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過去の予言書  作者: 由城 要
第6部 One Messiah Story
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第3章 3


 渇いた荒野に響き渡る銃声。終焉は、どちらかの死の上に成り立つ。





  - 終止符 -





 横に足を滑らせる。体勢を低くするとクロノスの引き金を引いた。勿論命中することなど期待していない。私は駆け出した。目が霞む。こんなときでも薬の効果は歯止めがかからないらしい。体の自由が効かなくなってくる。

 足の筋肉に力をかけて大きく飛び上がった。同時に背中に隠していたヒュペリオンを抜き取る。黒光りする銃口が激しく攻撃音を発した。


「!」


 ジェイロードの反応は早かった。三歩分後ろに下がると、サーベルを捨てカイロスを構える。こちらが続けて攻撃するより、相手の方が早かった。

 カイロスの銃声に、私は空中で身を捻った。ヒュペリオンを撃った反動から体を回転させ、着地の体勢をとる。その間もクロノスの攻撃は止まない。


「っ……」


 ジェイロードが動いた。私との距離を縮め、確実に射程距離範囲内に入ってくる。私はクロノスを持ち直すと、同じようにジェイロードに向かって走り出した。

 動く的を仕留めるのは簡単なことではない。耳元を霞む銃弾を気に留める時間はなかった。いつもなら目で追える範囲のものが見えない。視界が微かに狭まったのを感じた。

 それでも後退するわけにはいかない。相手の狙いが定まらないように、スピードをあげる。ジェイロードの指先が微かに動いたのを感じて、私は肩から地面に転がった。勢いは死なず、クルリと地面を一回転する。刹那、ヒュペリオンの弾丸がジェイロードの右肩を射抜いた。


「っ」


 一発の銃弾を確認した次の瞬間、右足を何かが通り抜ける感覚がした。痛みを感じるより先に、体の内部が風を感じた。途端に体のバランスが崩れる。

 カイロスの銃弾は私の右足のふくらはぎを貫通していた。私は右手で体を起こすと、ジェイロードと距離をとる。


「ちっ……」


 私は小さく舌打ちした。誰かの癖がうつってしまったようだ。

 ジェイロードの動きを見ながら、私はヒュペリオンをジェイロードに向けた。利き腕側を狙ったことでハンデになったかと思ったが、どうやら状況は五分にもならないらしい。

 やはり強い。薬の効果がなかったとしても、おそらく同じ状況に追い込まれているだろう。唯一の救いは、まだ引き金を引く手があることだ。

 ジェイロードが一気に距離をつめる。私はヒュペリオンとクロノスをホルスターにおさめた。ジェイロードの強い蹴りが体を襲う。咄嗟に両腕で受け止める。重い一撃だった。

 次の瞬間、腕を掴まれて体を投げられる。重心がしっかりとかかっていない足は、簡単に宙に浮いた。


「うっ……!」


 砂の中に叩き付けられて、私は胸が詰まるような錯覚に襲われる。一時的に、視界からジェイロードが消えた。痛みよりも先に、反射神経が体を動かす。

 私が転がっていたところに再び蹴りが襲った。危ないところでそれを交わし、起き上がる。しかしジェイロードの攻撃は止まない。私の襟を取ると、再び砂の海に私を沈めた。


「……っ」


 もう時間はない。続いてくる攻撃を避けると、怪我をしている足に力を込めた。後ろへと飛び退り、そして相手の腕をクロノスで弾く。反動でバレルが指先から落ちた。

 私とジェイロードの間に距離が出来る。おそらく考えたことは同じだろう。体術をしかけるために仕舞ったリボルバーに指を伸ばす。それはほとんど同時だった。

 私は顔を顰める。こんな時に、視界が霞んで相手の姿がよく見えない。それでも、何をしようとしているかは分かった。この距離は、いつもの訓練と同じ……あの距離。

 親指をハンマーにかけ、抜き出しながらトリガーに指をかける。あとは全て勘に頼るしかなかった。グリップの高さ、銃口の向き、相手の急所、トリガーに力を入れるタイミング。

 全ては、あの頃と同じ。幾度も幾度も繰り返されてきた、訓練という名の戦いと同じ。たとえ視界がはっきりとしなくても、指が、手が、腕が、体が覚えている感覚。体の概念を忘れ、私は意識そのものになる。私を作り上げた細胞一つ一つの、その感覚に体を任せる。

 迷いも何もない。足をやられようが、頭をやられようが、まだ腕は動く。指先が、動く。目の前に立つ、ジェイロードより僅かに早く。

 銃声が、響く。









 真上に上っていた太陽がいつの間にか傾き、空は夕日と夜の色に二分されている。僅かに輝き始めた星達が、満月の夜を飾っていた。

 地面に転がったままのクロノスを持ち上げると、同時に溢れるように鮮血が滴り落ちる。無言のままそれを見つめ、そしてクロノスをホルスターにおさめた。どうやら銃弾もほとんどなくなっていたらしい。弾を無駄にする戦闘は力不足の証拠なのだろう。

 風はやがて冷たくなり、激しく体に吹きつける。濡れた頬を冷やしているのは、本当にこの砂風だろうか。

 倒れたままの相手に歩み寄ると、私は膝を折った。


「手元が狂ったようですね。……お互いに、とは滑稽ですが」


 横たわったジェイロードにそう言うと、彼は視線だけをこちらへと向けた。右肩の傷とは別に、左胸を覆う血の色。私は傍らに腰を下ろすと、静かに目をつむる。


「……。……貴方のしようとしたことは、間違っていないのかもしれません」


 誰もが悲しまずに済む世界があるのなら、私は最初からそこに生まれたかった。それでも、死の訪れるこの世界だからこそ、生まれるものも数多くある。

 空がやがて夜に浸食され、月が光を放ち始めている。


「それでも……全てのものに終わりは訪れる」


 私は兄を見つめた。小さな頃から見てきた端正な顔は、死を目の前にする今となっても歪むことがない。


「終われば、また何かが始まってゆく……」


 予言書がなくなったとしても、父のような、兄のような願いを持つ者は耐えないのだろう。やがてトゥアスのように、また何処かの国が永遠の命を実現させるのかもしれない。それでもおそらく、異を唱える者はいるはず。永劫というものは、虚しい以外の何者でもない。

 やがて生まれ、やがて死んでいくものたちの為に存在する摂理を、曲げてはいけないのだ。


「……」


 ジェイロードはふと星空に目を向ける。アルジェンナ砂漠の周辺には街がないため、この辺りからは星がよく見える。おそらく、帝国が存在していたころと何も変わらない、変化のない星空が。

 手を取ると、その指先は冷たくなっていた。


「……理想は、理想か……」

「ええ。それでも……」


 触れそうで、触れられないあの星空と同じように、それはきっと美しい理想なのだろう。

 いつか見た夜空のように光り輝く星々。私はふと、掴んでいた指先から力が消えるのを悟った。眠るように目をつむり、また一人、大切な人の生命が消えていく。

 私は静かに、その手を降ろした。ホルスターにおさめていたリボルバーを手に取ると、中に入っていた弾をその場に捨てる。地面で跳ね返った銃弾が砂地に転がった。

 漆黒のバレルを右手に持たせる。そしてそれを胸の上に置いた。



 <高みを行く者(ヒュペリオン)> やはり、これは彼にこそふさわしい。



 長い長い黙祷を終え、私は立ち上がる。空は榛から漆黒へと変わりつつある。太陽を失った世界に月が君臨し、星々がその周りを彩った。

 手にしていたクロノスをホルスターにおさめ、そしてもう一挺、クロノスによく似た白銀のリボルバーを見つめる。誰の血とも分からない鮮血がついたカイロスを、私はヒュペリオンをおさめていたホルスターにおさめた。

 そして歩き出す。もう日が暮れる。

 冷たく吹きつける風。脇に抱えた予言書が重い。私はただただ無言のまま、瓦礫にまみれたその場所を歩んでいく。かつて栄華を極めたと呼ばれるトゥアス帝国。ここでカタリナの運命は狂い、私の命も始まった。

 地上から空を見上げると、砂漠に散らばる砂くずのような星空だった。かつて赤子だった私は、この空を見たのだろうか。


「……サーシャ!!」


 ふと聞き覚えのある声に気づいて振り返ると、向こうから息を切らして走ってくる人影があった。私は肩をすくめてため息をつく。思っていたよりは軽傷のようだ。


「ああ、フレイさん。どこをフラフラしていたんですか」

「フラフラしてんのはテメーだっつの!」


 おそらく私を捜して帝国址を歩き回っていたのだろう。砂にまみれたローブからそれが窺えた。機嫌の悪いフレイさんは噛み付くようにまくしたてる。


「人が探しにきてみれば、その言い草!大体な、俺はお前の体を心配して……」

「ああ、予言書なら手に入れました。重いので持っていただけますか」

「俺は荷物持ちかっ!!」


 それでも胸の前につきつけると、フレイさんは嫌々ながらそれを受け取った。ふぅ、と息をついて、私は視線を砂の海に向ける。薄暗くなり始めた夜と、寂れた空虚な場所。

 グチグチと文句を続けるフレイさんを無視して、私は歩き出す。日が暮れる前に休む場所を見つけなければ。


「聞いてんのか、サーシャ!」

「いえ、全く。それより……」


 私は西の方角に視線を向ける。暗くなり始めた闇の中に、人が転がっている。見覚えのある服装。瓦礫の脇で風を避けるようにして倒れ込んでいるその姿に、私はため息をついた。


「……クリフさんが転がってますが」


 霞む目をこすり、その場へと駆け寄っていく。どうやら激しく動いている時以外は比較的、薬の効果は出にくいらしい。

 フレイさんがクリフさんを抱え起こす。私は立ったままその様子を見つめていた。


「おいっ、クリフ!!」


 辺りには円を描くように血溜まりが出来ていた。そして彼の足下から砂漠の奥へ、点々と血の跡が残っている。どうやら怪我をした場所からここまで這ってきたらしい。

 彼の出血は右腕からのようだった。引き裂かれた右腕から下は存在せず、右袖を破いて止血した後がある。自分で施した処置なのか、しっかりと血を止めることが出来ず、出血は続いているようだった。

 気を失っていたのか、クリフさんは顔を叩かれてやっと意識を取り戻したようだった。


「うっ……あ……さ、サーシャ、さん?」

「俺は無視かっ!!」


 いつもならば殴り掛かる手を握りしめ、フレイさんは怒りをこらえる。私は立ったままクリフさんを見下ろすと、その様子を見て苦笑した。


「大見栄を切りましたね」


 怪我は酷いが、しっかりとレイテルパラッシュも握りしめている。もはや柄まで赤く染まってしまった剣を受け取り、クリフさんに言う。


「背負いましょう。……フレイさん」

「俺がかっ!!」


 いつものように文句を言うが、フレイさんは渋々クリフさんを背負う。この怪我では歩くこともままならないと分かっているのだろう。それに……今回は随分と聞き分けが良い。

 私達はゆっくりと歩き出した。どうやら何処かで休むよりも医者にクリフさんを見せることの方が急務のようだ。

 昼間の砂風と違った、澄んだ風が通り過ぎていく。私は顔を上げた。澄んだ空気を肺に吸い込むと、冷たさが胸の中を襲ってきた。










 寝転んだまま見つめる空は暗く、いつの間にか日が傾き、夜が辺りを支配していた。月が真上に上り、そしてやがて朝がくるのだろう。

 一体どれだけ寝転んでいたのか。大きくため息をついて、抜け殻のような体で星を見つめた。そろそろ行かなきゃいけない。何処へかは分からない。それでも、おそらくずっと此処にいて何も変わらないということは……つまり、そうゆうこと。

 上半身を起こして髪についた砂を払い落とすと、冷たい風が首筋をくすぐっていった。こんな夜中に野宿をしていると子供の頃を思い出す。それでも誰かがいれば、まだマシだった。


「……フィオ」


 そういえば先ほどからフィオの姿が見えない。呆れて消えてしまったのか、それとも主として見限られたのか。契約をしている以上、そんなことはあり得ないと知りつつも、もしかしたらそうかもしれないな、と俺は嘆息した。


「……」


 無理に喚び出す必要もない。立ち上がると、まだ歩く力はありそうだった。ただ、変に肩が痛い。フレイとの戦いで変なところに力が入っていたのかもしれない。体のあちこちが悲鳴をあげているかのように痛かった。

 辺りを見回すと、崩れ落ちた廃墟ばかり。風化した土壁、崩れた石畳。人が住んでいた名残は僅かしかなく、誰の気配すらしない……。


「また一人、か……」


 今度は涙も出なかった。慣れてしまったと考えると悲しいが、それはそれで負担が少なくて楽なのかもしれない。

 また、ひとりぼっち。そう呟いたとき、ふと何かの気配が瓦礫の向こうから近づいてきた。顔を向けると、灰色の翼が現れる。美しい女性の姿に鳥の羽根を携えた蛉人がこちらに歩いてくる。


「フィオ」


 少し驚いて、俺はそう呟いた。フィオは静かに歩み寄ると、俺の前にひざまづく。


『……お嘆きですか、アイルーク』


 数年ぶりに聞くフィオの声だった。声も表情も変わりなく、あの港町で主人に殺されかけた、あの日と変わりなく。


『貴方を守る為に私は存在する……私の判断を、間違っていたと嘆いておられるのですか?』

「……」


 あの日も、フィオによって助けられた。自尊心のためだけに呼び出し、無理に契約を結ばせたこの俺を。お前は二度も守ろうとした。二度も信じたというのか。

 ただ、翼だけを望んでいた。鳥になりたかった。翼を得ることが出来れば、というただの子供の願いだった。


「……。……フィオ、お前にはかなわないよ」


 呟くようにそう言うと、フィオはただ首を傾げた。そして立ち上がると、北東の方向に翼を向ける。暗闇の奥に微かに揺れる光の粒。何列かに並んで横切っていくその姿は商隊のようだった。

 商隊がトゥアスの近くを通るのは珍しい。天の助け、ということにしておこうか。


「行こう、フィオ」


 俺はそう言って歩き出す。空に満月が君臨する夜だった。


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