6_たった1人の聴衆
昼の仕事が終わったあと、子どもたちは壁際に座り込んでいた。
誰も喋らない。
喋る体力がない。
ただ、息を整えている。
僕も同じように、膝を抱えていた。
指先に残る土の感触を、ぼんやりと擦り落としながら。
⸻
「なあ、リオ」
隣から、小さな声がした。
顔を向けると、ガルドがいた。
同い年。
痩せてはいるけど、目だけはやけにまっすぐなやつ。
昨日も、あの音を最後まで聞いていた。
「昨日のやつ」
ガルドが、少し身を乗り出す。
「歌、ちゃんと聴かせてくれよ」
思わず、顔をしかめた。
「……やだよ」
即答だった。
「歌じゃないし」
「声も出てないし」
「恥ずかしいし」
言いながら、自分でも分かっていた。
これは、逃げだ。
だが、ガルドは引かなかった。
「いいじゃん」
軽い調子で言う。
でも、その目は真剣だった。
「もう一回だけでいいから」
「頼むよ」
僕は視線を逸らした。
周りには、ぐったりしている子どもたち。
誰もこっちなんて見ていない。
それなのに。
なぜか、舞台に立たされているみたいな気分になる。
あの頃と同じだ。
誰も期待してないのに、勝手に緊張する。
「……やだって」
もう一度言う。
少し弱く。
⸻
間。
ガルドは、しばらく何も言わなかった。
それから、ぽつりと。
「昨日さ」
視線は前のまま。
「ちょっとだけ、楽だったんだよ」
心臓が、わずかに跳ねた。
「……は?」
思わず聞き返す。
ガルドは肩をすくめる。
「わかんないけどさ」
「腹も減ってるし、何も変わってないんだけど」
「でも、なんか……寝れた」
言葉を探すように、ゆっくり続ける。
「だから、もう一回聴きたい」
僕は黙った。言い返せなかった。
理由なんてないはずだ。
そんな効果があるわけがない。
ただの、かすれた音だ。
でも、断る理由も、消えていた。
「……一回だけだからな」
小さく言う。
ガルドの顔が、ぱっと明るくなる。
「おう」
短く返事をする。
それだけで、なんだか居心地が悪い。
僕は少しだけ姿勢を整えた。
無意識だった。
背筋を伸ばす。
呼吸を整える。
あの頃の癖。
「……ほんとに、たいしたもんじゃないからな」
念を押す。
「分かってるって」
ガルドは笑う。
その笑い方が、やけに真っ直ぐで——少しだけ、怖かった。
息を吸う。
浅い。
胸が痛い。でも、そのまま。
口を開く。
音が、こぼれる。
掠れている。
震えている。
それでも、繋ぐ。
最初の音で、分かった。
昨日より、少しだけ出ている。
ほんのわずか。
誤差みたいな差。
それでも、確かに。
途中で、息が切れる。
音が途切れる。
また吸って、繋ぐ。
不格好だ。
リズムも揺れている。
音程も怪しい。
それでも、やめなかった。
最後の音は、ほとんど出なかった。
空気みたいに消えた。
それで終わり。
⸻
しばらく、沈黙。
怖くて、ガルドの顔を見られない。
「……すげえな」
声がした。
思っていたより、近くで。
顔を上げる。
ガルドが、まっすぐこっちを見ていた。
「すごいやつだ、お前」
迷いがなかった。
冗談でも、気遣いでもない。
本気で言っている顔だった。
「……どこがだよ」
思わず、ぶっきらぼうに返す。
照れ隠しだった。
ガルドは少し考えて、それから言った。
「分かんねえけど」
正直だった。
「でも、なんか……ここが、ちょっと軽くなる」
自分の胸を、拳で叩く。
とん、と小さく。
言葉が出なかった。
ガルドは笑った。
弱々しいけど、ちゃんと笑っていた。
「また聴かせてくれよ」
僕は、視線を逸らした。
耳の奥が熱い。
「……気が向いたらな」
素っ気なく返す。
でも、指先は、無意識に動いていた。
さっきの旋律を、なぞるように。
ガルドは、それに気づかない。
ただ、隣で座っている。
何も持っていないのに、
誰かに分けようとするようなやつが。
⸻
その日。
ガルドは、自分の分の粥を、やっぱり少しだけ誰かに分けた。
そして。
昨日より、ほんの少しだけ、長く立っていた。




