2話:光を夢見て
ローガン、つまりローゼンハイム側の有責により、婚約は破棄された。
(……だけど、彼は被害者だわ)
こんな仕組まれた婚約破棄など認められない。認めてはいけないと思った。
私は度々、婚約を考え直すよう彼に迫った。
だけど、ローガンの返答はいつも同じ。
『もう決まったことだ』
苦しそうに彼はそう言った。
その表情からも、やはり彼は王女殿下との婚約を望んでいないのだと知った。
(私が、助けなきゃ。ローガンは苦しんでる……)
私はローガンと王女殿下の婚約を解消できないものか、方々に手を尽くした。
だけどやはり、一度まとまってしまった婚約を破談にするのは難しい。
だけど、ローガンが告発するならどうだろうか。あれは仕組まれたことだった、と訴えれば、希望はあるはずだ。
本当にローガンが手を出していないのなら、王女殿下は純潔のはず。当然だ。
ローガンが訴えて、調査がされれば真実は明るみになるはず。
それなのに、ローガンは自身の潔白を訴えでることはしなかった。
彼は、自分がそうした時、王女殿下がどんな目に遭うのか考えたのかもしれない。
自身の無罪を訴えることは、あの騒ぎが王女殿下の自作自演であることを意味する。
それは、王女殿下にとっては恥以外のなにものでもないだろう。
裁判になり、王女殿下の純潔が問われるようになれば、尚更。
純潔を確認するとは、すなわち処女検査である。
処女検査を受けることは、大変な不名誉だ。
貴族令嬢でも立ち直れないほどだというのに、王女殿下ならさらに、辛い立場になるだう。
それに、王族との裁判は泥沼になる可能性が高い。
陛下も体裁があるから、王女殿下の非を認めようとはしないだろう。
ローガンは、ローゼンハイムに迷惑をかけることを危惧し、訴えることを断念したのかもしれなかった。
(……結局、ローガンは優しいから、自分が泥を被ることにしたんだわ)
──過去の私は、愚かにもそう思っていた。
だけど、違ったのだ。
後からわかったことだけど、ローガンと王女殿下には昔から親交があったらしい。
つまり、ローガンは特別な感情を持って、王女殿下との婚約を結んだのだ。
あの事件に、ローガンも共謀していたとは思わない。
彼はそこまで器用ではないし、ローゼンハイムの名を、いたずらに貶めることを彼がするはずがない。
だから、あの夜の事件においては彼は被害者だと思う。
しかし、それ以降、彼がどんな思いで王女殿下と接していたのかまでは分からない。
『ローガン。まだ間に合うわ。あの夜、あなたは騙されたんでしょう?お願いだから、そう言って』
そう思いたいからと必死になっていた自覚はある。
だけど、そうだ、と言って欲しかった。
私を裏切ったわけではないと、証明して欲しかった。
だって、私はローガンが好きだったのだ。
好きだから、結婚を夢見た。
こんな形で取り上げられるなんて、あまりにも酷い。
……あと半年。あと半年で、私たちは結婚し、夫婦になっていたというのに……。
必死に言い募る私に、しかしローガンは何も答えなかった。
社交界において、王女殿下の名誉は暴落した。
その身体を使って篭絡する、母譲りのふしだらな娘だと言われた。
『ローガン。何とか言って……。あなたは本当に、王女殿下を愛しているの?』
私が泣きそうになりながら言うと、ローガンは首を横に振った。
『俺ときみはもう、婚約者ではない。俺には婚約者がいる。あまり話しかけないでくれ』
最初、何を言われたのか分からなかった。
だけど言葉の意味を理解して、頭が真っ白になった。
諦められなかった。認めたくなかった。
実は、ローガンが王女殿下を愛しているとは……絶対に、思いたくなかった。
(それなら、私はどうなるの?)
ただ、ローガンが好きだった。
あんな事件が起きて、婚約は破棄された。
為す術もなく、奪われた。
夢を、希望を、好きな人を。
(私の気持ちの行き場は、どこにあるの……?)
ふたりの仲は傍から見ても、とても悪かった。
王女殿下はいつもビクビクしているし、ローガンは全く彼女を見ない。
時折、侮蔑を込めた目で王女殿下を見ていたから、噂は真実だったのだろう。
……だけど少しづつ、ローガンの心は変わっていったようだった。
あの日──そう、私が記憶を取り戻すきっかけとなった、あの日。
私は、城の回廊で王女殿下を見かけた。
だから、彼女に尋ねたのだ。
あの夜、本当は何があったのか、と。
王女殿下はいつもビクビクしている。生まれのせいで陰口を叩かれることが多いからか、生来の気質なのかは分からないけど、まるで私が苛めているように思えて、気が滅入る。
『ご、ごめんなさい……』
顔面蒼白になった彼女は、それだけ言った。
それ以外、言葉にならないようだった。
突然、謝られても。
呆れた私の背に、声が掛けられた。
『デライラ!』
駆けつけたのは、ローガンだった。
呼んだのは、王女殿下の名前。
いつから、名前で呼ぶようになったのだろう。
そしてなぜ、彼は今、王女殿下を背に庇ってあるのだろう。
婚約者が、元婚約者に虐げられているとでも思ったの?
ローガンは、あきらかな敵意を持って私を睨みつけてきた。
(どうして、そんな目で見るの……?)
その時の、私の気持ちは──そうね。
どう言い表したらいいのかしら。
胸を引き裂かれたような、絶望だった。
裏切られたと思った。
信じていたのに、と思った。
結局、私はローガンへの気持ちを捨てられずに、ひとり足踏みをしていただけなのだろう。
だから、過去を過去にできずにいた。
ローガンは、前を向いて、歩き始めていたというのに。
過去に囚われていたのは、私ひとり。