、僕の視界の真ん中にいる、真っ赤な剣を持った綺麗な女の人……あれ、あれは誰だっけ。
『……クリフは何故、旅をしてるの?』
ふと、頭の中に女の子の声が聞こえてくる。これも名前が思い出せない。誰だっけ。……まあ、いいか。質問に答えてあげなくちゃ。
(僕は……僕には帰る場所がないんだ。剣しか取り柄がないから、護衛の仕事をするしかないんだよ)
帰る場所はずっと前に無くなった。いや、無くなっていたって言ったほうが正しいのかな。僕が村に戻って来たら、村はもう無くなってた。一瞬、場所を間違えたのかと思っちゃったんだ。小さい家が寄せ集まって出来たような小さな村が、ただの草原に変わってたんだから。
あの草原で、僕はレイテルパラッシュを抱きかかえたまま呆然としたんだ。
『……家族はどうしたノ?』
声は更に聞いてくる。あんまり思い出したくないことなんだけど……何故だろう、言ってしまいたくて仕方がなかった。
(家族もみんな見つからなかったんだ……へんぴなところにあった村だから、焼けて無くなったことに近くの村や街は気付かなくて……気付いたらもう、焼け跡に雑草が生えるくらい時間が経ってた)
あの頃17歳だった僕は、周辺の村や街で家族の消息を尋ね歩いた。周辺っていっても、山一つ越えたような場所ばかりだったから、もちろん誰もそんなこと知っているはずはなかったんだ。
『……そのまマ、旅に出たノ?』
(そうだよ。……でも僕、そんなに強くないんだ。だから一緒に旅をしてる人にも、馬鹿にされてる。機械で出来た人形すら壊せない、って)
僕は問いかけてくる声に答えながら、ふと思う。僕は誰と一緒に旅をしていたんだっけ。どうしてだろう、顔も思い出せない。どうしてだろう……。
声は言う。
『……クリフはどウしてわたシのオトモダチを、コロセナイノ……?』
僕の脳裏に、宿を襲ってきた機械人形の姿が思い浮かぶ。だってあれは人の姿をしていた。肌は人の皮が使われていて、髪の毛だってそうだった。切って出てくるのは、機械と機械を繋ぐコードだって分かってるけど、分かってるけど……。
だって、僕は……。
「クリフ!!」
(!)
体が動いてる。何故だろう、レイテルパラッシュを握る手に力が入る。駆け出して、視界の中心にいる女の人目がけて剣を突き放つ。ギリギリのところでその人は僕の剣を避けた。……一瞬、受け止めようかどうしようか迷ったように見えたけど。
僕は体勢を立て直す。何故だろう、いつもより体の動きが良い。初めて剣を持ったときのような、あんな感じだ。体がよく動く。剣は躊躇なく風を切り裂いて、耳に心地よい音を届かせる。そう、そうだ。初めて村を出たあの日から、僕はずっとこんな風に剣を振っていた。そして帰る場所がなくなったことを知ってから……剣が振れなくなった。
女の人は僕の剣を受け止める。金属の音が高く鳴いた。鍔迫り合いで、相手の顔がはっきりと見えた。
「……くっ……」
押し勝ってる。徐々に刃が相手の方へと寄っていく。このまま攻撃に移ろうかと思ったけど、彼女が渾身の力で刃を押し返して来た。反動を利用して、その人はまた距離を置く。
凄い歓声が響いてる。なんだろう、この盛り上がり。女の人は一拍置いて、僕との距離を詰めた。凄いスピードで。
僕の剣を弾いて、そのまま真っすぐに刃を振ろうとする。でも、駄目だよ。その攻撃じゃ、ただの時間稼ぎにしかならない。……そう。
「……っ!」
体勢をずらして、彼女の剣をやり過ごす。体勢が整う前に、僕が利き足を踏み出した。体勢を低くする。弾かれる前に左手を剣に添えた。体の重心を移動させて、一気に前へと出る。そしてしっかりと握ったレイテルパラッシュの柄を、すばやく突き出した。
その瞬間に、人の体を剣が突き抜ける感触が両手から背筋へと伝わって……。
「サーシャ!!」
(え……?)
剣が体を貫いている。レイテルパラッシュの柄の辺りまで刃を差し込まれた体は、ゆっくりと赤く染まっていく。僕の目の前で揺れる金色の髪。整った顔つき。そうだ、この人はサーシャさんだ。
サーシャさんの右手から剣が滑り落ちる。血溜まりになった地面に倒れて、ベチャッと音が響いた。細い左手が、ゆっくりと剣を握る僕の手に伸びる。触れた白い手が、剣を抜こうとするかのように弱い力を込めた。
でも抜けない。剣は完全にサーシャさんの体を刺し貫いているんだから。
(さ……サーシャ、さん……?)
僕はそう呟いた。でも声は出ない。どうしてかは分からないけれど、声が出ない。
「……うっ……」
サーシャさんの口端から赤い液体が流れ出る。ゆっくりと顎を伝って、血液の溜まった地面にピチャンと落ちた。その瞬間、僕の思考は一気に巻き戻っていく。
「さ、サーシャさん……っ、サーシャさんっ!?」
街でシルヴィとジェイロードさんと会って、街で食事をした。その後は覚えていない。路地を曲がったところで急に何かの衝撃を感じて、気付いたら僕はここに立っていた。……いや、違う。
あの時、僕を気絶させたのは、まぎれもなくシルヴィだったんだ。
「……かはっ……!」
「サーシャさんっ」
僕はそう言って剣を抜こうとした。でも何故か、腕が動かない。腕だけじゃない、足も、首も、体全体がいうことをきかない。
サーシャさんの服に染みた血はどんどん大きくなっていく。剣を抜こうとするサーシャさんの手は確実に力を無くしていく。
いやだ。こんなのは嫌だ。だって決めたんだ、人を殺したりしないって。この剣に誓ったんだ。……誓ったんだ!
「サーシャさんっ!!」