◆イチ
「触れるなっ」
「病がうつるぞっ」
「ここからとっとと出てけっ」
道を歩いていると、罵詈罵声が耳に突き刺さる。
村の奴らが遠巻きにこちらを睨み、避けて通おる。いつものことだ、もう慣れた。まだ今日は石を投げられないだけマシだ。
「……病じゃねーっつーの」
それでもこの言葉だけは言っておいた。この痣は病のせいではない。妖どもに生気を喰われた痕。
「……病の方がどんなにマシか」
そう吐き捨てた。
「……やっぱ山に行くしかないか。金ねぇし、あっても「病が」って取り合ってくれねぇし。大体不作で草しか食いもんねぇしな」
「まぁ陽気に笑っていろよ。陰気な雰囲気を醸し出していたら、今度は「鬼」とか呼ばれるぞ?」
そんな俺に笑いながら返す統二郎。その言葉にヤツを振り返った。
俺と違い、もう少しだけまともな服を着た統二郎。決して上等ではないけど、継ぎはぎのボロの服しか持ってない俺よりはマシだ。俺は家を出てから盗むか、マタギの仕事で獲った獲物を安い金で売ったものでしか買えない。買えるだけ、この時世恵まれている方だ。
「……」
不意にこちらを睨みつける男に目がとまった。
ああ、あいつもうすぐ死ぬな。
目が充血した男の肩に妖鬼が乗っかっていた。見たところ、大分彼はそいつに喰われていた。もはや手遅れだった。
俺は運がない奴と視線をすぐに外した。例えそのことを言ったとしても、誰も俺を信じちゃくれねぇし逆に俺が憑けたとかぬかすだろう。それにそれはこの男に限ったことじゃなかった。村の半分以上はなにかしらの妖や魔に侵されていた。命に関わるもの、そうでないものに限らず。
それを一々相手にしていたらキリがない。
「……あいつじきに死ぬな」
ぽつりと横から統二郎の声が聞こえた。見るとあいつはただ、前を見ていた。けれど俺と同じものを見たんだとわかった。
統二郎だけは、俺と同じ世界にいる、分かち合える存在――『正岡(正岡の力を持つ者)』だった。それだけが、救いだったんだ。妖を惹きつける力を持った俺を捨てた家族。仕方がないとは言え、俺は寂しかったんだ。けれど統二郎だけは、ずっとそばにいてくれた。あいつはすでに家族が死んでしまっていて、一人で暮らしていた。だから一緒に暮らした。兄弟とも俺の相棒とも言える奴だった。
「……頑張って今夜の飯獲ろうぜ。体力ないと、俺達もアレに付け込まれる」
「そうだな……山は奴ら(・・)が多いからあまり好かないんだけどな」
ため息をつくと統二郎は言った。それに俺はそうだなと返した。村にいても妖が多い。しかしさらに多いのが山だ。本当は近くにもっと安全な場所がある。けれどあそこは駄目だ。
「神社の裏山に本当は行きたいくらいだけど、神有地だからな。流石に」
「罰でも当たってこれ以上面倒事なんぞほしくないからな」
「もっとも、神がいたらの話だけどな」
「あそこの神主も適当だしな」
そうお互いに言い合いながら小さく笑った。
その時はまだ余裕があった。例えこんな世の中とは言えど、
まだあのおぞましい災厄からこの国は立ち直っていなかった。ここ数年まで続いた悪天候に異常気象、日照り、害虫がわき、作物の凶作。結果あちこちで大飢饉や疫病が流行し始めた。そしておびただしい数の餓死者が道に溢れ、この世は地獄と化した。
今ではなんとか天候は回復してきているものの、すぐになにもかも元通りになるわけじゃない。なにより水が得にくい。それはこの村にも言えたこと。俺らも例外じゃない。
加えて反比例するように妖や悪鬼、邪霊がはびこるようになった。見えない人でも精神的に侵される。俺らみたいな見える奴らなら尚更だ。自分の生活で手がいっぱいなんだ。狩りで生計を立てているとは言え、疫病が流行っていながらよく、俺らは生きてこられたと思う。
運がよかったとしか言いようがない。そんな時に偶然、統二郎が正岡の階級に入ることが出来たのは。統二郎は俺より妖を寄せる力――正岡の力が強かった。だから「波の家」とか言う階級に入っていた。それは本家以下の正岡の五つの階級の内の一つで、下から二番目を示す。その恩恵か、正岡の援助が少し受けられた。この情勢のせいか、食い物の援助や守りを付けられることはなかった。けれど服と妖や鬼に対処する方法をあいつは教わったんだ。それをどの正岡の階級にも入ってない俺は横流しに教わった。
破魔の文字、それも自分の血をものに書く。なるべく色がなく、模様のない紙が一番よいとされた――簡易の魔除け。
それが俺達の命綱だった。
「今日はどこに行こうか」
俺は立ち止まると、統二郎に聞いた。山の入口についたんだ。それに山を見上げ、なにかを探すようなあいつの目。俺より一応力が強いから、妖がいない場所を見ているんだ。それでも妖怪には毎回遭遇してしまったけど、しないよりマシでこれがいつもの習慣だった。
「ほんと、当主や本家の奴らはいいよなぁ。護衛がつくんだから命の保証はあるんだ……」
周りに気を張りながらぼやいていると、ポツリと統二郎が呟いた。
「……確かに、命の保証だけ(・・・・・・)はあるようだけどな」
「は?」
それに俺は振り返った。見ると、妙に神妙で青い顔の統二郎がいた。
「けれどそれも怪しい」
「なんだそれ」
「本家は、ならないほうがいい」
固い顔でそう言いきって黙り込むあいつを俺はわけがわらず見ていた。俺は正岡のことは知らない。一般人には、正岡家は中級貴族としか知り渡っていない。ただ、統二郎は、階級に入って正岡のことを知っていた。それを俺はあいつに情報を聞く程度の知識。
統二郎はそれ以上何も言わなかった。それがどういう意味か知ることが、どんなに残酷かあいつは知っていたんだろう。
「……今日はなるべく早めに切り上げるか」
俺は空を見上げた。
まだ朝の明るい日差しがさしていた。けれど、なぜか俺は少し空の向こうにある雲が不気味で気になった。
「そうだな」
はっとするとあいつは答えた。
その時、本当はすぐにでも帰ったらよかったのかもしれない。
けれど、こんな生活をしている俺達は、どちらにしても遅かれ早かれこうなっていたのかもしれない。
それでもあの時、先に進まなければよかったんだ。
こんなことになるくらいなら。
「ぐあああああああああああああああああああああああっっっ」
突然空気を裂くような絶叫が聞こえた。




