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過去の予言書  作者: 由城 要
第6部 One Messiah Story
107/112

第3章 1


 違った道の上を歩いてきた。それは誰かが望んだ形ではなく、少年達自身が望んだ結果。何処かへ繋がるのか、道の途中で途切れてしまうのか。それは神にすら分からない。ただ確実なことは、それが人というものであり……それこそが旅と呼ぶべき、生命の摂理だということだ。





  - 宿望と天秤 -





「フィオ!」


 フィオがハッとしたように顔を上げる。その視線の先には、砂の中に転がった状態でもがくアイルークの姿があった。首には地面から突き出した木の根がしっかりと絡み付いている。その後ろにはヴァルナの姿があった。

 陽動と呼ぶには力任せな作戦だった。ヴァルナの召喚を解き、俺自身がアイルークに向かっていく。アイルークの意識はもちろん、フィオの集中も俺に向くはずだった。もちろん、そうなるという確かな理由が俺の中にあった。

 俺はヴァルナに目配せする。ヴァルナが手を挙げると、アイルークの首を絞めていた力が少し弱まったようだった。俺は後ろにいるフィオに問いかける。


「下手に動いたら……って言いたいところだが、動く気はねえよな?フィオ」

『……』


 フィオはしばらく沈黙し、何かを考えていたようだったが、やがてゆっくりと翼を降ろした。俺はやっと恐ろしい殺意から解放され、安堵のため息をつく。


「フィオ……」


 アイルークの視線から逃れるように、フィオはうつむいた。かつて蛉人の女王と呼ばれた精霊がこんな表情をするもんなのかと、俺は思う。いや、もしかしたらそうなのかもしれない。ジジイの願いの為に何年も待ち続ける蛉人がいるくらいだし、な……。

 フィオの力はたしかに強かった。真正面からぶつかって勝てるような相手じゃない。それでも、この状態に持ち込めば勝機があった。フィオはアイルークの身を最優先に考える。主を守る為に俺への攻撃を解いた瞬間、それに気づいた。

 魔術師と精霊の関係は契約でしかない。主を守るのは役目だが、役目以上のものではない。フィオにはそういった利害関係以上の何かを、アイルークに対して持っているのだろう。

 フィオはアイルークを人質に取られれば、動きをとれなくなる。それに全てを賭けるしかなかった。


「……ヴァルナ」


 離してやれ、と言うと、アイルークは信じられないといった表情で俺を見返してきた。ヴァルナが呆れたようにため息をつくと、木の根がゆっくりと砂風の中に消えていく。

 焼けるような太陽の下に、チリチリと乾いた砂が流されていった。獣が咆哮するような風の鳴き声が響き渡る。悲しくも残酷な、終わりを紡ぐように。


「……お前は確かに強ぇよ、アイルーク」


 俺は砂の中に倒れ込んだままのアイルークを見下ろした。ガキの頃と真逆の立場に、困惑を覚える。それでも、コイツが俺よりずっと優秀で、力のある魔術師だってことは変わらなかった。

 魔術師としての考え方も、魔力も……たしかに天才だなんだともてはやされるだけの実力があった。おそらくあの歳でフィオを召喚できたのもマグレなんかじゃない。貴族仕えになったのも、母親が手を回したからではない。

 ジジイが気に入ってたのも本心からだと思う。誰だって出来のいい孫は可愛いもんだろ?


「なんだよ……今更」


 アイルークは起き上がろうとはせず、ただ上を見つめていた。何処までも広がるアルジェンナ砂漠の空。ここの空は照りつける太陽を別にすれば、故郷の空によく似ている。

 高くて届かない場所に浮かぶ雲。広過ぎてめまいのしそうな、そんな青。ガキの頃は、遠くを飛ぶ自由な雲がうらやましかった。


「……いや……」


 俺は口を開き……そして大きく息を吐く。

 サーシャと出会って、予言書にアイルークが関わっていることを知ったあの瞬間から、溜まりに溜まっていたものは色々あった。いや、実際はもっと昔からかもしれない。腹の中に溜まってた羨み、怒り、悲しみ……。全てをぶちまけるつもりで、此処まできた。

 それでも、いざとなると感情は言葉にならず、不思議と俺は冷静だった。いつものように頭に血が上るだろうと、そう思っていたのに。


「……ああ、そういやもう一つ」


 ふと空を見上げると、一つだけ思い出したことがあった。高い雲間から、太陽がジリジリと肌を焼く。俺は上を見つめたまま自嘲した。

 口から出た言葉に、苦笑するしかなかった。


「……俺はお前になりたかったんだよ、アイルーク」


 笑うなら笑え。そう言ってアイルークを見ると、奴は少しだけ意外そうな顔をして……そして手で顔をおさえてクツクツと笑い始めた。肩を震わせて笑いながら、口を開く。

 馬鹿な奴、と。









 どうすれば愛されるのかと、そう思い続けた。爺さんの目を引いて、誰よりも優秀になることだけが、愛される道だと信じていた。けれど愛されたい人に愛されることが出来ず、目的はやがて消え去り、手段だけが残された。優秀であること、それだけが全てになっていたことに気づいた。

 フィオが俺のところに戻ってくる。少し、疲れた。満身創痍ではないのに、体が重く、ぐったりとして動く気になれない。目の前に立つフレイを見て、今なら確実に殺せるのにな、と心の中で呟いた。


「……で、本っ当に本物なんだろうな?」


 疑い深いフレイに俺はため息をついた。


「……ここまできて偽物でしたって?そんなオチじゃリリィのナイトが台無しだろ?」


 解毒剤の入った小瓶を疑いの視線で見つめながら、フレイは顔を顰めた。相変わらず分かりやすい奴だな。思ったことがはっきり顔に出てる。

 俺は肩をすくめた。


「……それより、さっさと行けよ。お前が行ったところで、流れ弾に当たって引き返すことになりそうだけど」

「馬鹿言うな」


 俺は視線だけを砂漠の向こうにやった。トゥアス帝国の廃墟には瓦礫が山のように積み重なっている。吹き付ける砂風の先に、2人はいる。ジェイロード・レヴィアスとサーシャ・レヴィアス。あの兄妹の戦いは、あの先で繰り広げられているはずだ。フレイもまた、同じ方向に視線を向ける。

 はっきり言ってしまえば、どちらが勝つかなんて分からない。ジェイロードの強さは誰よりも俺が一番よく知っている。とはいえ、相手は帝国の研究によって生み出されたルミナリィ。毒薬の力があるといっても、勝算は確実とは呼べない。


「……」


 どちらが勝つかは分からない。けれど、どちらかが勝つことで、どちらかの意志が途絶える。


「……。……ヴァルナ、行くぞ」


 フレイがそう言って歩き出した。その背中を見つめながら俺は溜息を漏らす。お前が行ったって勝敗は殆ど変わらないだろうさ。いや、既にもう終わっているかもしれないしな。

 顔を上げるとフィオがこちらを覗き込んでいる。その表情を見て、俺はふっと笑った。灰色の肌の向こうに、青空が透き通って見える。

 鳥が飛んでいく。自由な翼を持つ鳥は、何者にも縛られず……あの手に届かない青の中を泳いでいる。


「……なあ」


 俺は空を見つめたまま、フレイの背中を呼び止めた。振り返るフレイの顔を見て子供の頃を思い出す。いつも徒党を組んでいじめては泣かせていた頃の悪戯心が、胸の中に蘇った。

 フレイの方を向いて、口を開く。氷晶より冷たい言葉の一撃。



「殺してかないの?」



 訝しげに振り返ったフレイの表情が、固まった。

 俺はそれを見つめる。ケラケラと笑いながら。俺の笑い声だけが、砂漠の中に響いていく。呼応したように砂煙が巻き上がり、俺たちの間を通り過ぎる。

 フィオが何か言いたそうな表情をしていた。けれど俺はわざと視界から外してフレイを見る。次の一言を紡ぐのはフレイしかあり得なかった。

 このお人好しがどう困惑し、どう返答に迷い、どう狼狽するのか。ただそれだけが見たかった。


「なあ」


 もう一度、急かすように答えを求める。すると、フレイは口をむすんだ。そして、一瞬言葉にならない息を吐き出すと、次の瞬間



「ハッ……馬っ鹿じゃねえの」



 笑った。

 俺の目をはっきりと見返したその瞳には、怪訝の色も困惑の色もなかった。自嘲でも、嘲笑でもなく。ただ面白いことを言われたかのように、笑った。

 俺はただ呆然と、その顔を見ているしかなかった。息を吐いた途端に、何か全てが抜け落ちてしまいそうだった。

 きっと……これこそが、俺たちの勝敗を決めた瞬間だったんだろう。俺は、負けたんだ。


「……じゃあな」


 フレイの背中が去っていくのを、俺はただ見つめていた。瓦礫の中に姿が消えていく。気配が遠ざかっていくと、俺は体が重くなったような感覚に陥った。生きてきたこれまでの疲労感が全て押し寄せてきたかのような、そんな感覚だった。


「……」


 愕然とする俺を、ただ隣で見つめ続けるフィオ。ふと子供の頃の光景が脳裏をよぎる。同じような状況を見たことがある。十数年前のことだが、はっきりと覚えている。

 俺と同じように、フレイが倒れ込んでいた。徒党を組んでいた奴らがよってたかってフレイをいじめた後だった。あちこち泥にまみれた姿を見て、エメリナ様が走ってくる。


『……フレイ、大丈夫?』


 いつも苛められて泣きそうだったフレイは、エメリナ様の手を借りて立ち上がる。俺は少し離れたところからそれを見ていた。

 フレイは慌てて涙を拭く。腕で目尻に溜まった涙をこすると、顔に泥がついた。


『あらあら……』


 動物の鼻か何かのようだった。エメリナ様はそれを見て思わず笑う。すると不思議そうな顔をしていたフレイもまた、自分の鼻に泥がついていたことに気づき……そして、笑った。

 先ほどのフレイの顔と、少年時代のその笑顔がかぶる。そして、俺は気づいた。

 あの笑顔が欲しかった。俺もあんな風に笑ってみたかった。あの場所にいるのが自分だったらと、何度思ったことだろう。


「くそ……、畜生っ……」


 俺も……俺もお前になりたかったんだよ、フレイ。


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