5話:刺繍
部屋に戻った私は、ソファに座って瞑想──ではなく、今後のことを考えていた。
いつまでも、こうしていられない。
なぜなら──
(今の私は、あれだわ)
…………ヒモ!!
またの名を、養われるだけのニート!!
キルシュネライトの邸を出る時、私名義の資産をいくらか持ち出した。
だけどそれもほんの僅かだ。
大金は物理的に重いし何より怪しまれる。
そのため、平民換算で約一ヶ月分の家賃と、食費ぐらいしか用意していない。
伯爵邸に来てから三日が経過する。
その間にかかった金額だけで、私の手持ち金額をあっさり上回るだろう。
手持ち金額を全て差し出しても賄えない額であることは、想像に容易い。
(それに、いつまでもここに置いてもらうわけにはいかないわ)
ほとぼりが冷めるまで、という話だったが、それって具体的にいつまで!?という疑問が翌日には生まれた。
(このままでは、タダ飯食らいのお荷物と化してしまう……!!)
このままじゃまずい。
なにか私にもできること──といえば。
私の特技といえば、ひとつしかない。
私は、リュンガー伯爵に申し出た。
「働きたい、ですか?」
執務室でなにやら書類仕事をしていたらしい彼が、目を丸くする。
ちなみに、この邸に勤める使用人はみな、リュンガー伯爵と付き合いが古いらしい。
キャロラインの滞在を外に漏らすことはしないと、彼はそう言った。
私は、執務机の前に立つとリュンガー伯爵の言葉に頷いて答える。
「ええ。置いてもらうだけなんて、心苦しいですもの」
「ですが──」
「リュンガー伯爵。あなたの気遣いは嬉しく思います。ですが、対価に何かを差し出さないと、私はあなたからただ、施しを受けていることになります」
言外に、矜恃の問題だと言えば、彼は歯切れ悪く言った。
「では……あなたの健やかな顔を見ることが、私への対価、というのはどうでしょう?」
「はい?」
「すみません。変なことを言いました」
本当に変なことである。
彼もそう思ったようですぐに訂正した。
「分かりました。では、私の方で何か考えておきます」
「負担をかけるようで心苦しいですが……魔法関連なら、何でも!お任せください。私ほど使い勝手のいい魔法使いはいませんわ。魔法使いの名に恥じない働きをお見せします!!」
私は力こぶを作るように拳を握ってみせた。
何せ、私の取り柄と言ったら魔力の高さである。
忌々しいブレスレットがなくなった今、私はものすごく体の調子が良かった。
常日頃から付き纏う倦怠感がなければ、貧血にもならない。頭痛もない。
(……最高だわ!)
人生で初めてと言っても過言ではないほど、快調だ。
『今が売り時!!』と言わんばかりに私は言った。
やる気に満ち溢れる新入社員のごとく、アピールしたのだ。
こんないい製品、よそにはないですよ!と言わんばかりに、営業をかけたのである。
私の様子に、リュンガー伯爵は苦笑していたが──翌日。
彼に呼び止められて頼まれたのは、意外にも魔法関連の依頼ではなかった。
「刺繍、ですか?」
「ええ。レディ・キャロライン。可能なら、あなたに刺繍をお願いしたいんです」
彼にお願いされたのは、真っ白なハンカチに小さな刺繍をひとつ、入れることだった。
刺繍は貴族令嬢の嗜み。
もちろん私も、できないことはない。
と言っても、手慰みぐらいのものだけど──。
「頼めますか?」
リュンガー伯爵にふたたび尋ねられて、私は頷いて答えた。
「できますわ。……でも、よろしいのですか?私の腕前は、可もなく不可もなくといったところですもの。ずば抜けて刺繍が上手いとか、そういうのではありませんわ」
これは自虐ではない。
客観的な事実である。
「良いんです。それに、あなたの刺繍はとても綺麗ですよ。以前、ガーデンパーティの展示で見たことがあります」
「……ありがとうございます」
彼の言うガーデンパーティ、とは夏の庭園会のことを言っているのだろう。
そこで淑女たちは、自身の手がけたコースターやハンカチを披露するのだ。
庭園会の終わりに、展示作品の作者が発表される。
出来のいい作品を仕上げた令嬢は、淑女の鑑として称えられ、次の夜会で注目の的となる。
もちろん、良縁だって舞い込む。
そのため、夏の庭園会に出す作品はゴーストライター……ならぬ雇われたプロの作品であることが多い。
その中、私はいじらしくも自分で刺繍を刺したハンカチを送った。
当然、プロの作品の中に埋もれた。
(まっ……たく話題にもならなかったわ!!)
そんな、背景の一部と化してしまった私のハンカチだが、まさかそれを見ていた人がいるなんて、思いもしなかったのだ。
(褒めていただいたのは嬉しいのだけど……うぅん。でもリュンガー伯爵も、あの庭園会でプロの作品を見た……のよね?)
下手では無いが、プロと比べると雲泥の差である。
その刺繍を褒められて、天邪鬼にも、私はちょっと微妙な気持ちになった。
この複雑さは、美人に『綺麗』と褒められた時の気持ちと似通った何かを感じる。
「涼しげで可愛らしく、正直、少し意外でした」
どんなデザインだったかしら……と考えて、そういえば白地のハンカチに、緑葉を刺したことを思い出した。
「あれは、夏の白い雲と新緑……ですよね?いつか、答え合わせがしたいと思っていました」
「……そこまで、読み取られていたんですね」
もっとも、作り手の私といえば、すっかりそのことを忘れていた。
そういえば、そのイメージで刺繍を刺したのだった。
白いハンカチを、夏の空に浮かぶ雲、つまり入道雲に見立てたのだ。
下から覗いた時、芽吹いたばかりの新緑が雲にかかっているような──。
驚きに目を見開いていると、彼がにっこり笑った。
「だからこそ、あなたにお願いしたいのです。レディ・キャロライン」
そして、私は一枚のハンカチに刺繍を刺すことになった。
デザインは簡単なものでいいとのことだったので、慣れているものにした。
今まで、散々練習で刺してきた花の模様だ。
図案集が手元になくても、手が覚えているのでスルスルと動いた。
そして次の日には、刺繍が完成した。
ワンポイントの小さなものだったし、複雑なデザインでもない。
何より私は時間を持て余していたので、没頭するように手を動かした。
リュンガー伯爵に手渡すと、彼はとても喜んでくれた。よく見る図案だし、そんなに凝ったものでもない。
今回私が刺したのは、赤い薔薇の刺繍だった。
「とても素敵ですね。ありがとうございます」
「何に使うのですか?」
そういえば、目的を聞いていなかった。
そう思って尋ねると、リュンガー伯爵がいたずらっぽく笑った。
「せっかくですし、あなたも来ますか?」




