2話:選択の時
朝食の後、私は中庭に出た。
出された料理を残すのは申し訳なかったので、あの後何とか胃に詰め込んだのだが、全く味が分からなかった。
(苦しい……)
お腹に手を当てて思う。
先程の話を聞いたために、胃も重たく感じていた。
決して、朝食の食べ合わせが悪かったためではない。
中庭では、グレースが微睡んでいた。
ライオンの姿だった。彼女は私に気がつくと、「ヴァオッ」と鳴いた。
猫で言う「にゃん!」のようなものだと思っている。
つまりこれは、挨拶。
昨日までの私なら
『可愛いわねぇ~~!!』
と文字通り猫可愛がりしていただろう。
だけどさすがに今は、そんなに呑気にしていられなかった。
「こんにちは、グレース。お昼寝?」
「ヴォオ……」
これも威嚇ではない。
威嚇ではない……はず。
少し自信がなくなってくるが、いえ、グレースの目に敵意はないもの!
唸るような声でもなかったし。
私は自分に言い聞かせるようにしながら、彼女の背に体を預けた。
グレースが、ぺろ、と私の頬を舐めた。
「っ……!!」
ザラザラしてる!ザラザラしてる!!
(大事なことなので二回)
やっぱり猫科……!!
思わず、歓喜に頬を抑えそうになった。
いけない、過剰に反応すると動物に嫌われてしまう。
以前──前世、友人に指摘されたことだった。
『あまり構いすぎると、猫に嫌われるわよ』
そういう彼女は、猫に好かれていた。
クールな友人だった。
そのまま、私はグレースにもたれた。
ふわふわしていて、ポカポカしていて、とても暖かい。
(まるで、ひだまりだわ……)
例えるなら、芝生の上で日向ぼっこでもしているかのような、幸福感……。
今の私は間違いなく幸福度が高い。
目を閉じてしばらく考え込んでいたが、すぐにぱちりと目を開けた。
そして、自問自答するように呟いた。
「やっぱり私、このままじゃいけないと思うの」
このままだと、ローガンは殺されることだろう。
それは止めたいと思うし、無実の罪で処刑なんて、あってはならないことだ。
「ヴオオ……」
相槌を打つようにグレースが答えた。
(可愛い……)
癒される。
ふさふさの毛を後頭部に感じながら、私は首を傾げた。
視線を向ければ、グレースは私を見ていた。
まだ、ライオンに触れることには慣れない。
グレースを見る度に『ラ、ライオン!!』と衝撃を覚えてしまう。
それくらい、人間はライオンに馴染みがない。
「でもねぇ?──じゃない」
「ヴヴ……」
「だからね、私思うのよ。──で、──って」
「ヴー……」
……と、私はこんな風にグレースに相談(という名の、一方的な会話)をし、答えを決めた。
「ええ、ありがとう。グレース。とても頼りになったわ!心強かった」
何より、背中に感じる逞しい筋肉と、それに覆われた毛皮。
それに、ポカポカとした体温が私を励ました。
笑みを向けると、心做しかグレースも喜んでくれているようだった。とてもラブリーだ。
猫もとっても可愛いけど、ライオンも可愛い。
(……やっぱり猫科は最強だわ!!)
もちろん犬も可愛いのだけど。
狼も可愛いと思う。
そんなことを考えながら、私はベランダから室内に戻った。最後にちらりと見ると、グレースはふたたび目を閉じて、日向ぼっこに戻っていた。
しかし、耳はこっちを向いていた。
部屋に戻って、執事長のジェラルドに尋ねる。
「伯爵は今どちらにいらっしゃいますか?」
「旦那様でしたら、執務室に」
「ありがとう。では、時間がある時にお話がしたいと、お伝えいただけますか?都合は伯爵に合わせます」
伝言をお願いして、私は自室に向かう。
そして、宛てがわれた部屋に戻ると、スツールに腰を下ろした。
手に持つのは、かぎ針と刺繍糸だ。
昨日、ふたたびリュンガー伯爵に頼まれたのだった。
今度は、刺繍糸を使った手編みコースターを作って欲しい、と。
昨日、孤児院から帰ってすぐのことだ。
子供たちが喜ぶからと、リュンガー伯爵に手編みコースターを頼まれたのだった。
刺繍は高価なものなので、子供たちにはあまり馴染みがない。
そのため、彼らに贈ってあげたいとリュンガー伯爵は言った。
(……そんなふうに言われたら、俄然やる気が出るって言うものよね!!)
何より、昨日のリディアの反応。
あんなに、刺繍を喜ばれたのは人生で初めてだ。
私の刺繍は可もなく不可もなくと言った出来だけど、喜んでくれる人がいるなら──
昨日会って、一緒に遊んだ子供たちの顔を思い出す。
彼らの顔を思い出しながら、私はゆっくりとかぎ針を動かした。
これも、夏の庭園会では、刺繍入りのハンカチと同じくらい、出す人間が多い。
私も、他の令嬢同様今まで練習してきた。
(まあ!手編みコースターよりハンカチに指す方がまだ出来が良いかしら?という具合だったから、ハンカチを出展したんだけどね……!!ほぼ誤差のようなものだけど!)
でも、ハンカチに刺すのと同じくらい、練習してきた。
そのため、こちらも手が動きを覚えている。
既に、心の整理は終わっている。
選択さえしてしまえば、後はそのためにどう動くか……つまり、作戦会議だ。
そして、匿ってもらっている立場上、私一人独断で動く訳にはいかない。
昼過ぎになると、ジェラルドが私を呼びに来た。
「旦那様がお待ちです」
彼の案内で執務室に向かうと、リュンガー伯爵が顔を上げた。
「こんにちは、レディ・キャロライン」
「こんにちは、リュンガー伯爵」
彼はいつも、顔を合わせるとまず挨拶をする。聖職者だった時の名残りだろうか。
(あるいは、彼本来の癖かしら?)
そんなことを考えながら、私は単刀直入に本題に入った。
「今朝の件ですが、私は陛下に会ってこようと思います」
宣言に近い私の発言に、リュンガー伯爵は目を見開いた。




