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後方勤務だと思っていたら最前線でした ~書記官ですが大陸戦争の真ん中にいます~  作者: あいまいもこ


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3/7

3_五歳の僕と、知らない空

――音は、途中で途切れた。


ステージの照明がやけに眩しくて、譜面が滲んで見えたのを覚えている。

売れない音楽家。三十手前。小さなライブハウス。客は十人に満たなかった。


最後の一音を引き延ばそうとした瞬間、背後で悲鳴と、衝撃音。身体が宙に浮いて、世界が裏返り――そこで記憶は切れた。


 *


「……あ」


目を開けた瞬間、まず思ったのは、天井が高すぎる、ということだった。見慣れた染みだらけのワンルームではない。木の梁。白い布。知らない匂い。


身体が、やけに軽い。というより――短い。


小さな手。細い指。布の服。

起き上がろうとして、よろけて、転んだ。


「……え?」


床が近い。声が高い。

混乱したまま、壁に立てかけられた金属盆を覗き込む。


そこに映っていたのは、見覚えのない、幼い顔だった。


 *


それからしばらく、僕は泣いた。

子どもらしく、というより、状況が理解できなくて、呼吸がぐちゃぐちゃになって、勝手に涙が出た。


誰かが駆け寄ってきた。

知らない言葉。けれど、不思議と意味だけは頭に入ってくる。


「大丈夫よ」「転んだだけ」「ほら、神様に感謝して」


抱き起こされて、分かった。


ここは孤児院らしい。

僕は五歳。親はいない。名前も、ここで付けられたものしかない。


そしてこの世界には、知っている国も、言葉も、楽譜もなかった。


 *


決定的だったのは、その夜だった。


子どもたちが寝静まった後、天井を見つめていると、唐突に、音が戻ってきた。あのライブハウス。安物のスピーカー。走り書きの譜面。湿った拍手。


――ああ、僕は死んだのか。


そう思った瞬間、記憶が一気に繋がった。


売れなかったこと。

努力が足りなかったのか、才能がなかったのか分からなかったこと。それでも、音楽だけはやめなかったこと。


胸が、ぎゅっと縮んだ。


この身体には、あの頃みたいな肺も、指の力もない。

息を吸うだけで、少し苦しい。


運動なんて、ろくにしてこなかった。

楽器を演奏するために、無茶もしなかった。


……戦える気がしない。


でも。


布団の中で、小さな指を動かしてみる。覚えている運指を、何もない空中に描く。


音は出ない。

けれど、確かに、旋律はここにあった。


「……まだ、書けるな」


ぽつりと漏れた声は、ひどく幼くて、頼りなかった。


それでも思った。


剣が持てなくてもいい。強くなれなくてもいい。


少なくとも僕は、“覚えている”。


音を。

感情を。

人が何を残そうとするかを。


その夜、孤児院の天井の染みを眺めながら、僕は初めてこの世界で眠った。


――この先、戦争の記録を書くことになるとも知らずに。

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