↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
古代文字を読む令嬢は、無愛想な近衛騎士に守られる  作者: 橙華
第四章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
67/103

66話 水が示す先

66話 水が示す先




しばらくして、エレノアは濃紺の外套の陰でゆっくりと涙を拭った。


何度か呼吸を整えてから顔を上げると、目元にはまだ赤みが残っていたものの、涙はもう止まっていた。


「……申し訳ありません。」


外套の前を両手で押さえたまま、小さく頭を下げる。


「皆様の前で、取り乱してしまって……。」


ガレスは静かに首を横へ振った。


「謝る必要はない。」


その声音には咎める響きなど少しもなく、ただ彼女の思いを受け止める温かさがあった。


リアナも柔らかく微笑む。


「当然の涙です。長い間、信じ続けてこられたことですもの。」


クラウディアも穏やかに続けた。


「恥じる必要などありません。」


「……ありがとうございます。」


エレノアは胸の奥へ染み込んでいく言葉を噛み締め、もう一度だけ頭を下げた。


オーウェンは何も言わなかった。いつものように場を和ませる冗談を口にすることもなく、ただ少し照れくさそうに視線を逸らしている。それもまた、彼なりの気遣いなのだと分かった。


シリルも何も言わず、エレノアの肩からずれかけていた外套を静かに掛け直すと、いつものように半歩前へ立った。


慰めの言葉を重ねることも、涙の理由を尋ねることもない。ただ彼女が再び前を向けるまで、変わらずそばにいる。それがシリルの優しさだった。





気持ちを落ち着けたエレノアは、改めて隠し部屋の中へ目を向けた。


黒い石と青みを帯びた金属で作られた水路装置。幾重にも組み合わされた輪。透明な管の中を絶えず巡る、澄み切った水。

そこから伸びる細い水路は壁の奥へ消え、どこまで続いているのか分からない。


父ローレンスが生涯に渡り存在を信じた、地下水路網の仕組みの一端が、確かに目の前にある。


その事実を胸へ刻むように、一つひとつを見つめていた時だった。


装置の手前にある黒い台座へ視線が止まる。


「……あれは。」


エレノアはゆっくりと近づいた。シリルもすぐ隣へつき、先に台座の周囲と床の継ぎ目を確かめる。 異変がないことを確認したあと、わずかに身体を引いて道を譲った。


台座の中央には、四角い窪みが刻まれていた。エレノアは触れないように注意しながら、その形を目で追う。


縦と横の長さ、厚み、わずかに斜めに削られた四つの角も、すべて見覚えがあった。


「石板と……同じです。」


ガレスが隣へ立ち、窪みを見下ろす。


「先ほどの石板を納めるための場所か。」


「おそらく。」


エレノアは慎重に頷いた。


「大きさも形も一致しています。」


ガレスは装置と台座を見比べる。


「碑文の流れから見ても、その可能性は高い。慎重に納めるぞ。」


「はい。」


返事をすると、第四の石板を抱えていたオーウェンが一歩前へ出た。その両腕の中にあるのは、信頼の試練を越えた先で授けられた黒い石板。


オーウェンが台座の前へ立つ。


「置きます。」


ゆっくりと腰を落とし、黒い石板を窪みへ近づけていく。


石と石が触れる寸前。石板は、見えない力に引かれたかのように、僅かにオーウェンの手を離れた。


「……っ!」


そのまま、ぴたりと窪みへ収まる。


――カチリ


小さな音が響いた。その直後、装置の内部から、低い水音が生まれた。


最初は、どこか遠くで水が流れ始めたような微かな音だった。


だが次第に近づき、部屋全体へ広がっていく。


「動きます。」


エレノアが息を呑む。


透明な管の内側へ、淡い蒼の光が灯った。だが、水の流れそのものが大きく変わったわけではない。


光は台座から装置の中心へ伝わり、幾重にも重なる輪を一つずつ通過していく。

一つ目の輪が、ゆっくりと半周する。続いて二つ目。三つ目。


それは装置そのものを本格的に起動させているというより、石板を認識し、どこか遠くへ送り出しているようにも見えた。


誰も声を発することなく、数千年もの時を越えてなお動く古代の装置を、ただ息を詰めて見つめていた。


「本当に……動いている。」


オーウェンが呟く。普段の彼らしからぬ、畏れを含んだ声だった。


エレノアも目を離すことができない。


父が論文の中で考察した装置。古代ヴァレシアの大地へ水を巡らせる巨大な仕組み、その一部なのかもしれない。


それが今自分たちの目の前で、確かに動いている。


装置の中心へ集まった蒼い光が一際強く輝いた。やがて光は一本の細い水路へ流れ込み、部屋の奥にある岩壁へ向かって走っていく。


壁の中へ、さらにその先へ。どこまでも遠くへ伸びていくように、光は吸い込まれていった。


「どこへ……。」


エレノアの呟きに答えられる者はいない。


知恵の祠の浮き彫りに残されていた装置と関係があるのか。何のための装置なのか。どこへ繋がっているのか。今の作動によって、何が動き始めたのか。

まだ、誰にも分からない。


蒼い光は数十秒ほど流れ続けた。やがて次第に弱まり、金属の輪も一つずつ速度を落としていく。


最後の輪が止まり、部屋には再び静かな水音だけが残った。


「……終わったのか?」


オーウェンが装置を見つめたまま尋ねる。


エレノアはゆっくりと首を横へ振った。


「分かりません。」


「起動したのか。」


ガレスが低く呟く。


「それとも、何らかの役目を終えたのか。」


「私にも判断できません。」


悔しさが、胸へ小さく刺さる。


古代文字を読むことはできる。父の論文と照らし合わせ、この装置が地下水路に関係するものだと推測することもできる。


けれど、それだけだ。


何のために作られ、どのような仕組みで動き、今何をしたのか。

そこまでは分からない。知識が足りない。古代文字が読めるというだけでは、まだ真実へ届かない。


だが、星鏡庭園で学んだ教えが胸に蘇る。知識は万能ではない。すべてを知らないことを認め、それでも学び続ける者に知恵は宿る。

分からないのなら、これから調べればいい。


エレノアは静かに息を整え、装置を見つめ直した。


ガレスもまた、軽率に結論を出すことはしなかった。


「未知の遺跡だ。これ以上、不用意に触れるべきではない。」


「はい。」


全員が頷いた。その時だった。


台座へ収まった黒い石板の表面に、淡い光が浮かび上がる。


「文字が……。」


すぐにシリルが先へ出て、台座に異変がないことを確認した。


「問題ない。」


「ありがとうございます。」


エレノアは石板の前へ立つ。黒い石板の表面へ、文字が一文字ずつ浮かび上がっていた。


最初は淡く。やがて蒼い光を帯び、はっきりと形を成していく。


エレノアは文字を追った。短い文章だった。けれど読み進めるほど、胸の奥に新たな緊張が広がっていく。


「ヴァレシア文字です。読めます。」


仲間たちの視線が集まる。


エレノアは、浮かび上がった言葉を静かに読み上げた。



「――『鍵は揃った』」


「――『在るべき処へ、還せ』」



声が消えると、石室へ深い静寂が落ちた。


水音だけが、言葉の余韻を運ぶように響いている。


「……それだけです。」


ガレスが石板を見つめる。


「説明はないのか。」


「はい。」


エレノアは首を横へ振った。


「何が“鍵”なのかも。」


石板へ視線を落とす。


「“在るべき処”が、どこを指しているのかも記されていません。」


「鍵は揃った……。」


クラウディアが静かに繰り返す。


「四枚の石板のことでしょうか。」


「可能性は高いと思います。」


エレノアは答えた。


第一の資格の石板、第二の知恵の石板、第三の勇気の石板、そして第四の信頼の石板。


四枚を集めることが“鍵を揃える”ことを意味するのなら、次に求められているのは、それらを“在るべき処”へ納めることなのだろう。


だが、その場所はどこなのか。


知恵の祠の壁画に描かれていた、四つの窪みを持つ円形の装置。その周囲には、大地を巡る水の流れが刻まれていた。そして先ほど、どこか遠くへ流れていった蒼い光。


これまで別々に見えていた手掛かりが、ようやく一本の線として繋がり始めている。


けれど、まだ答えには届かない。


淡く光っていた文字は、役目を終えたように一文字ずつ消えていった。最後の光が失われ、黒い石板は再び沈黙した。


ガレスはしばらく考え込んだあと、決断する。


「石板は回収する。王城へ戻り、これまでの資料と照合する。ここで推測を重ねるより、安全な場所で調べた方がいい。」


「私も、そう思います。」


オーウェンが台座の前へ進むと黒い石板の両脇へ手を添え、慎重に力を加えた。


初めは窪みへ固定されているような、わずかな抵抗があった。しかし少し持ち上げると。


 ――コトリ。


小さな音を立て、石板は静かに台座から離れた。


「外れました。」


その瞬間、全員が装置へ視線を向ける。


だが、変化は起きなかった。


蒼い光が戻ることも、止まった輪が再び動き始めることもない。水は変わらぬ速さで管を巡り、部屋には穏やかな音だけが響いていた。


「……持ち出しても問題はないようですね。」


エレノアが小さく呟く。


ガレスは頷いた。


「撤収する。」


疲労はすでに積み重なっている。遺跡の中で長く留まる理由はない。


「オーウェン。石板を頼む。」


「了解。」


オーウェンは石板を布で包み、両腕で大切に抱え直した。クラウディアとリアナが周囲を確認し、隊列を整える。


シリルはエレノアへ視線を向けた。


「歩けるか。」


「はい。」


まだ目元には少し熱が残っている。だが、足取りに不安はなかった。


「大丈夫です。」


シリルは数秒だけ彼女の顔を見つめ、それから短く頷いた。


「ああ。」


エレノアは部屋を出る直前に、もう一度だけ振り返った。


父が存在を信じた水路装置。今も静かに水を巡らせ続ける、古代ヴァレシアの遺産。


この発見を父へ伝えた時、どのような顔をするだろう。

きっと驚き、何度も話を聞き返し、そして、子どものように目を輝かせるのだろう。


エレノアの口元に、柔らかな笑みが浮かんだ。


必ず伝えよう。


父の研究は正しかったと。


その先に、まだ大きな謎が続いていることも。




一行が部屋を離れる。


やがて足音は遠ざかり、隠し部屋には静かな水音だけが残された。






誰も知らない。


彼らが第四の石板を、装置の窪みへ納めたその瞬間。


蒼い光は地下深くを走り、二千年ものあいだ閉ざされていた仕組みへ向かったことを。


その先では、四つの石板が還るべき場所が、彼らの訪れをしずかに待っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。