3話:全てを手放すことにした
『彼女に何を言った!?』
彼は、私を怒鳴りつけた。
『キャロライン。きみは良かれと思ってやっているんだろうが、迷惑だ』
吐き捨てるように言った。
『もう俺にも、デライラにも関わらないでくれ』
あきらかな敵意を持って睨みつけた。
私は絶句した。
呆然とした私に、まだ言い足りないと思ったのだろう。ローガンが舌打ちした。
『頭の悪い女だな。こんなのが俺の婚約者だったとは思いたくない。今のきみは、醜い』
どうして、そこまで言われなければならないのか。
(私……私は、ただ、知りたくて)
あの夜、何があったのか。
本当に、ローガンは私を裏切ったのか。
だけど、王女殿下を庇うローガンの姿を見て、ようやく私は気が付いた。
ローガンは彼女に惹かれている。
きっかけはどうあれ──今の彼は、王女殿下を愛している。
それが分かったから、
最後通牒を突きつけて欲しくて。
忘れられない、想いの欠片すら粉々にしてほしくて。
私は涙ぐみながらローガンに尋ねた。
『王女殿下を……愛しているの?』
その言葉に、王女殿下が息を呑む。
しかしローガンはうろたえた様子はなく、冷たく私を見ただけだった。
『それがきみに、何の関係がある?』
『あなたは嵌められたのだと思ったわ。もしかして、それも違うの?』
『だから!いい加減にしてくれないか。いつまで昔のことを引きずっているんだ、きみは!俺はきみのような女が心底嫌いだ!』
『──』
ひゅ、と息を呑んだ。
凍りついた心が、粉々に砕けてしまいそうだった。
王女殿下も、驚いたように見ている。
もしかしたら彼女の前ではそんな物言いをしないのかもしれない。
私だって、ローガンに罵倒されるのは初めてのことだ。
それくらい、嫌われてしまったのだと知った。
『今だって、彼女に何を言おうとしていた!?俺は、自分の元婚約者が口汚く喚く姿など見たくない。鬱陶しいんだよ、いい加減。どうしてそれが分からない!?』
『…………』
もはや、何をいえばいいかわからなかった。
うなだれた私を見て、哀れに思ったのか王女殿下の声が小さく聞こえてきた。
『ローガン、言い過ぎよ』
『きみはどうして怒らない?それにも腹が立つ!!キャロライン。もう俺に話しかけるのはやめてくれ。過去は過去だ。きみとの婚約は間違いだった。そもそもあれだって、俺の意思じゃない!!』
最後に『分かったら、立ち去れ』と言われ、私は涙を堪えながら踵を返した。
だけど、すぐ先の回廊まで行ったところで、気がついたのだ。
お母様の形見の指輪がない──。
落としたとしたら、きっと先程の場所。
まだ、王女殿下とローガンはいるだろうか。いたとしたら、何を言われるのだろう。
ローガンと婚約破棄をしてから半年。
本当なら、もう結婚していた。
どうしてこうなってしまったんだろう。
好きな人と結婚する日を夢見ていただけなのに。
どうして、こんなことに……。
こんなふうに、罵られてしまうことになったのだろう。
感情はぐちゃぐちゃだった。
この半年、ローガンの冤罪を晴らすことに奔走していたのもあって、今の私は抜け殻だ。
重い足を引き摺って、先程の場所に戻る。
その途中に指輪が落ちていないか確認したけど、なかった。
やはり、落としたのはあの場所なのだろう……。
気が重い。
そうして、足を引きずるようにして向かうと、そこにはまだふたりの姿があった。
見ていたくない。
それに、戻ってきたことに気付かれたら何を言われるかもわからない。
そう思った私が、身を隠して周囲に視線を向けると、視界の端に煌めくものが見えた。母の形見だ。
足音を立てないように、ゆっくり歩く。
柱があって、彼らからは死角になっているからか、ふたりは気が付かなかった。
声が、微かに聞こえてくる。
『ねえ、いいの?あんなふうに言ってしまって』
『それをきみが言うの。呆れたひとだね』
『でも……。キャロラインは、あなたが好きなのよ。あなたを愛していたんだわ』
『それが?全てをぶち壊したきみが、言えるセリフではないよね』
『それでも……。あれは、可哀想だわ』
哀れに、思われている。
私の婚約者を奪った女に。
悔しくて悔しくて、涙が滲んだ。
指輪を拾うために床についた手を、強く握りしめた。
王女殿下の言葉に、ローガンは何を思ったのだろう。
僅かな間の後、彼が言った。
『きみが好きだよ、デライラ』
『……!』
王女殿下の息を呑む声。
それと、衣擦れの音が続いた。
『やめて……ここは廊下なのよ。誰か来たら……』
『誰も来ないし、見せつけてやればいい』
『……キャロライン、に?』
私の名前が出てきたことに、心臓が掴まれた。
酷く、自分の心臓の音がうるさかった。
衣擦れの音、リップ音、女の声……。
それが何を意味するか分からないほど、私は初心ではなかった。
ローガンは、王女殿下を──。
さっきの、今で。人が来るかもしれない、城の回廊で……。
婚約者同士だ。
節度がないと苦言を呈されるかもしれないが、いずれ結婚するのだから、問題は無い。
私は……本当なら、ローガンと結婚する予定だった。
今の時期ならもう、彼と夫婦になっているはずだった。
母の指輪を何とか掴み取ると、私は脇目も振らずその場を去った。
心が痛くて、辛くて、悲しくて、どうしようもなかった。
その日、私の心は完全に折れた。
もう、何のために生きていけばいいかわからない──というほど、絶望した、夜。
私は、前世の記憶を思い出したのだった。
☆
そして今。
一夜明けて、カエルのような瞼になりながらも、私はメイドのミーシャにお湯を持ってきてもらっていた。
もちろん、ホットタオルを瞼に当てるためだ。
「お嬢様、一体何があったのですか?」
心配そうに私を見るミーシャに、苦笑した。何でもないことを示すために、手を軽く振る。
「何でもないわ。ただ、気持ちの区切りがついたの」
「昨日は……登城されていらっしゃいましたよね?まさか、王太子殿下と何か……?」
「何も無いし、そもそも王太子殿下とは会ってすらいないわよ」
私の、次の婚約相手は王太子殿下だった。
父は乗り気で、これを逃すつもりはないらしい。このままいけば、十中八九、私は彼と婚約することになる。
(……そんなの、絶対に嫌)
王太子なら、そのうち側妃だの、愛人だの持つに決まっている。
今の陛下がいい例だ。
王妃陛下は、愛人の陰湿な嫌がらせに心を病んで、病死してしまった──ということになっているが、自死であることは社交界の誰もが知っている事実だ。
湖に、身投げしたらしい。
もう、恋だの愛だの、憎悪だの、懲り懲りだ。
感情に振り回される日々は酷く疲れるし、虚しいし、何も私に残さない。
だから、私は全てを手放すことにした。




