表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

中身だけは健全な会話__あなたの心の汚れ診断__

心の汚れ判定試験(第3題) 先端だけでは意味がありません

作者: リフェリア
掲載日:2026/04/13

 黒崎主任の説明は止められない。


 止めようとすると、だいたいもっと悪化する。


 その事実を、俺たち梱包発送課はこの二日で嫌というほど学んでいた。だから三日目の朝、作業台に細長い金属プローブと透明の保護スリーブが並んだ時点で、俺はもう半分諦めていた。


 主任はいつもの真面目な顔で言った。


「いいですか。保護スリーブは、先端だけでは意味がありません。根元まで被せてください」


 開始一秒だった。


 倉持がむせた。

 田所が無言で額を押さえた。

 俺は目を閉じた。


 そして、この場でいちばん危ない女が、静かに手を挙げた。


 篠宮ひより、二十三歳。仕事はできる。気も利く。愛想もいい。

 ただし、主任の説明が妙な方向に聞こえそうな時だけ、勘が鋭すぎる。


「主任、最初は先端だけで様子を見るのも駄目ですか?」


「駄目です」


 黒崎主任は即答した。


「先端だけ入っても保護になりません。根元まで被せて、初めて意味があります」


 倉持が後ろを向いた。

 田所が低い声で言う。


「今日も初手から強いな」


「強くはありません。標準作業です」


 主任はそう言って、金属プローブを一本持ち上げた。

 透明スリーブの口を軽く広げる。


「見ていてください。最初は少し緩いですが問題ありません。入れてから温めると締まります」


 倉持が崩れ落ちた。


「締まるのか」


「締まります」


 主任はきっぱり言った。


「温めると全体が縮むので、根元まできちんと入っていれば、きれいに締まります」


 篠宮が真顔でうなずく。


「主任、じゃあ最初は緩くてもいいんですね」


「はい。入れてから締めれば大丈夫です」


 もう駄目だ。


「では篠宮さん、やってみてください。片方を押さえて、もう片方をゆっくり被せます」


「はい」


「焦らなくていいです。途中で止めると、先だけ余って見た目が悪いので」


「先だけ余る」


「はい。根元まで入れてください」


 倉持が作業台に額を押しつけた。

 田所がぼそりとつぶやく。


「誰かもう主任の語彙を取り上げろ」


 篠宮は楽しそうにスリーブをつまみ、プローブの先に当てた。


「主任、これ、途中で引っかかります」


「無理に押し込まないでください。少し回すと入りやすくなります」


「回すんですか」


「はい。ゆっくりです。雑にやると傷がつきます」


 俺はもう静かに天井を見た。

 人は三日連続で理性を削られると、逆に落ち着くらしい。


「そうです。いいですね。そこで止めないで、もう少し」


「はい」


「まだです。根元まで」


「主任、これ以上いくと破れませんか?」


「大丈夫です。そのために温めて締めるので」


 倉持が死んだ。


 その時だった。

 梱包エリアの引き戸が開き、資材メーカーの営業がサンプル確認に入ってきた。


「お世話になってます。試作品の様子を——」


 そして、止まった。


 最悪の間で、主任が篠宮に言う。


「先端だけでは意味がありません。根元まで被せてください」


 営業の笑顔が止まった。


 篠宮は振り向きもせず、さらに聞く。


「主任、途中で引っかかるんですけど、このまま最後までいって大丈夫ですか?」


「大丈夫です。少し回せば入ります」


 営業の目が泳いだ。

 倉持がその場で膝をつき、田所が荷札を持ったまま俯いた。


 俺が口を開くより先に、営業の方が乾いた声で言った。


「も、申し訳ありません。差し込みが少し渋い感じでしょうか」


 さすが営業だった。仕事として拾おうとする根性だけはある。


 だが、主任も負けていなかった。


「先端だけなら入りやすいです」


 営業が固まった。


「ですが、それでは意味がないので、根元まで被せる必要があります。入れた後に温めると締まります」


「は、はい」


「ただ、途中で止めると先だけ余って見た目が悪いので、最後まで入れてから口を整えてください」


 沈黙。


 長い。

 致命的に長い。


 営業は俺を見た。

 俺は何も言えなかった。

 主任はさらに実物を掲げる。


「御社の製品自体は問題ありません。温めた後の締まりも良いです」


 営業の顔から営業スマイルが消えた。


 田所が小さくつぶやく。


「商品説明としてもだいぶ終わってるな」


 だが主任は止まらない。


「ただ、口の部分が少し広がりやすいので、最後に整えた方がきれいです」


 営業は二秒ほど無言になったあと、深く頭を下げた。


「貴重なご意見、ありがとうございます。社内で共有します」


 そう言って、ほとんど逃げるように引き戸の向こうへ消えた。


 戸が閉まるなり、倉持が爆発した。


「主任! 営業の人に“温めた後の締まりも良いです”は駄目だって!」


「なぜですか?」


「なぜって!」


「実際、締まりは良いですよね?」


 正しい。

 正しすぎる。

 だから余計に駄目だった。


 篠宮が目尻の涙を拭いながら言う。


「主任、うち、主任の説明ほんと分かりやすくて好きです」


「それは良かったです」


 田所が完成品をコンテナに並べながら、ぽつりと言った。


「一日目は奥まで入れて、二日目は濡れてて滑って、三日目は先端だけじゃ意味がない、か」


 少し間を置いて、鼻で笑う。


「ここまで来ると、被害者はうちの部署だけで済まんな」


 主任は真面目にうなずいた。


「品質管理は他部署との連携も大事ですからね」


 全員が一瞬だけ黙った。

 頼むから、もう何も言わないでくれ。そう思った、その直後だった。


 主任は次のプローブを手に取り、篠宮に差し出した。


「では次、これは少し太いので、最初に口を広げてから入れてみてください」


 作業場の空気が、また死んだ。


 篠宮が俺を見て、にっこり笑う。


「佐伯さん」


「何だ」


「今日も長い一日になりそうですね」


 まったくだ。


 梱包発送課の朝は早い。

 そして黒崎主任の説明は、今日も順調に、職場の理性を削っていた。

ご拝読ありがとうございました。


本作は、健全な中身と不健全な会話でお送りする短編コメディです。

今後もどこかの現場で、似たような言葉の事故が起こるかもしれません。


また次の判定試験でも、お付き合いいただけましたら嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ