◆ロク
俺には嗤うと笑うという感情しか残っていないようだった。ひたすら嗤って嗤ってわらってワラッタ。
まわりの騒音が煩わしい。村人達が何を話しているのか、そもそも今もそこにいるのかわからなかった。どうでもいい存在だった。
ちりーん……
風鈴の澄んだ音が聞こえる。それだけが鮮明に。統二郎が目に浮かんだ。
なんだよ、俺は生きてやるんだよ。勝手に話を進めてんじゃねぇ。
そう思った瞬間、力の入らないはずの体が動いた。驚愕と恐れの気配。ああ、まだいたんだ村人。頭の片隅で考えながら俺は走った。
草が足をなでる。木々が音を立て、昼間だというのにもう夕方のようだ。いや、もう夕方なのか、俺はいつの間にか村を抜け、いつもの山に入り、山道を掻き分けていた。
体に痛みは感じない。ただ、なにもかもが可笑しくて堪らない。
俺は生きるんだ。生き抜いてやるんだ。邪魔すんじゃねぇ。
そう思った瞬間、なにかに足が引っかかって体が崩れ落ちた。体当たりするように地に伏したはずなのに、痛みは感じない。ただ、体のあちこちが痺れるような感覚が走った。今度こそ体が動かなくなった。
風が頬をなでる。息が熱い。
誰もいない、追ってこない。けれど動かない、動けない俺の体。
自由の利く視線を動かすと地面は真っ赤に染まっていた。ああ、俺村人にやられたっけ。池でもできるんじゃないか、俺の血で。
くつくつと嗤った。それでも生きたい。生きたいんだよ。
不意に近くで何かが地面を踏みしめる音がした。見なくてもわかる、山ダタリとミツガシラだ。
『お前はなにを望む』
そんな声とも意志ともつかないものが頭に響く。さしずめ『聲』か。
けれど俺は声を出すことが億劫だった。
『願え、そうすればお前の血肉と引き換えに叶えよう』
なおも言う彼らその声が心なしか憐れみを含んでいたように思えた。けれどそれは朦朧とする頭で考えた妄想かも知れない。今度は視界すら定まらなくなった。
願い……。
俺は考えた。そんなものない。ただ俺は生きたかったんだ、何者にも追われることなく。例え最後に誰もいなくなっても。無様なまでに貪欲なほどに、生きたいんだ。じゃないと、俺は……。
風鈴の鳴る音が聞こえた気がした。
『――――引き受けた』
山神の眷属達が『聲』をそろえて言うのが聞こえた。それに答えるのもひどく面倒で、俺は思考を止めた。
そしてこちらに目を歪めて嘲りながら嗤う妖怪達が体に群がる。
徐々になくなる屠られる気持ち悪い感覚。
俺は、死にたくない。
意識が飛びながら思った。
けれど、もし、もし死んでしまうのなら……
どうせなら――
――スベテ狂ッテ仕舞エバ良インダ
「……な、み……な、おチ……しマエ……ば、い」
それが俺が俺として(・・・・・・)、最後に発した言葉だった。
そして意識を手放した。
* * *
ちりりと風鈴が鳴る。
生温かい風が吹き抜ける。
そこには書生の服に身を包んだ少年。
彼の目の前には風鈴のついたあばら家があった。それは主をなくして、ひどく寂しげに見えた。
するとそっとあばら家に彼は目を向けて細めた。
そして次の瞬間。
チリーン……
あばら家は大きな破壊音と共に土埃に包まれた。
その衝撃で風が吹き、少年の髪を撫でる。
するとそれまで前髪で隠れていた彼の顔が出てきた。
左目は青い炎のような蒼。
右目は獣のように鋭い光を放つ黄金。
それはかつて希平と呼ばれた少年であった。




