第3章 3
噴水の前に座ったシルヴィは本当に何処かのお嬢様のようだった。僕は隣に座って、彼女の待ち人を待っていたけれど、一向にその『ジェイ』って人が来る気配はない。
時間は刻々と過ぎていく。人通りの少なかった広場に子供達が集まり始め、大通りには沢山の人が行き来し始めた。空を見上げるともうすぐ昼なのだろう、太陽は真上に登っている。
- 優しい剣士と小さな少女 -
「……キミはこの街に住んでるの?」
幾人かの人が広場の前を通り過ぎるのを眺めながら、僕はシルヴィに問いかけた。彼女は身なりの良さからすると、エレンシアの上流階級のお嬢様のようにも見える。けれど貧富の差が激しいこの街では、その姿はかえって浮いていた。
街中は本当に治安が悪いらしい。さっきもボロボロの服を着たお爺さんが僕らの前を通り過ぎていった。チラ、と虚ろな目をシルヴィに向けていたけれど、彼女は気付いただろうか。
「ううん」
「え……じゃあ、家は何処?」
たしか、公国エレンシアは都以外でこんなに栄えている街はない。北には標高の高い山脈があり、フレイさんの言っていた『淵霊嶺』もそこにある。南は気候がいい平野が広がっているけれど、川もなければ海に面してるわけでもないから、交通の便が悪くて栄えない。代わりに牧草地が広がっているって聞いたことがある。
シルヴィは一度広場をぐるっと見渡して、北西を指差した。
「……あっち」
「あっち、って……。あっちは山の方じゃ……」
僕の呟きに、シルヴィは首を左右に振った。
「山の、もっともっと先」
僕はシルヴィの白い指先を追って、北西に視線を向ける。もちろん都の建物に邪魔されて見えないけれど、たしかサーシャさんの地図によれば、エレンシアのずっと北西にあるのは『アルジェンナ国』。世界を治めていたトゥアス帝国の領地だ。
トゥアス帝国は世界を統一したから、何処の国も『元領地』になるんだけど、アルジェンナ国は最初から帝国の領地だった。といっても、周りはほとんどが砂漠。帝国がなくなった後に、その砂漠から名前をもらって『アルジェンナ国』と呼ばれるようになった。
「え……もしかして、アルジェンナ国?」
僕は驚いてシルヴィを見た。その顔には表情らしい表情は浮かんでいない。
もし本当にシルヴィがそこから来た人間だとしたら、はっきり言って国境を越えて来た僕達よりも大変なことだった。アルジェンナ国はエレンシアの山脈に阻まれていて旅人が通るのは不可能といわれてる。トゥアス帝国が存在していたころは飛行機械とかいう、空飛ぶ乗り物で越えてくることが出来たけれど、それが無くなってからは誰もあちらに行かないし、あちらからもこっちに来る人間はいない。
僕はもう一度シルヴィを見つめた。こんな女の子が、一体どうやって此処に来たというんだろう。僕の頭の中には騙されてるという言葉は微塵もなかったし、シルヴィが嘘をついているようにも思えなかった。
「……」
シルヴィは何も言わずに、通りの人ごみに視線を向けている。真っすぐに何かを見つめるその横顔は、冒険なんて知らない貴族か何かのように真っ白だ。緑色の髪はサラサラで、常日頃潮風や焼けるような太陽の光を浴びる僕らからは考えられない。
街を囲む草原から、涼しい風が吹き込んでくる。石畳の砂が舞い上がって、僕は思わず目を瞑った。やけに強い風だ。ふと、隣に座っていた気配が立ち上がる。
「……『ジェイ』!」
嬉しそうなシルヴィの声が聞こえた。急に駆け出していくから、僕もつい立ち上がってしまう。シルヴィは通りから広場へと歩いてくる人ごみの中から、たった一人を見分けたようだった。僕ならこんな人の多い場所で目的の人を見つけるのは難しい。
それでもシルヴィはその人を見つけ出した。
「……どうした、シルヴィ」
腰を浮かせた僕の視界を人々が行き来する。その丁度真ん中に、二人の姿があった。こちらに背を向けた状態で何かを話すシルヴィ、そして彼女より頭一つ分身長の高い、金髪の男の人。
切れ長の目に、身なりの良い紳士風の背格好。ウェストコートを着ていて、背広を腕にかけている。歳はいくつだろう。僕より上なのは彼の纏う空気ですぐに分かった。でも顔を見るかぎり、多分5歳も離れていないと思う。
彼はシルヴィの頭に手をのせて微笑むと、僕に視線を向けた。シルヴィと一言二言会話を交わすと、納得したような表情を浮かべて、こっちに歩いてくる。
その人は街行く人が振り向くような、そんな空気を纏っていた。多分それは顔が整っているからとか、お金持ちに見えるからとかじゃない。何故だろう。僕にも分からない。
「連れの相手をしてくれたそうだが……改めて名前を聞いても構わないか?」
彼は少し高い視点から僕を見つめた。僕はハッと我に返る。どうして男の人に見蕩れたりしてるんだろう。
「あ、え、えと……クリフ、です。クリフ・パレスン……」
隣にいたシルヴィが畏まった僕に首を傾げている。目の前にいるこの人とシルヴィは、並ぶと文字通り美男美女だ。街の人の視線が痛いほど突き刺さってくる。
僕の名前を聞いた彼はしばらく何かを考えて、ふと口元を緩めた。僕が緊張してることが伝わってしまったんだろうか。
「私は、ジェイロード。……シルヴィは、『ジェイ』と呼ぶんだが」
「ジェイロードさん……ですか?」
ジェイロードと名乗った彼は頷いて、そして苦笑してみせた。
「ああ。……随分長いことシルヴィの相手をしてくれたと聞いた」
僕はふとシルヴィに視線を向けた。シルヴィはジェイロードさんの左腕にくっついて、僕を見つめている。さっきジェイロードさんを見つけたときは確かに嬉しそうな顔をしていたのに、今は無表情に戻っていた。
ジェイロードさんはシルヴィに視線を向けて言う。
「気難しい娘だからな……迷惑をかけただろう」
「あ、いえ……」
シルヴィは少し上目遣いでジェイロードさんを見つめる。気難しいというか、感情の起伏が乏しいというか……。怒っているのか笑っているのかよく分からないだけなんだけど。
ジェイロードさんは苦笑を浮かべると、僕に視線を戻した。
「是非、礼がしたいのだが……どうかな?」
「お、お礼なんてそんな……」
僕は首を横に振った。僕はただ、ジェイロードさんが来るまでの間、シルヴィと一緒にいてあげただけだし……。お礼を貰うほどのことなんてしていない。
すっと、ジェイロードさんの腕にしがみついていたシルヴィが、もう片方の手で僕の腕を掴んだ。キュッと袖を掴んで、硝子のように透き通った瞳で僕を見つめる。まるで駄々をこねる子供みたいに。
僕は笑った。
「……はい。じゃあ、お言葉に甘えて……」
☆
闇市場は街の中心から少し外れた場所にある。エレンシアは中央に川が流れていて、その川下に闇市場が広がっていた。もっとも河原の周りにある店はろくなものがない。麻薬や武器、爆薬など。河原の周りに集まっているのは、それが軍や兵士に見つかってもすぐに川へ投げ捨てることが出来るからだ。
だからその辺りにはロクな人間が集まらない。……私も含めて。
「いやあ、まさか本当に来るとは思わなかったよ。……しかも女の子一人で、なんて」
河原の隣に並ぶ闇市の前を歩きながら、私は隣で喋るアイルークさんに視線を向けた。彼はどうやらここの地理に詳しいらしい。闇市の奥の奥、コロッセオの場所まで知っているのだから、そうとう『裏の世界』に精通しているのだろう。ある程度使えそうな男だ。私の腰に手を回していることを除けば。
「……。……それで」
私は利き手でアイルークさんの手を思いっきり抓った。
「いっ!?」
「……コロッセオの登録に必要なものはありますか?」
抓られて飛び上がるアイルークさんを無視して私は歩く。アイルークさんはしばらく抓られた部分に息を吹きかけていたが、すぐに私の隣に戻って来た。懲りない男だ。
「別に……必要なのは名前と、サイン。それだけだよ」
「『怖くなって逃げ帰る』場合もあるでしょう?」
私はアイルークさんを睨みつけた。よく見れば、彼の目元はフレイさんに似ている。正確は天と地ほどの差があるけれど。
アイルークさんは肩を竦めて苦笑してみせた。
「まあね。でもそれも賭けの一つの選択肢さ。最近はそうゆうやつが増えて賭けにならなかったんだけど、アレが報奨金の代わりになってから、逃げるやつなんてめっきり減ってさ」
立ち並ぶ市場を左に曲がる。他と違って細い路地だ。店に座る真っ黒な肌の老人がこちらに視線を向ける。商人達が目配せし合い、ひそひそと何かを呟いていた。
アイルークさんは私に顔を寄せると、耳元で囁いた。
「……さっきのジイさん達はコロッセオの人間でね。登録しに来た奴らの顔を、睫毛の数まではっきり覚えてる」
「……つまり逃げる者にはそれなりの制裁があると。そうゆうことですね」
遠回しな言葉に、私はそう言った。つまり逃げる者は国を出るまでに殺される。賭けをする者達にとって、逃げ帰ろうが何をしようが関係はないが、コロッセオを運営する者達にとっては費用的にも損失を負う。逃げた者は捕まえて殺し、金品を奪い取るのだろう。
アイルークさんが私の肩を抱いて、路地を右に曲がった。建物と建物の間の細い路地だ。しばらく行くと、地下へと下る階段が見えて来た。薄暗い闇の気配に張りつめた空気が伝わってくる。
「地下ですか。……想像通り、といったところですね」
「まあね。分かりやすい場所にあるのに、不思議なことに誰も気付かない。……誰も、ね」
アイルークさんが前を歩き、狭い階段を下る。灯りは下の方に見えるだけだ。虫の羽音のような雑音が階段を下るごとに大きくなってくる。
興奮と熱狂した声、体を包む熱気。徐々に明るくなる視界と、そして血生臭さ。私は一度足を止めた。まるで臭気を溜め込んだ壷の中に閉じ込められたかのように、様々な臭いが体に触れる。一度だけ、私は口元を覆った。
「……大丈夫?」
アイルークさんが振り返る。私は目を閉じた。体全体が危険を知らせている。吐き気が喉を圧迫し、指先が緊張する。近づいてはいけない、関わってはいけないと体が叫んでいる。生きる者として。
「……」
血の臭いが鼻を突く。私はすっと息を吸い込んだ。世の中の悪や残酷を寄せ集めたような、そんな空気を。そんな汚い空気でも肺は動く。呼吸は出来る。吐き気は飲み下すと、あとは何事もなかったかのように体は正常を取り戻した。
私はゆっくりと目を開く。
「……行きましょうか」
コロッセオは円形の闘技場を中心として、1階席、そして2階席に分けられていた。闘技場の東と西には入り口があり、そこから賭けの対象となる者が現れる。チーム制というわけではないが、2、3人が出場することになるのだろう。
加熱した盛り上がりをみせる客席の後ろを通りながら、アイルークさんは説明する。
「本当にいいの?見ての通り、一人で出るやつなんて殆どいないんだよ?」
「……何人で出ても、戦う時に一対一になるなら同じことです」
私は視線を下に落とした。試合が始まったばかりなのか、下では戦いが始まっている。2人対1人だが、実際に戦う時は一対一だ。それは賭けるうえでの決まりなのだろう。『番狂わせ』を狙うにはうってつけなのだ。
闘技場の真ん中には筋肉の盛り上がった屈強な戦士と、黒くボロボロになった布を纏った男が立っていた。私はふと足を止める。緑がかった瞳に、黒髪。戦士が剣を抜くと同時に、彼もまた布で包んでいた長い棒状のものを左手から右手に持ち替えた。
アイルークさんが私の視線に気付いて戻ってくる。
「?……ああ、アイツ?最近勝ち抜いてるヤツだよ。旅人だって話だけど……知り合い?」
それとも彼氏とか、と軽口を飛ばすアイルークさんに、私は呆れた目でため息をついてやった。この人の頭の中にはそれしかないのだろうか。
私は闘技場に視線を戻す。
「……同業者です。もっともあちらは国仕えで『過去の予言書』を探している人間ですが」
街中で見たのはやはり間違いではなかったのだと、私は思った。あの目は人目につきやすい。女で旅人の私も、相手からするとそうなのかもしれないけれど。
熱狂した声が響き渡る。戦士が剣を構えて、男に斬りかかっていった。しかし、それも彼のもつ武器で弾き飛ばされる。
右手に持ち替えたそれが、はらりと布を落とした。そこから現れるのは、コルセスカと呼ばれる三日月形の2つのウイングをもった槍。
私はそこまで見て、興味をなくした。立ち止まっていたアイルークさんを追い抜いて歩き始める。
「あれ、いいの?試合見なくて」
アイルークさんの声に、私は立ち止まらずに答える。
「いいです。……どちらが勝っても、今の私に影響はありませんから」
歓声が私の声をかき消す。どれが誰の声とも聞き分けがつかない、さまざまな雄叫び。私は客席の後ろを歩きながら、隠し持ったリボルバーに触れる。
頭を真っ白にさせる大音量の中に、昨晩のフレイさんの言葉が蘇った。
『俺たちはお前にとっちゃ捨て駒か』
私は前を向く。この世の中に情けも義理も必要ない。そんなものがなくても、明日の太陽は昇る。信じられるのは、己と武器のみ。そうして今まで生きて来た。
私には覚悟がある。だから私は私に嘘をつかない。
「……」
歓喜する人々の影を踏みしめながら、私はここより先を見据えた。