5話:夜の王城
「……私は、博打が嫌いなんです。慎重すぎるくらい、機を狙う質でして」
リュンガー伯爵は、まつ毛を伏せた。
話しすぎた、と思ったのだろう。
彼は話をまとめるように本題に入った。
「つまり、何が言いたいかというと、根回しは私がやります」
「根回し、ですか?」
「あなたの取引内容を呑ませたとして、足元がしっかりしていなければ、国そのものの存続が危うくなる。……こう見えて、十三年間、準備だけはしてきました。私に、あなたに協力させてください」
「リュンガー伯爵……」
私は、少し考えた。
リュンガー伯爵と陛下の関係性は、不明だ。
だけど、何かしらの確執があるのは間違いないだろう。
「お聞きしたいことがあります。良いでしょうか?」
尋ねると、彼は頷いて答えた。
「私に答えられることなら」
「ありがとうございます。……では、まず一つ目。あなたは私の魔力封じを壊してくださいましたが、聖職者の方なら誰でも可能なことなのですか?」
ずっと気になっていたことだ。
(リュンガー伯爵はあっさり魔力封じを壊したけど……聖職者なら誰でも可能なのことなのかしら)
可能だったとしても、魔力封じを作成、管理しているのは教会とのことだ。
頼んでも、そこに勤める聖職者は決して外してくれないだろう。それどころか、そんなことをした日には、陛下に報告されてしまうだろう。私の疑問その1は、答えられるものだったのだろう。
彼は首を傾げて答えた。さらりと、アイボリー色の髪が揺れる。
「全員、というわけではないですが……。回復魔法が使えて、かつ、魔封じの仕組みを理解している人間なら、可能です」
「魔封じの仕組みを……?」
私はふと、黄金色のブレスレットを思い出した。
魔法が掛けられているのはわかったけれど、その魔法式は独特で、少なくともこの国のものではない。
リュンガー伯爵は、その構成を知っているというのだろうか。
私の質問に、彼は肩を竦めて答えた。
「これは回復魔法においても言えることですが、魔法を行使する際、大切なのはその中身を意識することです。詠唱自体に、特別な効果があるわけではない」
「まあ……」
元聖職者の言葉とは思えないセリフだ。
彼は、聖句に意味などないといったようなものである。
思わず驚きの声をこぼすと、リュンガー伯爵が私を見た。
「あなたも魔法を使う際、詠唱自体より、魔力を意識するでしょう。それと同じです」
「……つまり、詠唱自体に意味はなくて、他の文句でも回復魔法は使える、ということですか?」
言葉通りの意味ならそうなる。
魔法使いは、複雑な詠唱を必要としない。言葉を介さずとも、精霊と意思疎通が可能だからだ。
思ったことをそのまま具現化出来るので、詠唱は号令、あるいは合図でしかない。
極端な話「おはよう!」とか「こんばんは!」でも魔法を使うことは可能なのだ。
私の言葉に、リュンガー伯爵は頷いて答えた。
「そうですね。あまり大声では言えませんが、『おはようございます』という挨拶や、『眠いです』という言葉でも行使可能です。流石に、元聖職者としてそんな真似は出来ませんし、しませんが」
(可能なのね……!?)
ちょっと、いやかなり驚いた。
あと、リュンガー伯爵の言葉のチョイスにも驚いた。
なんと言うか、意外性を感じて。
「おはようございます」はともかく、「眠いです」とは。
(この人、もしかして眠いのかしら……?)
すぐに「眠いです」という言葉がついて出るあたり、慢性的に睡眠不足そうである。
意識してみれば、彼の薄緑の瞳のすぐ下に、薄くクマができている。
隠している様子だし、何より彼の左目下の連なった二連のホクロに目がいって気づきにくいが──じっと見れば分かる。
この人、睡眠不足だ、と。
回復魔法は自分にかけた方がいいんじゃないかしら……。
そこまで考えた私は、ふと、先程の彼の言葉を思い返した。
つまり、
『おはようございます!』
と言いながら回復魔法を使う聖職者の姿を想像したのだ。
(う、う~~~~ん)
かなりシュールだわ!
やっぱり聖句はあった方がいい。
そんなことを思っていると、リュンガー伯爵が首を傾げて尋ねてきた。
「他に、気になることは?」
「……以前、あなたは魔障壁に必要以上の魔力が充填されていると言いました。それは、真実ですか?」
今朝、話を聞いた時はローガンの処刑宣告の方が衝撃的で、聞けずじまいだった。
私が尋ねると、リュンガー伯爵はまつ毛を伏せ、答えた。
「……真実です。前代の魔法使いが亡くなってから、前国王は随分苦労したと聞きます。それを教訓に、陛下は念の為必要以上の魔力を貯めています」
「──」
息を呑んだ。
それは、つまり。
(慢性的に体調が悪かったのも……)
手首が脈立つような感覚があったのも。
必要以上に、魔力を吸い上げられていたからなのだ。
生存に足る、ギリギリのラインを攻めていたのかもしれない。
絶句した私が次に思ったのは
『どうして言ってくれなかったのだろう』
ということだった。
説明してくれていたなら、納得していただろう。
納得できなかったとしても、許容していたかもしれなかった。
それなのに、陛下は言わなかった。
黙っていたのだ。
(拒否される可能性を潰したかった?)
私の知る陛下という人は、いつもニコニコしていて、朗らかな人だ。
気さくで、話しやすい人柄だと思った。
たからこそ、リュンガー伯爵の話は、私に強い衝撃を与えた。
何を信じればいいのか分からなかった。
今まで私の見てきたものは、感じていたことは、全て嘘だったのだろうか。
目を強く瞑った。
全ての答え合わせは、陛下と……彼に会った時に、すればいい。
そこに、真実がある。
それから、私はふたたび目を開けるとリュンガー伯爵に尋ねた。
「最後に、聞かせてください。先程リュンガー伯爵が言った根回し……についてですが、詳しくお話を聞かせていただけますか」
それはつまり、彼の案に乗る、という意味だった。
私の言葉に、リュンガー伯爵が頷いて答えた。
「もちろんです。……まず、あなたにお見せしたいものがあります」
彼は席を立って、執務室に何か取りに行くと、何十枚もの書類を手に持って戻ってきた。
それをテーブルに置いて、彼は言う。
「こちらを、ご覧いただけますか」
そうして、着々と準備は整った。
ローガンの処刑日は、宣言から一週間後。
ギリギリまでリュンガー伯爵と計画を練った私は、処刑前日、王城に忍び込んだ。
魔力封じは既に無い。
そのため、今まで制限されていた高難易度魔法──つまり、移転魔法を使えるようになった。
それを使って、私は夜の王城に入り込んだのである。




